Miracle grandpa
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イーストの、穏やかな海域に浮かぶ巨大魚型レストランは、今日も賑わっていた。
遠方からでも通い詰める常連は元より、噂を聞きつけてやって来た一見客も海軍も海賊も家族連れよりも賑やかなのは、そこで働くコック達だ。
毎日が出入りのように罵声・怒号が響く修羅場のごときキッチンから、信じられないような繊細な味付けと華やかな盛り付けの芸術のごとき料理の数々が送り出される。
そのアンバランスさもまた強力なウリとなっている店に、ある日一通の手紙が届いた。

白い封筒の中からは便箋と写真が一枚ずつ。
差出人の名は「サンジ」


「チビナスの野郎からですかい!」
ポストから手紙類を回収したコックが目敏く見付けて声を張り上げる。
本人は大声を出したつもりはないが、地声がでかい。
普通に業務用の会話を交わしていても、競り市のようだ。
「なんだってえ?チビナスから手紙い?!」
「めでてえじゃねえか!まだ生きてやがんのかあっ」
口は悪いが、コック達のサンジに対する愛情は本物だ。
サンジがグランドラインへ旅立って行ってからというもの、口にこそ出さないが折りにつけては「どうしてやがるか」
と話題に上っていた。
しばらくしてあの破天荒な船長と掛け値なしの馬鹿剣豪の手配書が回って来た時は、店を上げて祝杯した。
ついこの間、海におかしな幻影が映った時も、それを肴に一晩飲み明かした。
実力は副料理長なのに、まだまだ青く危なっかしいヒヨっこ。
最古参にして最年少の生意気なチビナスを、この店のコック達はみな殆ど盲愛と言っていいほどに可愛がっている。
そのサンジからの手紙には―――



一筆申し上げます。
春暖の候、クソジジイ様には、ご健勝のこととお喜び申し上げます。
さてこの度、一身上の都合により、女児を出産いたしました。
おかげさまで、親子ともに元気で過ごしております。
長女にはラダと名前をつけました。イーストでは、海の女神の名前らしいです。
初めて人の親となって、家族のいることの喜びと責任を実感しております。
未熟な私たちですが、今後ともご指導くださいますようお願いいたします。
ただ今、春島海域に滞在しております。
まだ2ヶ月ほど逗留するつもりですので、電伝虫の番号だけお知らせ致します。
お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りくださいませ。
まずは、ご報告まで申し上げます。
時節柄ご自愛くださいますよう。

    サンジ
バラティエご一同 様



不慣れかつぎこちない手紙に添えられた写真には、赤ん坊を抱いて笑っているサンジがいた。
船の中ではなさそうな、家具の整った部屋。
白いシャツを着てベッドの上に座るサンジの胸元に、縦抱きにされた赤ん坊。
二人を取り囲むように、海賊の仲間らしい若造たちが並んで映っている。
声まで聞こえそうなほどに賑やかな写真だ。
サンジの相好は、親バカここに極まれりと言うくらい、にやけ崩れている。
写真を裏返せば、いつもの少し傾いだ筆跡で「地上に舞い降りた天使のごとき、俺のリトルプリンセス」と
殴り書き。
ゼフは眉間に皺を寄せたまま、もう一度写真を引っくり返した。

生後一ヶ月といったところか。
まだ首は据わっていないらしい。
真っ白なおくるみにくるまれた赤ん坊の肌は、それなりに白い。
同じくサンジ譲りの金色の髪がぽわぽわと立って渦巻いている。
だがその顔立ちは―――
ゼフの眉間の皺が、ますます深くなった。
赤ん坊の顔立ちは、お世辞にも可愛いらしいとは言えない。
女の子らしいから眉毛がサンジに似なかったのは幸いだろうが、眉だけでなく目も鼻筋も口元も、どれも線で
引いたような鋭利なラインだ。
むっつりと閉じた口元には愛想がないし、切れ長の瞳にかすかに見える翠の瞳はやけに静かに澄んでいて、
およそ赤ん坊らしくない威厳を感じさせる。

