Ataraxia -5-




別れ際にゾロが発した意味深な言葉が気になって、ナミはなかなか寝付けなかった。
とは言え、サンジ(ディアドラ?)が眠る部屋でロビンとこそこそ話を続けるわけにも行かず、多分二人とも同じようにモヤモヤしたものを抱えながらまどろんだのだろう。
起床時間を告げるアラームを止めて初めて、ああ今まで寝てたんだと気付くような中途半端な目覚めを迎えた。
「おはよう」
「おはよう」
静かに挨拶を交わしながら、ロビンと一緒にふわあと間の抜けたあくびを漏らす。
苦笑してもう一つのベッドに目をやれば、サンジは横を向いて丸くなったまま、すやすやと寝息を立てていた。
「この時間でも起きないって事は・・・サンジ君じゃないのね」
「そっとしておいてあげましょう」
それでも、サンジの寝顔自体がとても珍しいから、なんとなく二人揃って息を詰めて繁々とその横顔を覗き込んだ後、足音を殺して部屋から出た。




「おはよう」
階下の食堂にはルフィを筆頭に概ね早おきな仲間たちが揃って朝食を摂っていた。
当然と言うべきか、ゾロの姿だけはそこにない。
「おはよう。ナミたちだけってことは、サンジはやっぱり戻ってないのか?」
目聡いチョッパーにロビンが頷き返す。
「私たち、朝ごはん食べたら街の図書館に行ってくるから。チョッパー、悪いけどサンジ君のこと見ててくれる?」
「勿論だ。ナミ達の部屋に入るけどいい?」
「いいわよ。ただし1時間500ベリーね」
「ええっ?!」
お約束の会話を聞き流しながら、ロビンはウソップの前に座った。
「ゾロ、まだ起きてないの?」
「ぐうぐう高鼾だ。けどいつ起きるかわからないし、ゾロのことだから起きたらふらっとどこか行っちまう可能性もあるから、俺が見てるよ」
「助かるわ、ありがとう」
ロビンはコーヒーを注いでくれたウェイトレスに軽く会釈をして、そのまま気だるそうに頬杖をついた。
「昨夜のことを、もうちょっと詳しく聞きたかったのだけれど」
「ああ、あのディアドラじゃなくてデルドレだって、言ったやつか」
ウソップはもぐもぐとパンを頬張りながら、首を振った。
「なんでとか問えば、“勘”だとしか言わなかったぞゾロ。ゾロといいルフィといい、論理より勘が先に立つ奴には説明って技は無理だと思うな」
言ってから、なっとルフィを振り返る。
「ふあ、なんだ?」
口いっぱいサラダを頬張ったルフィが、口端にドレッシングをつけながら振り向く。
「ルフィは今のサンジの中に誰がいると思う?ディアドラか、デルドレか」
「ディアかデルかそんなのわからねえ。ただ女だ」
どーんと言い切るルフィにウソップとロビンは愛想笑いを返して、それぞれ食事に専念することにした。



「サンジがああなってから、殆ど食べ物を口にしてないと思う。皆が食事している時もじーっとゾロの顔を見てるばかりだったし、サンジの身体の方がかなりふらついてきてるから、点滴をしておくよ」
ナミ達の部屋でまだ眠るサンジの傍らで、チョッパーは医療セットを広げ仕事に取り掛かった。
「お願いね、行ってきます」
サンジのことはチョッパーに、ゾロのことはウソップたちに任せておけば大丈夫だろうと、とりあえず昼食も宿の食堂で集合することを約束してロビンとナミは図書館に出かけた。

「いい資料がみつかるといいんだけど」
「この島、ほんとにデルドレ伝説でもってると言っても過言ではないくらい、あちこちに関連商品がおいてあるのね。これならバッチリなんじゃない?」
メインストリートに軒を連ねる売店には、「デルドレ饅頭」やら「ノイシウ煎餅」やら、名前をつければいいってもんじゃないだろ的土産物がずらりと並んでいた。
気のせいか、道行く人々も殆どカップルばかりと見受けられる。
まだ午前中だというのに、どこもかしこも幸せそうに引っ付く影ばかりだ。

