Apfel In Schlafrock -29-


「なんか、俺のことエースに任せたって感じがすんだよ。やっぱりあいつ、俺のことなんてなんとも思ってないんじゃねえかな」
「んなことねえって、あいつの想いは本物だと思うぜ」
なぜかエースの方がゾロの弁護に回っている。
「けど、やっぱりサンジに対して一線引いてる気がするな。義理堅いっつうか、結構生真面目なのかあいつ」
エースは独り言を呟きながら、指で顎を摩った。
「俺とサンジが付き合ってるから、やっぱ遠慮してんのか・・・」

「―――!」
サンジは弾かれたように顔を上げた。
そのまま何もない壁を見つめ、あああああと搾り出すような声を漏らす。
「どうした?」
「あああ、俺、忘れてた。つか、思い出した」

ドミノに恥ずかしい写真を渡したと告げられたあの日、サンジはゾロにこう言った。
エースと寝たと。
「俺、嘘吐いてる。あいつに嘘吐いた」
「なんて?」
「エースと寝たって」
はああ?とエースが間の抜けた顔で口をポカンと開けた。
「なんでまた、そんな・・・」
「だってよう、ドミノさんから送られた写真見てめちゃくちゃ腹立った時だったんだよ。人の知らない間にあんなひでえ写真撮って、恥掻かせてって」
明らかに腹いせだった。
いつそうなっても不思議じゃない状況でもあったから、嘘を吐いたと言う自覚もなかった。
「そしたら、ゾロはそうかって言って・・・なんか、あいつらしくねえ傷付いたような顔して・・・」
それで一旦は引き下がったのだ。
自分でも思いもかけないほどショックだったと、言っていた。
それが、ゾロを怯ませたのか。

「あ!」
今度は唐突にエースが叫ぶ。
何事かとぎょっとするサンジに、口元を押さえながらゆっくりと振り返った。
「俺も、言っちまったみてえ」
「なにを」
「礼」
「れい?」
サンジをサディちゃんの魔の手から救い出したあの時―――
「俺は“ありがとう”ってゾロに、礼を言っちまった」
ドミノとグルになってサンジを罠に嵌めたと思っていたから、そんなゾロがサンジの危機を知らせに来たのが俄かには信じられなくて。
結果的にサンジを救い出せたことを、直接助けたのは自分だと言うことを誇示したくて、殊更丁寧に礼を言った。

―――自分の大切な人の危機を、救ってくれてありがとう。
それは何よりも強い所有権の主張。
礼を言うことであからさまにした、エースの強い独占欲。
サンジはもう自分のものだと、所詮ゾロは蚊帳の外でしかないのだと知らしめた、丁寧な拒絶。

「あちゃ〜〜〜〜」
思わず、二人して頭を抱えた。
そんなつもりはなかったとは言え、結果的に二人掛かりでゾロを疎外したのだ。
ゾロは当然、サンジはエースと心身ともに固い絆で結ばれた恋人同士だと思っているし、そこに自分が付け入ることはできないと己の矜持でもって弁えているのだろう。
だからサンジに触れてこない。
一緒に旅行に行こうと誘っているのも、本当にただの旅行だけで終わらせるつもりなのかもしれない。
自分が好きなパリの街を案内して、それだけで満足してしまうのかもしれない。

「俺のせいだ・・・」
「や、俺もだ・・・なんかごめん」
神妙な顔でお互いに頭を下げ、謝るべきはいま目の前にいる相手じゃないとわかって、同時に肩を落とした。
馬鹿馬鹿しくて、笑えて来る。

「なんかもう、なにやってんだか」
「ほんとだよ」
クスクスと笑い合い身体を傾けたら、テーブルに着いていた肘をずらしてグラスを倒してしまった。
僅かに残っていたワインが、小さな水溜りを形作る。
「あ、ごめん」
「酔っ払いだな」
濡れた指を拭こうとティッシュを探して振り向けば、その間にエースはそっと手を取った。
口元に近付け、酒を舐めるように舌を這わせる。
指の股をねっとりと舐められ、サンジは酔いが回ってとろりと瞼の下がった瞳を向けた。
「エース・・・」
「サンジは、指まで甘いね」
ちゅっと口の中に食まれ、拳を握る隙も与えられなかった。
そのまま引き寄せられて身体が傾いた。
踏ん張ろうとした足を払われ、ベッドに横倒しになる。

