Apfel In Schlafrock -24-



「あーあ」
サンジは肩を落として項垂れた。
狭い浴室は水を出してはいないが、どことなく湿っていて些細な音でもよく響く。
小さな溜め息はゾロの耳にまで届いたのだろう。
もの言いたげな視線を送ってきたが、口は開かなかった。
「盗聴の問題じゃ、ねえよ。多分うちの店にスパイがいる」
「わかんのか?」
「ああ、他所の店から研修に来てる奴が一人。すんげえよく気が付いていい奴なんだけど、そう思ってみるとなんか最初から怪しかった」
今日だって、仕事明けに出掛けるサンジを引き止めるような言葉を口にした。
あれは本当に予定通りで掛けることを確かめただけだったのか、もしかしたら少しはサンジの身を案じる想いもあったのか。

「かなり大掛かりだよな」
ゾロはふーっと息を吐いて、低い椅子の上で足を組み替える。
「で、どうすんだ?」
「んー」
サンジも同じように浴槽の上で足を組み替え、二人して「考える人」のポーズを取った。
「取り敢えず、エースには連絡しとかないとダメだろ。心配する」
「あっちも当然、盗聴なり見張りなりいると思うが」
「だってもう今更だろ。明日には日本発つんだって言って、エース自身はこっちに帰って来る気、ねえんだから」
向こうからサンジを呼び寄せるよと、エースは言っていた。
一旦戻ったら、身動きが取れなくなると思ったからだろう。
まるで自分だけ先に逃げるようで悪いと詫びたから、サンジは思い切りエースを蹴った覚えがある。
「じゃあ、向こうの狙いはなんだ」
「・・・俺を人質にして、渡米しないように脅す・・・とか?」
なくもないが、あまりに土壇場で場当たり過ぎだ。

「あのよ、俺は客観的にお前らの動き見てたけど、妨害の仕方がどうにも中途半端だ」
「おう」
それは、サンジにもなんとなくわかる。
そもそもなぜエースとサンジを別れさせたいかというと、エースに政略結婚をさせたいからだ。
そのために二人の仲を裂こうとして、それが結果的には逆効果でエースとサンジの結びつきは却って強まり、とうとうエースは日本を離れる決心まで付けてしまった。
こうなってしまってからサンジを攫って危害を加えようなんて、今さらのことだと思う。
確かに、それ以前にもサディちゃんとか小さな罠はいくつもあったが、本気でエースの縁談を進めようとするならそんな小細工は寧ろ必要ないはずで―――
「うん、妨害っつうか、邪魔だな」
サンジは無意識にポケットを探り、上着を脱いできたことを思い出した。
煙草が吸えない。

「あのよ、邪魔なんだよ。奴らがやってきてんのは全部、俺とエースの間の邪魔。てめえ使って妙な写真撮らせたり、サディちゃんが近付いてきたり、仲を裂こうって言うよりほんとに拗れさせるばかりで・・・」
「嫌がらせだな」
「うん、それ」
大掛かりに見せて、その実かなりちゃちい。
組織的に見せかけて、実はドミノの単独行動なのだろうか。
「敵は、本気でエースを引き止める気があんのか?」
首を捻るサンジに、ゾロは意味ありげに頷いた。
「そこだ」
「どこだ」
「敵とやらにも、迷いが見えるってことだ」
あ、と口を開けて目を見張り、それからいやいやいやと首を振る。
「わかったような気がしたけど、やっぱよくわかんねえや。だってそもそも俺には“敵”がなんだかわかんねえもん」
「ドレミだろうが」
「ドミノさんだ!そうじゃなくて、ドミノさんは上司であるエースの父親のために動いてるって話だったけど、その親父さんはそもそもそんなこと望んでるかどうかわかんねえじゃね?もしかしたらドミノさんが独走してるだけかもしんねえ」
「それはありえるな」
「んで、ドミノさんはそれなりの地位とかがあるからある程度使い勝手のいい駒も持ってて、そいつらが動いてると」
ゾロはふうんと気のない返事をして、後頭部を掻いた。

「そもそもは政略結婚か、そんなの男でよけりゃ、エースに弟いるだろが」
「ルフィはありえねえ。あ、でももう一人サボってのがいる」
確かに、サボの方がエースに年が近い・・・と言うより同い年だし、好青年っぷりでは上かもしれない。
「んーでも、サボもルフィもエースと母親が違うじゃねえか。ドミノさんが親父さん寄りだとしたら、もしかしたらサボやルフィのお母様側とは対立してるかもしんねえ」
ってことは、サボとも対立すると言うことだ。
「玉の輿じゃねえけど、条件のいい政略結婚だったらエースじゃなくて自分の息子に、とか母親なら思うよな。だったらエースの存在は邪魔だ」
母親側は、エースにどこかに行って欲しい(つまり、サンジと渡米するのは大歓迎)
父親側は、エースに跡を継いで欲しい(つまり、サンジと別れてもらいたい)
この対立が、迷いを生んだのか?

