Apfel In Schlafrock -6-



サンジに直接依頼して断られ、エースにも打診して玉砕した。
ドミノの動向はこんなところだろうか。
その程度で諦めるタイプでもないだろうなと想像していたら、案の定連絡を取ってきた。
店に電話が入り、名指しで呼び出されたのだ。

「なんだ、チビナスも隅におけねえなあ」
「よかったな、春が来て」
事情を知らないスタッフ達が気軽に囃し立てる。
店が終わったらこいつら全部まとめて膾切りしてやる!と心の中で誓いながら、神妙な顔付きで受話器を手にした。
「こんにちは、先日はご馳走様でした」
「こちらこそお忙しいところありがとうございました。しつこいようで申し訳ありませんが、もう一度お会いしていただけないでしょうか」
随分と柔らかな物言いだ。
サンジに威圧や脅しは通じないと、ちょっとは学習したのだろうか。
「勿論、貴方のような美しいレディに誘われて断れる男などいませんよ。ただし、俺の答えは決まっています」
「それでも結構です。私がお会いしたいのです」
最後の台詞には若干の艶があり、サンジはおおお?とよろめきかけた。
なんだ、一体どうしたんだ?
彼女になにが起こった?

「貴方のご都合がつく日時を指定してください。こちらで合わせます」
サンジは無意識にカレンダーに目をやり、シフトと定休日を確認する。
「一番近い日だと、月曜日でしたら夕方6時には上がれますが」
「わかりました。では6時半にホテルアラバスタのラウンジでお待ちしています」
いくら物言いが柔らかくなったとは言え、基本事務的な会話だ。
要件だけ告げるとドミノはあっさりと電話を切った。
受話器を片手に呆けているサンジを、スタッフ達がニヤニヤと見守っている。
「どっちかってえと野郎の虫しかつかねえのを心配してたが、これで安心だな」
「声を聞く限りかなり気が強そうな、年上の女っぽかったぜ」
「そんくらいのがチビナスには合うんだよ」
好き勝手言っているスタッフ達をねめつけて、サンジは何も言い返さずに仕事に戻った。





綺麗なレディと待ち合わせとは、いかなる状況であろうとも心弾むものなのだが、今日ばかりはやや気が重い。
ドミノから連絡があったことをエースに告げようかとも、考えなかった訳ではない。
ドミノは口止めなどまったくして来ないし、今後のことを考えるなら事前にエースと対策を練っておくべきだったのかもしれない。
今後のこと・・・と思った途端、今後って何だよとセルフ突っ込みしてしまった。
いくら今付き合ってるみたいなことになってるからって、今後エースとの仲が発展してどうとか、そういうのを期待してる訳じゃないと思うのだ。
断じて。
そもそもこないだだって、うっかり家に上がらせてしまったばかりにちょっとやばい方向に向かってしまっていた。
もしあそこでゼフが帰ってこなかったらと考えて、後からぞっとしたのだ。
酒を飲んだ訳でもないのに妙に気が昂ぶって、うっかり流されそうになってしまったのもまた事実で。
男が好きな訳じゃないと何度言い張っても、実際に触れてきたエースの手は払い除けられなかった。
もしかして俺って、やっぱりちょっとそっちのケがあったんだろうか。

あの時のことを思い返すと悶々としてしまって、髪を掻き毟り蹲って大声で喚き出しそうになる。
ばかばかばかばか俺の大馬鹿!
いくら反省しても、後の祭りだ。
その上、この反省を生かせる自信がまったくない。
自分はどうしたいのか、どうするつもりなのか。
答えが見えて来ないのが我が事ながら信じられない。
このままズルズルと流されるままエースと関係を持ってしまいそうで、それが一番怖い。

―――だからって、突っぱねることもできやしないのに
エースはなんだって持ってる。
お金持ちで男前で、頭も性格もいいから、サンジから見たらなんでもできるスーパースターみたいなもんだ。
そんなエースに自分が好かれていると言うのは未だに信じがたいけれど、悪い気分じゃないのもまた本音で。
自分ごときがそんなエースを振るなんてことは、エースの輝かしい人生の中に置いてはたいした汚点にもならないだろうけど、なぜか邪険に袖にするのには躊躇いがあった。
好きか嫌いかと問われれば、好きな部類だし。
けど、だからってどんな障壁を乗り越えてでも一緒にいたいと願うほどの情熱はない。
そのことを自覚しているからこそ性質が悪いと、自己嫌悪に陥るばかりだ。
ドミノの出現はそんなサンジの内面を暴きに来たようなもので、抵抗すべきものではなく受け入れなければならないのではないかと、勝手に解釈してしまっている。





