Only guardian -4-


昔からよく怪我をしていたゾロは、それらを大抵寝て治していた。
今回も身体が勝手に睡眠を欲しているようで、入院生活のほとんどすべてを寝て過ごしている。
あんまり静かだから検温に来た看護師が顔色を変えて駆け寄り、太平楽な寝息を聞いてほっと息を吐く様を何度も目にした。
サンジはベッドサイドの花に宿り、そんなゾロの様子を飽くことなく眺めている。
ゾロを守りきれず絶望して消えてなくなるはずだったが、ひょんなことから未練が生じて消滅の気配がなくなってしまった。
だってゾロが、自分の名前を呼んだのだ。

あの時確かに、ゾロは「サンジ?」と呼びかけた。
ビックリして固まるサンジの方に視線を彷徨わせ、「気のせいか」と呟いてそのまま眠りに落ちたゾロに、今のはなんだったのかと問い詰める術は持たない。
けれど聞きたいことは山ほどあった。
なんでゾロが、俺の名前を知ってるんだ?
そこまで考えて、いや待てよと考えを改める。
そもそも自分は、本当に「サンジ」という名前なのだろうか。
最初からその名前が頭にあったから自分のことだと思ってはいたけれど、当然のことながらサンジは誰かに「サンジ」と呼びかけられたことなどない。
誰とも言葉を交わさず、誰にも触れられず誰にも気づかれない存在なのだ。
なのになぜ、自分の名前が「サンジ」だと思ったのか。
そうして、ゾロにまつわるあれこれ以外にも…例えば日常生活とか学校のこととか病院のこととか。
普段意識はしていないけど些末な“常識”をなぜ知っているのか。
なぜわかるのか、サンジ自身がわからない。
誰よりも、自分のことがわからなかった。

―――― 一体俺は、誰だ。
自分を、ゾロの守護霊“サンジ”だと思い込んでいたのに、ゾロにその名を呼ばれたことでその根拠が揺らいでいる。
だって、ゾロはサンジを知らない。
知らないのなら、名前で呼びかけたりなんかしない。
けどゾロは「サンジ」と言った。
その「サンジ」は、サンジではない。
サンジ以外に「サンジ」が存在する?
だったら俺は…誰だ。

ゾロがぱちりと目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。
すると軽くノックの音がして、看護師が入ってきた。
「起きてる?リハビリの時間ですよー」
「はい」
ここのところ、ゾロは医師や看護師、家族が部屋に入る前に目を覚ますようになった。
鋭敏な感覚が取り戻せたのか、目にも力が戻ってきている。
それでいて表情は穏やかになり、当初は口に出さないまでも滲み出ていた険が消えた。
看護師はさっとカーテンを開け、気遣わし気に振り向いた。
「ここうるさくない?病院なのにごめんなさいね」
「いえ、特にうるさくないです」
増築が行われているのか、窓の外は壁を隔てた隣の病棟が建築現場並みに騒がしい。
タダ防音はしっかりとしているし、ゾロはそもそも些細な物音など気にしない。
一旦窓の外を眺めてから、看護師に向き直った。
「今日、リハビリの帰りに病院内ですが寄り道してもいいですか?」
「ああ、売店にでも寄る?いいわよ」
「一人で行きたいんですが」
「うーん、まあロロノア君は無茶しないから大丈夫かなあ」
会話しながら二人の姿は病室から消えた。
少しずつ遠ざかる音を耳を澄まして必死で拾おうとするが、すぐに途絶える。

花に宿っているせいか、サンジはなんとか病院内には入れたがこの病室から出ることができない。
ゾロの傍にずっといられるからそれでいいと思っていたけど、徐々に回復しリハビリに通うようになると取り残される時間が増えた。
それに今日は寄り道をしたいなどと言い出して、ゾロの行動範囲は広がるばかりだ。

は、と気が付いて壁に掛けられたカレンダーを見る。
今日は月曜日。
毎週、この病院に足を運んでいた日だ。
怪我をしてからしばらくはずっと寝たきりだったから、久しぶりの月曜訪問なのかもしれない。
そう思うと、サンジも一緒についていきたくてたまらなくなった。
ゾロは一体、毎週月曜日誰と会っているのだろう。
しばらく会えなかった時間があったことを、何と説明するのだろう。
相手は知っているのだろうか、ゾロが大けがしたことを。

窓辺に腰を下ろして、いろいろと想像を巡らしてみる。
その内眠気が襲うように、意識がブレてきた。
ゾロもいないから、ここに居てもしょうがない。
そう思って、サンジは素直に意識を手放した。





