Miracle grandpa
-2-


なんとなく腹が減って、ゾロは目を覚ました。
サンジがGM号のコックになって以来、ほぼ定刻どおり食事にありつけるようになったからか、体内時計は覿面に正しくなっていたが、この島で暮らすようになってからさらに正確さが増したようだ。

暗闇で光る時計の針を眺めれば、そろそろ夕食をとって仕事に出掛ける時刻。
島に定住しても稼がなければ食べていけないので、海賊にあるまじくクルー達はみなまじめに働いている。
ゾロは隣島の炭鉱で日雇いに従事したり、反対側の歓楽街で用心棒をしたりと、割と忙しい。
一応、麦藁海賊団一の稼ぎ頭だ。



ゾロはのそりと布団から起き上がって大きく伸びをした。腰の辺りに熱を感じて、ぎょっとして身を引く。
まるで寄り添うようにラダが引っ付いてくうくう寝ていた。
「――――?」
ちょっと吃驚だ。
確かにラダの眠るベッドに潜り込んだが、寝ている間に潰しては大変だから距離を取って端に寝転んだ
はずだった。
今もベッドから落ちそうな程に端に寝ている。
なのになぜ、ラダは自分にくっ付いているのか?

―――あの野郎
あの、素直でない天邪鬼が、自分の機嫌を取るためにラダを移動させたのだろう。
アブねーことしやがる。
その姑息さに腹が立って、ゾロはもう一言なんか言ってやろうと息巻いて、それでもラダを起こさないように
静かに部屋から出た。




台所からはいい匂いが漂っている。
だがそこに立っているのは見慣れた背中ではない。
今日の当番はロビンらしい。
「あらおはよう剣士さん。もう準備はできているわ」
幼い頃から一人で世間を渡ってきたロビンは、料理の腕もなかなかのものだ。
盛り付けや切り方はサンジの足元にも及ばないが、味は美味い。
「・・・アレは?」
最近ゾロは「クソコック」とも呼ばなくなった。
コック業もこなしていないせいか、言い憚られるらしい。
「可愛そうに、泣き疲れて眠ってしまったの。ずっと2階の私達の部屋にいるのよ」
「はあ?」
なんでサンジが泣くんだ。

「あの電伝虫での会話、自分で言って一番傷付いていたのはコックさんよ。あなた、それだけはわかってあげて。
 まさかコックさんがラダを『成り行きでできた娘』だなんて、本気で言ったと思っていないでしょう?」
ゾロは椅子にどかりと腰を下ろし、鼻の頭に皺を作った。
「当たり前だ。あのアホが捻くれ者だってのは、今に始まったこっちゃない」
「そうね、よかった」
ロビンはふわりと笑って、温かな鍋をテーブルに置いた。
「ルフィたちが帰ってくる前に、食事を済ませてしまうといいわ。コックさんも起こして来てあげて。朝から何も
 食べないで眠ってしまったのよ」
ゾロは黙って立ち上がり、2階へ向かう階段を昇った。

―――こやつがずっと寝てたってことは、ラダを動かしたのは誰なんだ?
おせっかい焼きのウソップか、悪戯好きのナミか。
どちらにしても一歩間違えれば危険なことだから、注意はしとかなければならない。



閉ざされた扉をノックする習慣はなく、そのまま開けて中に踏み込む。
カーテンを閉ざされて薄暗い部屋の中で、サンジがソファに丸まっていた。
足音を消して近付き覗き込めば、すうすうと規則正しい寝息が聞こえる。
ここのところずっと小刻みな睡眠で、疲れも溜まっていたのだろう、顔付きも少し咎ってきていた。
それが今はまるで幼い子どものように丸くなって眠っている。
少し半開きにした口元はあどけなく、眉間にも皺はない。
ゾロはためらうことなく、その横顔に口付けた。
むにゅっと口元を閉じて、丸めた身体がますます縮こまる。

