Cherry tarte -2-



「9時から4名様・・・ロロノア様ですね、承知いたしやした!」

まるで魚市場並みの威勢のいい応対を聞きつけて、サンジはフロアに出掛かった足を止めそのままバッグで後戻りした。
「何?ロロノア様って」
「ああ、いつも来てくれる兄ちゃんだ。急な接待が入って悪いとか言って、うちに予約入れてきた」
なんでまたうちに・・・と戸惑いつつ、サンジは首を捻る。
「9時からディナー食うのか?ちと遅いんじゃねえの」
「なんでも同行者は自分以外全部女性だってんで、軽めで頼みたいと言ってたぜ。それに全員がヘビースモーカーらしいから、テーブルも配慮してくれと。あの兄ちゃんはきちんと自分の都合を伝えてくれるんで助かるな」
カルネがさらっと褒めるのに、まるで自分が褒められたかのようにサンジは嬉しくなった。
「まあな、普段は抜けてるくせに一応ベースはしっかりしてる奴だから」
などと言いつつ、自分以外女性ってなんだよとすぐにむっとする。
「俺に直接連絡くれりゃあいいのに」
「なに言ってんだ、お前は今日コンパに行ってることになってっだろうが」
「あ、そうか」
迂闊なのは自分だった。
そう言えば、本当なら今日はゾロとコンパの席で顔を合わせるはずだったのだ。
それが急な所用がお互いに入って、結局この店で顔合わせとは、なんとも妙な因縁さえ感じる。

「まあいいや、女性相手ってならカロリーや盛り付けなんかも適当に考えてやってくれ」
「ならお前がやれよ。もうフロアは人足りてきてっだろ、厨房に入れ」
「うっし」
サンジは嬉々としてエプロンを外し、コックコートに着替えた。




住宅街の一角にあるバラティエは、9時近くなるとピークを過ぎる。
食事の余韻を味わいながら会話を楽しむ客達がほとんどを占めるフロアで、一テーブルだけ華やかにセッティングされ、主を待つ雰囲気を保っている。

「あいつ、迷ってんじゃねえだろうな」
9時を少し過ぎた辺りで、サンジは落ち着きなく時計を確認した。
あんまり遅くなるようなら、こっちからメールしてやってもいい。
などと考えていたら、来客を告げるがなり声が厨房にまで響いてきた。
その声に反射的に身体を引っ込めて、そっと影から覗いてみる。
ややくたびれた感じのスーツ姿のゾロが、麗しい女性を3人連れて店に入ってきた。

「予約していたロロノアです」
「お待ちしておりました」
やや芝居がかった雰囲気で、カルネが4人を席へと案内した。
いずれもゾロよりは年配な年頃だが、揃いも揃って美しくナイスバディだ。
「ロロノア君が、こんなお店を知っているとはね」
「こじんまりとしているけれど、いい雰囲気じゃない?」
「お店の人がいかついところがいいわね」
ハスキーな声で囁き合うのに耳を欹てて、サンジは一旦身だしなみをチェックしてからフロアに足を踏み出した。

「いらっしゃいませ、バラティエへようこそ」
席に着きかけていたゾロが、驚いて動きを止めた。
ほんの少し目が丸くなっている。
「お前、なんでいるんだ」
「随分な言い草だな、俺が店にいてなにがおかしい」
そう嘯いて、サンジはにっこりと営業スマイルを浮べた。
「お飲み物のリストでございます」
「ありがとう」
ボブの女性が、すんなりとした長い指でメニューを受け取る。
「ロロノア君にお任せしても、いい加減に決められちゃうしね」
「そうね、貴方のお薦めでお願いできるかしら」
「喜んで」
大人の女性の色香を前にして、サンジはメロメロと崩れそうになるのを必死で耐えて営業スマイルを持続した。
「もしかして、貴方ロロノア君のお友達?だからこのお店を知ってるんだ」
「そうよね。ロロノア君行きつけとか言うと、居酒屋のチェーン店かラーメン屋が妥当でしょう」
「接待でそういうお店行くのなら、ある意味勇敢でヒナ感嘆」
美女3人にからかわれても、ゾロはむっつりとしたままだ。

