Apfel In Schlafrock -4-



サンジ一人が戦々恐々として様子を伺っていたのに、特になんの動きも見えないまま水曜日を迎えた。
超有名レストラン“楼蘭”でのディナーだ。
予約を取ることさえ難しい店なのだから楽しみじゃないと言えば嘘になるけれど、エースと二人きりの食事となると少し気が重いのも事実。
待ち合わせの場所に出向くのさえ、何を着て行くべきか悩んでしまう自分がなんだか情けない。

―――女の子とのデートなら、あれこれ迷うのも楽しいのになあ
野郎と二人で食事をするのにめかし込むのは抵抗あるが、一流店に入るのだからある程度ちゃんとしていないとエースに恥を掻かせることになる。
幸い平日だから、会社帰りのサラリーマン的服装で行こう。
そう考えて、スーツに少しだけ華やかなネクタイを合わせた。
もしかしたら接待っぽく見えるかもしれない。
「どう転んでも、野郎同士のディナーなんだよな」
その事実に気落ちしつつ、鏡に向かって身だしなみを確認していたら、表で小さくクラクションが鳴った。
「・・・と、お迎えか」
相変わらず、時間ぴったりだ。
身を翻して階下に降り、コートを引っ掛けて玄関を出る。
ゼフは昼間から出掛けているから、誰に遠慮することもない。
自宅の戸締りだけ済ませて、助手席に滑り込んだ。



「お待たせ」
「いや、こっちこそ」
ハンドルに肘を置いてこちらを向いたエースは、仕立てのいいスーツをラフに着こなしていた。
フォーマルでもカジュアルでも自然に着こなして、悪目立ちしないタイプだ。
こんなエースでも、今日出掛ける前には鏡の前であれこれ迷ったりしたんだろうか。
「どしたの?」
ついじっとエースの顔見つめていたことに気付いて、サンジは慌ててシートベルトを引っ張った。
「いやあの、いつも迎えに来て貰って悪いなと」
「いやいや。お迎えがまた楽しいんだ」
モゴモゴしつつシートベルトを締めれば、それを合図にしたかのように静かに発進した。
「休みの日に悪いね」
「いや、エースこそ仕事だったんじゃないのか?」
早引けしたよと、ハンドルを繰りながら笑う。
「どうせなら昼間っからデートしたかったんだけど、どうにも外せない仕事があってさ。夜だけデートだと、中途半端だろ?どっか出掛けてても早めに戻らなきゃならなかったり・・・」
「いいよ、今日はどこにも出掛けてねえし」
「何してたの?」
「ん・・・試作品とか、作ってた」
これは本当だ。
気落ちしている時は料理に専念するに限るから、意識して調理に集中していた。
そのお陰でうっかり待ち合わせの時間を失念するくらいだったのだけれど。
「さすがだなあ、料理人ってのは休みの日でも休んでないんじゃない?」
「んー好きなことだから、そうなっちまうのかな」
誰かに食べて貰うために料理を作って、もっと喜んで貰いたいから試作品を作って。
好きなことが仕事になってそれで給料を貰えるなんて、すごくラッキーなんだと今更気付く。
もしも、何らかの理由で調理することが苦痛になったとしたら、今の仕事を続けられるだろうか。
決してあり得ない事と思っていても、想像するだけでぞっとした。
自分から料理を取ったら何も残らない。
そう思うと、随分と自分が矮小な人間に思える。
「じゃあ、今日のデートもサンちゃんの仕事の一環として役立つかもしれないね」
サンジは元よりそのつもりだったからうんと軽く返事して、それからあ!と唐突に気付いた。
エースにとって、今日は純粋にデートなのだ。
けれどやっぱりサンジの職業がコックだから、わざわざ高名なレストランを選び予約してくれた。
サンジの仕事の一助になるとの気遣いで。
けれどサンジは、最初から自分のメリットだけを考えて食事を承諾した。
自分はコックだから、後学のためにも名高い店で食事をするのも必要なスキルだと計算して。
エースとデートできることの喜びなんか考えもしないで。

気付いてしまったら、急に気まずくなってしまった。
これではまるで、エースの好意を利用しているだけみたいだ。
今日何を着ていこうかと悩んだのも、男同士で食事するのに外聞を気にしたから。
接待に見えるかもとか、なんて姑息なことしか考えてなかったんだろう。

俄かにしゅんとしてしまったサンジを、エースは運転しながらチラチラと横目で見た。
「どうしたの?なんか一人で浮き沈みあった気がするけど」
「・・・浮いてないけど、ちょっと沈んだ」
「なに?仕事のこと?」
「違う、俺自身の問題だ」
そう言ってしまうと、言外にあんたには関係ないと突っぱねた形になるとは知りながら、サンジは敢えて横を向いてエースの介入を拒んだ。
これは本当に自分自身の問題だ。
この屈託を、エース本人に気付かせちゃなんねえ。
サイドミラーに映る自分に頷き返して、サンジは表情を明るくして振り返る。
「なんかプライベートでチョコチョコあってさ。ちと気分が落ちてたから、今日美味いもん食えるのすげえ楽しみにしてたんだ」
「そう?」
エースも釣られたように、ぱっと表情が明るくなる。
「何着ていこうかとか、結構悩んだんだぜ。やっぱある程度ドレスコードあるだろうし」
「そう堅苦しくはないんだよ。でもそのネクタイ、よく似合ってる」
「あんまこういうチャンスねえから、ちと緊張してる」
去年の誕生日以来だ・・・と言いそうになって、危うく留まった。
あの時は確か、帰り掛けエースにキスされたんだったか。
なんだかその時のことを蒸し返しそうで、頭の中に沸いた情景を振り払うように手で頬を煽った。
「エアコンきつい?」
「そうでもね」