ぱちりと音が鳴りそうなほど目を瞬かせて、サンジは頭を擡げた。
「う、うわっ、何してんだ」
ソファに横たわるサンジの上に、ゾロは馬乗りになっていた。
ヘタに暴れられないように膝の上に重心を置いて、どっかりと腰を下ろす。
「な、なんだよ」
「ロビンが飯だってよ。食うぞ」
「わかったよ・・・ならどけよ」
ゾロはサンジの腰の横に手をついて、ずいっと覗き込んだ。
仰け反るようにサンジは真後ろに倒れて、ソファに身体を埋める。
「・・・なんなんだよ」
「目え、赤いぞ」
慌てて目元を擦る。
「寝起きだからだよ」
「別に、泣いてもいいぞ」
「んなっ」
むっとして睨み付けるのに、ゾロは頭の上をポンポンと軽く叩いて宥めた。
「泣いてもいいが、俺の知らねえとこで泣くな」
「・・・・・・」
「今回俺が泣かしたんだから、尚のこと俺の前で泣け」
「自惚れるなバーカ」
サンジは僅かに空いた隙間から、ゾロの股間に膝蹴りを入れた。
ぐほっと、変な音がゾロの喉元から漏れる。
「・・・この野郎・・・」
「てめえが泣かしたってなんだ。誰もてめえになんか泣かされてねえや」

情けなかったのは自分自身だ。
できるものなら、自分を裏山の上辺りまで蹴り飛ばしてしまいたい。
口をへの字にして眉を下げたサンジに、ゾロはもう一度頭をぽんぽんと撫でて顔を近付けた。
「慰めんなって・・・」
文句を言う口を塞いで肩から腕を回し、すくい上げるように抱き締める。
ちゅ、ちゅと音を立ててキスを繰り返し、額をつけたまま笑った。
「てめえが本気じゃねえとわかってて、キツいこと言ったのあ俺だ」
「・・・・・・」
サンジはふくれっ面で横を向いたまま、それでもゾロの腰に両手を回す。
ピンクに染まった頬や目元に唇を押し付けながら、ゾロは背中を軽く撫でてそうっと前の方へ移動させた。


産後、サンジは急激に痩せた。
腹から子が出てもしばらくは丸い感じだったが、赤ん坊に乳を飲ませるようになってから、体重が激減したようだ。
妊娠して少しふっくらしていた頬もシャープになり、首から肩にかけてはギスギスするほど痩せている。
人並みの乳房もないのに母乳の量がいっぱしに出るので、栄養がどんどん吸い取られているらしい。

シャツの下から手を差し込み脇腹を撫で上げれば、ゴツゴツとアバラに触れる。
キスを続けたまま視線だけ下げると、開いた襟元から薄い胸が見えた。
静脈が透けて見えるほどに白い胸板と、そこから続く少し不自然な丸み。
赤く色付いた乳首は常より大きく、つんと咎って上を向いている。
思わず指で触れたら、ネコでも踏み潰したかのような悲鳴が上がった。
「っで――――!!」
大袈裟に跳ねて両手で自分を抱くように身を屈めた。
「うわあああ、痛え・・・くあ〜〜〜」
涙目でぷるぷる震える様は尋常でなく、さすがにゾロも驚いて手を引いた。
「おい、大丈夫かよ」
「大丈夫じゃ・・・」

トントンと遠慮がちなノックが響く。
「コックさん、ラダが目を覚ましたみたい」
「あああ、ありがとうロビンちゃん!」
サンジは飛び起き、ついでにゾロを蹴り倒して部屋の外に踊り出た。
痛え響く、と喚きながら転げるように階段を下りる。

「・・・なんだってんだ?」
折角いい雰囲気になったのにと憮然として後から降りれば、サンジはまたラダの寝室に篭もってしまった。
時折ふええ〜と情けない声が漏れている。
仕方なくゾロは誰もいない食卓について黙って手を合わせ、食事を始めた。