瀕死の重傷を負いながらも、ゾロはめきめきと回復していった。
医者も驚く治癒の速さだが、油断をしてはいけないと医師はくどいくらい注意する。
「ロロノア君はスポーツもしていたし若いから治りが速いけど、くれぐれも無茶しちゃいけないよ」
担当の医師は、大きな身体にそぐわない可愛らしい声とつぶらな瞳が特徴的だ。
まだ年は若く、薄いピンク色の白衣(?)を羽織っているから医者らしくなく見えるのか、小児病棟でも人気がある。
「いつごろ退院できそうですか?」
「この調子だと、新学期には学校に顔を出せるかな。ああでも、運動はまだしばらく厳禁だよ。リハビリや筋トレはいいけど、身体を動かす時は必ずトレーナーと相談して進めないとダメだ」
優しい口調で、でもきっぱりと釘を刺す。
「秋の大会に間に合わせたいと思っているかもしれないけれど、ドクターストップだ。まだ成長過程の君の身体をきちんと治すことが先だし、付け焼刃な練習で試合に臨むのは君も本位じゃないだろう」
そう言われて、ゾロは不満げに眉を寄せ押し黙った。
つい先日、見舞いに来てくれた師匠にもきつく叱責されたところだ。
ゾロにすれば退院もそこそこに竹刀を握りたいのだろうが、それは罷りならんとこちらも太い釘を刺されていた。

夏休み中なせいか、見舞客は割と頻繁にやってきた。
サンジが大好きなナミは、ほぼ一日おきに顔を出しに来てあれやこれやと世話を焼いている。
ゾロの部屋が勉強場所とでも思っているのか、ナミは自分の分の宿題を持ち込んでゾロに強制的に付き合わせ一緒に済ませていた。
お蔭で、ゾロの夏休みの宿題は7月中にほぼ終わってしまった。
ナミの他にも、騒がしくて冷蔵庫の中のおやつをほぼ食べ尽くして帰るルフィや、いい加減なほら話ばかりして珍しくゾロを笑顔にさせるウソップなど、友人たちがひっきりなしに訪れる。
新聞や雑誌の記者は病院側でシャットアウトしてくれている内に、世間の関心は別のニュースへと移ったようだ。
長期入院はゾロにはもどかしいばかりだろうが、結果的にいい方向へと進んだ。



その日は朝から、なんとなく慌ただしかった。
ゾロの家族全員が病室に集まり、着替えだの片付けだのをしている。
いよいよ退院の日かと、サンジも何ができる訳でもないのにソワソワと彷徨っていたら、くいなが花瓶に活けられた花を鷲掴みにした。
「ナミちゃんが持って来てくれたお花、よくもったわねえ」
「病院は快適温度だもんね」
そう言って、ためらいなくゴミ箱に捨てられる。
少し萎れた黄色い小花に宿ったサンジは、一瞬焦ってクワ丸君を探した。
そう言えば、ゾロは入院中スマホを触っていなかった。
携帯中毒とかには無縁な男だ。
「あんたのスマホ、預かってたわよ」
たしぎが懐から取り出したスマホには、緑色のストラップが付いている。
「ん?なんか変わってんな」
ゾロが珍しく気が付くと、たしぎは「ああ」と残念そうに頷いた。
「クワ丸君、血まみれになっちゃったし千切れちゃったしで捨てちゃったの。代わりにモリモリまりもん付けといたから。その方があんたらしくていいでしょ」

―――――クワ丸君が!!!
サンジはショックを受けて、思わず声を上げた。
勿論、その声は誰にも届かなかったのだけれど。

ゾロはふーんと気のない相槌を打って、スマホをポケットに仕舞った。
それから自分の足で立ち上がり、掛布団を畳んでシーツの皺を伸ばした。
「大丈夫、痛くない?」
「なんともねえ」
「よし、行くか。表に車回してくる」
「ナースステーションに挨拶に伺ってから、降りるわね」
家族が病室から出ていくのを、サンジはゴミ箱の中から見送る羽目になった。
このまま置いて行かれるのか・・・と絶望していたら、たしぎがくるりと振り返って戻ってくる。
「ゴミも持って出た方がいいでしょ」
「病院で処分してもらえばいいだろうに」
「せめてゴミ捨てのとこまで持っていくわ」
ナイロン袋に包まれて、サンジもなんとか病室から出られた。

可愛い看護師さんがいっぱいだ~vとサンジが目をハートにしている内に、ゾロのお母さんが手土産を看護師長に渡した。
丁度目の前のエレベーターが開き、ナミが下りてくる。
「あ」
「あ、ナミちゃん」
ナミは勢揃いしたゾロの家族に状況を察したようで、なあんだと笑顔になる。
「今日退院だったんですね」
「いやだゾロったら、ナミちゃんに知らせてなかったの?」
「まあまあこの子ったら本当に。ナミちゃん、いつもありがとう。お世話になったわね」
「いいえ、退院おめでとうございます」
「ナミちゃんのお蔭よ、なのに退院を知らせてなかったなんてほんとにもう」
くいなとたしぎに両サイドからガスゴスと小突かれて、ゾロは憮然としている。
「じゃあここでなんだけど、これ読書感想文用の本。課題図書の中からゾロに向いてそうなの勝手に選んじゃった」
そう言って押し付けられた包み紙を、ゾロは「おう」と尊大な態度で受け取った。
「ゾロ、あんたはまったく。ナミちゃん、なにからなにまでありがとう」
「いいえ、それ私はもう読んで書いちゃったからどうぞ・・・って言っても、図書館の本だけど。貸出期限、あと一週間あるから」
「それ、又貸しってやつじゃねえか」
「うるさいわね、貸してもらえるだけありがたいと思いなさいよ」
そうよそうよと、双子姉がナミの援護射撃をする。
これは敵わないと悟ったか、ゾロは素直に「サンキュ」と言った。
「じゃあ私はこれで」
「ああ、ごめんなさいね」
「せっかく来てくれたのに」
「いいえ、今日は本を渡そうと思ってただけなので」
ナミは小さく会釈すると、ちょうど降りてきたエレベーターに乗ってそのまま立ち去ってしまった。
母親と姉達は閉じた扉を見つめて、ほうと溜め息を吐く。