「もし、サンジ君が正気だったらこの島でどうしたかしら?」
「最初は女の子がいっぱいって喜んで、それからすぐに女の子の横に必ず男の子がいるって気がついて、地団太踏んで悔しがるんじゃないかしら」
「そうそう、んでナンパができない〜って泣くのよね」
そんなサンジの様子が容易に想像できて、二人声を上げて笑った。
「・・・もう、サンジ君ったら絶対そうよね」
「そうね、そんなサンジ君・・・見たいわね」
「会いたいね、サンジ君に」
二人が目指す島の図書館は、街外れの自然公園の一角にあった。





「わあ、やっぱりいっぱいある」
エントランスをくぐって受け付けカウンターの横を通ると、目の前にすぐ“デルドレ愛の伝説コーナー”が設けられていた。
郷土資料も副本が揃えられていて、観光客でも気軽に手にとって見ることができる。
「あら、ディアドラの物語もリンクさせてあるわ。一石二鳥じゃない」
ノースの御伽噺を筆頭に、ずらりとディアドラ関連の資料も並べられている。
「なになに、『いかにしてデルドレは愛の女神となりえたか』『デルドレ岬の謎』『ディアドラからデルドレへ〜愛の女神の系譜』・・・ふうん」
「この島の人々も、ディアドラの物語とデルドレ姫の運命の相関性に着目しているのね」
適当に資料を確認しながら、ロビンは顔を上げないまま話しかけた。
「ナミは、ゾロの昨夜の言葉をどう思う?」
「え、あのディアドラじゃない、デルドレだって言ったこと?」
こくりと頷くロビンに、ナミは横に並んで資料に目を通しながらうーんと口元を尖らせた。
「突拍子もないことなんだけど、ゾロが言うとなんだか説得力があるというか。・・・まあ、勘だけで動く奴だからこそ強ち馬鹿にできない部分があるのよね。で、なんで私もそう思ったかというと、ディアドラ・・・とサンジ君が名乗るからそう言うけど、ディアドラが身の上話をする時、なんとなく説明っぽかったなあと思ったの」
「説明っぽい?」
「うん。例えば最初から・・・ロビン言ったじゃない、男の身体に入っているのにそのことで騒がないって。それも似たような感じなんだけど、自分の身の上を嘆いてるのにどこか物語めいていたっていうか・・・もっと取り乱して、例えば事情を知らない私たちにはさっぱりわからない話の展開になってもいいじゃない?けど、彼女の嘆きを聞いているだけで、ディアドラ伝説の全貌を知るくらいわかりやすかったわ。それって、彼女が意識的か無意識かわからないけど物事を整理して話してるってことじゃないかしら」
「なるほど」
ロビンは感心したように目を見張り、大きく頷いた。
「でも、もしそれが真実なら、彼女が自分を“ディアドラ”だって名乗ったことは、嘘になるわ」
「そうね」
二人は揃って、手にしたパンフレットに視線を落とした。
表紙には、デルドレ岬を背景に花で飾られた美しい少女の肖像が描かれている。
その瞳は悲しげに顰められ、口元に浮かぶ笑みもどことなく寂しげで儚い印象だ。
「どこぞの浮遊霊にとり憑かれたって言うならともかく、ゾロがデルドレだって言い切るのも引っ掛かるんだけど。デルドレ姫なら尚のこと、何故嘘をつく必要があったのかしら。ディアドラだろうがデルドレだろうが、サンジ君にとり憑いてることに代わりはないだろうし。デルドレだと悟られると、何か都合が悪かったとか?」
「或いは、彼女自身、ディアドラにとても思い入れがあったとか・・・」
「え?」
ロビンはパンフレットを元に戻すと、ナミを振り返った。
「この島の人達がディアドラとデルドレの共通点に気付くならば、デルドレ姫自身も気付いていたはずよ。だって彼女はノースの姫君ですもの。この島の人達よりもよっぽどディアドラ伝説に馴染みがあったはず。そんな彼女が、自分が置かれた運命をディアドラ姫になぞらえた時、どう感じたのか―――」
最後は独り言のように呟いて、ロビンはきびすを返しカウンターへと向かった。
「私たちが知りたいのは観光用の伝説ではなく真実よ。聞いてみましょう」





