Apfel In Schlafrock -28-


「ごちそうさまでした、美味しかった」
きっちりと手を合わせ、頭を下げる。
こういう礼儀正しさはどこかゾロに通じるよなと思い出し、サンジはお粗末でしたと会釈を返した。
「ところで、サンちゃんはいつこっち来るの」
「ん、へ?」
いきなり水を向けられ、サンジは素で聞き返した。
「こっちって」
「南米、つか俺と暮らそうよ」
あ、まだその話・・・決着付いてなかったっけか。

「あーそのこと、なんだけど・・・」
「うん」
紙皿トレイをパパっと片付け、綺麗になったテーブルを挟み、いきなり畏まって向かい合った。
「あの、俺、エースとのお付き合いは止めにしようと、思ったんだ」
「えっ」
エースは目を見開き口を開け、仰け反る勢いで声を出した。
そんなに驚かなくてもと、サンジの方がビビッて身を引く。
「あ、いや、あの・・・」
「そんな、サンちゃん、この期に及んで別れ話?」
「え、や、そのー」
まずい、流される。

「俺が家出してっから?もうゴール家もポートガス家の援助も打ち切られるから?」
「違うよ、そういうの関係ねえし」
「カルチャースクールの理事長でもねえから、もうサンちゃんとの接点もなくなって縁の切れ目」
「いや、そう言う訳じゃ・・・」
「そうだよな、日本発つしな。遠恋にしちゃ遠過ぎるよな。それにもう俺一介のサラリーマンだし、サンちゃんにご馳走できるような権威も財力ももうねえし」
「エース」
「寧ろ裸一貫で一から出直しだしな、この先一緒に暮らしたってサンちゃんに苦労かけるばかりだ」
エースは膝の上でぎゅっと拳を握って、悲壮な表情で決意した。
「わかったよ、サンちゃん別れよう」
「・・・」
「今まで、たくさんの思い出をありがとう。サンちゃんと過ごせた時間は、俺の宝物だ」
「・・・エース!」
サンジはダンっとテーブルを叩いた。
「一体なに一人で暴走してくれてんだよ、誰がエースの財力やら権威やらで付き合ったとか言ってんだよ。関係ねえよ」
思わぬ剣幕に、エースのが動きを止めて目を瞠った。
「別に、エースが会社の社長だからとかスクールの理事長だからとか、そう言う理由で付き合ってた訳ねえだろ。一緒に話してて楽しかったし、嬉しかったし、ちょっとはドキドキもしたし。だから俺はエースのこと大好きなのに、そんな上っ面だけで、金の切れ目が縁の切れ目とか、そう言う風に思われるなんて心外だ」
サンジは憤懣やるかたないと言った風に、3分の1まで減ったワインボトルを鷲掴みした。
そのまま勢いでラッパ飲みする。
ぐはっと息を吐いて口元を拭い、音を立てて瓶をテーブルに置いた。

「いいか、こっちだって生半可な覚悟で野郎と付き合うとかできねえんだからな。予約の取れない珍しい店で食事とか、そういう餌だけでホイホイ付いてった訳じゃねえんだから、ちったあエースに惚れて一緒にいてえなって思ったのもあったりなかったりしたかもしんねえんだから」
自分でもなにを言ってるのよくわからなくなったが、嘘は言ってないと自覚はあった。
嘘じゃないから、話がややこしくなるのだ、
「そりゃあ、エースも俺も男だから、野郎同士で付き合うってのを現実的に考えたら、そりゃちょっとはビビるよ。引くよ。それでエースに応えられるなくて、悪いなあとも思ったよ。けど、だからって全然嫌ってことなかったんだし、タイミングの問題とかもあったし・・・」
後の方はごにょごにょと口の中に消えていく。
「ともかく、エースの強引さは嫌いじゃなかったしうっかり流されそうな気になったのも、決してエースが金持ちだからとかいい男だからだとか口が巧いからとか、そう言うんだけじゃねえんだから」
言い募るサンジをじっと見つめる、エースの目がほんの少し眇められた。
「そう言うのだけじゃないって、他になにかあるかな?」
口調は柔らかいが、瞳は笑っていない。
「家が金持ちで権力もあって、顔もまあまあ喋りもできるし、一応頭の回転もいいと自負してる。けど、俺からそれらのすべてを取ったら、なにか残るかい?」
―――それでもサンジは、俺を好きでいてくれるかい?