「しっかしあのサンジが親父になるとはなあ・・・」
思わぬ報せに浮かれたカルネが、ゼフの手元を覗き込んで口笛を吹いた。
「まったくだ。まだまだ青い小僧っ子のくせして・・・」
「ガキん時から生意気だったが、早熟じゃなかったよな。耳年増だったけどよ」
「おーおー、俺らの猥談に耳欹ててよ、ポーカーフェイス気取ってたけど、鼻が膨らんでたよな」
「かと言って、早めに経験させようと思っても・・・」
そこまで言って慌てて口を噤む。
サンジを花街へ連れ出そうとしてゼフに蹴り飛ばされたのだ。

「まあ、なんにしてもめでてえこった。あのチビナスが父親とは!」
「ところで嫁さんはどっちだ?チビナスのクセに、彼女のことはひとっ言も書いてねえじゃねえか」
「このオレンジの髪の子かあ?まだちょっと若えが、あん時一緒にいた子だよなあ」
「いや・・・この赤んぼの面構えは・・・もしかすっと、この黒髪の美女のほうじゃあ・・・」
わいのわいのと、ゼフの手元に人が押し寄せてくる。
だがゼフはその中心にあって、微動だにせず写真を睨みつけていた。

「どう見ても、この顔はチビナスに似てねえよなあ・・・」
「かと言って、この二人のどっちともあんまり似てねえぞ。どっちもタイプは違うがすげえ美人だ。女の子なら
 どっちに似たってもうちょい可愛げがあるだろう」
「だよなあ、この顔だけ見てっと・・・確かに似た顔は・・・ある、が・・・な・・・」
知らず、全員の視線が一点に集中する。
サンジと、赤ん坊を挟んで向かい合うように座る仏頂面の男。
いつぞや、この店の前で鷹の目にぶった斬られた命知らずの剣士だ。
己の野望と生き様を、サンジの胸に刻みつけた男。
この船から連れ出した船長と共に、恐らくこの男の存在もサンジの背中を押したきっかけだったに違いない。

「・・・は、まさか・・・な・・・」
パティが顔を引き攣らせて、もう一度手紙の文面を読み直す。



 さてこの度、一身上の都合により、女児を出産いたしました。



「なあ、このよ――― 一身上の都合で、女児を、出産・・・した、のは・・・誰だ?」
「・・・」
誰も答えられず、それぞれに顔を見合す。
このオレンジの髪の美少女か、黒髪の美女か。
どちらも肌も顕わな服を着て、抜群のプロポーションを見せ付けている。
とくにウェスト部分はヘソまで露わで、とても出産後の身体には見えない。

「・・・じ、事情があって、未婚の父かも、しれねえなあ」
カルネがことさら明るい声で、取り繕うように言った。
「そうさなあ、もしかして・・・お産で―――」
「ああ、あり得るあり得る。俺の嫁さんが出産する時も、そりゃあ一歩間違えたら危なかったんだ」
パティが感動の出産立会いを思い出し、男泣きに泣き出した。
「可哀想になあ、チビナスこの年で未婚の父か」
「けど幸せそうじゃねえか。ほっぺたなんかちょっと丸くなりやがって、なんか・・・えらく可愛く・・・」
唐突に、ゼフがぐしゃりと封筒を握り締めた。
皆慌ててどよめく。
写真じゃなくて、よかった・・・

「オ、オーナー・・・どうしたんですかい、一体・・・」
パティが恐る恐る声をかけるのに、ゼフは写真を睨みつけたまま肩で息をしだした。
どこか苦しいのかと、カルネがその身体を支える。
「どうしたってんです?どこか具合でも?」
「・・・電伝虫、もってこい」
「へ?」
「いいから早く!持ってきやがれっ!」
「は、はいいっ」
下っ端のコックが慌てふためいて厨房に飛び込んだ。








「ラアダちゃん、もうお腹いっぱいでちゅか、おねむのお時間でちゅかああ?」
1オクターブは上がったサンジの声で目が覚めて、ゾロは自分の顔の上を覆っていた雑誌をそっとずらした。
寝ている間は気付かなかったが、相当息苦しい。

