Ataraxia -3-



潮の流れに沿って迂回し、岬のあった島に戻ることは全員一致で賛成だった。
たった一日のこととは言え、サンジの飯を食べられないことに仲間たちは疲弊していたのだ。
「サンジがいなかったり怪我してたりしたら、飯が食えないことも諦めがつくさ。けど目の前にピンピンしたサンジがいるのに飯が食えないって、なんかすっごい理不尽なんだよなあ」
「サンジを見ただけで腹が減る〜」
「しかもサンジが・・・ああだしねえ」
遠慮がちだが恨みがましいウソップ達の視線の先で、サンジはラウンジの奥に鎮座してじっとゾロの顔ばかりを見つめている。

サンジは何もしない。
さすがは箱入り王女と言うべきか、見事なくらい何もしない。
むしろ人に奉仕させることに慣れているようで、人に手間を掛けさせて申し訳ないという感情は持ち合わせていないようだ。
「ビビと比べちゃいけないんでしょうけど、普通の王女ってあんなものなのかしら」
ナミは呆れた口調でロビンに問いかけた。
「もしも彼女がディアドラなら、幼い頃から乳母がずっと身の回りの世話をしていたでしょうし、ノイッシュと駆け落ちした後も実質的にノイッシュの兄弟がずっと付き添っていたから、生活能力には欠けていたかもしれないわね」
「たいした箱入りだこと・・・」

じろじろと顔ばかり見つめられるゾロは不機嫌全開だが、クルー全員の懇願を受けて渋々ラウンジに留まっている。
サンジの前にゾロの姿がないと、サンジはゾロを恋しがって歌を歌うから。
それはそれは物悲しく陰気臭い、悲恋の歌を。


岩山の竜の群れは眠っている
こんなに泣き叫んでいるのに、目を覚ましてはくれない
それなら墓を深く掘ってください
愛した人に身を重ね、わたしも眠りたい




うっかり同調してしまったのはブルックで、勝手な節をつけて一緒に歌いだす始末。
ウソップとチョッパーはトランス状態に陥り、フランキーの演歌調哀切メロディが奇妙なハーモニーとなって、サニー号は突如通夜のような陰鬱な雰囲気に包まれてしまった。
「ええい鬱陶しい!」
怒鳴り声と共に喝を入れたナミは、後ろ甲板で一人鍛錬に勤しんでいたゾロの耳を引っ張ってラウンジに引き戻し、サンジのお守りを言い付けたのだ。


「あの島に寄って、なんとかサンジの中からお姫様が抜けてくれるといいんだけどなあ」
「抜けてくれなきゃ困るわよ、なんの役にも立たなくて陰気なだけのサンジ君なんてこっちから願い下げだわ。私だって我慢の限界を越えたら、海に叩き落すかもしれない・・・」
「ナミが先かゾロが先かってとこだけど、そう言えばゾロは乱暴なことしないな」
ウソップが今更のように気が付いて、丸い目を更に見開いた。
「サンジの様子がおかしいのを気色悪そうにしてるけど、殴ったり斬りつけたりしないよねえ」
「面と向かって怒鳴ってもいねえぞ、なんつーか遠慮してるみてえな・・・」
倉庫から非常食用の乾パンを持ち出して齧っていたルフィが、くるりと首だけ回して振り返る。
「ゾロも女は殴らねえからな」
「え」
チョッパーは問い返し、またラウンジの奥に鎮座するサンジへと視線を戻した。
「・・・あれ、やっぱりお姫様なのか」
「おう、サンジじゃねえぞ。だからゾロも遠慮してんじゃねえか」
「じゃあサンジ君はどこへ行ったっていうのよ」
問い返すナミの口調が、ついきつくなる。
ナミとロビンの推理では、単にサンジに暗示が掛かっているだけだったのだが・・・
「わかんねーけど、あれはサンジじゃねえぞ。サンジがみんなに飯も作らねえで、ゾロの顔ばっかり見てるわけねえじゃねえか」

「・・・」
「・・・正論だ」

ここぞと言う時、ルフィは単純かつ真っ当な意見で真実を突いてくる。
ごちゃごちゃ考えているのが馬鹿らしくなるほどに。
「それじゃ、やっぱり島に向かって急ぎましょう」
「賛成〜」
上陸の準備をするべくバタバタと動き出したクルーを尻目に、サンジは相変わらずうっとりとした表情でゾロの姿を見つめていた。





