Apfel In Schlafrock -8-



日曜日のランチタイム。
いつものごとく戦場のような厨房で怒鳴り合いながら調理を続け、ようやく一息吐く頃には午後2時を回っていた。
一番最後に賄いを食べる順番だが、それよりもまずは一服と裏口に出て煙草を咥える。
風が日ごとに冷たくなっていって外で吹かすには厳しい季節の到来だ。
白いコックコートの中でぶるりと身体を震わせると、捲くっていた袖口を下ろしてスパスパと煙草を吸った。
「よお」
生垣の向こうから覗き込む、生垣より明るい色の髪色に思わず目が和む。
「おう、今から昼か?」
「ああ、ちと遅くなった。もうオーダーストップか?」
「大丈夫だ、俺が作る。カウンターで待ってろ」
ゾロが表に回る間に急いで煙草を吸い尽くしてしまうと、携帯灰皿にすり潰してサンジは慌しく厨房に戻った。

「飯、できてんぞ」
「お先」
先に賄いを食べているスタッフ達が席を空けようとするのを制して、サンジは再びエプロンを身に付ける。
「後で食う。今頃マリモが来やがった」
言いながら、注文も聞かず適当に作り始めた。
「客も大方引けたし、お前ら一緒に食ったらどうだ」
「おう、俺は先に腹ごしらえも休憩も済ませたから。お前あっち行け」
「え?」
口も悪いし態度もでかいが、いつも誰よりも遅く賄いを食べて休憩時間も短いサンジだ。
そのことを一番良く知っているスタッフ達は、時にこんな気遣いを見せる。
サンジが了解する前に、カウンターに座っていたゾロを促して喫煙室に移動させていた。
そこならば半個室状態になっていて、コックのサンジが食事をしていてもあまり目立たない。

「なんか、俺も一緒に飯食う流れになった」
「そりゃちょうどいい」
自分の分の賄いトレイとゾロの前菜を運んで、そのまま着席する。
職場で食事とは、なんだか落ち着かないものだと苦笑いすれば、ゾロもそうだろうなと生真面目な表情で頷いた。
「日曜なのに、仕事か?」
「ああ、飯食ったらまた戻る」
相変わらず忙しそうだなと労えば、お前こそと返された。
どちらも勤労青年に代わりはない。
「次の休みはいつだって?」
いつもながら単刀直入なゾロの問いに、サンジはうんと口を動かしながらシフト表を見た。
「休みは火曜日だけど、この日はちょっと用事がある」
エースと約束した日だからか、なんとなく後ろめたい。
「それじゃ明日、月曜日は?」
「俺、普通の勤務だぞ」
「それでも11時には明けだろ。次の日休みだろうし、たまには飲まねえか?」
「ああ、ん〜そうだな」
ゆっくり土産話も聞きたいしな〜と考えて、思い出した。
「そだ、土産ご馳走さん。美味かった」
「そうだろ」
「次はコンフィチュールとか、甘いモンも欲しいな」
「コン・・・なんだって?」
「コンフィチュール。フルーツとかのジャム」
「ふうん、まあいい」
覚えることを放棄したのか、ゾロは3口で前菜を食べ終えると空になった皿を脇に避けた。
「どうせ次は一緒に行くんだ。好きなもん選べばいいだろ」
「・・・あー」
サンジはフォークを持つ手を止めて、視線を流す。
「そうだな」
「いつ誘ってもOKなように、パスポート取っとけよ」
「おう」

次は一緒に行きたいと、そんな話をしたんだった。
勿論、サンジは純粋にパリに行ってみたいと思っているし、ゾロと一緒なら尚更楽しいだろうとも思う。
がしかし、今はエースと付き合っている身の上だし、やっぱりここは一つエースの許可を得るべきではないだろうか。
―――今度会うとき、聞いてみるか。
許可を取らなきゃならないと思うのは癪だけれど、出掛ける間際になって揉めるのはゾロにも迷惑を掛けることになる。