開かれたページの端から覗くと、サンジは抱いていた布の塊をそっとベッドに下ろし、屈み込んでキスしていた。
どこか恭しいその仕種に、ゾロは内心で「けっ」と毒づく。
てめえのガキにまでメロリンしてどーすんだ。
ナミやロビンに見せる表情とはまた違う、蕩け切った笑顔でしばらくじっと布の中を覗いていたが、ゾロが
意識して睨み付けたらはっと気付いて顔を上げた。
「ば、馬鹿野郎!起きてんじゃねえ」
「人が起きてようが寝てようが勝手だろうが。てめえこそ、なんで人の顔の上にこんなもん乗せんだよ」
ゾロが手にしているのは赤ちゃん雑誌だ。
幅広のそれを真ん中辺りからかぱっと広げて乗せられていたから、うっかり寝入ってしまった。
「だ、からこっち見んなっての、セクハラだぞっ」
サンジは顔を真っ赤にしてゾロに背を向け、いそいそとシャツのボタンをあわせている。
「セクハラてなんだ。大体、見て減るもんでもねえだろう」
「減るんだよっ、乳の出が悪くなったらてめえのせいだぞ!」




実に恐ろしいことに、男だてらに妊娠・出産したサンジは、授乳までできるようになっていた。
どこからどう見ても立派に男の身体なのに、平べったい胸がほんの少し、すこーしだけ丸みを帯びて乳首も少々
大きくなった。
貧乳と言うより思春期の芽生えのようなその膨らみで、赤ん坊一人の食を立派に養っている。
―――まあ、すげえけどな
不満なのは、ゾロにそれを見せないことだ。
自分の身体が変化したのが嫌なのか単に恥ずかしいのか知らないが、ゾロが興味津々で覗こうとすると
蹴りが入り断固拒否される。
授乳中はいつもゾロが横を向いて寝たふりをするか、頭から何かを被せられて目隠しをされるのだ。
そうでないと、乳の出が悪くなるとかなんとか理由をつけて。
「今更じゃねえか、俺はてめえの乳どころかケツのな・・・」
「黙れクソ親父!」
投げられた目覚まし時計を寸でのところで受け止める。
壊れたら壊れたでまたうるさい。
「ぷぎゃあ」
「ああああ〜ごめんねラアダちゃんv 脅かしたねえ。んん〜ねんねでちゅよう〜」
「・・・」
ゾロは盛大に下唇を突き出してむすっとしたが、サンジはまったくこちらを見ようともしない。
実に、面白くない。




「剣士さんはご機嫌斜めね」
食卓でズバリと指摘されて、ゾロの不快指数はさらにアップした。
無論その程度でビビる女性陣ではないが、チョッパーは毛を逆立てて怯え、ウソップは醤油を引っくり返しかけた。
「仕方ないわよ、まだ産後なんだし。それともなあに、私達が交替で作ってるこの食事が口に合わない訳?」
「ばっか、んなことじゃねえよ、なあゾロ」
フォローするウソップの隣でルフィがぼやく。
「あーサンジの飯が食いてえ〜」
「てめえまでっ!いいか、空気を読めよう」
「まあ、いいことなのよ。産後50日は赤ちゃんの顔だけ見て過ごしなさいって言うのだから」
ロビンはとりなしているつもりだろうが、ゾロには逆効果だ。
眉間の皺がますます深くなる。
「まあ、せいぜいが大人気ないヤキモチでしょ?ったく・・・あーんなに自分そっくりの分身がサンジ君に
愛されてるんだから、ちょっとは我慢しなさいよ」
ズバリと指摘されて、ゾロの下唇がまたほんの少し伸びた。
だが部分的に異論がある。
どこが似てるってんだ?
あんな、虫みてえなものに。


