Fire Festival



「春は空気が乾燥し、また、強い風が吹くため、火災が発生しやすい季節です――――」

ゆっくりとした口調の音声が、まだ冷気を孕む春の風と一緒に流れてくる。
サンジが気付くより先に、園児達が歓声を上げた。
「きゅーきゅーしゃー!」
「ちがうよ、しょーぼーしゃだよ」
カンカンカンと金音を鳴らし、小さめの消防車が速度を落としながら車道を通った。
歩道を歩く子ども達の足を停めさせ、飛び出す子がいないように先生達が注意を促す。
「お散歩ですかー」
助手席から顔を覗かせたのは、顔見知りの消防士だ。
サンジは軽く会釈をしながらも、運転席に視線を走らせた。
運転手の横顔は、ゾロじゃない。
「お疲れ様です」
「いいお天気ですね」
笑顔で挨拶を交わし、消防車は静かに先へ進んでいく。
後部座席にも誰もいなかったなあと、サンジはちょっとがっかりして息を吐いた。

「そう言えば、明日から春の火災予防週間ですね」
「そうなんだ」
ビビ先生が、両手に子ども達を繋ぎながら笑顔で振り返った。
「園にもポスターが貼ってありました。2日に西海消防署でイベントがあるみたいです」
「2日ってえと日曜日か、遠足がてらみんなで見に行くって訳にはいかないね」
「お家の人と、行く子達もいるかもしれませんね」
サンジは内心、残念に思う。
幼稚園から遠出のお散歩ついでにイベントに行けたら、消防署に顔を出す口実だってできるのに。
休日にわざわざ、子どももいないのに一人で消防署イベントになんて、いい年して出かけられない。

消防署の裏で、時折自主トレしている署員を見かけることもある。
みんなで固まって談笑している光景も、見たことがあった。
けれど、今のところその中にゾロの姿を見つけられない。
異動はまだだろうし、きっと署内にはいるのだろうになかなか顔を合わせる機会が来ない。

ゾロとは、一度病院に見舞いに行って以降、会ってはいなかった。
退院したことは、向こうからメールで知らせてくれたから知っている。
「今日退院した」との短い報告に「おめでとう、お大事に」と素っ気なく返しただけだ。
それからすぐレストランが多忙なクリスマスシーズンに入り、年末年始に向けて慌ただしかった。
バレンタインには同僚の女性達にチョコレートを配るのに忙しく、園長にもねだられて随分たくさんの菓子を作ったっけか。
勢いで消防署に差し入れしそうになったが、それこそおかしな話だと自制した。
男が、男だらけの職場にバレンタインチョコを差し入れるとか、どう言い訳しても充分に怪しい。

―――――別に、いいんだけどさ。
成り行きでゾロの誕生日を祝い、一度一緒に出掛けただけで、コンパにも誘われた程度の付き合いだ。
新聞に載るほどの怪我をしたんだから、見舞いに行くのもアリだろう。
1回だけなら、義理を果たしたってことになる。
ゾロとの付き合いはそれだけで、友人とは言い切れないけどほどほど親しい知人…程度の間柄だ。
そう思うのに、サンジの意識はどうしてもゾロを追ってしまっていた。
消防署の近くを通れば、どこかにいないかと探してしまう。
消防車がパトロールしていれば、車に乗っていないか立ち止まって見てしまう。
毎日新聞を広げて、どこかで火事が起こってないか、誰も怪我をしてなどいないかどうか確かめてしまう。
なんだか自分ばっかりが気にしているようで、腹が立つのに止められない。

「日曜日と言えば、サンジ先生お誕生日ですね」
子ども達を保護者に引き渡し、帰り支度を始めた頃にビビが急に言い出した。
どうやらカレンダーを見て、思い出したらしい。
「覚えててくれたんだ、嬉しいなあ」
「おめでとうございます」
「サンジ先生、お誕生日なんですか。おめでとうございます」
基本的に上品な言葉遣いが徹底されている職場だから、ちょっとした世間話でもまるで上流階級のお茶会みたいな雰囲気だ。
しかも先生方はみんな美女揃いなので、サンジとしても自然と丁寧な口調になる。
「ありがとうございます。今年は日曜日なので、当日に皆さんと過ごせないのはすごく残念です」
「その代わり、彼女さんと一緒なのでしょう?」
カヤ先生が屈託なく言うのに、サンジはいやあと情けなく眉尻を下げた。
「一緒に過ごしてくれる彼女が、まだ見つからないんですよー」
「またまたー、サンジ先生みたいな素敵な人を女の子が放っておく訳ないじゃないですか」
「ふふふ、サンジ先生が困ってらっしゃるわ。皆さん、あまり詮索はしないでおきましょうね」
並み居る美女にニコニコと受け流されて、そんなことないんですマジフリーなんです!とは縋れないのが悲しいところだ。
実際、このままでは誕生日当日も一人で寂しく過ごす羽目になってしまいそうで辛い。
職場恋愛はご法度と自分ルールで決めているけど、そうしなくとも先生方は総じて既婚か彼氏持ちだった。
そりゃあまあ、これだけ美女揃いでフリーなはずもない。
加えて当日は日曜日だから祖父の店の手伝いで終わる気がするし、例年のようにむくつけきスタッフの野郎共にダミ声でバースディソングを歌われて、祖父特製の小さなケーキでお祝いされるのが関の山だろう。
虚しい。
あまりに虚しすぎる。
サンジは何度目かの溜め息をぐっと飲み込んで、申し送り用の日誌を閉じた。



そして迎えた日曜日。
手伝おうと店に顔を出したら、祖父をはじめスタッフ達にまで、なんとも憐れみに満ちた眼差しで黙って見つめ返された。
「…どっか、出かけてくる」
「おう」
視線に押されるようにして、すごすごと退散した。
やっぱりいい年して、誕生日に家の手伝いとか身内でもイタ過ぎたか。