惨い問いだとわかっている。
自分だって、サンジの外見や知性、料理の腕を差っぴかれたら、多少なりとも気持ちは揺れるだろう。
でもサンジの綺麗な心根が変わらない限り、愛し続ける自信はあった。
けれど、サンジは?

「残るもなにも、それがエースの本質じゃないか」
なにを言ってると、呆れたと言わんばかりにサンジは眉を吊り上げた。
「誰が、好き好んで野郎の財力や外見に惹かれるよ。俺がエースと話してていいなあって思ったのは、エースの感覚がすごく俺にとって心地よかったからだ。俺の飯を食って『美味い』って言ってくれる奴は誰だって大好きだけど、エースのは適当でもおべんちゃらでもなかった。イマイチな時はちゃんとそう言ってくれるし、どうすればいいか一緒に考えてくれる。頭いいからできることかも知んないけど、少なくともエースは俺と向き合ってる時、賢しい計算はしてなかった」
これには素でビックリした。
エース自身、サンジと対峙する時どうしても計算高くなってしまって、そんな自分に嫌気が差していたのだ。
それなのに、サンジはエースの中に計算がないという。

「純粋に、俺のこと思ってあれこれ言ってくれたじゃねえか。俺、そういうのいいと思う。ほんとに俺のことが好きでいてくれるから、なんでも真剣に受け止めてくれただろ」
鈍器で頭を殴られたようなショックだ。
サンジの気を引きたくて、よく思われたくて、適度に押して引いて揺さぶっていたつもりだったのに、サンジはそれらをすべて丸ごと受け止めていてくれた。
そんなエースの性根なんて、最初からなかったんだと言わんばかりに。

「―――あ」
急に頭の中で光が閃く。
恋慣れたエースをここまで惹き付けたサンジの魅力は天然だとばかり思っていたけれど、もしかしたらサンジもまた不器用なりに一所懸命なだけだったんじゃないか。
疑うことを知らず、邪推することもなく、ただ真っ直ぐにエースの想いに真摯に応えようとして苦しんでいたサンジは、自分が八方美人なことも優柔不断なこともわかっていた。
それでいて流されていた。
それは、ゾロに対してもエースに対しても、正面からぶつかって受け止めようとしていたから。
そこになんら計算も策略もない。
そしてエースもまたそうだと、サンジは断言してくれている。

「あ・・・」
「エース?」
唖然と口を開けたままのエースの表情を訝しみ、サンジは顔を近付けて覗き込んだ。
「どうかしたか」
「あ、ん・・・いや」
まいったなと片手で顔を覆い、口元を綻ばせる。
「やばいなあ。ますますサンちゃんが好きになっちゃったよ」
「えー」
茶化した言葉に、サンジは戸惑ったように身体を引いた。
「そりゃ困る」
正直だ、あんまりにも正直すぎて、好きにならずにはいられない。
「困るっつってもこればっかりはどうしようもないよ、気持ちの問題だもん」
「・・・そうだな」
二人して向かい合って座り、途方に暮れたようにへらへらと笑い合う。
別れ話をしているのに、なんだってこんなまったりとした空気が流れているんだろう。


「つまり、俺のことは好きだけどやっぱりオツキアイする相手としては見られないと、そういうことかな?」
エースから助け舟を出せば、サンジはまさしくそうだと前のめりに頷いた。
「そう、そういうこと」
「ぶっちゃけ、SEXの相手としても」
「う・・・うん」
気付けば目元まで真っ赤に染まっている。
さっき勢いでワインをラッパ飲みしたせいもあるだろうが、やはりこの初々しい素振りは結構クる・・・というか。