あれからまたキスとかしてるのに、デートにだって行ってるのに。
未だにエースと付き合っているという実感が沸かない。
サンジ自身きちんと拒んでいないだけで、承諾したつもりもないのだ。
けれどズルズルと付き合っている形になって、そんな状態を許してくれているエースに甘えるばかりで。
――――このままじゃ、いけねえんじゃねえかなあ
次にいつとはわからないけど、ゾロとパリに遊びに行く事だっていつかはエースの承諾を受けなきゃいけないだろう。
でもなんでエースの許しを得なきゃいけないんだ?
その辺りが、やっぱりサンジには納得できない。

悶々としている内に、車はホテルの駐車場に入った。
エントランスに横付けして、そのまま降りて鍵を預ける。
「32階って、夜景綺麗だろうなあ」
「前のグランドラインホテルん時と比較してみるかい?」
自然と初キスの場面を思い出し、サンジはまたしても一人で赤面してしまった。
まずい、自爆パターンだ。






最上階の“楼蘭”は、赤と黒で統一されたシックなデザインのレストランだった。
雰囲気に圧倒されつつ、エースの少し後ろで案内されるのを待つ。
「ポートガス様・・・」
名前を告げるとすぐに案内される筈なのに、応対に出たボーイが少し困惑気味に手許を見た。
しばらくお待ちくださいと小声で告げ、店内に入る。
―――――?
エースも意外そうに片眉を上げて、サンジに振り返った。
「お待たせいたしました」
奥から出て来たのはマネージャーらしい、上品な初老の男性だった。
「申し訳ありません、ポートガス様のご予約は昨日キャンセルのご連絡をいただいております」
「・・・は?」
これにはエースも素でびっくりしたのか、珍しく口を開けて固まっている。
「キャンセル、俺から?」
その問いに、マネージャーの後ろに控えた若いボーイが緊張の面持ちで首を振った。
「電話を受けたのは私です。ご連絡は、女性の方からでした」
あ、とサンジは思い当たり、すぐに口を閉じて視線を下げた。
ドミノさんだ。

「誠に申し訳ありません。本日のお席は既に・・・」
「わかりました」
エースは片手を上げてマネージャーの言葉を遮り、にこりと笑う。
「こちらの方で手違いがあったようですね。混乱させてすみません」
「いえ、とんでもないことでございます」
マネージャーとボーイはひたすら恐縮している。
「また次の機会に予約を入れます。今度は俺からの連絡以外キャンセルはしないということで、お願いしますよ」
「承知いたしました」
平身低頭で見送られ、乗ってきたエレベーターにもう一度乗り直す。
扉が閉まってから、エースはくるりとサンジに向き直った。

「ごめんサンちゃん!マジごめんっ!」
両手を合わせ、土下座する勢いで頭を下げた。
サンジは慌ててそんなエースの肩に手を掛ける。
「いいよエース!なんか手違いがあったんだよ、俺どこででもいいからさ」
「いや〜参った、こんなことになるなんて」
さすがに参ったと、頭を掻きながら悔しそうに顔を歪めた。
「ごめんよ、まさかこんな手を使ってくるなんて・・・どこで食事しようか。31階のフレンチか、鉄板焼きか・・・別のホテル行くか」
こんな手を使ってくるなんてと言うからには、エースもドミノの(個人ではないが)妨害工作を知っていると言うことだろうか。
サンジはそう考えながら、すっかり意気消沈したエースの背中を優しく撫でた。
「いいって、またいつか連れて来てくれよ。楽しみが先に伸びたって思えば、それはそれで嬉しいしさ。俺、食事はどこでもいいぜ、それこそ屋台のラーメンでも」
「そりゃあんまりだ、俺だって美味いモノが食いたい」
途端にむきっと顔を上げるエースのガキ臭さが可愛らしい。
「美味いモノかどうかは保証できないけど、俺んち来る?」
つい思いつきで口にしたら、エースが軽く目を見張る。
「サンちゃん、ち?」
「うん、俺今日試作品作ったっつっただろ。作っただけでそのまま保存してあるんだ。結構量作っちゃったからこれから一人でちょこちょこ食べていこうと思ってて・・・」
でも、天下の楼蘭の食事の代わりがそれじゃあ、エースだってがっかりだよな。
そう言って笑おうとしたら、エースはなんだか瞳を潤ませてサンジの肩に両手を掛けた。
「行こう!俺食いたい、サンちゃんの試作品!」
「え?でもいいの?むしろこれって、味見ってえか試食+処分の要素があるんだけど・・・」
「問題なし!名店よりサンちゃんの新作のがよほど魅力的だ、決まり!」
勝手に決めて盛り上がっているエースの後ろで、とっくに開いたエレベーターの扉の向こうには何事かと乗り込むのを待っているお客さんが並んでいた。
「わかった、わかったから早く降りてくれ」
扉が開いたら、抱きつかん勢いで盛り上がってる男が二人乗ってたら、そりゃあみんな引くだろう。
サンジは恥ずかしさに顔を上げられないまま、エースに続いてエレベーターを降りた。
エースはと言えば、もう踊るような足取りでフロントに車を呼びに行っている。
妙な成り行きになっちまったなと肩を竦めながら、サンジは部屋が片付いていたかどうかを頭の中で思い返していた。






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