Only guardian -1-


ポカポカとした春の日差しを浴びて、ゾロはベンチに腰掛けたままま舟を漕いでいた。
ちょっと目を離すとすぐに居眠りする、万年寝くたれ坊主だ。
別に、ずっと目を離さずにいたとしても彼の居眠りを止めることなんてできないのだけれど。
サンジは黄色い蝶々に憑依して、眠る彼の周りをふよふよと舞った。
まだ身体には大きすぎる、ぶかぶかのブレザーは肩の部分が浮いている。
そこにそっと止まって、羽を休める。

カキーンと、耳に付く金属音がグラウンドから響いた。
まさかと空を仰ぐと、打ち上げられた白い球が大きく放物線を描きながら空を昇り、まっすぐにこちらに向かって落ちてきた。
――――ヤバイ!
今まで何度も見舞われた危機がまた降りかかったと、サンジは翅をひらめかせて未だに眠るゾロの鼻先を擽る。
「…ふぐっ」
まだ目を閉じたまま、くしゃみをしかけて身体を起こした彼は両手を挙げて伸び上がった。
後頭部の上に掲げられた掌に、今まさに落ちんとしたボールがすっぽりと入る。
「いって!」
ビシリと、電流でも流れたかのような痛みと衝撃にゾロは目を覚まして硬直した。
油断した状態で掌に打球を受けたのだから普通なら腕が折れるか肩が外れるかくらい、するかもしれない。
けれど並外れて身体が頑強なゾロは、ビックリしただけで済んだ。
それでも痺れる腕を振りながら、ボールを掴んで立ち上がる。
「悪いー大丈夫かー」
事態を把握できず、暢気に声を掛けながら野球部が走り寄ってきた。
それに「ういっす」と頭を下げて、ゾロは軽く振りかぶってボールを投げ返した。
それをグローブで受け止めてから、うんうんと一人で頷く。
「いい肩してるな。新入生だろ、野球部に入らないか?」
「いえ、もう決まってますんで」
ソツなく、けれど礼儀正しく断ると野球部員は残念そうにグラウンドに戻っていった。
ゾロはこきりと首を鳴らすと、生欠伸を一つしてからポケットに手を突っ込んで歩き出した。
まだ腕に痺れは残っているが、ゆっくりと肘を回している内にそれも薄れる。
たまたま、伸ばした手でボールを受け止めたから大事には至らなかったが、なにも気付かずあのまま寝ていたらまともに頭に当たっていただろう。
当たり所が悪ければ、最悪そのままお陀仏もあり得る。
ゾロの場合、その可能性の方が遥かに高い。

転寝で時間を潰し、校門前で行われていた新入生の勧誘合戦もすでに終わったようだ。
これで静かに帰れると、教科書がぎっしり詰まったカバンを担いで学校を後にする。
黄色い蝶々は、そんなゾロの後ろをひらりひらりと舞いながら付いて行った。



それがいつからなのか、サンジも覚えていない。
ゾロが今よりずっとずっと小さい頃からサンジは彼の側にいた。
なにせゾロは運が悪い。
イベント体質と呼ぶべきか、それともなにかに祟られているのか。
命が危険に晒される機会が、普通の人と比べても格段に多かった。
例えば学校の行き帰り、または教室の移動。
体育の授業、屋外での写生、遠足に修学旅行。
学校行事だけでなく、幼少の頃よりずっと通っている剣道道場でも、習い事の書道教室でも。
休日に友人と出かけた映画館でも一歩間違えば大けがか、それ以上に繋がるような事態に何度も見舞われた。
けれど、結果的にはそれらは一つもオオゴトになってはいない。
それはなぜか。
サンジが側にいたからだ。

サンジは自分が何者なのか、ゾロにとって誰なのか全くわからないまま、ひたすらに彼を守ってきた。
頭上から植木鉢が落ちてくるときにはゾロの足を蹴躓かせ、酔っぱらいが蛇行運転したときは背後から膝カックンでタイミングをずらした。
到着ランプとともに扉が開いたエレベーターの前でくしゃみをさせ、そこに箱がなかったことに気付かせたときもある。
ゾロに触れたり声をかけたりすることはできないが、なにかに憑依して彼の身体に働きかけることはできた。
それが蝶々でもボールでも、とにかく黄色いモノになら何でも憑り付ける。
だからサンジはいつも黄色い何かを探し、それを渡り歩いてゾロの側にいた。
体育祭でゾロが黄組になったときは黄色いTシャツに憑り付いて、平面ガエルよろしく四六時中引っ付いていたものだ。
あれはとても、幸せなひとときだった。

