Apfel In Schlafrock -7-



ドミノになんと言われようとも、エースに対する態度を変えることはしないで置こう。
そう決意して臨んだ筈なのに、帰り道ではサンジはすっかり打ちひしがれていた。
なんと言うかこう、今日のドミノは決して威圧的ではなく、寧ろ非常にフレンドリーかつしおらしかったのに、何故だか初日の時よりダメージがでかい。
つか、女性の頼みにはとことん弱い。
勢い付いてつい、頷いてしまいそうになる。

―――もしも、D財閥という後ろ盾を失くしたならば、いくらポートガス様と言えど、仕事においては難しい局面を迎えることになるでしょう。
そうなると、ポートガス様の将来だけではありません。
彼が経営する会社の従業員全員の未来が貴方に掛かっているのですよ
それらのすべてを犠牲にしても、貫きたいと思えるほど深く一途な愛なのでしょうか。
もしもそうだったとしたなら、私はこれ以上申し上げることはありません。
貴方方を心から、応援したいと思います。
これらを踏まえて、もう一度考え直してはいただけませんか?
決してお返事を急いだりはしませんから―――

なんてことを潤む瞳で(サングラスを掛けているので実際には見えない)訴えられて、頷かない男がいるだろうか。
いやいない(反語)
そんな訳で、サンジの心は揺れに揺れ動いていた。
エースやエースの会社の人達の人生を背負うことが重いとか、そういうことじゃない。
けれどここまで話が大きくなったのも不本意ながら事実のようだし、ドミノに指摘されて初めて、気楽に構えていてはいけない問題なのだと遅れ馳せながら気付いた。
と言うか、たかが男二人の色恋沙汰にどんだけの人間が関わって来るつもりなのかと突っ込みたくなる。
放っといて欲しいのに。
まあ、放っておかれたらエースに押されるがままなし崩しに心身共に恋人同士が出来上がりってなってしまっただろうけど。
それはそれで怖いのだけれど。
や、怖いって怖じ気付く時点でやっぱりダメなんだよな。
ダメなんだ、俺がダメなんだ。
よくわかってる筈なのに、更に深く現実を突きつけられてしまって余計凹む。
ダメなのは、俺だけなんだ。



俯いてトボトボと歩いていたら、携帯が振動した。
画面を見れば、着信はエース。
いつもながらこのタイミングのよさ(or悪さ)はなんだろう。

「やほ、サンちゃんお疲れ〜。今、いい?」
「ああ」
つい、出る声が素っ気無くなる。
「今日早番だったっけ?じゃあ次の早番かお休みはいつか教えて欲しいな。こないだのディナーの埋め合わせをしたいんだ」
「いらねえ」
ほぼ反射的に、返事した。
「悪いけど、エースだから入れる・・・みたいな高い店には、一緒に行かないから」
「はへ?」
声質が変わるほど動揺しているのが手に取るようにわかる。
ここで心を鬼にして、サンジはわざと冷たく聴こえるように言った。
「俺の職業柄すげえ魅力的で個人的にも嬉しくない訳ねえけどさ、それって料理で釣られてるってことになるだろ。俺もだけど、エースもそれでいいのかよ」
「もちろん」
間髪いれずに了解されて、思わず膝から力が抜けそうになる。
早足で歩いていた足を止め、表通りから路地に入った。
「俺だってサンちゃんの役に立ちたいからさ、後学のためにデートに利用するなら少しでもいい店に行きたいじゃん。そう言うのって、餌で釣るとか言うより普通に気配りの範疇じゃね?つか、思いやりっつうと面映いけど、まあ好意だよ」
だって好きなんだからと、まるで携帯越しに耳元で囁かれたように、急に声が柔らかく響く。
「大好きなサンジの役に立ちたいと、惚れてる男なら考えて当然だろう?」
うわっ、また来た!
サンジは思わず携帯を耳から離し、液晶画面を見つめてしまった。
エースに呼び捨てにされるのは弱い。
なんと言うか、ちょっとよろめきそうになる。
「そんなんで、いいのかよ」
「いいよ」
エースの答えは至極簡単明瞭だ。
サンジの迷いも戸惑いも、立ち入る隙がないほどに。

