Apfel In Schlafrock -5-



「今日、オーナーは?」
「料飲組合の総会とかで昼間から出てる。多分午前様になるんじゃねえかな」
不良老人だから。
そう言うと、エースはそれはそれはと相好を崩した。
「んじゃ遠慮なく、お邪魔しまーす」

車を近くの駐車場に停めて、エースを家へと連れ帰る。
玄関からそのままキッチンに通した。
エースは片付いたキッチンを物珍しげに見回した後、サンジに促されるままにテーブルに着いた。
「えーと、サンちゃんの部屋は?」
「ん?飯食いに来たんだろ?」
なら真っ先に食卓に着くもんだろうがと言われて、エースらしくなく口篭っている。
「そりゃあそうだけどさあ」
「あ、ワインもなしだぞ。そもそもホテルに車で向かった時点で、アルコール飲まないつもりだったんだろ?」
あちゃあと大袈裟に天を仰いで額に手を当てた。
「実はあのまま、ホテルで泊まるつもりだったんだよな」
「え?予約取ってあったのか?」
「いや、そうじゃないけどさあ・・・」
またしてもゴモゴモと語尾を濁らせ、やけくそみたいに出されたミネラルウォーターをガブ飲みする。
「色々計画が頓挫したってとこか?」
「まあそんなモンだよ。でも結果的にサンちゃんの料理が食べられるならラッキーだ」
「まったく、口だけは上手いよな」
言いながら、冷蔵庫からタッパを取り出しコンロの火を点ける。
サンジの意識ははもう料理に集中していて、エースに背中を向けたきりだ。
「もし泊まれるんなら、秘蔵のワイン出してもいいぜ」
「え、泊めてくれんの?」
勢い込んで尋ねるエースに、サンジは振り返りもせず気軽に気軽に応える。
「じじいの隣の部屋が、客用に空いてんだ」
「・・・お気持ちだけで、遠慮させていただきマス」
途端、しおしおとうな垂れたエースに笑い声を返して、サンジは手早くテーブルの上を整えた。



「自分で食べて試すだけのつもりだったから、ジャンルがバラバラなんだよ」
言い添えて目の前に並べられた料理は、なるほどパッと見統一性がない。
「まずこれから食ってくれ、野菜の旨みだけのスープなんだ。最初の一口でどのくらいの味が感じ取れるのか聞いてみたい」
「どれどれ」
促されるまま、綺麗に澄んだスープを掬う。
サンジがじっと息を潜める前で口に含み、舌の上で転がした。
「・・・ん」
「どうだ?」
お世辞にも美味い!とは言えない。
けれどすっと喉に沁み込むような味が、確かにある。
これだけではスープとしては料理と言えないだろうが、喉の奥から引っ張るように求めてしまう何かがある。
例えるなら、滾々と湧き出る岩清水を口にした時のような、飲むつもりでもないのに自然にすっと溶け込み身体に馴染む液体。
「どう?」
黙ってしまったエースの顔を、サンジはなんとも心もとない表情で覗き込んでいる。
「うん、美味い・・・とは思う。けど、これで料理とは言えないとも思う」
「・・・やっぱり」
うんうんと頷き、サンジもスープを口にした。
「野菜の味だけじゃあ、甘みも旨みも乏しいんだよな」
「けど、この味を大切にしたいなら出汁や塩気は入れない方がいいと思う。これ、スープだからインパクト弱いんじゃないかな」
単なる思い付きを口にしたら、サンジの顔がパッと輝いた。
「え、あ、そうか!」
「え?」
その勢いに、提案したエースの方がたじろいだ。
「スープにするからパンチが弱いんだ。例えば、ジュレにするとどうかな?」
「あ、ジュレ?つか、ゼリーみたいな?」
「そう、それとも凍らせるとどうだろう。味がより薄まっちゃうかな。一旦凍らせてカキ氷みたいに削ったら・・・」
なんにしても夏向きメニューかと、ブツブツ呟きながら手元のノートにメモしていく。
その真剣な横顔を盗み見ながら、エースは愛しげに目を細めた。
「なんだこれ?って興味持たせて見た目や食感でインパクト付けて、次の料理の邪魔をしない前菜ってので使えるかも」
「なるほど」
「じゃあ次、これは?」
どうやら味の濃さによって食べる順番が決まっているらしい。
サンジに急かされて、エースは請われるままに次々と料理を批評した。
「美味いけど、目新しさは特にないような」
「ああ、この取り合わせは意外と合うな」
「え、これそうなの?マジで?」
エースの明快なリアクションはまさに試食向きだ。
二人で同じ皿を突きながらあれこれと意見を交わし考えるのは、時間が経つのを忘れるほどに楽しかった。
目を閉じて噛み締めるようにゆっくりと味わい、一言一言を考えながら口にするエースの表情に、普段は隠されている直向さを見出してサンジはふと手を止める。
いつも陽気でおちゃらけて見せているけれど、サンジが知らないところでエースは別の顔を持っている。
この若さで会社を興したやり手の社長で、財閥の跡取りでもある超エリート。
普通に暮らしていたなら接点なんて何一つない、雲の上の存在なのだろう。
それなのに、今は普通の住宅のキッチンで、一コックの試作品の試食で夕食を済ませているなんて―――
ちょっと気取った格好も似合っているのに。

