Fire Festival  -2-



待ち合わせの18時5分前に、西海駅に着いた。
ゾロが天然で方向音痴なことは知っているから、それを見越して早めに来て待っているか2〜3時間遅れるかのどちらかだろう。
あんまり遅れるようなら消防署まで迎えに行ってもいいけど、来るルートがどうかわからないと途中ですれ違うかも…
などと考えながら待ち合わせ場所が見える喫煙所で煙草を吹かしていたら、駅前のロータリーを突っ切る緑頭を見つけた。
5分遅れとは、実に優秀だ。

「おう」
「お、悪ぃ」
ゾロは大股で縁石を乗り越え、煙草を揉み消して出てくるサンジの前に立った。
久しぶりに顔を合わせる。
ぱっと見たところ、もうすっかり怪我も癒えて元気なようだ。
「久しぶりだな」
「待たせて悪かった」
そう言いながら、ゾロは足を半歩踏み出してから振り返った。
「どうする?」
「ん、お前はどうする気だった?」
そもそも、ゾロの方から誘ってきたのだ。
なにか当てでもあるのかとサンジが首を傾げて見せると、ゾロは人差し指の先でぽりぽりと顎の下を掻いた。
「久しぶりだし、一緒に飯でも食わねえか」
「・・・ん、いいけど・・・」
言いかけて、止めた。
なんだ?と見つめるゾロに、誤魔化すように首を振る。
「どっか近場でゆっくり飲もうぜ。飲めるんだろ」
「おう、なら俺の行きつけの居酒屋でいいか」
前も居酒屋だったが、多分ゾロが行きつけと呼ぶところは全部、居酒屋なんだろう。
そう判断して、サンジは構わねえぜとポケットに手を突っ込んだ。

さっき言いかけたのは、「なら、俺の家で飯食わねえ?」との誘い文句だった。
ゾロと18時に待ち合わせて、それまで街をウロついて一人ランチしたりカフェでお茶したりして、正直外食に飽いていた。
サンジの部屋ならここからも距離が近いし、冷蔵庫の中には食材が揃ってるから簡単なものならすぐ作れる。
けれど、そう提案しようとして止めた。
ゾロとはまだ“友人”と呼び合うほど近しくはないし、それでいて見舞いに行った時の微妙な空気感がずっと心に引っかかっていて、サンジ自身どう言い表していいかわからない間柄だ。
そんな状況なのにいきなりプライベート空間に引き入れるのもどうかと思い、また誘われたゾロがどう思うかというのも気がかりだった。
そんなこと、気にする方がそもそもおかしいと思わないでもなくて、サンジはゾロの後に着いて歩きながらしばらく詮無いことをグルグルと考えていた。

「あれ?」
ゾロの声に、ふと足を止める。
いくつかの路地を曲がって、青い看板の下に出た。
この看板は、確かさっきも見た覚えがある。
「―――迷ったな?」
「いや、確かここだったと思うんだが・・・」
「路地に入る時の目印、なんかないのか?」
「角にクレープの屋台があんだよ」
ゾロの答えに、サンジはこめかみを抑えて俯いた。
「どうした?頭でも痛ェのか?」
「ああ、痛ェがたいしたことじゃねえ」
ふっと息を吐いてから、もう一度青い看板を見上げる。
「ここ、バルみてえじゃねえか。ここにしねえか?」
「ああ、どこでもいいぞ」
結局、ゾロの迷子癖のお蔭で初見の店に入ることになった。

スペイン風の居酒屋らしく、洒落た店内は開店でまだ客も少なく落ち着いた雰囲気だった。
バーカウンターの向こうにずらりと並べられた酒瓶に、ゾロは目を輝かせている。
「なんか適当に頼むか」
「おう、メニューを見ても俺はよくわからねえな」
早々に注文を放棄したゾロに代わり、サンジはいくつかの料理と酒を頼んだ。
「まずは、乾杯?」
「なにに」
「お前の全快祝いだよ」
サンジがそう言えば、ゾロはああそうか・・・と呟いた。
「退院してから、会ってねえな」
「退院する前からだろ、俺が見舞いに行ってからだよ」
二人、向かい合わせで肘を着いてふと視線を絡めた。
どちらからともなく、逸らす。
「そう言えば、見舞いありがとう」
「退院、おめでとう」