「でも、それじゃダメなんだ」
サンジは携帯を持ち直し、自分に言い聞かせるように答えた。
「それじゃ俺が嫌なんだ。だってまるで、俺がエースを利用してるみてえじゃねえか。本当に好きだったら、どこで飯食おうと構わないだろう?つか、飯なんてどうでもいいと思う筈だ。とにかく会いたいとか、ずっと一緒にいたいとか。そんな風に思う筈だ。けど、今の俺はエースと食事することにしか意義を見出してねえ」
「・・・・・・」
返事はない。
けれど、サンジの独白にじっと耳を傾けている様子は窺える。
「なあ俺、エースのこと好きだよ。この間も、俺んちで俺の料理食べて、名店の味じゃなくて本当に申し訳なかったけど楽しかった。エースがあれこれ批評してくれるのも、ものすごく参考になった。もしジジイが早く帰ってこなかったら・・・」
そこまで言って、いや違うと言葉を区切る。
「エースとああいうことにならなかったら、もっとゆっくりできたのにって思った」
「・・・いやだった?」
エースの声がいつもより低く優しい。
見える筈がないのに、サンジは無言で首を振った。
「サンジ?」
「やっぱり、ビビるよ」
「そっか、ごめん」
焦らないよと、笑いを含んだ声で小さく返事された。
まるで耳元で睦言を囁かれているみたいで、サンジの頬は自然と赤くなってしまう。

「それじゃあさ、サンちゃん。食事はどこででもいいとして、やっぱり会おう。デートしよう」
「・・・・・」
「俺はサンちゃんに会いたいよ。ダメかい?」
「・・・ダメじゃ、ね」
「じゃあ、早番の日かお休みを教えておくれ。教室の日でも会えるけれど、できたらゆっくりと二人きりで会いたい」
また携帯越しに頷いて、サンジは自分の予定を告げた。
「食事する場所は、今度はサンちゃんに一任しちゃおう。俺なんでも食うから」
「知ってる」
「楽しみだよ、じゃあまたね」
「ああ、また」
呆気ないほどあっさりと通話が切れた。
いつもの待ち受けに変わった画面を、サンジは瞬きもせず凝視している。



エースに遠慮するばかりじゃなくて、嫌なものは嫌だと言おう。
そう心に決めたけれど、よく考えたら嫌なことなんてなかったりする。
困るのだ、戸惑うのだ、焦るのだ。
けど嫌じゃない。
この加減が、難しい。

それでも、ドミノの会ってからこっち、知らず知らずのうちにエースと距離を取る方法を考え始めているのも事実で。
嫌なことは嫌だと言って。
エースに嫌われても構わないほど、自分をきちんと保って。
それから、もし別れるとしたらどんな口実が一番効果的なのだろう。
エースの将来のため?いや、会社の人達のため?
そんなことを言ったりしたらエースはますます意固地になって、本当に家を飛び出してしまうかもしれない。
逆効果だ。
それなら俺に、エースの他に好きな人ができたとしたら・・・

一番最初に頭を過ぎったのはナミだったが、ルフィと付き合ってることは周知の事実なので涙を呑んで断念した。
それじゃあと麗しの美女達をあれこれと思い浮かべるも、すべてにそれぞれ思い人がいることに気付いた。
つか、もしかしてフリーって俺らだけ?
今頃気付いた事実に愕然としながら、世界の半分は女だと呪文のように唱えつつ必死で記憶の糸を手繰る。
思い余ってドミノと言う手もあったが、それこそエースになに考えてんの?と笑われてオチだろう。
どこかに誰か、いい人がいないだろうか。