エースはじっとサンジの目を見つめた。
あまりに不躾な凝視の仕方にサンジは落ち着きなく視線を彷徨わせ、なんだよと誤魔化すようにまたワインを口に含む。
こんなにも初心な反応を見せるのは、やっぱりヴァージンだからだろうか。
それともまさか、童・・・
「あ、」
「あ」
思わず出したエースの声に、ピクンと身体を震わせた。
このキョドり方がまたいい。
「今さらだけどこないだの夜。ゾロと二人で過ごしたんだろ」
「あ、ああ」
ほんの数日前のことなのに、もうずっと昔のことのような気がする。
「あれ、ホテルで泊まったのか」
「そう、近くのホテルに飛び込んで―――」
そう言えば、あれはラブホテルだったっけ。
「そん時、ゾロと」
「あ、やー・・・」
サンジは情けなさそうに眉を下げて頭を掻いた。
「なーんも、あいつ俺のこと助けはしたけどそれっきりさっさと寝ちまったし」
「で、サンちゃんは?」
「ん、俺も寝たよ」
嘘だ、寝てない。
殆ど眠れなかった、ゾロのことを意識しすぎて。
けどゾロはガアガア寝た。
思い出すと今でもなんかムカついてくる。

「だから、それだけだ。あいつとはなんでもねえよ」
「サンちゃんは、それでいいの?」
エースのまっすぐな問い掛けに、サンジははっとして顔を上げた。
じっと見据えている黒い双眸に僅かに怯む。
「お、れは―――」
キス、したかった。
キスしたいと、思った。

「でもあいつ、なんもしねえし」
途方に暮れて本音を漏らすと、エースはやっと視線を外してくれた。
「なんでだろうな。なんでゾロは、サンちゃんにアクションン起こさないんだろう」
えもいわれぬ緊張感が和らいだのにホッとして、思わず愚痴るように呟く。
「だってあいつ多分、ノンケだし」
「けどサンちゃんのことは真剣に想ってると思うぜ」
「なんでそんなこと、エースにわかるよ」
自分の口ぶりが拗ねているようだと、自覚はあった。
けれど止まらない。

「俺のことだって、エースがちょっかい出すから気付いた程度じゃねえかそんなん一時の気の迷いだ。そうでなくても不毛な男同士の三角関係なんて、本気で足踏み入れようなんて物好きでもマメでもねえだろ」
「それは違うよサンジ」
エースが呼び捨てにした。
それだけで、ピンと空気が張り詰める。
「どういう理由があったかは知らないけれど、君を裸に剥いてキスして証拠写真を送り付ける程度に、彼は積極的に関わってきたんだ。あの時だって躊躇いなく俺に連絡してきたし」
「あの時?」
聞き返すと、エースは表情を強張らせた。
がそれも一瞬で、ふにゃりと困ったように解ける。
「白状するとね、サンジがあのドSサディちゃんに掴まったと連絡してきたの、ゾロだったんだ」
「ええ?!」
座ったまま飛び上がるようにして小さく叫ぶ。
「なんで、ゾロが?」
「それまでにも、ゾロはなにか勘付いてたんだろうか。急に俺の携帯に掛けて来て尋常じゃない焦り方で『ストロベリーブロンドとやらで前髪で顔が半分隠れてる女、知らねえか』って聞いてきた。それまでにゾロへの心象は悪くなってたからまともに取り合う気はなかったんだけど、あんまり切羽詰ってるからさ。思い当たる子がいるって返事して、すぐサディちゃんのこと調べた」
確かに、あの時ゾロにサディちゃんの特徴を話した記憶はある。
「サディちゃん行き付けのホテルも割り出して、もしやと思いつつ現場向かったんだ。そしたらまんまとサンジが捕まってて」
「あー・・・」
あの時のことを思い返すと、今でも顔から火を噴きそうなほどに恥ずかしい。
「でも、それゾロから聞いてない?」
内緒話でもするように囁かれ、サンジは黙って首を振った。
ゾロからは何も聞いてない。
ドミノに送った写真のことだって言い訳一つなかったけれど、今回のこれは自分の汚名を雪ぐチャンスだったんじゃないのか。
ずっと、危ないところを助けてくれたのはエースだとばかり思っていたのに。
「ゾロ、なんで・・・」
サンジは訳がわからないと言った風に頭を振り、縋るような目でエースを見た。
「ゾロはなんで、肝心なこと言わねえんだ?俺、あいつのことわかんねえよ」
「俺も、理解できないな」
二人当惑しながら見つめ合った。
距離が近過ぎると気付いて、サンジは慌てて椅子の背凭れに身体を預ける。





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