途中から、海面に浮かぶ花を辿りながら港へ向かった。
完璧に観光島として賑わっており、次の島へのログも安く売られていた。
「わあ、プチホテルとかペンションとかいっぱい。山の奥には温泉旅館もあるのね」
「大体カップルプランじゃねえか。コテージを1棟借りた方が安いんじゃねえのか」
「もう夕暮れですから、まず宿だけ決めて調べるのは明日からでもよろしいんじゃないですか」
賑やかな街の雰囲気に気もそぞろになっていて、みな観光気分だ。
「目的を忘れてんじゃないでしょうね。サンジ君を元に戻さなきゃなんないんだから・・・て、このホテル、カジノもあるわよ!」
「ナミ、目の色が変わってるよ」

結局、街から少し離れた丘の上にあるペンションに宿を取ることになった。
本当はコテージを借りた方が安かったが、食事当番や買い出しの手間を考えると賄いつきの方が助かる。
「・・・サンジ君がいてくれたらなあ」
つい、口に出してそう言ってから、ナミはしまったと首を竦めて傍らに腰掛けているサンジを盗み見た。
ナミの言葉に特に気を悪くした風でもなく、サンジは窓辺に佇んでぼんやりと窓の外を眺めている。
部屋に荷物を運ぶときも、サンジは手ぶらだった。
ロビンが開けた窓から外に視線を落としたまま、黙ってずっとそこにいる。
サンジの肩越しに景色を見れば、鮮やかな朱色に染まる雲と夕暮れの輝きを残す水面がきらめいて実に
美しい景色が広がっていた。
「綺麗ね」
ナミの言葉に、前を向いたままサンジはこくりと頷いた。
「ゾロがいなくて寂しい?」
問いかければ僅かに顔を動かして、視線を合わせないまま悲しげに微笑む。
「ああ、ゾロじゃないノイッシュね」
ナミは額に手を当てながら、うんざりした表情でロビンを振り返った。

「別に身体はサンジ君なんだから、男部屋にいてもなんの問題もないのでしょうけど。ちょっと反対意見が多かったわね」
「ゾロが嫌がるのはわかるけど・・・あ、失礼。でもウソップとか本気で嫌がってたものね。俺らの部屋でなんか間違いがあると困るとかなんとか・・・」
蒼白になって顔を横に振り続けるウソップの表情を思い出したのか、ナミがぷぷっと吹き出した。
「間違いも何も、ゾロとサンジ君じゃそんなことありえないでしょうに、貴方の表情を見てるとあながち取り越し苦労でもないかもしれないなんて思っちゃったりして」
ナミの軽口に、サンジは薄く笑みを湛えたまま表情を崩さない。
「本当に、“悲しみのディアドラ”とよく言ったものだわ。貴方は常に悲しみに満ちていて、しかもそれを隠そうともしない」
ロビンの口調が、僅かにきつくなった。
「貴方が今悲しんでいるのは、愛するノイッシュと同じ顔を持つゾロが素っ気無いから?サンジ君と同じように、ゾロも貴方をディアドラと呼んで愛し返して欲しかったの?」
「・・・わ、ロビン寒い・・・」
本気で肩を抱いて震えるナミの前で、サンジは戸惑う素振りを見せた。