うっかりそんな思い出に浸っていたら、いつの間にかゾロはサクサク歩いて門を出ていた。
おっといけないと、慌ててその後を追いかける。
小さな蝶々の羽ではさして早く飛ぶこともできず、交差点で彼の姿を見失いかけて一旦、空高くまで舞い上がった。
―――――いた。
コンビニの前で、歩行者信号が青になるのを待っている。
そこに差し掛かったトラックの荷台には、空き缶が山と積まれて上から網が張ってあった。
その網の綱が、突如切れる。
突然交差点にばらまかれる、大量の空き缶。
後続の車が慌ててハンドルを切り、一台がまっすぐゾロに向かって突っ込んだ。
「危ない!」
このままでは間に合わないと、サンジはとっさに対向車のフロントガラスに張り付いた。
小さな蝶に視界を遮られ、速度を緩めた対向車がゾロに向かった車の側面にぶつかる。
そのまま横合いから押し切られるようにして、2台は電柱にぶつかって止まった。

「・・・あっぶね」
足先30センチの位置で車のバンパーが止まったのを見下ろし、ゾロは呑気に呟いた。
取りあえず、事故に巻き込まれた歩行者はいないかと跪いて事故車の裏を覗き込む。
幸い、誰も巻き込まれていないようだ。
小さな蝶が一匹、黄色い羽を儚く散らして死んでいるだけで。
野次馬がドアを抉じ開け、ドライバーを二人とも外に出した。
こちらも、さして外傷は見あたらないようだ。
派手な事故だったが、被害は少なくてよかったなと他人事ながら胸をなで下ろし、ゾロはさっさと家路についた。

拠り所をなくしたサンジは、実体を持たないままゾロの後を付かず離れずしてついていく。
大事故を前にしてももはや慣れっこなのか一向に動じないゾロだが、あれはまさしくゾロ一人を狙ったようなタイミングだった。
一歩間違えれば、いやサンジが干渉しなければ真正面から跳ね飛ばされていたのはゾロだっただろう。
けれどゾロは気付かない。
いつも“運良く”災害を免れている。
それが、ただ運がいいのではなくサンジの努力と奮闘があればこそということは、全く知らなかった。
たぶん、これからもずっと気付くことはないだろう。
だってサンジは、ゾロの目には見えない。
その声も、その気配も感じ取られることはない。
それがわかっていても、サンジはずっとゾロの側にいて彼を守り続けている。





学校から自宅への道のりを人の3倍ほどかけて帰宅したゾロを、双子の姉が待ち受けていた。
「遅い!」
そっくりの顔に瓜二つの立ち姿で、声を揃えて詰る。
「今日は稽古がない日でしょうが。学校からまっすぐ帰ってくるのに、何時間掛けてるの!」
「ただでさえあんたは事故率高いんだから、余計な寄り道はするなと言っているでしょう!」
凛々しい美少女二人の声をゾロはうるさそうに片手を振って遮り、靴を脱いで揃えた。
「別に寄り道なんかしてねえ。事故はあったけどな」
「ほらまた」
「今度はなに」
当事者のゾロよりよほどイベント体質を理解している姉達は、どこか勝ち誇ったように問い質した。
「なんでか、道に空き缶がぶちまけられて、それを避けようとした車同士がぶつかっただけだ。運転手もたいして怪我もしてなかったようだし、誰も巻き込まれてねえし。多分、ニュースにもならねえぞ」
「それはよかった」
「無事ならなによりよ」
慣れないネクタイを緩めながらまっすぐ廊下を歩くゾロを、姉達が追いかける。
「あんまり遅いから、なにか部活にでも入ったのかと思ったわ」
「道場あるから、部には入らねえよ」
今年高校に入学したゾロだが、あいにく剣道部がなかった。
放課後は道場に通うのが日課だから、部活動に参加する意思はない。
だから、今日のように稽古もない暇な放課後は、新入生の勧誘活動が頻繁な時間帯を避けるべく居眠りして過ごしていた。
「まあいいわ、私たちが待ってたのはあんたにプレゼントを渡す為よ」
「はあ?」
聞き慣れない単語に、ゾロは足を止めて姉達を振り向く。
「高校入学祝いにスマホ買ってもらったでしょ。どうせカバーもストラップもなにもない味気なさだろうから失くすとまずいし、目印を付けてあげる」
そう言って、ゾロの鞄の中に入れっぱなしだったスマホを勝手に取り出した。
しばらくゴソゴソと二人して弄り回し、「はい」と手渡す。
イヤホンジャックに取り付けられたストラップの先には、黄色いアヒルが付いていた。
「・・・なんだこれ」
「可愛いでしょう、クワ丸君って密かに人気のキャラよ」
「シモツキタワーの限定品だから、それ付いてたら自分のだってわかるでしょうが。大事にしてね」
基本、モノを粗末に扱わないゾロだからくれるものはなんでも貰っておく。
姉達の恩着せがましい物言いにも反抗せず、そりゃどうもと素直にスマホを鞄に仕舞った。