しばらくして部屋から出てきたロビンが、あらごめんなさいと早足でコンロの前に戻り、味噌汁をよそってくれる。
「コックさん、久しぶりにゆっくり眠ったから、お乳が張ってしまったみたいね。とても痛がっているわ」
「痛えのか?」
「ええきっと。とっても」
ゾロはモグモグ咀嚼しながら、何を見るとはなしに天井を眺めた。
「そういや、ちっと膨らんでたな」
「揉んじゃだめよ。痛すぎて大変だから」
「わかった」
普段の痩せぎすのサンジもいいが、今の少々アンバランスな身体つきも非常にエロい。
あのあり得ない丸みを目にするだけで、何かいけないものを見たかのような背徳感がある。
できることなら、時間をかけてゆっくりあの身体を弄くり倒したいのに・・・
―――お触り禁止かよ
あからさまにつまらなそうな顔をして、ゾロは食事を平らげた。





「ふいー、すっきりした」
数分後、サンジは晴れやかな表情でラダを抱いて出てきた。
ラダはいつものしかめっ面のままだが、どこか満足そうに口元を緩めている。
「あー参った。タオルがどぼどぼになっちまった」
「まあ、シャツも裾の方がずぶ濡れよ」
「なんでだろうね。なんもしてないのに、空いてる片方から噴き出してくんだよ。シャワーみてえに」
「張りすぎたのよ。でも吸わせるまで少し絞って置いた方が、ラダには美味しいはずよ」
シュールな会話を聞きながら、ゾロはご馳走様と手を合わせる。
「あら剣士さん終わっちゃったのね。コックさん、食べないと駄目よ」
「うんありがとう。着替えてからいただくよ」
ラダをロビンに手渡して、ゾロの隣に座る。
入れ代わるように立ち上がったゾロは、思いついて再び座った。

「今日帰ったら、いやもう明日だな。明日の朝、こっちから電話すんぞ」
「・・・・・・」
サンジは目を瞬かせたが、何も言い返さずこくんと頷く。
「直接会うのが一番いいんだがな。どうも伝電虫ってのは、まどろっこしくていけねえ」
「・・・そうだな」
俯いて苦笑いするサンジの頭をくしゃくしゃと掻き混ぜて、ゾロは仕事に出掛けた。






用心棒の仕事を終えてゾロが帰宅したのは明け方のことだ。
最近は、ゾロがバイト先から帰れなくなりそうでも、早起きな近所の人が誰かしら見つけてくれて
軌道修正してくれる。
お陰ですっかり帰宅が早くなった。

「おけーり」
まだ寝静まっているはずの家から灯りが漏れていると思ったら、サンジが台所に立っていた。
久しぶりの光景に、ゾロの表情が柔らかくなる。
「疲れたろ。すぐ飯にすっか?」
「いや、コーヒー飲みてえ。それから風呂入る」
「オーケー」
エプロンをつけたサンジの後ろ姿に目を細めて、ゾロは食卓に着いた。
「まだみんな寝てんのか」
「ああ、ラダもさっきミルク飲んだとこだから、もうしばらく寝るぜ。誰かさんに似てよく寝てくれて助かるよ」
香ばしいコーヒーの匂いが鼻をくすぐる。
「久しぶりにてめえの飯、食えんのか」
「おう、これからちょっとずつ台所に立つわ。やっぱ調子でねえし・・・」
火のついてない煙草を咥えて、口端を引き上げた。
「ラダだけにかまけてんのはめっちゃ楽しいんだけどよ、俺あやっぱ根っからコックだ。一人だけに
 食わせるんじゃなくて、皆に食わせてえ。それでラダの世話が手抜きになることもねえし」
「てめえがしたいようにすりゃあいい」
ゾロの物言いはぶっきらぼうだが、暖かかい。
サンジは口元に笑みを湛えたままゾロの前にコーヒーを置くと、隣に腰掛ける。

「・・・電伝虫、掛けるか?」
「そうだな。仕込みで忙しいかもしれねえけど」
それほど時差は無いはずだ。
もうゼフはとっくに起きているだろうし、とにかくこちらから連絡する以外もう手段はない。
サンジは電伝虫を引き寄せて、一度深呼吸をする。
「出ないで元々だ」
自分に言い聞かせるようにして、ダイヤルを回した。