「私は、あまりに長い間悲しみの中に身を置き過ぎたのかも知れません」
サンジはゆっくりと、言葉を選ぶように話し出した。
「確かに、私の悲しみをあなた方に押し付けているのかも知れない。私は私の悲しみで手一杯だったから。そんな生き方しか、知らなかったから」
「でも、今貴方の身体はサンジという男の人のもので、貴方はもうとっくの昔に亡くなっているのよ。いくら恋人の面影に似た人が身近にいたからって、その男の身体で愛を囁いたって通じるわけないわよ」
ナミは同情半分呆れ半分と言った感じで、説教し始めた。
「どうせ取り憑くんならもっと可愛い女の子にすればいいのに。あ、でも私はダメよ。ゾロは好きだけど恋愛感情はないから」
きっぱり言い切って、ロビンを指差す。
「このお姉さんも無理。ゾロは私たちのこと魔女としか思ってないから、口説いたところで本気にしたりしないし」
あくまで真面目にアドバイスするナミに、サンジは表情をやわらげた。
「あ、今の顔いい」
すかさずナミがサンジの顔を覗き込む。
「ね、貴方もっと笑った方がいいわ。口元が笑っててもどうしても悲しそうにしか見えなかったもの。もっとちゃんと笑って、サンジ君はよく大口開けて笑ってたの」
サンジが硬い表情のまま、少し口元を綻ばせてみせる。
「そうそう、そんな感じ。ゾロの顔を見てるときは、蕩けそうな表情してるんだけどねえ」
「あれは完璧に、恋する乙女の顔付きね」
ロビンは頬杖をついて、ナミと同じようにサンジの顔を覗き込む。
「矛盾した話だけど、貴方もサンジ君のお料理を食べられたらいいのにね。お菓子でもいい。一口食べただけで、とても幸せな気持ちになるの。自然に口元が綻んで、嬉しくなって微笑んでしまうような、そんなお料理」
「そうなの、素敵ね」
他人事のようにサンジは呟き、また視線を窓の外へと移した。
「けれど私は、もう二度と笑うことができないでしょう。ノイッシュは死に、その魂は永遠に失われた。そのことを思い知るために、私だけまた再び目覚めてしまったのかしら」
一瞬笑みが浮かんでいた顔に、苦渋の色が満ちる。
「それが、私に与えられた罰なのでしょうか」
「罰?」
不似合いな単語に眉を顰めて、ナミはロビンと顔を見合わせた。






「あーやっぱり飯は美味いなあ」
「たまには外食もいいわね」
宿の食堂で全員揃って夕食をとった。
観光優先のこの島では、海賊の待遇も一般人と変わらない。
管理料さえ払えば船も安全に保管してくれるらしく、船番も必要なかった。
お陰で、強硬に船番をすると言い張ったゾロもやむなく上陸して、今はサンジの隣に腰掛けている。
「皆さんよく召し上がるねえ。作る甲斐があるってもんだよ」
宿の女主人は逞しい腕で何枚もの皿を運び、次々と料理を運んでくれるからルフィもご満悦だ。
「ねえ、この島の観光名所になっている岬があるでしょ。花がいっぱい手向けられてる」
「ああ、デルドレ岬だね。あんた方もお参りしてくるといい、想い人と一緒にね」
仲間たちの顔をぐるりと見渡して、女主人は肩を竦めてみせた。
「この中には、いないのかねえ」
「想い人は、胸に秘めるものですわ」
ロビンの思わせぶりな呟きに、女主人は豪快に笑って立ち去った。

