Only guardian -5-


退院は内密になっているが、もしもの取材対策を考えて裏口から病院を出た。
がしかし、先に荷物を運び車を回しているはずの父の姿がない。
「…どこの出口に行ったのかしら」
「また、町内一周したら戻って来るでしょう」
ゾロの方向音痴は父親からの遺伝なので、母娘は呆れたように笑っている。
「って、ゾロは?」
「あの子ったらまた、一人で勝手にふらふら歩いて」
ちょっと目を離した隙に、ゾロは病院の門を潜り抜け表通りを右に曲がろうとしていた。
くいなが呼びとめようとした背後から、ゾロを呼ぶ声が響く。

「ゾロ!」
母娘にぺこりと会釈だけして風のように追い越したサンジは、ゾロの背中まっすぐ目指して走る。
最初に呼びかけた声が届かなかったのか、ゾロは振り向きもせずサクサクと舗道を歩いた。
と、突然頭上から何かの欠片が落ちてきて、見上げれば古い病棟の壁面の一部が傾いていた。
「ゾロっ、あぶねえ!」
ゆっくりと、まるでスローモーションのように壁一面が剥がれて落ちてくる。
サンジの叫び声に振り向いたゾロにタックルするように抱き着いて、その場に押し倒した。
ゾロを庇い乗り上げるサンジの頭を、ゾロは倒れながら手を回し胸に抱いた。


乾いた破壊音と共に、視界が揺れる。
一拍遅れて、女性の悲鳴が響いた。

「ゾロ!」
「ちょっ、大丈夫?!」
車道を走っていた車も路肩に止まり、通行人が何事かと集まってくる。
倒れた二人の周りに人垣ができて、周囲に散らばったモルタル片を退け始めた。
大騒ぎの中にあって、サンジはゆっくりと閉じていた目を開ける。
恐れていた衝撃は訪れず、身体が強張ってはいるものの明確な痛みもない。
「…え?」
起き上がれば、頭からパラパラと埃と欠片が落ちた。
下に組み敷いているゾロが、痛そうに顔を歪める。
「ゾロっ、大丈夫か?」
「お前こそ、なんともねえか」
ゾロは顔を顰めながら、サンジを見上げてほっと息を吐いて笑った。
初めてゾロに話しかけられ、サンジはもうなにがなんだかわからなくてこれも夢かと目を瞬かせた。

「ゾロ、大丈夫?起きれる?」
たしぎが枕元に膝を着いて、ゾロの後頭部に手を添える。
くいながサンジの肩にそっと手を添えて、身体を起こさせた。
「…え?え?」
なにが起こったのか、サンジにはさっぱりわからない。
確かにさっき、頭上からでかいコンクリート片が落ちてきて直撃したと思ったのに。

「とことん運がいいわねえ」
呆れたように呟く母は、さすがゾロの親と言うか肝が据わっている。
驚き心配した反動でか、くいなもたしぎもどこか放心したように力なく笑った。
「ほんと、ナミちゃんに感謝しなきゃ」
ゾロの右手には、ナミに手渡された本がしっかりと握られていた。
けれどそれは角が不自然なほどひしゃげて変形し、本の形を留めていない。
「単行本でハードカバーで、そこそこの分厚さがあったから耐えられたのね」
「ゾロの握力と腕力も半端ないわよ、普通、腕も傷めるでしょ」

サンジに抱き着かれ押し倒されたゾロは、目の前に迫りくる落下物で事態を判断し咄嗟に片手を押し上げた。
左手にはサンジの頭、右手にはナミに貸してもらった本だ。
ゆっくりと回転しながら落ちる壁面がちょうど平面を見せた瞬間を狙い、本の角で突いた。
渾身の一撃は衝撃を相殺させ、直前でモルタルが粉々に砕け散る。
結果、他の細かい破片がゾロの足を傷付けはしたが、頭部と胸に抱えたサンジは無傷で済んだ。

呆然と座り込むサンジの、破片にまみれた頭をぽんぽんと叩き、それからゾロは足を引きずりながら身体を起こした。
「お前、やっと俺の名を呼んでくれたな」
「…はあ?」
それは俺のセリフじゃないか。
やっと、やっと会えたなあって俺の方が言いたいのに。
なのに、ゾロはとてつもなく嬉しそうに笑ってサンジを抱き寄せる。

「ちょうどよかった、こいつ紹介しとく」
そう言って、不審げに眺める母娘に向き直った。
「こいつが俺の、大事なサンジだ」
「―――――?」
“大事なサンジ”と呼ばれた時点で、サンジはもう訳が分からな過ぎて目を回してしまった。