「ん?どしたの?」
じっと見つめているサンジの視線に気付いたか、エースが不意に顔を上げて首を傾げた。
そばかすが浮いた肌と光の強い瞳が、エースをどこか異国めいた風貌に見せている。
やっぱり全然似合っていない。
「や、エースってスーツ似合わねえなあと思って」
「なにそれひでえな、そんなこと考えてたの?」
ショックーと、口ほどショックでもなさそうに口を尖らせている。
「それは心外だ、意外とスーツ姿も似合いますねとよく言われるのに」
「いや、似合ってんだけどね」
「・・・どっちだよ」
顔を見合わせて軽く笑う。
お互いに肘を着いて向かい合っているから、少し距離が近い。

「せっかくめかし込んで来たのに、俺んちでこんな適当な料理で悪いなあと」
「いんや、俺に取ったらまたとないご馳走だよ。それより、今日は本当に悪かった」
急に思い出したように姿勢を正して、両手をテーブルに着き深々と頭を下げる。
「まさかドタキャンされるとは思ってなかったんだ。申し訳ない」
「・・・そのこと、なんだけど」
どこまで言っていいかわからず躊躇いながらも、サンジから切り出した。
「キャンセルを申し出たのって、もちろんエースじゃないんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、誰か他の人が間違えて・・・ってことかな」
「いや」
エースはバツが悪そうに後ろ手で頭を掻きながら、もう片方の手で軽く拳を握った。
「元々手配を秘書に任せていたから、俺以外の人間からのキャンセルってのも可能なんだ。こういうのは俺が自分で手配するべきだった。悪かった」
「それはしょうがないよ、エースだって忙しいんだし」
「そこで付け込まれたんだよな。ある程度予定も知られているし、妨害しようと思えばいくらでもできる状態だったって、間抜けながら今頃気付いたよ」
妨害という言葉に、サンジの胸がどきりとする。
そんなサンジの表情を窺い見ながら、エースはふと柔らかく笑った。
「ドミノって女性が、サンちゃんとこ尋ねてったしょ」
「あ・・・うん」
正直に頷く。
「ごめんな、うちの家庭の事情に巻き込んじまって。変なこと言ったんじゃないかな。別れてくれとかなんとか」
「・・・あー・・・まあ」
サンジはなんとなく落ち着かなくて、懐から煙草を取り出し火を点けた。
エースからちょっと距離を置いて座り直し、灰皿を引き寄せる。
「彼女は俺の父親の会社の秘書でね。結構有能なんだよ、手際がいいし」
「そうだろうね、そんな感じだ」
一分の隙もないような凛とした佇まいを思い出す。
「そんな彼女が俺んとこに来てさ、ことの仔細を単刀直入に報告してくるから俺のがビビった」
「・・・エースは、まったく知らないことだったのか?」
「当たり前だろ、寧ろ俺に内緒で上手くことを運ぶつもりだったんだろうに」
サンジにきっぱりと跳ね付けられて、それでも真意がわからず今度はエースに掛け合ったのだという。
「ドミノにとっては親父の命令が絶対だし、それが間違っているとは露とも疑わないですべてが正解だって思い込んでる節があってさ。なんてえの、妄信?忠誠や服従じゃないんだよ、完璧に傾倒していて一種のカリスマみたいなんだ。だからどんな手使ってでも俺とサンちゃんの仲を裂こうとして来ると思う」
「・・・えーと」
ここは笑うところだろうか。
「それも、ドミノさんのお仕事の内?なのかな」
「まあね。俺が所帯を持つこと=ゴール・D一族の反映に繋がるなら、ビジネスの内だろ」
あれ?とサンジは唐突に気付いた。
エースの姓は確かポートガスの筈だ。
けれど、父親の姓はゴール。