そのまま、しばし沈黙が流れる。
テーブルの木目を目で辿っていたら、ビールが運ばれてきた。
これで少しは間が持つと、ホッとしながらグラスを掲げる。
「ってことで、乾杯」
「乾杯」
軽くかち合せてから、冷えて露が浮いたグラスを傾ける。
濃い苦みが喉をすんなりと通り、少し気分がすっきりした。
「ぷはー」
「へえ、これも美味えな」
ゾロはグラスを半分ほど空にして、思い出したようにコースターの上に置く。
「もう身体はすっかりいいのか?」
「ああ、なんともねえ」
「仕事も、普通通り?」
「ああ」
ゾロは腕を肘まで捲って、拳を開いて見せる。
細かな傷はいくつも付いていたが、どれも古そうだ。
相変わらず太い腕に、鞣革みたいな肌だ。
きっと、力の入れようで硬くも柔らかくもなるのだろう。
「春の火災予防運動、始まっただろ」
「あ、うん」
ポスターを見たから、知ってる。
「今日もその一環で、イベントだよな」
「おう、あとパトロールとかチラシ配りとか。病院とか飲食店とか点検して回って、一般家庭も訪問したりして」
「割と忙しいんだ」
「おう。ここんとこ、書類業務が多いんだよ」
うんざりとした表情で顎を撫でるゾロの後ろから、料理が運ばれてきた。
大皿を二人で取り分け、あれこれと味を見る。
「ああ、こりゃいけるな」
「この店、当たりだぞ。迷子癖様々だな」
「ん?なんだって」
「なんでもねえよ」
サンジはフォークを口元に当てて、ゾロのグラスを見た。
「お代わり、適当に頼めよ」
「あんまり調子に乗ると忙しないからな、ちびちびやるよ」
旺盛な食欲を見せつつ、自分でセーブしているのか文字通りちびちびとビールを舐める。
「そっちは相変わらず、子ども相手に忙しそうだな」
「んー年長の子達はもうすぐ小学校だから、これでお別れかと思うとちょっと寂しくてな」
サンジはそう言ってから、ん?と顔を上げる。
「最近、俺お前のことあんまり見かけないんだけど」
「ん」
「もしかして、俺のこと見かけてる?」
「しょっちゅう」
ゾロはこともなげに肯定して、パエリアを頬張る。
「よく、消防署の裏手の土手を散歩してっだろ」
「うんまあ、最近はだいぶ温かくなってきたから・・・」
サンジだって、消防署の裏手を通る時は気にしてみていたのだ。
時折り、署員達が裏でトレーニングしたり雑談したりしているのを目にしてきた。
けれどゾロの姿は、見かけなかった。
「最近、内勤が多くて俺は2階事務所の窓越しに見てた」
「あ、そうなんだ。道理で・・・」
そう答えて、自分がゾロを探していたことを無意識に認めてしまった。
あ、と気付いたがもう遅い。
ゾロはどこか困ったような、それでいて悪戯っぽい笑みを浮かべ空のグラスを持ち上げた。
「すんません、これお代わり」
店員がグラスと空いた皿を持って下がっていくのを、しばし二人で無言で見送る。

「…いや、最近姿見ないから自宅療養してんのかとか」
「そう言う訳じゃねえんだが、たまたまかな。昼休みにキャッチボールとかもしてたんだぜ」
「昼休みは、お昼寝の時間だし」
どうしても昼寝が嫌な子どもが度々脱走を試みるので、保育士は常に忙しい。
サンジがそう言うと、ゾロはうんうんと頷いた。
「俺らじゃ勤まらねえな。今日みたいに半日子どもらが遊びに来ただけで、ぐったりしてる奴もいるぜ」
「子どものパワーは、半端ないから」
「いやマジで」
ウェイターが持ってきたビールで喉を潤し、ゾロは静かにグラスを置いた。
「今日も、署にいたのか?」
サンジの問いに、おうと頷く。
「もしかして、俺が行ったのも見てた?」
「おう、ちょうど本部倉庫でパンフレットの補充してっときに小窓から見た」
それでは、サンジが見つけられない訳だ。
「ファイアット君がいたからさ、てっきりお前かと思ったらワイパーさんで、いねえのかと思った」
「あ、ワイパーさんに抱き着かれてたな」
いきなり咎めるように言うので、サンジはとんでもないと首を竦める。
「お前かと思ったんだよ、したらワイパーさんの声だったし」
「だからってなんで抱き着くんだよ、しかも肩抱いてたじゃねえか」
「俺に挨拶してくれたんだよ、義理堅い人じゃねえか。ファイアット君が喋る訳にはいかねえから、近くで声が聞こえるようにしたんだろ」
なぜか言い訳めいてしまった。
「…そうか、まあ中の人が喋る訳にいかねえしな」
「中の人など、いない」
言い切るサンジにふっと表情を崩し、ゾロはポテトに手を伸ばす。