待ち合わせの時間より10分早く、ラウンジに着いた。
ホテルの奥にあるラウンジは、ゆったりとした空間にいかにも座り心地の良さそうな布張りのソファが余裕を持って配置され、豪奢な雰囲気を醸し出している。
奥まった席に、背筋を伸ばして軽く腰掛けているドミノの姿があった。
緩くウェーブの掛かった長い金髪に黒いサングラス。
先日と同じスタイルでスーツをきっちりと着こなしたドミノは、サンジの姿を認めて静かに立ち上がる。
「遅くなってすみません」
「いいえ」
人を待たせるのは好きではないの。
ドミノはそう言い、サンジより先に再び腰を下ろす。
促されてソファに座れば、思った通り適度なクッションでうっかり背凭れにまで身体を沈めてしまいたくなった。

「・・・話というのは?」
無条件で寛ぎそうになった身体を無理やり起こして、サンジは早速本題に入った。
事前にドミノが手配していたのか、注文もしていないのにコーヒーが運ばれてくる。
本当は紅茶を飲みたいところだけどなと、少し子どもじみた不満が頭を過ぎった。
「ポートガス様のことです」
「それは知ってる」
なんだろう?
今日はなんだかスタート地点から余裕で、自分の方が優位に立っているような気がするのは錯覚だろうか。
エースがすべてを承知していてくれるという事実が強みになってるのか。
「ポートガス様に直接私からお話しましたが、想像以上に強い叱責を受けました。出過ぎた真似をしたと、深く反省しております」
そう言ってドミノは深々と頭を下げた。
そのしおらしさに驚いて、サンジは軽く腰を上げる。
「いやそんな、君は仕事として働いただけなんだから、君が謝ることなんかないと思うよ。だから顔を上げて」
「許して、いただけますか?」
相変わらずサングラスは掛けたままだが、なんとなく黒いレンズの向こうの瞳が涙ぐんでいそうで、サンジはぶんぶんと首を縦に振った。
「勿論だよ。俺は君の事情だってちゃんと理解しているつもりだ。仕事とは言え、君も嫌な役目だったと思う」
「ありがとうございます」
下げていた頭をようやく上げてくれて、サンジはほっとして笑顔を向ける。
「それに、エースのことだからかなりきついこと言ったんじゃないかなと、心配になった。なんかさ、いつも優しくてひょうきんな感じなのに、ちょっと怖いとこあるでしょ」
「そうですね」
ドミノは神妙な顔付きで頷いた。
少し声のトーンを落として、テーブルを挟んで顔を近付ける。
「ニコニコと笑顔なのに、目が笑っていないと申しますか・・・」
「そうそう、それ」
我が意を得たりとばかりに、サンジも身を乗り出した。
「なまじ愛想がいいから誤魔化されちゃいそうになるんだよな。けど、ああいうタイプは怒ったらめちゃ怖いと思う」
「実際、とても恐ろしかったですよ。私、立ったまま足が震えたのは久しぶりでした」
上品に膝を揃え斜めに流したドミノのすらりとした美しい足に目をやり、サンジはこんな美しいおみ足を震わせるなんて酷い男だと、違う次元で憤った。
「きっとエースらしくなく、ちょっと頭に血が昇っちゃっただけだと思いますよ。ドミノちゃん個人に対して怒りを持ったとか、そういうことは絶対ないと思います」
「・・・ありがとう、優しいんですね」
再び潤む瞳(サンジ想像内)で見つめられ、いやあと照れながら乗り出した身を引く。

「でも、ポートガス様が時として激しい気性を見せられるのも、仕方がないことなんです」
「そうなの?と言うか、俺の前ではそんなきつい印象もないんだけど」
どちらかというとエロい・・・と言い掛けて、危うく口を噤む。
危ない危ない。
「ポートガス様が、お父様と違う姓を名乗ってらっしゃるのはお気付きですよね」
そう振られ、サンジは素直に頷いた。
とは言え、そのことに気付いたのはつい先日のことだ。
「その理由はご存知ですか?」
「いいえ」
またしても素直に首を振り、はっと気付く。
「ポートガス様は、妾腹なのです」
「ちょっ、まっ・・・あ?」
慌ててドミノの口を塞ぎかけ、手遅れに気付く。
とは言え後半は聞き取れなかった。
「平たく言うと、お妾さんの子ということになりますね」
「あのね、そう言うの俺、君の口からは・・・」
「認知はされているのですが、ポートガス様はお父様であるロジャー様にいい感情をお持ちではありません。その反発からでしょうか、姓もお母様の苗字を名乗ってらっしゃるのです」
「―――あ・・・」
ドミノがぺらぺらと喋ってしまうから、サンジはその場で頭を抱えた。
「そう言うエースのプライベートなことは、君の口から聞きたくなかったよ」
「誰の口から聞こうとも、事実は事実ですわ。この出生がポートガス様の性格を歪められている」
これにはカチンと来た。
エースの性格のどこが、歪んでいるというのだろう。
「いくらドミノさんでも、今のは聞き捨てならないよ。エースはそんな捻くれた奴じゃない」
「それは貴方が愛されているからです」
ズバリと切り返され、思わずたじろぐ。