呼び出し音が鳴り続ける。
ゾロはサンジの隣でじりじりと待った。
サンジの横顔に表情はなく、ただ淡々と相手が出るのを待っている。
痺れを切らして、ゾロは落ち着きなく立ち上がった。
「こっからバラティエってのはどっちの方角だ?」
「頼むから目指して出かけてくれるなよ。今生の別れになる」
サンジは薄く笑って、首を傾けた。
昨日とはまったく違う、穏やかな物腰だ。
「てめえ、なんでそんなに落ち着いてやがる」
「まあ・・・ゆっくり寝て頭が冷めたつうか・・・開き直ったっつうか―――」
サンジは椅子に凭れて肘をついた。
「俺にとってジジイは何者にも替えがたい命の恩人だけどよ。じじいにとっちゃ、俺なんて手間のかかる
 ガキでしかねえし、出て行ってせいせいしてっと思うしよ。そんな俺が今更ガキできたからって押し付け
 がましく報告することもなかったなーって、そう思ったらこんなことしてんのも俺の自己満足的な我がまま
 だけだって気付いたし。それなら自分が納得するまですりゃあ、俺的にはそんでいーんじゃねえかと思って」
そう言って、にかりと笑う。
「じじいに叱られたからって、ラダの存在を否定する方がよっぽバカだった。俺あほんとに伝えたいと思ってた
 ことを伝えてなかったから、こうして連絡取ってるだけだ。もしじじいが出なくて、繋がらなかったらそれでも
 構わなねえ。また時間を見て何度だって連絡してみるさ」
「・・・・・・」
ゾロは黙ってサンジの顔を見つめていた。
口を開いたいら「お前、えらいなー」とか陳腐な台詞しか出てこないだろうし、余計な怒りを買うことは目に
見えているからだ。


呼び出し音が鳴り続ける受話器を耳から遠ざけて、電伝虫の上に置こうとしたし直前、がちゃりと音が止んだ。
素早く受話器を構え直す。
「もしもし?」
「・・・こちらクソレストラン」
「俺だ。サンジ」
「ああ・・・」
相手は従業員らしい。
だが、どこか腑抜けた応対だ。
「じじい、出られるか?」
「今はいねーよ」
「そうか、いつ帰ってくる?」
「何か伝えとこうか」
「自分で言いてえんだけどよ」
「なら諦めろ」
「いや、ちょっと待て」
サンジは受話器を持ち直して、唇を舐めた。
「なんか様子おかしいな。てめえパティだろ?なんでそんな大人しいんだ」
「俺はいつでもジェントルコックだ」
「ふざけんな。なんかあったのか?」
「用がねえなら切るぞ」
「待てっつってんだろ。あのなあ、俺あメチャクチャ幸せだからな」
「いきなり何言い出すんだ、てめえ」
「うっせ、黙って聞いてちゃんと伝えろ。俺あ幸せでこれからもずっと幸せで、だから―――」
先程までの澄ました仮面はすっかり剥がれて、耳まで真っ赤に染まっている。
なにやら必死に言葉を紡ぐ表情は子どものようだが、今度は躊躇わなかった。

「だから、助けてくれてありがとう」
「・・・・・・」
「言いてえの、そんだけ」
「アホか!」
突然怒鳴り声が届いた。
「何が幸せだ。んなこと知ったこっちゃねえ!てめえがこの先ロロノアに捨てられて娘にも嫁にいかれて
 一人で野たれ死のうが、海軍にとっ捕まって獄死しようが海賊に殺されて海の藻屑になろうが、生まれて
 来たことを後悔するくらい不幸になろうが、俺あてめえと生きたことを後悔なんざしねえからな!」
あまりの大音響に、サンジは一瞬怯んだが、それでも噛み付くように言い返す。
「やっぱいるんじゃねえか。うっせえ、俺だって幸せだから感謝してんじゃねえや、不幸のどん底で明日にでも
 ひでえ死に方するとしても、てめえに生かされたことを恨んだりしねえ!」
「当たり前だ!」
「だから、ありがとう!」
「まだ言うか!」
「おいじーさん。ありがとう」
「なんだてめえは、てめえに言われる筋合いはねえ!」
「筋合いはあるんだよ。お陰でこいつと会えた」
「かーっ、やってられねえ!てめえなんか勘当だ!」
「サンジ、あんまりオーナーを興奮させるな、血圧が・・・」
「うっせえ、てめえは引っ込んでろ」
「殺したって死なねえじじいなんだから、ちょと弱ったくらいで丁度いいだろ。でも死ぬなよ」
「うっせえっつってんだよ」
「俺が里帰りするまで生きてろ」
「来んな」
「行く、いつかな。じゃあな」
「勝手にしやがれ!」
ガチャンと割れるような勢いで電伝虫が切れた。
昨日と同じ乱暴な切り方ではあったけれど、サンジは笑みを隠しきれないで受話器を握ったまま俯いて
震えている。