「なんでかな、よく見つけるんだ」
「ん?」
同じようにポテトを摘みながら、サンジは肘を着いて心持ち身を乗り出した。
「お前が、やたらと目に付くんだ。その頭がキンキラしてっからかな」
「――――・・・」
サンジは塩気の付いた指で髪を撫でそうになって、慌てて紙ナプキンで拭いた。
そうしてから、またポテトを抓む。
なにやってんだ。

「空いた時間とか、ふっとお前のこと考えたり。そう思って外眺めると、偶然お前が子ども連れて歩いてるの見たり。そうすっと、ああ似合ってるなあと思う」
「なに、保育士が似合ってる?」
「ってか、子どもと一緒にいるのが似合ってる」
ゾロはそう言い、なぜか苦い表情でビールを飲んだ。
「お前、前に言ってたじゃねえか。女と付き合うなら結婚前提で、そうして家庭を持ちたいって。子どもと一緒にいるの似合うし、きっとお前んちに生まれた子どもって幸せだろうなあと」
「なに言ってんだよ」
サンジは苦笑して、グラスを手にした。
いつの間にかこちらも空だ。
ゾロが手を挙げてウェイターを呼び、お代わりを頼んだ。
「そんな風に思うのに、気が付くとてめえのこと考えてたりしてな。まあでも、こりゃあ俺の一方的な想いだけだから」
「――――・・・」
「そう思っちゃあ、いたんだが・・・」
ゾロはそこまで言って、不満そうに口をへの字に曲げた。
「なんかお前も、俺を探してるじゃねえか」
サンジは腕を組んで、じっとポテトを睨み付けている。
「俺はお前を見つけて勝手に姿を眺めてたが、お前はお前で裏口とか、その辺にたむろってる署員を見てた。今日のイベントでも、俺の姿を探してた。…俺の自惚れじゃなかったらな」
「自惚れだよ」
サンジはそう言って、緊張を解くためにほうと息を吐く。
ウェイターが持ってきてくれたビールを受け取り、グラスに付いた水滴を指で拭った。
「自意識過剰も、いいとこだ」
「そうか、ならいいんだが・・・それはそれで癪だな」
悔しげに呟く様子が存外に子どっもっぽくて、サンジはへにょんと眉を下げた。
ああもう、しょうがない。

「俺が、お前を探してたとして。それで、てめえはどうなんだ」
「ああ?」
「そんなん、鬱陶しかねえか?別に、さして親しくも友人でもねえのになにかってえと探されちゃあ」
「その言葉、そっくり返すぜ」
ゾロは、ビールをゴクンと飲んでテーブルに置いた。
「俺が、てめえの姿ばっかり目で追ってるって聞いて、引くか?」
「――――」
正直に言えば、引かない。
と言うかぶっちゃけ、ちょっと嬉しい。
ドキドキしてる。
ゾロも、自分と同じ想いなのかと期待さえする。

サンジの沈黙をどう取ったか、ゾロは冷めたポテトを摘まんでぽいぽいと口に入れた。
「引かれるのが普通だ、とは思うんだけどよ。お互い野郎だし、お前は女好きだし」
「・・・そりゃあ、付き合うなら可愛い女の子がいいに、決まってっだろ?」
自嘲するようにそう言って、サンジはすうと息を吸い込んだ。
深く吐きながら、ゾロの顔を正面から見つめる。
「でもそう言うのって、理屈じゃねえのかも」
「・・・だな」
さして具体的な会話を交わしてはいないのに、なぜか共通した認識があると思えた。
少なくとも、多分考えているのは同じことだ。

店内が少し、ざわついてきた。
夕食時を迎え、いつのまにか客で混雑している。
どんな会話をしていても、話が途切れても。
周囲のざわめきと控えめに流れるBGMが、適度に雰囲気を和らげてくれている。

自分の部屋に招かなくてよかったと、サンジは心底そう思った。

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