足元の石畳の目を追うように、俯いたまま早足で歩いていたらぽすんと頭に柔らかいものが当たった。
足元には革靴。
しまった人に当たったと、慌てて顔を上げる。
「よお」
「・・・ゾっ」
目の前にいたのは、トレンチコートを着たゾロだ。
柔らかいと思ったのは首にぐるぐる巻いたマフラー。
口元を隠しているから、いつもより余計きつい目つきになっている。
「前見て歩け、どんだけ危なっかしいんだ」
「うっせ放っとけ。つか、いつ帰ってきたんだ」
「今日」
「へ?」
「つか、今」
片手には、小型のキャリーバッグが一つ。
「あ、お・・・おかえり」
「ただいま」
道の往来で突っ立って話しているのに気付いて、どちらともなく店側に寄った。
「早かったんだな」
「休み利用してだからな、2泊3日」
「よかったか」
「ああ」
そんな風に気楽に行けるなら、フランスも近く感じるかもしれねえなあ。
そう相槌を打つサンジの前で、ゾロはキャリーバッグを開けてなにやらゴソゴソと取り出した。
「その内店に食いに行くつもりだったが、丁度いい」
言いながら、小型の瓶と布を手渡してくる。
「なにこれ」
「なんつったかな、忘れた。まあ、パンに塗って食うと美味いやつだ」
「ペースト?」
ラベルを繁々と眺め、なんとか文字を読み取る。
「・・・タプナード」
「ホテルで食ったら美味かった。お前にも食わせてえと思ってな。それからこっちは蚤の市で見つけた」
布はキッチンクロスだった。
アンティークなのか、麻の風合いがなんとも言えずいい。
「ありがと・・・わざわざ探してくれたのか?」
「まさか」
ゾロは片目だけ上げて肩を竦める。
「ブラブラ散歩してる時に目が行って、お前が好きそうだなと思っただけだ」
あくまでついでだとそう強調しているのに、サンジの胸の奥でじんわりと熱いものがこみ上げてくる。

わざわざ土産を探してくれたんじゃなくて、目に付くものを俺が好きそうだと思ってくれた。
ペーストにしてもキッチンクロスにしても、ゾロの日常の中に自分が存在していると言うこと。
何かの折に思い出してくれているということ。
なんだろう。
そのことに気付いただけで、なんだってこんなに胸が熱くなるんだ?



「じゃあな」
渡すだけ渡して、ゾロはさっと踵を返した。
「え、おい待てよ。土産話、聞かせろよ」
「明日は早朝会議で早いんだ。帰ってすぐ寝る」
「そっか・・・」
途端、しゅんとしたサンジにゾロは目を眇めた。
口元がマフラーで隠れているからわからないけれど、どうやら笑ってみせたらしい。
「また改めて飲もうぜ。今度飯食いに行ったら、予定聞くから」
ゆっくり話そう。
そう言われ、サンジの表情がぱっと明るくなる。
「わかった、またな」
「おう」
キャリーバッグをゴロゴロ言わせて、ゾロは振り返りもせず早足で歩き去っていく。
がっちりとした背中を見送りながら、サンジは両の手でそっと瓶とキッチンクロスを抱き締めた。
「すっげえ、嬉しい」
先ほどまで沈んでいた気分が嘘のようで、いそいそと鞄にそれらを仕舞い込みながら、はっと手を止める。

「・・・ちょっと待てよ」
好きな奴って、女の子じゃなくてもいいんじゃね?
ふと頭を過ぎった思惑のあまりの腹黒さに、ぶるりと怖気が走った。
待て、待て待て待て。
今俺はなにを考えた。
エースに別れを切り出す口実に、ゾロを利用しようなんて思い付いたりしなかったか。
己の思考の邪悪さに身震いさえ覚え、サンジはブルゾンの前を押さえながら身を竦める。
確かにゾロは、俺のことを好き・・・とか言ったような気がする。
つか、好きかもしれない。
態度は素っ気無いけど、優しいし俺のことを思ってくれている。
だからって、そんなゾロを利用していい訳がない。
ゾロが俺を思ってくれてるならなお更、そんなこと考えちゃいけない。
エースとのことは俺自身で片を付けなければ。
ゾロには関係ないことなんだから。
ゾロだけは、巻き込んじゃいけない。
絶対に、このゴタゴタをゾロに知られちゃいけないんだ。

短時間の間に気分は大きく浮き沈みし、サンジは結局再び肩を落としてトボトボと家路に着いた。





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