「言いたいだけ、言いやがったな」
「んだろ?いーんだ俺、もう欲張りになったから」
静かに受話器を置いて、椅子に深く座り直す。
「じじいに認めてもらおうとか、そんな必要はねえって今頃気付いた。いくら大恩あって一生頭が上がらねえと
 してもそれは俺の勝手な想いであって、じじいにゃ全部過去のことだ。それに、俺にも大事なものができたし、
 夢もあるし、何もかも手放したくないくらい大切だから、性根入れて生きていかなきゃなんねえし・・・」
「・・・・・・」
「いつかてめえが行く時は笑って見送って、もっと可愛いレディを見つけるし」
「いや、それ必要ねえだろ」
慌てて突っ込むゾロの顔がおかしくて、両手でそっと包み込むように頬を挟んだ。

「てめえもラダも、夢もじじいも全部大事だ。だから折り合いとかつけなくていい。承諾も納得もいらない。
 俺は俺で生きていく。いつかオールブルーを見つけたなら・・・」
ゾロは黙ってサンジを見つめた。
柔らかく眇められた瞳は、朝日を受けて蒼く透き通って見える。
「オールブルーはあったぞって、じじいに報告できればそれでいい」
「んっとにてめえは欲張りだ」
その瞳こそが、かの海の色だろうなんて柄にもないことを言いそうになって、ゾロはぐっと口を噤んだ。
そのまま押し付けるように唇を合わせ、サンジの腰に手を回す。
「じーさんはとっくにわかってっさ。最初から言ってたじゃねえか。『勝手にしろ』って」
「違いねえ」
くくっと二人で笑い合って、また顔を近づけて・・・
はっと気付いた。

半開きの戸口の向こうで、仲間達が所在なさげに突っ立っている。
「あ、ああっ・・・おはよう?!」
「お邪魔してごめんなさい」
「あんたたち、朝から大声で喚きあってるから、寝てらんなかったじゃないの」
「腹減ったー」
「とりあえず、てめえはとっとと風呂に入れ!」
ほとんど抱き合った体勢のままいきなり蹴り飛ばされて、ゾロは呆気なく壁にぶち当たった。
拍子に隣室からラダの鳴き声が響く。
「あーあ、また騒がしい朝の始まりね」
呆れ果てて、けれどどこか嬉しそうにボヤくナミに、サンジは照れたような笑みを返して、寝室に飛んでいった。





「大丈夫ですかい、オーナー」
「なにが大丈夫だ。てめえら人の心配してる場合か、開店準備はできてんのか!」
サンジに怒鳴る勢いそのままに雷が落ちて、コック達は慌ててそれぞれの持ち場に戻っていった。
パティだけが一人残り、ゼフが座るベッドの横に佇んでいる。

昨日、電伝虫の前で激昂したゼフは、その場で立ちくらみを起こし倒れかけた。
元より少々不安定だった血圧が一気に上昇したせいらしい。
「あんの、バカナス・・・オーナーに心配かけやがって」
「誰が心配なんぞしてるか。バカはてめえだ、さっさと持ち場に戻れ!」
それでも大人しく床に着いて指図だけする辺り、ゼフも己の状態を弁えているのだろう。
「オーナー、もし入り用の物がありましたら、俺が手配しますんで」
「なんもねえ」
「あ、ここにメモ帳置いときます」
「いらねえっつってんだろ。とっとと行け」
「へい」
パティはでかい図体を屈めるようにぺこりと頭を下げて、部屋を出て行った。
一人残されて、ゼフはふんと大きく鼻を鳴らす。