「幼少時にどのようなご経験があったのか私は知りませんが、ポートガス様は基本味方に優しく敵に厳しいお人柄です。それはもう、極端なくらいに。そして彼にとって敵味方の区別は、組織や家庭の領域から外れるものです」
すっと姿勢を正したドミノの、サングラスの奥の瞳がきつくサンジを見据えたようだ。
「あくまで彼個人の好き嫌いですべてが判断されます。ポートガス様は貴方を愛してらっしゃるから、貴方に優しい。けれど自分の気に入らない人物に対してはどこまでも冷淡で非情です。そう言う意味では分かりやすいですが、時として個人的な感情でしか動かれないことがある」
「それは、人間誰しも多少なりと、そうでしょう?」
「ポートガス様は極端です。それが彼のビジネスにも人間関係にも影響を与えていて、いつかそのことをきっかけに破綻しないとも限りません」
随分大袈裟なと思ったが、ドミノは真剣な顔つきだ。
「今だって、ポートガス様はお母様の意志を無視してまで貴方にのめりこもうとされています。折角彼を正式な後継者にと、ロジャー様自身が動かれていらっしゃるのにそれを台無しにするようなことを」
「・・・そんなに、深刻なの?」
ドミノは神妙に頷いた。
「エース様には2人の異母弟がいらっしゃいます。そのいずれもロジャー様の血を引いて破天荒な方ばかりですが、いずれ劣らず優秀な方に違いはありません。ただ、エース様が一番年長でらっしゃるのでD財閥の総帥となるのもエース様が相応しいと、お父上は元より会社役員達も思っておりました」
けれど、と悲痛な声で呟きドミノは下を向いた。
「ロジャー様の奥方様、ご親戚様方はそれを許しておられません。後継問題を前にしてエース様の縁談を進めたいのも彼を後押しする者達の地盤固めでもありました。なのに・・・」
いつの間にか白いハンカチを取り出し、硬く握り締めながら顔を上げる。
「エース様は、貴方を失うくらいなD家を出るとまで宣言されてしまわれて」
「・・・え、ちょ・・・」
サンジは愕然とした。
まさか、そこまで話が大事になっているとは思わなかったのだ。
息子がホモ宣言したから勘当とか、そういうホームドラマ的展開ではなかったのか。
「ポートガス様の母上は、出産の折亡くなられました。まさしく、命を賭けて彼をこの世に産み落とされたのです。正妻がありながら、ロジャー様に一番愛されていたのはこの方です。そんな亡きお母様の意志を継いで、エース様はロジャー様の片腕となるべき方でしたのにっ・・・」
後は言葉にならないように、再び俯いて嗚咽を堪える。
これ以上続けたら、目の前にいるサンジを詰ってしまうだろう。
そんな気持ちがひしひしと感じられた。

「そう、だったんだ・・・」
サンジもまた、打ちのめされた気分で下を向いた。
能天気な坊ちゃんの気まぐれな恋愛ではなく、彼は真剣に自分の人生を賭けてサンジを愛そうとしている。
「そんなこと、知らなかった」
「ポートガス様は、決して貴方にはお話にならないでしょう」
そういう方です、と寂しげに呟いてぎこちない笑顔を向ける。
「例え貴方にそこまでの真剣な想いがなかったとしても、自分の気持ちに正直なあの方は貴方を思い続けるでしょう。見返りなんて求めない、このまま貴方に去られたとしても悲しみこそすれ、貴方を恨むことは決してないでしょう。あの方は、そういう方です」
そうだろうと、サンジも素直に思えた。
エースは強引でお調子者だけれど、人に対して誰よりも優しい。
それが偏った感情であったとしても、いや、だからこそその愛は無限に深い。

「貴方に、その覚悟がおありですか?」
ドミノは真っ直ぐにサンジを見据え、声を低めて囁くように問うた。
「ポートガス様の人生を変え、彼から全てを奪っても後悔しない覚悟は、おありですか?」
サンジは、答えられなかった。




next