「ナミちゃん、本当にいい子ねえ。よく気が付くし頭もいいし」
「その上あんなに綺麗なんですもの、うちの愚弟には勿体ないわ」
「は?」
姉の言葉に聞き捨てならぬと、ゾロは眉を顰めて振り返った。
「ナミはただのダチだぞ」
「またまたー」
「なに言ってんのあんたは」
くいなに肘で突かれ、身体を避けて手で払いのける。
「憶測で、勝手なこと言ってんじゃねえよ」
「うっさいわね、あんたこそ余計な意地張ってないでちゃんと捕まえとかなきゃダメよ。あんないい子、そうそういないんだから」
「ナミちゃんがお嫁に来てくれたら、毎日楽しいでしょうねえ」
「それに、すっごく頼りになりそうよねえ」
「だから、訳わかんねえこと言ってんじゃねえって」

ゾロ対親子の応酬をなんとなく取り残された気分で見守っていたサンジは、そのままがくんと床に沈んだ。
たしぎが、廊下の回収ごみの中に花を捨てたのだ。
ゴミ箱の中から動けないサンジを置いて、ゾロ達はエレベーターに乗り込む。
「なあ、帰りにちょっと寄りたいとこあんだけど」
「なに、車で寄れるとこ?」
「いや、病院の中」
「はあ?なんでわざわざ」
「また通院あるでしょ、その時でいいじゃない。もう今日はまっすぐ帰るの」

閉じられた扉と共に、会話が途切れてそれ以上追いかけられなかった。
ああそうか、今日は月曜日かと遅まきながら気づく。
もしかしたら、このままゾロについて行けたら月曜日の謎が解けるのに。
サンジはゴミ箱の上に縫い付けられたように留まり、途方に暮れていた。
クワ丸君に憑依するつもりだったのに、まさかのモリモリまりもんになっていただなんて。
他に黄色いものはないかと周囲を見回すも、子どもの黄色いスリッパくらいしか目に付かなかった。
子どものスリッパに宿ったところで、ゾロの元には帰れない。

そもそも、もうサンジにはゾロを守る力なんて残ってないんだろう。
自分の分身みたいに居心地のよかった、クワ丸君はもういない。
そしてゾロには家族が、友人達が、ナミがいる。
多分ゾロ自身はまだ自覚してないんだろうけど、傍目に見てもナミとはとてもお似合いだと思った。
これを機に、彼女と二人で過ごす時間が増えるだろう。
自分が立ち入る隙なんてもう、どこにもないのだ。

このままゴミに埋もれて焼却炉で燃やされたら成仏できるかなあと膝を抱えてぼんやりとしていたら、ゾロの乗ったエレベーターが下りるのと入れ違うみたいにもう1基が上がってきた。
開く扉の向こうに、男が一人立っている。
金色の髪に抜けるように白い・・・というより、まるで幽鬼のように青白い肌の、まだ“少年”と言っていい年頃だ。
酷く痩せていて、喉仏ばかりが尖って見えた。
本来なら人目を引くだろう青い瞳は、焦点が合わず虚ろだ。

――――なんだこいつ。
一目見てちょっとヤバい系だとわかり、サンジはそうっと様子を窺った。
金髪は上体を揺らさずにそろそろと歩き、ナースステーションの前で一旦足を止めてからふらりと横に逸れた。
左右の病室をジグザグに歩く。
部屋番号を確かめているのかと気付けば、ゾロがいた病室の前で足を止めた。
少年はじっと、名前のないプレートを見つめている。

「ロロノア君の、お友達?」
通りかかった看護師が声を掛ける。
それにゆっくりと振り向いて、相変わらず焦点の合わない瞳で小首だけを傾げた。
「ロロノア君、今日退院したのよ。さっき降りたところだから、追いかければまだ間に合うかも」
感情の読めない無表情な顔が、ほんの一瞬逡巡したように見えた。

どうしよう。
追いかけようか、どうしよう。

それを見て、サンジの方がいてもたってもいられなくなった。
追いかけろよ、ゾロに用事があるなら声を掛けろよ。
ちゃんと身体があって、ゾロに触れて話せるんだろ。
だったらお前が追いかけろよ。
俺だったら、絶対にゾロに伝える。

サンジはふわりと舞い上がり、少年に向かって飛び込んだ。
その金色の髪になら、宿れる気がした。






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