ラダが産まれて一番驚いていたのはロビンだった。
「男と男が授精して、どうして女が産まれるのかしら」
いや、多分授精の段階で間違っていると思うが、それでもロビンにとってまた謎が一つ増えたらしい。
ゾロとサンジの子どもはてっきり男だと、思い込んでいたようだ。
「それにしても女の子・・・ねえ・・・この、顔で―――」
うっとりと見つめていたはずのナミの肩が、小刻みに震えている。
感動の出産の興奮も冷めやらぬうち、生まれたての赤ん坊を取り囲み、ややナチュラルハイになって
言いたい放題だ。
「でも、第一子が父親に似る確率は高いんだ。これも生き物の自然の摂理だよ」
「あらそうなの?」
「うん、母親は自分のお腹の中でずっと育てて産み落とすし、その時ホルモンが多量に分泌されるから
 自然と母性愛が深まるんだけど、父親にはまだピンと来ないことが多いからね。自分にそっくりの顔と
 認識することで、父親の自覚と庇護欲が生まれるんだ」
「なるほど〜」
「大丈夫、子どもは成長と共に顔が変わるから」
「・・・なんで慰めモードなんだよ」

好き放題な言われ方だが、ゾロには今ひとつピンと来ていなかった。
こんな赤っぽいちんくしゃが、俺に似てるのか?
肌の色やら髪やらはクソコックに似ちゃいるが、この顔の何処が自分に似てるというのだろうか。
似てるというより、これがちゃんと人間になるのかも疑わしい。
ゾロから見れば、白いおくるみにつつまれた小さな赤ん坊は、まるで得体の知れない生き物だった、
手足を縮ませ、小さな鼻と口でひよひよ呼吸するサマは、どちらかと言うと虫を連想させる。
片手で捻り殺せるどころか、この生き物は口元に布をかぶせただけで死ぬと言う。
なんとも頼りない。

困惑するゾロをよそにサンジは想像通り、いやそれ以上に赤ん坊にベタ惚れになっていた。
命をかけて産んだからか、初乳をあげたその時から母性愛が炸裂したのか知らないが、寝ても覚めても
ラダの側につきっきりになっている。
ゾロがヤキモチを焼くのも仕方がないと思えるほどに。

サンジとしたら、新しく芽生えた命がどうにも危なっかしくて仕方ないのだそうだ。
ちょっとしたモノの弾みで死んでしまいかねない、危うい生。
そのくせその存在自体はもの凄く重くて、例えば明日にでもラダを失ったら自分はもう生きていけないと
容易く思えてしまうほどの愛しさだ。
なんと言うか、理屈ではない衝動。
ラダの呼吸のあまりの頼りなさに、見詰めているだけで涙が零れることもある。
うとうとと仮眠を取っていてラダの鳴き声で起こされれば、ホッとする。
今日も明日も明後日もこの小さなレディがずっと生き抜いて、少しずつ大きくおしゃまになっていくのか、
いけるだろうかと考えるだけで胸が締め付けられる。
こんなにも愛しくて大切で、頼りなくて死に近い、怖いほどに執着する存在は無かった。
サンジ自身がそのことに恐れ戸惑いながらも、一途に愛を注いでいる。
ゾロが立ち入る隙も無いほどに深く激しく。


「まあ、これだけ愛しい男に生き写しなら、サンジ君にしたら可愛さ倍増ってとこかしら?」
そうナミがからかったら、サンジはきょとんとした顔をした。
何故かサンジにも、ラダの顔がゾロに似ている自覚はないらしい。
「なんってこと言うんですかナミすわんっ!!この可愛いラァダちゃんのどこにクソ剣豪の面影が?
 このつぶらな瞳!愛らしい口元、ぷよぷよのほっぺ!!どこをとっても、天使に見まごうべき愛らしい
 女の子じゃないですかあっ」
そう涙目で力説され気迫で押されて、さすがのナミも反論できなかった。
――――相当、キてるわ
どうやらこの二人、愛娘が父親そっくりと言う自覚がないのだけは共通しているらしい。





チョッパーの両手の怪我も順調に回復し、穏やかな日々が続いている。
陸地の一つ処でこんな風に長く滞在するのは久しぶりで、皆落ち着かないような幸せなような、
くすぐったい毎日を過ごしている。
それでも、一番先に音を上げるはずのルフィが未だ大人しく陸の生活に納まっているところを見ると、
これはこれでいい時間なのかもしれない。
そんな中で、ルフィがふと声を上げた。

「ラダのこと、髭のおっさんに知らせなくていいのか?」
「あ」と揃って間抜けな声を出したのは、ウソップとナミだ。
ゾロは神妙な面持ちで頷き、サンジはラダを抱えたまま視線を彷徨わせている。
恐らく、この二人もどうしたもんかと考えてはいたのだろう。