ゾロのランチを運んで来たパティが、いらっしゃいとダミ声で皿を置いた。
「ゆっくりしてってくれよ」
「いや、とっとと食って戻ります」
「相変わらず忙しない兄ちゃんだな」
「今度ゆっくり飲むんだ、な?」
サンジがニコニコしながら言えば、パティはへえと厳つい顔をニヤけさせた。
「最近ちびナスは忙しいじゃねえか。雀斑の兄ちゃんといい、お姉様といい」
「・・・ばっ」
サンジは咄嗟にパティを蹴りそうになって、慌ててテーブルを掴み踏み止まった。
なに余計なこと話してくれてんだコラ。
「お姉様?」
案の定、ゾロは聞きとがめて眉間に皺を寄せている。
「珍しいな、こいつに女が寄ってくるなんて」
「だろ?モテ期かな」
「うっせえな、余計なことペラペラ喋くってんじゃねえよ」
とっとと行けと手で追い払うのに、パティはゾロの背後に回った。
「電話で声しか聞いてなかったけどよ。サンジさん、いらっしゃいますか?だとよ。随分済ました綺麗な声だったぜ。呼び出されていそいそ出掛ける辺り、ちびナスも隅に置けないよなあ」
「で、どうだったんだ」
ゾロにまで問い掛けられて、サンジは憤然とナプキンを投げる。
「お前らには関係ないだろうが、つかお姉様とはなんでもねえよ!」
「モテ期じゃねえのか?」
「違う!」
「ならなんだ」
「うるさい、お前らには関係ない」
動揺し捲くりで子どもじみた拒否反応を示すサンジに、パティは肩を竦めて退散した。

「ったく、あの野郎・・・」
ブツブツと文句を唱えながら、サンジは皿の上の料理を掻き混ぜた。
どうにもバツが悪くて、顔を上げられない。
「ここは本当に、お前に対して過保護だな」
意外なゾロの言葉に、サンジははあ?と声を裏返して顔を上げた。
「まあじいさんがオーナーってのもあるだろうが、お前のすることなすこと心配でならねえんだろ。店の従業員っつうより、なんか家族みてえだよなここ」
「んな訳あるか、つか迷惑だ」
けっと吐き捨てるサンジの機嫌を取るように、ゾロはグラスに水を注いでやった。
カラリと鳴る氷の音が心地よい。
冷たい水を飲んで、サンジも少しは胸が落ち着いた。
「・・・確かに、よくしてもらってるけどよ」
「うん」
「口うるせえはガサツだわ下品だわ、とんでもねえけどよ。でも他に比べたらめちゃくちゃ恵まれてる」
幼い頃から厨房をウロついて、自分にできることはなんでも手伝ってきたつもりだったが、サンジには他所での修行経験がない。
先輩達の話を聞いているとコックの修行もかなり過酷なもので、場合によっては苛めの延長で後遺症を負う程のケガをさせられることがままあるそうだ。
その点では恵まれていると言える。
バラティエに働く誰もがサンジを子どもの頃から可愛がってくれている、それこそ家族のような存在ばかりだし。
スタッフ同士でも苛めや嫌がらせの風潮がない。
オーナー・ゼフが目を光らせていることもあるだろうが、一番はこの店の気風だろう。
「わかってんだ・・・」
ありがたいと思いつつも、少し鬱陶しく感じているのもまた事実だ。
この年になってもステディな女の子ができないのはこのせいじゃないのかとか、やや逆恨み的に思っていたりして。

「まあ、お前がムキになって否定するんならそうだろう」
「・・・あ?」
なんの話だったっけか。
「モテ期だの年上の女から連絡だの、言ってたじゃねえか」
「ああ」
忘れていた。
「そうだぞ、ちょっと仕事上のことで係わり合いになっただけで、関係ねえから」
「仕事って、レストラン以外でか?」
鋭い突っ込みに、あーうーと妙な声を出してしまった。
一度ぐるりと眼球を上に向けてから、そうそうと頷いた。
「料理教室の方の仕事だ。ほら、お菓子作りの」
「ああ、なるほど」
「エース絡みでさ、なんかそっちの会社の方の人。秘書さんだ」
「エースのか?」
「や、違うけど、そっち関係」
口を開けば開くほど怪しい言い回しになってしまう。
だがゾロはふうんそうかと気のない返事をして、皿の上の料理を平らげた。
「それじゃあ、明日の夜ここに来る。閉店は10時だったか」
「店引けてから遊びに行く奴はちょっと早目に帰らせて貰ったりしてるから、10時半に来てくれ」
「OK、場所はどこでもいいか?」
「任せる」
ご馳走さんと手を合わせ、そのまま立ち上がる。
「まだデザートあるぜ」
「代わりに食っといてくれ、忙しなくて悪い」
ランチ代をテーブルに置くと、ゾロは厨房に向かってご馳走様でしたと声を掛けさっさと出て行ってしまった。
その声に呼ばれるようにカルネがデザート盛り合わせを持って顔を出したから、こっちこっちと手招きする。
「それ、俺が食う」
「いつもながら忙しない兄ちゃんだな」
カルネはぼやきながらチーズケーキを摘まんで口に入れると、サンジの前に皿を置いて口をモグモグさせながら厨房に戻っていった。