「そんな画策をしていることを、俺に隠すのは止めようと思ったのかな。多分サンちゃんに断られた日にその足で俺んとこ来たんだと思うよ」
「なんて言って、来たんだ?」
スパスパ吸い続けてあっという間に短くなった煙草を揉み消し、新しいのに火を点ける。
「ん、貴方が今お付き合いしている男とは即刻別れるようにと」
「・・・命令だ」
「まあ、命令」
なんとなくその場面が見えるようで、笑ってしまった。
「こうも言ったな、相手の方は貴方が想っているほど貴方のことを愛してはいませんよ、と」
またしてもドキンと大きく胸が鳴った。
その音が聞こえないかと、ありえない不安で尚更鼓動が早まる。
「そんなこと、なぜ君にわかると言い返したけれどね」
エースの顔は穏やかなままだけれど、目だけは笑っていなかった。
こんなエースほど怖いものはない。
どれほど冷酷な瞳でドミノを見返したのだろうと、想像するだけで背筋が寒くなる。
「ドミノは正直に全部話してくれたよ、別れてくれる代償にと現金まで持っていったことも」
「――――!」
なにも後ろめたいことはない筈なのに、サンジはますます追い詰められた気分になって下を向いた。
ドミノの話には乗らなかったし、お金だって受け取らなかった。
けれどそれが自分の答えだと、エースへの想いの証だとも堂々とは言えない。
自分の気持ちを、自身で掴み切れていないのだから。
「けれど君はそれを受け取らなかった。嬉しかった」
エースの言葉が胸に痛かった。
そんな風に素直に喜ばれて、却って気が引けるのはなぜだろう。
「君は現金を受け取らず、値を吊り上げてきたと彼女は言ったけどね」
「――――へ?」
神妙な顔で話を聞いていて、は?と顔を上げた。
今、エースは何と言った?

「いま、なんて?」
「値を吊り上げて来たと、これぐらいじゃ足らないと君が言ったと」
「・・・言って、ねえよっ」
思わずその場で椅子を鳴らして立ち上がった。
さっきまで感じていた後ろめたさが吹っ飛ぶほどの衝撃だ。
「そんなん、俺はそもそも金を受け取る謂れがねえから断っただけだ。なんでそんな、人をっ」
「わかってる」
エースは座ったまま、テーブルに着いたサンジの手にそっと己の手を重ねる。
「わかってるよ俺は。サンちゃんがそんな子じゃないってことくらい」
ドミノの浅はかな策略だと知って、エースは却って冷静になれた。
「そんな嘘を吐いて、どんな手を使ってでも俺たちを引き離すつもりなんだなと、はっきりと悟った。だからこそ、俺の意思もより強固なものになったんだ。俺は絶対、君と別れたくなんかない。例えこの先、君を厄介なことに巻き込んでしまったとしても、それでも君を手放せない」
サンジの手を引き寄せ、中腰のままバランスを崩し倒れ込んできた身体を膝の上に乗せる。
「俺と関わったことで、サンジに迷惑を掻けることがあると思う。多分、この先も卑劣な妨害が続くだろう。本当にサンジのことが好きだからこそ、妨害に屈して別れてしまうことの方が最良の選択だと追い詰められることもあるかもしれない」
サンジを両手に抱きしめて、エースは真剣なまなざしで言葉を紡いだ。
「俺と付き合うことで、サンジ自身が後悔することもあるかもしれない。それを全部わかってて、予測できていて尚、俺はやっぱりサンジのことを諦め切れないんだ」

普段はサンちゃんと砕けた呼び方をするのに、今だけはサンジとはっきりと呼び捨てられた。
そのことがエースの真剣さを表しているようで、深くにもどきりと胸が高鳴る。
「愛する者を苦しめるとわかっていて、それでも手放せない俺は酷い男だろうか。そんな俺でも、サンジは許してくれるかい?」
いつの間にか膝の上に乗せられ、両手で腰と背中をがっちりと抱かれた。
額がくっ付きそうなほどに顔を寄せられ、囁きの言葉と共に息が掛かる。
「ドミノが話に来たことを俺に報告しなかったことこそが、そして要求を毅然と突っぱねてくれたことこそが、サンジの答えだと思っていいか?」
エースの顔が、近過ぎる。
背中を抱く腕は力強く、掌から布越しに伝わる熱が肌に沁みた。
「このままじゃ俺は、自惚れちまうよ」
エースの声がドンドンと低められて、最後は掠れた呟きに変わる。
そのまま唇を重ねられ、驚いて仰け反った頤に指を掛けられた。