「大変、申し訳ない」
グランドライン総合病院の院長に頭を下げられ、ゾロの家族は一応渋い顔をして見せた。
「今回は偶々、軽症で済みましたが、今後このようなことは決してないように気を付けていただきたい」
「はい、工事現場以下、院内も徹底して安全に努めます」
厳しい顔をして見せたゾロの父に、まさしく平身低頭の体で病院及び工事関係者が額を擦り付ける。
それならばよろしいと、ゾロ父はこれ以上の抗議の意思は示さなかった。
ゾロは足に擦り傷と打撲を負い、病院に逆戻りだ。
騒ぎを聞き付けたマスコミが、「暴漢を撃退した高校生、次は落下物を撃退する」とかふざけた記事を書きそうなので、そちらの対応に重点を置いてゾロの退院は先延ばしされた。
サンジも一緒に念のため精密検査を受けさせられ、ともに異常なしの診断を得て今はゾロの病室にいる。

「とんだことに巻き込まれたねえ」
ヒッヒと喉を引き攣らせるようにして笑うのは、サンジの主治医のDrくれはだ。
毎週サンジの下に通っていたゾロとも、当然顔見知りだった。
「笑いごとじゃないよ、ドクトリーヌ」
ゾロの診察を終えて、チョッパーはふうと溜め息を吐いた。
「退院の日に病院の不手際で事故に巻き込まれるなんて、本当に申し訳ない」
「先生のせいじゃありませんよ」
「そうさ、この小僧の運が悪すぎるんだ」
「病院関係者であるドクトリーヌが言うことじゃありません」
チョッパーは毅然とした態度でくれはを嗜めると、ゾロの横でまだ呆けたような顔をしているサンジに向き直った。
「サンジ君、ですね初めまして。どこにも怪我がなくてよかった」
「…あ、はい」
サンジはしどろもどろになりながら、はにかむように返事する。
「小僧っ子の怪我は残念だったが、サンジはまるで憑きものが落ちたみたいだね。今までとは全然違うよ」
くれははそう言って、瞳を和らげた。
それに、ゾロも大きく頷く。
「ああ、俺も驚いた。まさか俺の名前を呼んで飛んできてくれるなんて、夢かと思った」
「一体なにがあったんだい?」
そう問われても、サンジにもよくわからない。
ただ、自分が憑依できそうなものを目指してこの髪に乗り移ろうとして、急速に身体ごと吸い込まれたのだ。
そうして初めて、これは自分だと実感できた。
サンジはずっと、サンジだったのだ。

まるで、長い長い夢を見ていたようだ。
ゾロと共に過ごした歳月の記憶も確かにサンジの中にあるのに、なぜかとてもあやふやで現実感を伴わない。
それよりも今はすぐ傍にゾロがいて、その息吹もその体温も握った手の感触もしっかりと肌に伝わることにばかり意識が集中する。

「小僧っ子が毎週カウンセリングに立ち会ってたってえのに、今までは反応すらなかったじゃないか。それがどうだい、目の色からして違うよ」
「そうなんですか?僕にはサンジ君は・・・確かにちょっと痩せすぎだけど、普通の友達みたいに見えるのに」
チョッパーの言葉に、サンジはまた照れくさそうに俯く。
いろんな記憶が一気に押し寄せてきて、混乱が収まらない。

「ともかく、サンジはもう家に帰る時間だよ。小僧っ子はまたしばらくここに入院することになるから、また来週にでも顔を出せばいい」
くれはに促され立ち上がろうとしたけれど、ずっと握った手をゾロが離さなかった。
サンジも離れがたくて、その掌を握り返し腰を下ろす。
「…あの、もうちょっといてもいいですか?」
「ああ、そりゃあまあ面会時間はまだあるからね」
「一人で帰れるから、大丈夫です」
「そうだね、それじゃ僕は回診があるから…」
チョッパーがそう言って立ち上がり、急かすようにくれはの白衣の裾を引っ張る。
「やれやれ、どうやら積もる話もありそうだ。年寄りは退散するよ」
「すみません」
恐縮しつつも、サンジはゾロのベッドに腰掛けたまま立ち上がって見送ることもできなかった。
なにせゾロは、がっちりと手を握り込んで離さない。

二人の医師が部屋を出て行ってから、二人は改めて顔を見合わせた。
そうして、どちらともなくぎこちなく視線を逸らせる。
手はしっかりと繋ぎ合っているのに、なんとも気恥ずかしく歯痒い。
「あ・・・」
「あのな」
お互いに会話を切り出し、同時に黙った。
目線だけで譲り合う。
結局ゾロの方が先に口を開いた。
「こうして、お前と目を合わせて喋れるの・・・6年ぶりくらいか」
「そう・・・なのかな」
ゾロが嬉しそうにきゅっと手を握ってくるので、サンジはもじもじしながら俯いた。
「・・・お前、ずっと俺の傍にいてくれたんだな」
「ん?ああ」
サンジの言葉に、ゾロは真面目な顔で頷く。
「わかってなかったのか?俺だって」
「ん、なんか今、やっとわかった」

ゾロは、ずっとサンジの傍にいてくれたのだ。
毎週月曜日のカウンセリングに、サンジの隣で立ち会ってくれていた。
けれどサンジの意識はずっとゾロの傍にいて、その時だけはこの病院内に立ち入れもしなかった。
だから知らなかったのだ。
ゾロが、自分だけを見つめてくれていたことを。
初めて会った、あの日からずっと。






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