まだまだケツの青いヒヨっこが、親になってどうする気だろう。
決して幸福な育ち方をしてきたとは言えないサンジだが、そのせいか恐らく人一倍愛情は深い。
自分の子を持って、ましてや娘ならバカがつくほど可愛がるに違いない。
甘やかし放題で、手のつけられない我が侭娘に育ったらどうするつもりか。
身近で目を光らせて厳しく躾けられる大人が必要なのではないか。
ついそんなことを考えながらも、手紙に記してあった誕生日から今日までを指折りながら数えてみる。
まだしばらく島に滞在するといっていたから、100日もそこで迎えるのだろう。
お食い初めってのを知ってやがるだろうか。
どうせ相変わらずの貧乏海賊だろうから、必要じゃないもの以外揃えてやれないのだろう。
ガキの自分のメモリアルってのも、たまには必要なことだってあるかもしれねえ。
いやそれより、ガキが実は免疫が少なくて、ちょっと寒くてもすぐ風邪を引くことを知っているだろうか。
少し暑いとすぐに汗疹ができたりすることもわかってやがるか。
あれはバカだったから風邪一つ引いたことはなかったが、だからって自分のガキも同じものだなんて思ってや
しないだろうな。
頭の中であれこれ考えては、傍らのメモに手を伸ばし思いついたことを書き留めていく。
別にこれらをパティに任せるつもりはない。
自分の目で確かめて、選ばなければ気が済まない性分だ。

「ああ、まったく手間掛けさせやがる」
一人ごちて、それでも口元が緩むのは止められなかった。
次から次へと馬鹿やらかしてくれるから、おちおち寝てもいられねえ。
ゼフの頭の中はすでに、マジパンで作るベビーシューズの色をどうするかなんて課題でいっぱいだった。









うとうとと眠っていたゾロは、かすかな感触で目を覚ました。
非常に珍しいことではあるが、最近スキンシップに餓えているので反応の現れ方が顕著なのだろう。
暗がりでサンジが覗き込んでいる。
半ば寝惚けたままその黄色い頭を引き寄せようとした。
「コラ、危ねーだろ」
何が危ないのかと身体を起こしかけて、腕に当たるもう一つの温もりに気付いた。
振り向けば、ラダがまたゾロの身体にぴったりとくっ付いて寝ている。
「危ねーじゃねえか」
小さく呟いてそうっと身体をずらす。
くすくす笑うサンジの肩を抱いて、寄り添うように起き上がった。
「なんでラダをこっちに寄越すんだよ。寝返り打って潰したらどうする」
「別に俺は触ってねえぜ」
「ああ?俺が寝転んだとき、ラダはそっちの端で寝てたぞ」
ちょっと横になるつもりで寝転んだのに寝入ってしまったのは不覚だったが、それでもラダに近付かないように
気を遣ったつもりだった。
「なあ、お前も不思議に思うよな。俺も最初びっくりしたんだって」
言いながら、ラダの腹にそっと毛布を掛け直す。
「俺も添い寝してっときに、ラダを潰したりしないようにちゃんと距離を取って寝てるはずなのに、いつの間にか
 引っ付いて寝ててよ。おかしーなーと思ったんだけど、どう考えても、ラダがくっ付いて来てんだよな」
「はあ?」
ゾロは俄かに信じられなかった。
まだ生まれたての赤ん坊で、寝返りはおろか自分で動くことすらできないのに、どうして移動したりできるのか。

「そうとしか考えられねえんだよ。手足もちゃんと動かせねえのにな。いつの間にか引っ付いてきてんだ」
ぷよと柔らかな頬をつつき、サンジは愛しげに目を細めた。
ゾロもつられて、ぽわぽわした生え際を撫でる。
柔らかな温もり、確かな息遣いを感じたとき、不意にゾロの中で何かが弾けた。
ぽつんと花開くようなそれは、じわじわと胸の辺りに染み込んで、身体中を満たすように広がっていく。



「・・・可愛い、な」
思わず口をついて出た言葉に、サンジはにかりと会心の笑みを返した。

「今頃気付いたか、馬鹿野郎」





   END