「・・・別に、クソジジイに報告する義理なんざ・・・」
「あるだろう。あの爺さんにとって、ラダは孫だ」
きっぱり言い切られて絶句するサンジの横で、ウソップがごそごそと鞄を探った。
「ちょうどいい。俺今カメラ借りてんだ。記念写真撮ろうぜ、みんなでよ!」
俄かにわーっと盛り上がってゾロとサンジを取り囲む。
戸惑うサンジに「ほら、そんな抱き方しちゃラダちゃん泣いちゃうわよ」と声を掛ければ、途端に相好を崩して
笑顔を見せた。
その瞬間を逃さずウソップはシャッターを押した。
手紙も一筆添えるべきだとナミに焚き付けられ、ロビンから文例集を渡されて、コソコソと一人で書いていた。
何か悪いことでもしているかのようにオドオドと、赤くなったり蒼くなったりしながらも、結局カモメ便に
手紙を託したのは3日ほど前のこと。





「そろそろサンジも呼んでくっかな。ラダはもう寝ただろう」
自分の皿を片付けながら、ウソップが振り返る。
みなそれぞれに食事を済ませていたが、サンジだけはラダ中心の生活だ。
寝室へ向かう背後で電伝虫が鳴いた。

ぴきりと、なぜか全員に緊張が走る。
この電伝虫の番号を知らせた人物は一人しかいない。
その電伝虫が鳴るということは―――

がたん、と唐突にゾロが立ち上がった。
彼なりに緊張しているのか、表情がやや固い。
電伝虫が鳴る窓辺に大股で近付くのを、隣室から飛んで来たサンジが金髪を振り乱して追い越した。
手前で立ち止まり、一度大きく深呼吸する。

皆が固唾を飲んで見守る中、物凄いしかめっ面で鳴り続ける電伝虫に手を伸ばした。









一呼吸置いて、サンジは勢いよく受話器を取った。
「もしもし」
「俺だ」
「あ〜、クソジジイ!なんだ、まだ生きてやがったか!」
見事な空元気だ。
声が引っくり返っている。

「随分ご挨拶だな。それはそうと、てめえオヤになりやがったか」
「お、おおう、見てくれたか?俺の可愛い可愛いスウィートエンジェルちゃんをっ」
「ああ、その可愛いかわいいエンジェルちゃんとやらを、産んだのは誰だ?」
電伝虫から放たれた言葉に、その場にいる全員が凍りつく。
「いきなりの直球かよ!」
「し―――っ、黙って」

固唾を飲んで見守る中、サンジは窓辺に腰を下ろして受話器を持ち替えた。
「あ、そのー・・・あれだ。天使ちゃんがね」
「おう、誰の子だ」
ゼフの声の調子は軽いが、有無を言わせぬ迫力がある。
「誰の子って、勿論俺の―――」
「一人でガキは作れねえだろが」
「あー、だから、俺と・・・しの・・・」
「ああ?聞こえねえ」
サンジはぐっと歯を噛み締めた。
目元が見る見るうちに赤く染まる。

「だ―――っから、クソ剣士だよ。ロロノア・ゾロ!」
「・・・そりゃあ、驚いた」
「っ!だろ、だろう?俺も驚いたよ」
「そうか。あの剣士、あんな面して女だったのか」
ぶっと噴き出したウソップの顔をロビンの手が塞ぐ。
「ばっ、違げーよ!どこをどうしたら、あの筋肉ダルマがレディになるんだよ!」
女に対する冒涜だとばかりに、サンジが筋違いなところで激昂している。
「ならなんでガキができたんだ?」
「知らねーよ、そればっかりは誰にもわかんねーんだ。できちまったもんは、仕方ねーだろ」
サンジ得意の逆ギレ状態だ。
「で、誰が産んだんだ?」
「俺だよ!俺の腹にガキができたんだ。だから産んだんだ。悪いか畜生!」
「・・・」
電伝虫が沈黙した。
いきなり訪れた静寂の中で、食事を続けるルフィの咀嚼音だけが響いている。