―――今日はゾロと飲むから、早引けさせて。
との申し出はあっさりと了承された。
就業後に予定があるスタッフがいると自然と片付けのペースが速まるのは誰でも同じことで、10時半を迎えるまでに粗方片付いてしまった。
ほとんど時間ぴったりに、裏口からゾロが顔出す。
「こんばんは」
「おう、お待ちかねだぜ」
「うっせえな、誰も待ってねえよ」
スタッフの冷やかしに一々反応しながら、サンジがコートを羽織りつつ奥から出てきた。
「じゃあジジイ、ちょっと行って来る」
「この前みてえに酔っ払って、迷惑掛けんじゃねえぞ」
言われて急に、前回を思い出した。
そう言えばエースと3人で飲んで、へべれけに酔っ払っちまったんだっけか。
極め付けはあの告白だ。
告白と言うか、サンジは狸寝根入りしていただけだから単なる盗み聞きだったのだけれど。

自然と頬が赤くなるのを誤魔化すように襟元を合わせて、マフラーをぐるぐると巻く。
ゾロと一緒に外に出れば、夜の風は頬をチクチク刺すみたいな冷たさだ。
「うわーさびー」
「もう冬も間近だな」
お互いに白い息を吐きながら、駅までの道を歩く。
「この辺って郊外だからさ、この時間になるとあんまり人通りないのな」
「そうだな、前に歩いた時もそう思った」
静かだな、と呟くゾロの声よりも「前に歩いた」の単語が引っかかって、サンジは益々マフラーの中で首を竦めた。
「どこ行くんだ」
「西港、なんか変わったカクテルが色々あるんだと」
「お前がカクテルって、珍しいな」
サンジの言葉に、ゾロがふと足を止める。
「お前がそういうの好きそうだなと、思ったからだ」
真顔で答えられて、サンジはマフラーに半分顔を埋めたままぼぼぼと頬を赤らめた。
つかもう、マフラー万歳。
なかったら俺はただの挙動不審男になってしまう。
「・・・そっか」
そりゃどうもと礼を言うべきか、悩んでいる間に駅に着いてそのまま来た電車に乗り込む。
疲れた顔のサラリーマンでそこそこ混んだ電車の中で特になにを話すでもなく並んで立ち、流れる夜景を眺めていた。



「店への道は、わかるのか」
「多分」
「すげえ怪しい。このクソ寒いのに路頭に迷うのは勘弁だから、店名教えろ」
ゾロから告げられた店名を携帯で調べ、ルートを確認する。
駅から近いから、これなら大丈夫だろう。
結局サンジがナビする形になって、馴染みのない駅裏通りの店に無事辿り着いた。

「へえ、いい感じじゃね?」
「だろ」
店内はシックな内装で落ち着いた雰囲気だ。
煙草がOKなのも嬉しい。
少し高いんじゃないかとの心配もあったが、メニューを見て安心した。
「なんでこの店知ったんだ?」
「教えてもらった。あの、前に店に一緒に食いに行ったおばさん」
「?俺はお前が、おば様と一緒に食事に来た覚えはないぞ」
「いただろうが、煙草吸う女ばかり3人。そん中の、髪の短いおばさん」
「あのお姉さまをおば様呼ばわりとは、いくらてめえでも許さねえ!」
いきなり激昂するサンジに、ゾロは軽く仰け反りながら笑った。
「お前、そういうけどな。あの人いくつだと思ってんだ」
「女性の年齢なんていらない情報なんだよ。見た目がすべてだ!」
「なるほど」
そりゃ納得だと大人しく引き下がるゾロの前に、適当に頼んだカクテルが置かれた。
ゾロはテキーラベース、サンジはジンベースだ。

「へえ、綺麗だな」
「一口飲んで、なんなのか当ててみろ」
「なるほど」
それじゃ乾杯と、囁くように言葉を交わしグラスを重ねた。






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