「いいかしら」
長い髪の女性がバッグから煙草を取り出した。
「ええどうぞ」
サンジが頷くのと同時に、ポニーテールの女性とボブの女性も煙草を取り出す。
「最近、喫煙OKのお店が減っちゃって」
「一応私達も弁えてはいるんだけど、吸えないと思うと妙に落ち着かなくなったりするのよ」
「ここ、換気がきちんとしているのね。安心して一服できそうだわ」
女性達のぼやきに一々頷いて、サンジも同意を示した。
「実は俺も禁煙はきつい体質なんで、皆さんのお気持ちはよっくわかります。ほんとに最近、どこ行っても
肩身が狭いんですよね」
「そうそう」
「わかるわ〜」
すっかり打ち解けた様子に、ゾロは片眉を上げて見せた。
「別に、喫煙OKだからこの店にお連れした訳ではありませんよ。勿論それもありますが、俺の数少ない行きつけの店の中でも、ここはダントツに美味いからです」
女性達を前に、息を呑んだのはサンジの方だった。
一瞬目を見張ってから、じわじわと頬を赤くしていく。

「まあ、ロロノア君イチ押しのお店ね」
「では早速、ご馳走になりましょうか」
「は、はい。ごゆっくりどうぞ」
サンジは動揺を隠しきれないで、あたふたと頭を下げてから足早に厨房に戻った。
それを見送って、ゾロの隣に座った女性がふっと柔らかな笑みを浮べる。
「可愛い子ね。素直で一生懸命」
「邪気がなさそう」
女性陣の評価に、ゾロは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「生憎ですが、ああ見えて女と見ればすぐ鼻の下が伸びるだらしない奴ですよ。今日は緊張でもしてたのか、随分シャキッとしてましたが」
「馬鹿ね、貴方に気を遣ったのよ」
さらりと指摘されて、ゾロは怪げんそうな顔をする。
「いいお友達じゃない。ちょっと遅い夕食だけど、お店は賑わっているしスタッフは活気に溢れてるし、楽しいディナーになりそうだわ」
そう言って、妖艶に微笑みながら軽く煙草を吹かした。





一番目立つのは長い髪をしたレディ。
目付きの鋭さは只者ではないのに、形の良い唇に塗られた艶やかなルージュが女性らしさを際立たせている。
怜悧な美貌にたおやかさを秘めた、不思議な魅力を持つ女性だ。
そして、黒髪を頬の横で切り揃えたシャープな印象のレディ。
3人の中で最も大人の雰囲気を漂わせていて、少し厚めの唇と気だるげな仕種が凄くセクシーだ。
もう1人は先ほどの2人とはまた印象が違う。
大きな瞳は快活に輝いていて、声に張りがあり笑い声も豪快だ。
よく焼けた小麦色の肌と適度に筋肉の付いた身体はしなやかで、まさに健康美人。

3人ものタイプの違う美女に囲まれているというのに、ゾロはさして楽しそうでもなく黙々と食事をしている。
けれど時折、何か言われてふと口元が柔らかく笑んでいるから接待は順調なのだろう。
サンジはちらちらとフロアの様子を気にしながら、厨房の仕事をこなしていた。




時刻が閉店時間に近付き、常連客たちが次々と席を立ち出した。
ゾロを囲む美女達も、それぞれナプキンをテーブルに置いて静かに席を立つ。
スマートにエスコートできているとは言い難いゾロだが、それでも微笑みながら握手を交わし見送る姿は中々堂に入っていた。

「ご馳走様、とても美味しかったわ」
「今度はプライベートで、来させていただくわね」
リップサービスだとわかっていても、麗しい女性にそう言って微笑まれては自然頬も緩むというものだ。
サンジは恭しく礼を返しながらも、自然と揺れる上半身の流れを抑え切れない。
「当店をご利用の際はぜひ、このサンジにご一報ください。精一杯のサービスをさせていただきます」
ネームプレートを示しながらひざまづく勢いでアピールするサンジの頭を、ゾロが軽く鞄で押さえた。
「勝手なことすっから、睨まれてっぞ」
促されて厨房へと目をやれば、オーナー・ゼフが眼光だけ鋭く光らせてこちらを見ている。
サンジは首を竦ませつつも、知らぬ素振りでへらへらと美女達に微笑み掛けた。
「いつかお前が店を持ったら、半年も経たない内に潰れるだろうな」
「あんだとお?」
むっとして口を尖らせるサンジの後ろで、美女達はあらあと声をあげた。
「あら、ロロノア君は将来彼の経営をサポートするつもり?」
「だからうちの誘いを断ったの・・・あらまあ、そういうこと」
「残念だけど、ボウヤには負けないわよ」
いきなり話を振られて、サンジは「は?」と口を開けたまま固まった。

「単なる忠告ですよ、深読みはしないでください。俺は今の会社で満足してます」
―――うわあ、もしかしてヘッドハンティング?
ドキリと来て立ち止まったサンジの横を、長身のレディ達が擦り抜けて行く。
「相変わらず堅物ね」
「冒険を好まないタイプじゃないと思うのだけれど」
「また気が変わったら、いつでも連絡して来て頂戴」
それぞれがキュートかつパワフル&妖艶に微笑みながら、サンジが呼んだタクシーに乗り込んだ。