――――ラッキー。
サンジは、すかさずその「くわ丸君」とやらに憑依した。
ひよこなのかあひるなのかよくわからないが、とにかく全体が黄色い小さな鳥のマスコットだ。
これならもう、どこかに黄色いモノがないかといちいち探さなくてもすむ。
ゾロに何かあったとき、このストラップを利用して不可を与えることができるだろう。
サンジはほっとして、ゾロが歩くリズムに揺られながら一緒に部屋に入った。
スマホなら貴重なものだから、ゾロもめったに自分を手放さないだろうし、もしかしたらあの病院にも一緒に入っていけるかもしれない。



ゾロが危機に陥るのは主に屋外にいる時で、自宅に帰るとその危険性はほぼなくなる。
そのせいなのか、サンジはゾロの部屋に入るまでに大体意識が落ちて、後々のことを覚えていない。
いつもゾロの「行ってきます」の声で目覚め、そこから学校までの道のりを・・・あるいは、休日には道場までの道のりを一緒に歩むのが日課だった。
夜の間、自分が何をして過ごしているのかまったく記憶はない。
自分のことはよくわからないのに、サンジはゾロのことなら何でも知っていた。
度を越えた方向音痴であることも、気を抜くとすぐに寝てしまう爆睡体質であることも。
あまり感情を表に出さず愛想もクソもないけれど、本当は情に厚く意外に世話焼きだ。
初対面の人間には怖がられたり警戒されたりするが、少し付き合うとゾロの人間的に気持ちのいい部分に気付いてもらえる。
そして、“親友”と呼ぶほどコアなものではないけれど親しい友人がポツポツと増えて行き、いつのまにか人の輪の中心にいることが多くなる。
小学校でも中学校でもそうだったから、今は一人でいることが多い高校でもいずれきっとそうなるだろう。

食べ物の好き嫌いはない。
けれど特に好きなのは唐揚げ、苦手なものはチョコレート。
バレンタインに山ほど貰ったものを全部姉達にあげて、毎年喜ばれている。
受け取る時だって「俺は食わないけどそれでもいいのか」と堂々と宣言し、それでも受け取って欲しいと押し付けられているのだから、見ていて腹が立ってくる。
基本、人にも自分にも無関心で素っ気なく、わかりやすい優しさなんてかけらもないのになんでかモテるのだ。
確かに顔もまあ、そこそこいいし。
小さい頃から剣道を嗜んでいるからか姿勢も所作も綺麗だし、筋肉質の身体は着痩せしてるけど脱いだらすごいし。
浮ついたとこがないから、同年代から見てもちょっと大人っぽくって、同級生だけじゃなく先輩や下級生にまで広く人気があるのはまあ、仕方ないかもしれない。
非常に悔しいのだけれど。

サンジ自身、こんなにも長くゾロを見守っているのになぜちょっぴり悔しい気持ちが湧き出るのかわからなかった。
悔しいけど、嫌いになんてなれない。
むしろ、ゾロのことが好きだ。
このまま一生、彼に気付かれることなくただ守ることしかできなくても。
それでも幸せだと思えるほどに、彼のことが好きだ。
どうしてなのか、サンジにはわからない。

記憶がおぼろげになる夜の他に、サンジにはもう一つゾロと一緒にいられない時間があった。
ゾロは毎週月曜日の放課後、街で一番大きい総合病院に立ち寄る。
誰かの見舞いなのか、なにか用事があるのかはわからない。
その病院の敷地内に、サンジは立ち入れないからだ。
そこにいる限りゾロに危険はないらしく、サンジはゾロが出てくるまで病院の駐車場にふわふわ浮いて待っている。
ゾロが怪我をしているとか、なにか持病があるとか言うのではないようだ。
もしそうだったら、家族との会話の中にそれらしきものが出るはずだけれど、双子の姉達・・・くいなちゃんとたしぎちゃん、または両親からもそんな言葉は出ない。
だから、ゾロ自身が病院に通っているようではないだろう。
いくら小さい頃からずっとゾロを見てきたとはいえ、サンジが知らないことだっていっぱいある。
それはわかってるけど、でもやっぱりゾロのことを一番よく知ってるのは自分だと、サンジは自負していた。
居眠り常習犯で迷子体質で、チョコが苦手で口下手な・・・けれどとても優しいゾロのことが、この世で一番好きだから。


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