いつものエースらしくない性急さを感じさせて、口付けが深まっていく。
滑り込んだ舌が口内を蹂躙し、息苦しさに喘いで開いた唇に軽く歯を立てられた。
荒々しい所作で自然と気が昂ぶっていくのを他人事のように感じながら、サンジはエースの背中に手を回し無意識にスーツを握り締めた。
嫌だダメだと突っぱねればいいのに、それすらできやしない。
これほどまでに強引に求められて、嫌悪よりも喜びが勝るのはやはりエースのことを好きだからだろうか。
エースの手が、サンジのスーツの下から滑り込んでシャツを捲った。
熱い手のひらが直に肌に触れて、不意に正気に引き戻される。
「・・・ま、エース」
「ん?」
「エース、ちょっとま・・・」
ちゅっちゅと音を立てながらキスをずらし、頬から耳元へと唇で辿って耳朶を甘噛みされる。
擽ったさと肌が粟立つ感触に首を竦め、サンジは頭を振った。
「待って、エース。ちょっと・・・」
「嫌だ」
シャツを肌蹴て滑り込んだ手が、脇腹から上へとずれて胸に触れた。
意図して何かを探す仕草に、思わず両腕を交差させてシャツの上から押さえる。
そんなもので止まる筈のない指が、小さな尖りを探り当てた。
「まっ、ちょっ・・・」
「・・・サンジ」
頬を真っ赤に染めて身を捩ったサンジに、可愛いと呟きながら再びキスをしてくる。
悪戯な指が敏感な部分を辿り、サンジは半ばパニックに陥って救いを求めるように後ろを振り向いた。
ら、表でエンジン音がした。

「待て!マジっ」
「え?」
声の調子が変わったことに気付いたエースが動きを止める。
そのタイミングを逃さず、エースの腹を椅子ごとと蹴倒して飛び降りた。
ガタンと派手な音が鳴り響くのと、玄関の扉が開くのとはほぼ同時だった。

「ただいま」
「お、かえり!」
慌ててシャツをズボンの中に入れ、転げたエースを後に残して玄関まで飛び出して行く。
「早かったな、じじい」
「なんだてめえ、今日はどっかで食事するとか言ってなかったか?」
玄関先で会話が交わされるのを聞きながら、エースは機敏な動作で起き上がった。
そのまま身なりを整え、髪も撫で付けて行儀よく椅子に座り直す。
「食事に出掛けるんじゃなくて、試食して貰ってたんだ。な、エース」
「お邪魔してます」
ゼフを案内するようにして先にキッチンに入ったサンジの前には、綺麗に空になった皿とにこやかに座るエースの姿。
「サンジさんの新作料理を、味見させて貰ってました」
「ああ、いらっしゃい」
畏まって挨拶するエースに会釈だけして、ゼフはキッチンを横切った。
「風呂とか、まだ張れてねえけど・・・」
「んなもん、お前が気い遣わなくていい。勝手にやる」
お客さんを待たせるなと、追い払うように手で払った。
「それにしても、お前どんだけ飲んだんだ」
「・・・はへ?」
「自分ちだからって、羽目外すんじゃねえぞ。赤い顔しやがって」
「・・・は、う・・・」
なにも言い返せず、サンジは赤くなったり青くなったりしながら横を向いた。
息が酒臭くないと疑われるだろうかとか、姑息な考えがぐるぐると頭を過ぎる。
「俺はもう風呂行って寝るからよ。ゆっくりしてってくださいよ」
後の台詞はサンジの肩越しにエースに向かって投げられると、エースはその場で立ち上がってどうもと最敬礼した。
独特のリズムで自分の部屋に戻っていくゼフを見送り、サンジははああと静かに深く息を吐くとそのままキッチンに戻った。
エースはどこか所在無さげにちんまりとテーブルに着いている。

「エース、あの・・・」
「うん、ご馳走さまでした」
なにやら神妙な顔付きで手を合わせるから、釣られて一緒に手を合わせ頭を下げる。
「食べ逃げみたいで悪いけど、俺はここで失礼しようか」
「あ、うん・・・そうだな」
このままでは気まずさMAXだったから、エースの提案はサンジにとっても救いだった。
「ごめんな、なんか・・・」
玄関まで見送ると、ここでいいよと靴を履きながら振り返った。
「色々ご馳走さん。美味かったし楽しかった」
「ほんとに?」
「ああ、サンちゃんの料理はやっぱ絶品だよ」
新作が早く店に出せるといいなと、小さな声で付け加える。
その声を聞き取ろうと顔を寄せたら、軽くキスされた。
「じゃあ、またね。おやすみ」
「・・・おやすみ」
真っ赤になって立ち尽くしたサンジを置いて、エースは静かに玄関の扉を閉めた。



数分その場に立ち尽くした後、サンジははあああと盛大に溜め息を吐いた。
なんかもう、色々とぐちゃぐちゃだ。
髪を両手でガリガリと掻き回し、ともかく今はと思い付いてキッチンに戻る。
綺麗に平らげられた皿が並ぶテーブルに着いて、一人でワインを開けてグラスに注がずラッパ飲みした。
遅ればせながら、とことん酔っ払ってしまおう。




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