「ご馳走様」
「おやすみなさい」
あくまでも慇懃な態度を崩さず、頭を下げて見送るゾロと並んでサンジも手を振る。
美女の残り香が夜風に乗って消えていくのを惜しみながら、客の引けた店内へと戻った。



「お疲れさん」
「急な予約入れて悪かったな。お陰でうまく行った、ありがとう」
さり気なく礼を言われて、サンジはいやあと頭を掻く。
「仕事の話だったろうに、最後に割り込んでごめんな」
「別に構わん。仕事と言っても営業の接待じゃない、若干プライベートなことだ」
「ってことはやっぱり・・・」
今のお姉様方は、他社からのスカウト?
素朴な疑問が喉まで出掛かったが、ぐっと飲み込む。
例え友人といえども、仕事のことであれこれ尋ねるのはよくないと思う。
もしもゾロが悩んでいるなら相談してくるだろうし、何も問題がないのなら部外者が立ち入るべきことではない。

「ま、いいや」
独りで納得したように頷きながら、サンジは「あ」と思い付いて立ち止まりゾロを振り返った。
「俺からもスカウトしようかな」
「はあ?」
怪訝そうなゾロに、悪戯っぽく瞳を煌めかせた。
「カルチャースクールの、フラワーアレンジメントの講師。エースがゾロに来て欲しいってうるさいんだよ」
「・・・ああ」
ゾロはうんざりした表情を隠さないで、仰向いて嘆息した。
「前に言ってたことがあったな、まだ諦めてねえのか」
「講師は毎年替わるからな、エースは根気強いししつこいぞ」
「俺のは自分が楽しむためのものであって、人に教えるようなもんじゃねえから・・・」

話しながら、会計を支払う。
「領収書の宛名は、会社?」
「一応」
「食前酒はサービスにしておいてやる」
「・・・ありがとう」
言ってから、ゾロはふと口元を緩めた。
「けどなあ、お前そんなんだから、やっぱり自営は難しいんじゃねえか」
「つか、心配してくれるのはありがてえけど、俺お前に店持つ夢話したことあったっけ?」
確かに、サンジはゆくゆくは自分の店を持つ夢を持っている。
「いや特に聞いたことはねえけど、見てりゃわかるだろ」
「そ、そうか・・・」
そう言われると、なんだか照れ臭い。
「女と見りゃあサービスして知り合いだとまけて、そんなのしてたら商売は成り立たねえぞ」
「そりゃあ、そうかもしれないけどさ・・・」
「女好きな上に、お人好し過ぎんだてめえは」
くっくと喉の奥で笑われて、サンジは言い返すより下を向いて口元をもごもごとさせた。
「どうした?」
「いやあ・・・」
おつりと領収書を手渡すと、少しはにかんだように首を傾けた。

「俺が、将来店持ちたいとか夢語ったこと誰にもないからさ。言う前にそうして言われると・・・なんかなあ・・・」
「嫌だったか?」
サンジはぶんと首を振った。
「逆、すげえ・・・嬉しい」
チンとレジを閉めた音を聞いて、奥からオーナーが顔を出した。
「チビナス、今日はもう上がっていいぞ。お前早引けだったろうが」
「え、でも後片付けが・・・」
オーナーの横からカルネもごつい顔を覗かせた。
「まだパティから連絡ねえんだ。こちとら一晩待つつもりで、これから酒盛りだぜ」
「緑の兄ちゃんも混ざるか?」
「いいんですか?」
酒盛りと聞いて気を引かれたゾロが、そのまま一歩踏み出そうとするのをサンジが慌てて止めた。
「お前、酒盛りと聞いてなんでもかんでも輪に入りたがるな。それじゃあ、お言葉に甘えてこれで失礼しまっす!」
そう叫ぶと、ゾロの背中を押して肩に手を掛ける。

「俺も仕事終わったし、どっかで飲むか?」
「俺は構わんが、そもそもなんでお前がコンパに行ってないんだ」
「そりゃあ、こっちも急な用事が入ってよ。ともかく着替えてくっから表で待ってろよ」
頷いてきびすを返したゾロの目の前で、玄関のドアが開いた。

「すみません、もう閉店―――」
言い掛けて、サンジの顔がぎょっと強張る。
同じように目を丸くしたエースが、玄関から首だけ覗かせてサンジより先にゾロを見つけ固まっていた。







next