「ちょ、やめろって」
別れ話をしていた筈なのに、自分の上に圧し掛かってくるエースの瞳を見返すのが怖い。
きっといつもの柔らかな笑みじゃなく、取って食われそうなほど真剣な捕食者の色をしているだろうから。
「エース」
「やっぱり、やだ」
顔を背けたサンジの頬に、ちゅっと口付けた。
何度も音を立てて唇を押し付け、耳朶や首元にもキスの雨を降らせる。
「ダメ、だよ」
「いやだ」
駄々を捏ねるようにサンジの髪に顔を突っ込んで、首筋に歯を立てた。
痛みを感じるほどに噛み付かれ、けれどサンジはエースの無防備な腹を膝蹴りしようとはしなかった。
「サンジが、好きだ」
頬に手を差し込まれ、顔を起こされる。
目を閉じていたら、そのまま唇を重ねられ強く吸われた。
「すごく好きだ。手放したくない」
こんなにも、自分を理解してくれる人はこの先現れないだろうと思う。
そう感じるのはたぶん自分の方だけで。
サンジは分け隔てのない無償の愛を持っていて、きっと自分じゃなくても誰にでも好意を寄せる癖があるのだろう。
わかっていて、諦めきれない。

「好きだ、サンジ。せめて今夜だけでも―――」
唇を合わせながら囁き、顔をずらしてシャツを肌蹴た胸元に埋めた。
女性のような豊かな弾力もない扁平な胸なのに、エースの顔はすっぽりと嵌め込まれたように合わさっている。
両手をサンジの腰と背中に回してぴたりと身体をくっ付けた。

エースの癖っ毛が鼻先を擽るのに任せ、サンジは仰向いたままそっと両手を伸ばして覆い被さる背中を抱き締める。

頭が良くて機敏でスマートで、誰よりもデキる男だったエース。
けれど今は、まるで捨てられた子どものように頼りなくて稚い。
どこにも行かないで、ずっと傍にいてと追い縋るようで、無碍に突っぱねるなんてできなかった。
その生い立ちから、サンジが想像するよりずっと辛い目に遭って来ただろうことは想像に難くなくて。
けれどその過去を全部ひっくるめて愛せるほどの資格は、自分にはないと思う。
それでも一時でも、エースの慰めになるのなら。
こんな自分でも、役に立てることがあるのなら―――

一瞬、ゾロの顔が頭を過ぎった。
けれどゾロは、自分がエースと寝たと思っている。
それなら今夜寝たって、彼にとってはなにも変わらないんじゃないか。
嘘が真になるだけなんじゃ、ないのか。

―――でもそれは、ずるい。



サンジはぎゅっとエースの身体を抱き寄せて、自分からキスをした。
呆然と目を瞠る唇を舌で湿らせ、おずおずと吸う。
拙いほどのぎこちなさで唇を離すと、正面からエースの瞳を見つめた。
「ごめんなエース、俺の身体なんかでよかったら好きにさせてやりたい」
「・・・」
「けど、気持ちはだめなんだ。ほんとにごめん、エース」
それでもよかったらと、再びエースを胸に抱え込んで目を閉じた。
手足の力を抜いて無防備に寝転がる。
エースは顔を上げ、肌蹴た胸元のシャツの隙間から覗く薄桃色の尖りに鼻先を付けた。
ちろりと伸ばした舌で湿らせる。
サンジは薄目を開け、初めて与えられる感覚に慄きながらも身動ぎをするまいと身体を強張らせた。

「可愛いなあ、美味しそうだなあ」
なにもかもが。
エースはそう呟いてちゅっと乳首にキスを落とすと、そのまま身体を起こした。
再び屈んで、仰向いたサンジの唇に軽くキスを施す。