街に繰り出してナンパでもしてみるかと考える。
今日は誕生日なんだと言ってみれば、気の良い子ならそれをきっかけに食事くらい付き合ってくれるような気がする。
ただ、やはりサンジとしてはそういう軽すぎる出会いに魅力を感じないし、そんな嘘か本当かわからないような言葉にホイホイと付いてくる子もどうかと思う。
自分でも矛盾しているとは思うが、身に沁み込んだ硬すぎる貞操観念が内心の欲求とせめぎ合って、結局はなに一つ行動に移せないでいた。
気晴らし程度のナンパでも…いや、ナンパだからこそいい加減な振る舞いはできないとか、ぐるぐるとめぐる思考は自分で自分を雁字搦めにするばかりだ。

迷いながら歩いていたら、いつの間にか足は西海消防署に向かっていた。
よく晴れた日曜日、青い空にアドバルーンが上がっている。
天気にも恵まれたなと、空を振り仰ぎながら歩いているといきなり背後からどーんと何かがぶつかってきた。
「サンジせんせー!」
「おうっと、アイサちゃん」
膝下に両手を絡ませて懐いてきたのは、園児達だった。
「せんせーだ」
「せんせーせんせー」
イベントに足を運ぶ子ども連れが多いらしく、サンジもあっという間に顔馴染みの園児達に取り囲まれてまるで幼稚園のようになる。
「サンジ先生、いつもお世話になっております」
「どうも、こちらこそ」
両手に子ども達が我先にと取り縋って、早く行こうと急かされた。
「えー、先生はちょっと通り掛かっただけなんだけどなあ…」
「せんせいもいっしょにいこうよう」
しょうがないなあと、子ども達に連れられてサンジは「仕方なく」西海消防署前の風船で作られたアーチを潜った。



午前中だというのに中々の人の入りで、広場中央にはステージも作られ多くの人で賑わっている。
見学用のはしご車にも人だかりができていて、少し離れた場所では消火器の使い方の講習会もしているようだ。
「あー、ふぁいあっとくんだー」
子どもの声に目を向ければ、なるほど前に幼稚園に来てくれた炎の形をしたゆるキャラが、大きな頭を左右に振っていた。
子どもって、こういうのの名前覚えるの早いよなーと感心しつつ、サンジは手を引かれるままにゆるキャラへと歩み寄る。
前に、これの中に入っていたのはゾロだった。
これももしかして、ゾロ…かな?

ファイアット君は大袈裟な身振りで頭を振り、膝を曲げて子ども達に手を振っている。
四方八方から飛びつかれても、そこはちゃんと受け止めてよろめきもしない。
この力強さは、やっぱりゾロだろうか。
ドキドキしながら見守っていると、ファイアット君が子ども達を周囲にくっつけたまま、サンジに近づいてきた。
そうして両手を広げて、肩をぽんぽん叩きながら抱き着いてくる。
――――え?やっぱこれゾロ?ゾロなのか?
どう反応していいかわからず、半笑いのまま棒立ちになっていたら、ファイアット君の丸い目の部分からささやき声が出た。
「サンジ先生、お世話になってます」
「…あ、あーどうも」
この声は、アイサちゃんのお父さんのワイパーだ。
サンジは半分ほっとし半分がっかりしながら、ぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様です」
ファイアット君は頭をぶんぶんと振りながら、子ども達の手を引いてはしご車の方にゆっくりと歩いた。
両手から子どもが離れてしまって、サンジはポツンと取り残される。

―――― やっぱゾロ、いねえのかなあ。
くるりと周りの様子を見渡すも、ゾロの姿はどこにもない。
もしかして、退院はしたものの怪我が予想以上に酷くて復帰してないとか?
それとも、もしや異動になった?

顔見知りの署員にそれとなく聞きたいけれど、みなそれぞれの持ち場に付いていて忙しそうだ。
子どもを連れている大義名分もなくなったし、もう帰ろうか。
様子だけ見に来たってことで。
自分の中で言い訳しながら歩き出すと、懐でスマホが鳴った。
取り出してメールを見る。
ゾロからだ。

『お疲れさん。今日は後片付けも含めて18時には退庁できんだが、空いてるか?』
なんの前置きもない文面からして、サンジがこの場に来ていることを知っているに違いない。
もう一度、注意深く周囲を見渡した。
やっぱり、どこにいるかわからない。
探すのは諦めて、とりあえずちゃちゃっと返信する。
『空いてる』
『18時過ぎに、西海駅南口で待ち合わせしよう』
『了解』
必要最低限の文章だけ送って、スマホを仕舞った。
そういうことならと、足取りも軽くそのまま消防署を後にする。
途中でも何人かの園児とすれ違い、その度に抱き着かれたり手を振ったりしながら街へ向かった。



夜にゾロと待ち合わせをしている。
そう考えるだけで、なんだってこう気持ちが晴れ晴れとしてしまうのだろう。
午前中までの意味もわからない屈託などどこかへ消え去り、一人で街をぶらついていてもまったく虚しくならない。
むしろ、夕方までなにをして時間を潰そうかと、どこかウキウキしている自分がいた。
そんな自分が滑稽でもあり、少々不気味でもある。

たった一度だけ見舞いに行ったあの時に、なんだか微妙な空気になって以来、ずっと気まずかったのだ。
それでいて、また会えると思うと無意識にでも心が弾む。
気詰まりだと思う半面、夕方が待ち遠しくてソワソワする。
これは一体なんだろうかと落ち着かない自分の気持ちを探りながらも、この感情の起伏を現すのにピッタリな名称を敢えて考え付かないようにもしていた。


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