Only guardian -2-


小学生の時はどちらかというと小柄だったゾロだが、中学でぐんと背が伸び高校に入ってからは身体に厚みが出てきた。
春にはまだ大きすぎてぶかぶかだった制服も、夏服の前には身体の線にきっちりと合うようになっていて、秋にまたブレザーに袖を通す頃にはもうぴったりのサイズになっているのだろう。
サンジはクワ丸君の中で揺られながら、ゾロの成長をじっと見守っている。
あれからも、一歩間違えれば命にかかわるような大事故に繋がりかねないアクシデント…というものがゾロの周りでは頻発していた。
だがサンジの尽力で8割型、事故になる前に事なきを得ている。
例え事故に繋がったとしても軽微なもので、ゾロの反射神経も手伝って「あっぶね」の一言ですべて済んでいた。
ちょっとしたトラブルは、もはや日常茶飯事だ。

「あークワ丸君だ、可愛い~」
ゾロのスマホにクワ丸君が付いたことでサンジの居心地もよくなったが、ゾロの周辺も少し変わった。
見た目に強面で口数の少ないゾロは、サンジの予想通り入学当初はほぼクラスメイトに遠巻きに見られ、必要最小限の言葉しか交わさなかった。
だがストラップを付けてからは、女子から気軽に声をかけられるようになった。
たぶん、お近づきになりたいなーと密かに思っていた女子にとって、可愛いクワ丸くんのストラップは意外性も伴って格好の口実になったのだ。
「なんかしらんが、姉貴に勝手に付けられた」
「へえ、お姉さんいるんだ」
ゾロも自分から話しかけるタイプではないが、声をかけられたらきちんと答えるからきっかけさえあれば会話は成立する。
そうすると、ロロノア君は話してみると意外とフランクだよ~とまた評判が上がる。
サンジが心配するまでもなく、夏休み前にはゾロはクラスのみんなに馴染んでいた。

「ロロノア、バイトとかするのか?」
「いや、夏休みは剣道の合宿にいく」
「へえ、剣道してるんだー」
「あれ知らねえの?超有名だぜ」
なぜか我がことのように自慢する男子と、無邪気にきゃっきゃと喜ぶ女子。
ゾロの胸元でぷらぷら揺れながら、サンジは聞き耳を立てているだけなのに会話の輪の中に入っているような錯覚に陥った。
『そうさ、こいつは小さい頃から剣道続けてて大人相手でも優勝して、今じゃ段持ちなんだからな』
叶うことならそう言ってゾロの肩に腕を置いたりして、クラスメイトと笑い合いたい。

けれどそれは無理な話だ。
だってサンジはクワ丸君の中に憑依しているだけで、誰の目にも見えずゾロにさえも知られていない存在だから。
ゾロを守るためだけにいるような自分だけど、こうしてゾロを通じて学校生活を疑似体験できるのは、それだけで楽しかった。
サンジは時折、自分のことを考える。
“サンジ”という名前以外なにも覚えていない自分は、一体何者なのか。
もしかしたら幽霊で、ゾロに憑り付いているだけなのかもしれない。
それとも実はゾロのご先祖で、あまりにも運の悪い子孫を守るために守護霊になっているのかもしれない。
どちらにしろ、サンジは幽体だ。
モノには触れないし喋ることもできないし、なにも食べなくとも眠らなくとも死ぬことはないんだろう。
ただゾロを守るためだけの存在。
それ以上なにも望まないけれど、それでも時折ほんの少しだけ、寂しいと感じることはある。
不器用でも口下手でも、いつの間にか友人に囲まれ人の輪の中にいるゾロを、羨ましいと思うことがある。



女子の一人が遠慮がちにゾロの胸元に手を差し伸べて、クワ丸君を摘んだ。
すんなりとした指の感触に、サンジは密かにドキドキしている。
可愛い女子に囲まれて、気のいい男子と打ち解けて、ゾロはいいなあ。
せめて俺も、ゾロの友達として隣に立てたらいいのに。
一緒に笑い合ったりふざけたり、できたらいいのに。

そこまで考えて、ひやりとした想いが胸を掠めた。
そんなことは考えちゃいけないんだと、心のどこかで誰かが警鐘を鳴らす。
ゾロを好きなら、ゾロを守りたいならば、自分の気持ちには蓋をしなきゃならない。
高望みも欲深い想いも、決して脳裏に浮かべてはいけないのだ。
――――さもなくば、サンジはゾロを一生失うことになってしまう。
誰に何を言われた覚えもないのに、その警告はサンジの中で絶対的なモノとして有り続けた。





夏休みに入ってすぐの週末。
剣道の合宿に出発する前に、ゾロはいつもの病院へと足を運んだ。
サンジはクワ丸君に四六時中憑依できているのだから、今度こそはと意気込んでいたのに、病院の駐車場から敷地に一歩入った時点でぷつりと意識が切れてしまった。
気が付いたら、いつも通る商店街のアーケードにさしかかるところだった。
どうやら、病院の帰りだ。
腹が減ったらしいゾロは、コロッケの匂いにつられて肉屋の前で足を止めている。
「牛肉コロッケ、7つ」
「あいよ」
夕飯の差し入れも兼ねているのだろうが、帰るまでに二つは食べるつもりなのだろう。
揚げたてほくほくのコロッケを懐に抱え、ゾロは口元に笑みを浮かべて歩道を歩いていく。
この先の公園でベンチに座り、このクソ暑いのに熱々のコロッケを頬張るのだろう。
ゾロの行動パターンなどお見通しで、けれどサンジは少し気落ちしたままクワ丸君と一緒にぶらぶら揺れていた。