昏々と眠り続けていたサンジは、昼過ぎにようやく目を覚ました。
だがベッドに横たわったまま、覗き込むチョッパーになんの反応も示さずぼんやりと天井を見上げている。
「サンジ、大丈夫か?具合が悪いところはない?」
問いかけに僅かに首を振り、まだ眠そうに目を閉じる。
「疲れてるんだね、もう少し眠るといいよ」
「あの人は・・・?」
「え?」
「ノイシウ」
チョッパーは目を瞬かせた。
ディアドラとかデルドレとか、ノイッシュとか似たような名前が出てくるから正直区別がつかない。
「ゾロなら、下の食堂でご飯食べてるよ」
「あの人の元へ・・・」
点滴をつけたまま起き上がろうとするサンジを、チョッパーはおし留めた。
「大丈夫、ゾロはどこにも行ったりしないから。食事が終わったらこの部屋に来させるよ。だから安心して寝ていて」
サンジは何か言いたそうに、金色の睫毛に涙の粒を浮かべてじっとチョッパーを見上げた。
「わあ、だからそれ止めてって」
なんだかドキドキするんだよ。
チョッパーはそう独り言を呟くと、診察鞄を仕舞って早々に部屋から退散した。


「ゾロ、食事が終わったらサンジを見てて」
チョッパーの言葉に、ゾロはあからさまに嫌そうな表情を返した。
「ゾロ、気持ちはわかるが協力してやってくれよ。チョッパーだって医者として言ってるんだろうし」
まあまあと軽く肩を叩けば今度は射殺しそうな目つきで睨み付けてきたので、ウソップはうひょおと飛び退いた。
「ゾロさん、ウソップさんに八つ当たりしてはいけませんよ」
「それになあ、あの状態のマユゲをその辺一人でふらふらさせちゃあ、やばいんじゃねえか。ちゃんと側についててやらないと」
ゾロはぴくりと片眉だけ動かして、今度はフランキーを睨んだ。
「あんなもの、野放しにできるか」
「だろ?俺たちは元からのマユゲを知ってるからそのギャップに笑えるだけで済むけどよ、な―んも知らねえ奴があれ見たら、本物のオカマだと思ってコナかけてくんぞ」
「しかもお姫様だからねえ、もし何かあってもあのサンジじゃ抵抗できないだろうし」
チョッパーがさり気なく怖いことを言う。
「何かってなんだ」
「そこ、怖い部分で突っ込まない」
「サンジの飯が食いてえ〜」
ぎゃあぎゃあと盛り上がっているところに、ナミとロビンが帰ってきた。

「ただいまー、皆食事終わった?」
「おう、お帰り」
「どうだ、何かわかったか?」
賑やかに出迎える仲間を手で制して、二人は食堂のイスに腰を下ろした。
「まずは腹ごしらえさせて、あーもうお腹ぺこぺこ」
「腹ごしらえして、どこかへ行かれるのですか?」
聡いブルックに頷き返し、適当に注文する。
「当たり。お昼ごはん食べたら、皆でデルドレ伝説観光と洒落ましょうよ」
「皆で?サンジも一緒に?」
「勿論」
ならサンジを呼んでこようと、チョッパーが席を立つ。
「なに、サンジ君ずっと寝っぱなし?食事もしないで点滴三昧なの」
「ゾロに側についててやれっていっても、すげえ嫌がるしよ」
しししと笑うルフィの後ろで、ゾロが般若みたいな険しい顔付きをしていた。
「そんなに毛嫌いしないであげてよ」
ナミが困ったように眉を寄せて、ロビンと頷き合った。
「もしかしたら、本格的にゾロの助けが必要なのかもしれないんだから。お願いだから邪険にしないで」
「・・・何か、わかったのか?」
ゾロは焦れて、荒々しい態度でナミの隣に座った。
「まあね、なんでサンジ君が自分をディアドラだって名乗ったのかは、わかったわ」
「え、何それ」
ナミがさっと片手を上げた。
その視線の先を見て、仲間たちが口を閉じる。

「サンジ君、大丈夫?」
サンジがチョッパーに付き添われて、階段を下りてきたところだ。
「はい、大丈夫です」
弱々しく頷く顔は蒼白く透き通って、半病人のようだ。
チョッパーに凭れ掛かるようにして、ふらふらと薦められたイスに腰を下ろす。
「これから貴女のお墓参りに行くの」
唐突に言ったロビンに、サンジだけでなく皆がきょとんとした顔つきになった。
「貴女には辛い日になるかもしれないけど、もしかしたらそのためにサンジ君にとり憑たのかもしれないから、一緒に来てね」
サンジは一瞬怯えた顔つきになったが、ロビンの笑顔に神妙な面持ちで頷いた。



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