「ね、今デルドレ岬って言った?」
「ディアドラはデルドレとも呼ばれるわ。それとも偶然かしら」
ナミはきょろきょろと辺りを見回して、カウンターに並んで腰掛け店員と親しげに話すカップルに近付いた。
「あのーごめんなさい。お二人地元の方?」
いきなり声を掛けられた男の方が、ナミの顔を見て相好を崩す。
「ああそうだよ、旅の人?」
「お邪魔してごめんなさい。あの岬のことを教えてほしいの」
連れの女性に問いかけると、始めは警戒していたようだがすぐに表情が和らいだ。
「ええ、私たちもあの岬で永遠の愛を誓ったのよ」
そう言って、ナミに見せ付けるように腕を組み直す。
誰もあんたの彼氏を取ったりしないって。
ナミはわざとはしゃいだ声を出して、両手をぱんと胸の前であわせた。
「ああやっぱり〜。いえね、私もお参りしたかったんだけど、詳しいことがわからなくって・・・一体どういう謂れがあるのかしら」
そこは恋する乙女同士といったところか、女性の方がすぐに乗ってきた。
「それはね、今から200年ほど前のことかしら。ノースのデルドレ姫っていうお姫様が従者である戦士と一緒にこの島まで逃げてきたのが発端らしいわ。なんでもイーストの王に攫われたとかで、姫様を奪い返しに来た戦士がこの岬で追い詰められて殺され、姫様はその一年後に同じように岬から落ちて亡くなったの」
「うわあ、可哀想」
ナミは悲愴な顔つきをして、身をくねらせた。
「でもそんなんじゃ、とても恋人同士の仲を取り持ってくれそうにないじゃない。お姫様、まだ成仏できない
 んじゃないの?」
「いいえ、死して後お姫様は恋人の戦士としっかり結ばれたって聞いたわ。だから、恋人たちの仲を取り持つ女神様になったのよ」
きっぱり言い切った女性は、ねーvと同意を求めるように隣の男性に身を寄せた。
「ちなみに、そのお姫様の恋人の名前はなんていうの?」
「ノイシウよ」
ナミの後ろで、同じく興味深そうに耳を傾けていたロビンが一人で頷く。
「ノイッシュはノイシウとも言うわ」
「デルドレとノイシウか・・・」
腕を組んでうーんと考える素振りを見せたナミに、カウンターの中にいた店主が口を挟んだ。
「丁度ノースの方にも、似たような名前のカップルが出てくる神話があるんだよ」
「え、おじさん知ってるの?」
ナミはカウンター越しに身を乗り出した。
「ああ、悲しみのディアドラの話だろ。デルドレ姫も、よく引き合いに出されたって話だ。同じような運命にさらされるってことは、あるんだねえ」
「じゃあ、デルドレ姫の話は本当にあったことなのね」
カップルの女性の方が、不満そうに口を尖らせる。
「そうよ、だから霊験新たかなのよ。ちゃんと二人のお墓もあるもの」
「折角だから、墓の方も観光に行ってみるといいよ。すごいから」
男性が思わせぶりに薦めて、そこで言葉を切った。
行ってみてのお楽しみということらしい。
「色々教えてくれて、どうもありがとう」
ナミは店主とカップルに丁寧にお礼を言って、仲間たちのテーブルに帰ってきた。


「ノースの神話とこの島の伝説は別物らしいな」
聞き耳を立てていたウソップが、ビアジョッキを片手にナミに確認してくる。
「ええ、偶然似たような話があるって、どちらも知っているみたいね」
「じゃあ、今サンジ君の中にいるのは、ノースの神話の方のディアドラ?」
「それなら、この島に来たって意味ないんじゃないのか?」
自然と集まった視線の先には、相変わらず食事もとらないでゾロの顔ばかりを見つめるサンジがいた。

「おい、ゲッシュってなんだ」
眉間の皺を深くして、険しい表情のゾロがロビンを睨みつけながら聞いてくる。
「ゲッシュ?」
「昼間こいつが言ったんだよ、俺を・・・想うことがこいつのゲッシュだとかなんとか」
珍しく言いよどみ、誤魔化すようにジョッキを呷った。
ロビンは暫く考えて、ああと顔を上げる。
「ゲッシュ、禁忌のことね。王族や戦士などが自分に科す決まりごとのようなものだけれど、そう言えば女性から強制的に仕掛けられるタブーも含まれているわ」
「なんだそりゃ」
思う存分コーラを補給したフランキーが、げっぷをしながらお代わりを要求する。
「そう言えば、ディアドラがノイッシュを駆け落ちに誘ったのもそもそもそのゲッシュなのよ。ディアドラから恋に落ちて、渋るノイッシュに私を連れて逃げなければ貴方は他の者からそしられ蔑まれるとゲッシュを掛けたの。だから、ノイッシュはディアドラの言葉に従ったんだわ」
「え、そうなのか」
ウソップが目を剥き、ブルックが小さく口笛を鳴らす。
「随分情熱的ですね」
「じゃあ何か、今のサンジもそうだけど、元々ディアドラはノイッシュにぞっこん・・・つまり、サンジはゾロにぞっこんの図式がずっと続いてるって訳か?」
いきなり名指しされてゾロはぎょっとしているが、傍らのサンジは蒼白になっている。
「具体例は止めてくれない?まあ、そう言う訳ではあるんだけど・・・」
「サンジ君、顔色が悪いわよ」
ロビンが気付いて、テーブルの上に掛けられたサンジの腕にそっと触れる。
その腕は小刻みに震え、俯いた前髪越しにつーっと一筋の涙が頬を伝い落ちた。


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