今回もやっぱり、ゾロと一緒に病院には行けなかった。
こんなにずっと側にいていつでも守っているのに、どうしてどこまでもゾロと一緒にいられないのだろう。
なにもかも知っていたいのに、自分が知らないゾロの時間があると思うと、なんだか悔しい。



夏の日差しが公園の砂場に濃い影を落とす昼下がり。
木陰のベンチはたいがい誰かが座っていて、ゾロは仕方なく噴水前のベンチに腰掛けた。
遮るモノなどなにもない、直射日光の真下で熱せられたベンチに腰掛け、暑さなど物ともせずに揚げたてのコロッケに齧り付く。
額から一筋の汗が流れ落ち、なめらかな頬を辿り顎まで滴り落ちた。

いいな
いいな、ゾロ。
俺もゾロと並んで、揚げたてのコロッケを頬張りたいな。

暑くもなく寒くもなく、腹が減ることも眠気に襲われることもないサンジだが、コロッケの美味しさは知っている。
このクソ暑い中でわざわざ熱いものを食べなくてもと、突っ込みを入れる程度にはその美味しさも熱さも知っている。
なんでなんだろうと、遡れない記憶の糸をたぐり寄せていたら、不意に金切り声が響いた。

何事かと、木陰のベンチで一休みしているサラリーマンや散歩中の老夫婦、それに小さな子どもを二人連れた若い母親が、一斉に動きを止めた。
そんな中ゾロだけがコロッケを放り投げて立ち上がり、駆け出していた。

だめだ、だめだゾロ。
行っちゃだめだ!

サンジがどんなに叫んでも、その声は届かない。
ゾロを押し留めようにも、クワ丸君ではなんの力も出せなかった。
サンジが察知するより早くゾロの方が行動を起こしたから、その勢いは止められない。

「なにやってんだ!」
ゾロは叫びながら身を踊らせた。
背後には小さな子ども、地面に倒れ伏した女性。
そして目の前には目を血走らせ包丁を振り上げた、荒々しい男がいた。

――――――ゾロっ!

サンジの目の前が真っ赤に染まる。
クワ丸君に血飛沫が掛かったのだと、わかったのは幽体で離れてからだ。
空高く舞い上がったサンジは、眼下で争う二人をただ見守るしかできない。
最初に一太刀食らったゾロは、胸から大量に出血しながらも男の両手を掴み、握り締めて離さない包丁を無理矢理もぎ取った。
そうして地面に引き倒し、膝で乗り上げて後ろ手に腕を捻る。
男は喉の奥からぐうと唸り声を上げ、そのままガクリと首を落とし動かなくなった。

一連の騒動を固まったまま見ていた老夫婦の夫の方が、弾かれたように走り出し存外に素早い動きで捨てられた包丁を確保する。
サラリーマンは慌てて何度も押し間違いながらも、なんとか携帯で警察に連絡した。
二人の子どもを抱き締めた母親はその場にへたり込んで、喉の奥から絞り出すような悲鳴を上げた後、救急車―!と叫んだ。

その声を合図にしたかのように、ゾロは男の上に跨ったまままるで糸が切れたみたいにばたりと前のめりに倒れた。
重なった二人の下、乾ききった地面にじわじわと赤黒いシミが広がっていく。
それは見る見るうちに禍々しい楕円を形作り、血だまりに浮かんだゾロの顔色の白さを際立たせた。
その悪夢のような光景を、サンジは髪を掻き毟り声にならない叫びを響かせながら見下ろしている。

――――誰か、誰かゾロを助けて!
早く誰か、誰かゾロをっ…

ゾロに危険が迫った時は身を挺してでも守るつもりだったのに、自分はなにもできなかった。
せめて身体があれば、実体があればゾロを庇って盾になれたのに。
なんの力も持たない自分では、結局ゾロを守りきれない。
襲い来る得体のしれない殺意から、ゾロを守れない。
このままでは、ゾロが死んでしまう。
ゾロが、死んでしまう。



けたたましいサイレンの音が近付き、母親の腕の中で怯えた子どもの泣き声が響いた。
なにごとかと集まって来たやじ馬が、ゾロの周りにぐるりと輪を作る。
多くの人々が集まるにつれ、サンジの身体はゆっくりと上昇していった。
見る見るうちに公園が遠ざかり、視界が白く染まっていく。

――――――いやだ、まだいやだ。
俺はゾロを守るんだ、ゾロの傍にいたいんだ。
何の役にも立てないけれど、ゾロを守りきれなかったけれど。
それでもどうか、ゾロの傍に居させてほしい。
頼むから、俺にゾロを守らせて。
ゾロの傍に居させてくれ、ずっとこのままでもいいから。
誰とも話せなくとも誰にも触れられなくても、ゾロに知られなくても覚えてもらえなくてもいいから。
ゾロの傍にいられるだけで、いいから――――――




サイレンの音がゆっくりと、遠ざかって行く。




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