「あ、あのよ・・・」
「・・・てめえ・・・」
「おう」
「ガキができるようなこと、したのか?」
ごく真っ当な質問だ。
サンジの額に一筋の汗が流れた。
「あ〜あれか・・・心当たり、あるか・・・とか・・・」
「・・・」
「そりゃあ、・・・そうだな」
「・・・」
「普通に、してたら・・・できちまって・・・」
「・・・」
「いや、マジでこればっかりはわかんねえんだ。なんでできたんか。俺は正真正銘の男だし、グランドライン一の
 名医に診てもらっても、さっぱりわからねえ」
テーブルの向こうでチョッパーがくにょくにょしている。
「まあ、これもグランドラインの神秘の一つ、かな――って・・・」
「してた、だと?」
「あ?」
「してた、と言いやがったな」
「あ?ああ」
「てんめえ・・・」
電伝虫の顔が、弾けたかと思った。

「こんのクソ馬鹿野郎!てめえ、男と乳繰りやがったかっ」
ビリビリと部屋全体が痺れるように揺れた。
元々音に敏感なチョッパーは引っくり返り、ウソップはジャンプして、さすがのナミとロビンも自分の腕を抱いて
竦んでいる。
かぽーんと口を開けているルフィの隣で、何故かゾロも同じ表情で固まっていた。

「うっせえな、耳元で怒鳴んな耄碌ジジイ!んな大声出さなくったって、聞こえてらあ」
ゼフの怒鳴り声に慣れているのか、唯一サンジだけが堂々としたものだ。
「しかもてめえが孕むたあ、どういう訳だ。弁解してみやがれっ」
「弁解もクソもねえだろ。できちまったもんは仕方ねえだろが!」
「できるようなことするからだ!まさかてめえが男にホイホイケツ貸すたあ・・・」
「うっせえな、弾みだよ。世の中思いもよらねえハプニングってのは、どこにでも転がってるだろが」
「モノの弾みで野郎と寝んのか。しかもさっきの口ぶりじゃあ、しょっちゅうやってやがったな!」
「だーから、モノ事には成り行きとかあんだろが!」

バシっと、ゾロが横から受話器を引っ手繰った。
思わぬことに、サンジの動きが一瞬止まる。
「爺さん、ロロノアだ」
「・・・」
むう、と電伝虫が唸った。
「順序が逆になったことは謝る。俺あク・・・、サンジに惚れたから、悪いが手を出した」
「なにが悪いがだ。そんな奴のこたあ、俺には関係ねえっ」
「今回、子どもができたことは予想外だったが、いい機会だと・・・」
「知らねえっつったら、知らねえんだ。金輪際こっちに連絡寄越すな、これきりだ!」
「話を聞いてくれ」
ガチャン!と割れるような破壊音を立てて電伝虫が切れた。
後にはクークーと安らかな寝息だけが響く。
部屋の中は水を打ったように静まり返り、皆微動だにしない。




一番最初に我に返ったのはサンジだった。
「てめえ、このクソマリモ!なんで横からじしゃしゃり出てくんだよっ」
ゾロの胸元を掴んで怒鳴るが、それ以上にきつい目線でゾロが睨み返した。
「てめえこそ、なんてこと言いやがる」
「ああ?なにがだ」
「ラダは、モノの弾みや成り行きでできたのか」
「――――!」
絶句するサンジの手を乱暴に振り払い、ゾロは大股で部屋を出て行った。

「・・・あ・・・」
サンジは一瞬泣きそうに顔を歪めて、それでも横を向いてへっと息を吐いた。
「単細胞野郎が。売り言葉に買い言葉ってのも、知らねえのかね」
「はは・・・まあ、なあ・・・」
フォローの言葉もなくて、ウソップは苦笑いして頭を掻いた。
「きっと突然のことで驚かれて、動転してしまったのよ。落ち着けばわかってくださるわ」
ロビンの慰めが心に沁みる。
「別に、わかってくれなんて・・・」
「落ち着くのはサンジ君の方も、よ。お互い頭を冷やしましょう」
「―――うん」

サンジは見ていて痛々しいほど意気消沈して、小さく頷いた。


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