「もう、目の毒だから帰ってくんない?」
「・・・え?」
ぱちくりと瞬きするサンジの額にも唇を落とし、それからああああと両手で頭を掻き毟った。
「サンちゃんも男ならいい加減わかれよ、俺もう限界。つかもう暴発寸前。頼むから、とっとと帰って」
「え、でも」
いいの?と尋ねるのも憚られるほど、エースは苦しげに身を折っている。
「気持ちはあげられないけど身体だけ、とか。どんだけ中途半端だよ」
「あーごめん、つか、ほんとごめん」
ほとんど泣き出さんばかりに謝るサンジを、本気で蹴り飛ばしたくなっていた。
「やっぱり、エースのことが好きだから嘘吐けなかった。ごめん」
「んなこと言って、ゾロには嘘吐いたままだろ。弁解するならあっちにして」
「嘘じゃないことにしても、いいかなーって」
「ダメだって、もうほんっとにどうしようもねえなあ」
ぺちんと頭を叩いて、それから乱暴にぐりぐりと撫で回す。
「お兄さんが教育的指導しちまうぞ、色んな意味で凶悪なんだから」
「そうか」
「妙なとこだけ素直になってねえで、さっさと行けって」
バスローブの前を合わせ、ついでに股間を押さえて恨めしげに見やる。
「んでもって、今度こそちゃんとゾロ捕まえろよ」
「う、ん」
「俺のことなんか、とっとと忘れろ」
「いやだ」
「は?」
即答されて、エースの方が目を丸くする。

「今までエースにあやふやな態度取ってたのも、俺がエースに嫌われるのが怖かったからだ。ちゃんと断れなくて曖昧な返事ばっかして、そうしかできなかったのは、エースに嫌われたくなかったんだ」
「・・・」
「だから、虫のいい話かもしれないけど、このことで俺を嫌いにならないで欲しい」
「・・・」
「やっぱり、他の野郎のこと好きな俺のこと、もう興味ねえ?キライになる?」
もはやエースは言葉もなかった。
一体何を言い出しちゃってくれてるんだろう、この金色頭のアヒルちゃんは。

「誰からも愛して欲しい、構ってちゃんなのか?」
「かもしんねえ、けどエースに嫌われたと思うとすげえ辛い」
真剣な顔で懇願するように言うから、エースの方が呆気に取られた。
「俺が、好きなままでいていいのか」
「だって俺もエース好きだもんよ。オツキアイできなくても、友達とかじゃ済ませたくない。もっとずっとエースが好きだ」
なんて度を越した欲張りなのだろうか。
いや、これが博愛というものなのか。
「エースがこの先とても大切な人と巡り会えても、俺のことは忘れないで欲しい」
こんなにも堂々とそしてぬけぬけと、ここまで自己中な告白を受けるのは初めてだ。
あまりに貪欲で純粋な切望に、胸を打たれた。
求められていると、ひしひしと感じ取れる。

「しょうがねえな、ほんっとに・・・」
ベッドに腰掛け、腹を抱えてくくくと笑う。
「こんな我侭ボウズに惚れちゃったんだから、もうどうしようもねえ」
「犬にでも噛まれたと思って、諦めてくれよ」
そりゃあどっちの台詞だと、突っ込む気力も無くなってしまった。
前髪で目元が隠れて、エースの表情はよく見えない。
けれど歪めるように笑う口から白い歯が零れて、セクシーだなとサンジは改めて見蕩れた。
サンジにとって初めて、女性以外に心を動かされた魅力的な男。
濃密なキスも抱擁も、エースとしかまだしていない。
この先ゾロとどうなるかはわからないけれど、少なくとも今はサンジにとってエースが唯一だ。

「身体に気を付けてな」
「おう」
「あっち行っても、がんばれよ」
「しばらく死ぬ気でがんばるわ。余計なこと考えてる暇もないほど」
「たまには俺のこと思い出せ」
「言ってくれるね」
「だって俺も、きっとエースを思い出す」
ついっと顔を挙げ、立ち上がったサンジの腰を抱いてキスをねだる。
屈みこんでそれに応え、それじゃあと身体を離した。
「元気で」
「ああ、またな」
扉を閉める前に、もう一度だけエースを振り返った。

「またな」
笑って手を振るエースの顔は、出会った時と同じようにどこか晴れ晴れとして見えた。





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