「あーわかんねえ」
「所詮他人ちのことだ、わかるわけねえよ」
ゾロは考えることを早々に放棄して、浴室のタイルに凭れて早くもウトウトと舟を漕ぎ始めた。
どこででも眠れる男だ。

「取り敢えず、携帯取ってくる」
エースから連絡が入ってるかもしれないと立ち上がりかけ、動きを止めた。
「ゾロよ」
「ん?」
半眼になって瞬きする顔を、ずっと覗き込んだ。
「お前、なんで俺が今日この駅に降りるってわかったんだ」
そもそもそれがおかしいだろう。
まさか、やっぱりゾロも一枚噛んでる―――?

サンジの疑念を感じ取ったのか、ゾロは剣呑そうに目を眇めた。
「ちげーよ、じいさんに聞いたんだ」
「・・・誰の」
「てめえの」
――――え・・・
「えーーーーーーーっ」
なんでここでジジイが登場するんだ?!

「てめえの携帯が全然繋がらなくなって、様子もわかんねえから取り敢えず知ってる奴を順番に店に行かせた」
「あれ、お前の仕業だったのか!ナミさんやビビちゃんが来てくれたりウソップが来たりジョニーとヨサクが来たり」
「おう、お前が店にいるってんなら一先ず安心だと思ったからな。んで、いつが休みかわからねえし、たまに姿が見えねえ時は店に電話してた」
「ええええええ」
「電話できる時間帯は大体決まってたし、その内、電話取るのがいつの間にかいつもじいさんになってたな。別に話したりするこたねえぜ、いますか?って聞くとおうって答えるくらいで」
サンジは思わず浴槽に手を着いて呻いた。
まさか、ゼフとゾロがそんな形で繋がっていただなんて。

「したら今日は『出掛けるってえ、ガレーラ・ホテルに行った』って珍しくたくさん話したからよ、礼だけ言って切って走った」
それでも間に合ったのがギリギリだったのは、最寄駅の周囲をグルグル回っていたからだ。
「なんだってそんな、ジジイが」
携帯からゾロの連絡先を消して以降、店のスタッフには「ゾロから連絡が入っても何も言うな」と口止めはしたが、さすがにゼフには何も言ってなかった。
それがまさか、こんな形で裏目に出ていたなんて。
いや、結果的には幸運だったのだろうか。
それとも、どんな目に遭ってもめげず諦めもしなかった、ゾロがいてくれたからだろうか。

サンジは顔を上げ、じっとゾロを見つめた。
ゾロも「?」と疑問符を顔を出しながら見つめ返す。
「お前さあ、なんでそんなにしてくれんの」
煙草を吸えなくて落ち着かなくて、無意識に指の爪を歯に当てる。
「俺に嫌われて、着拒されて連絡も取れねえ状態なのに、なんで見捨てねえの。挙句、ストカ扱いされてたんだぞ」
「ああ」
知ってる、と薄く笑う。
「俺だってさ、言ってくれたら理解できたよ。あんな写真撮ったってのも、単純に変態行為とかじゃなくてさ、俺のためを思ってしてくれたことだって、説明されたら納得できたよ。黙ってるから、気持ち悪いって思うんじゃねえか」
「そりゃあまあ、そうだろうな」
冷静に見たらキショいよなあと、他人事みたいに笑う。
「俺に嫌われてエースに憎まれて、なんもお前にいいことねえじゃん。なんでそんな必死だったんだよ」
馬鹿じゃねえの?と、わざと吐き捨てるように言った。
ゾロはまあなあと苦笑しながら首を振っている。
「仕方ねえだろ、なんかてめえはほっとけねえし」
「だったら尚の事、ちゃんと話してくれたらいいんだ」
そうしたら、もしかしたら自分だってエースにばかり流されたりしないで、もしかしたら、ゾロを―――

「まあ、いいとこ見せようっつったらできたかもしれねえがな」
眠たげな目を擦って、ゾロはくわあと大きく欠伸する。
「肝心なのはてめえの気持ちだから、エースがどうとか俺がどうとか、あれこれ動いたって関係ねえだろ」
「―――!」
サンジは愕然として目を見張った。
最近、似たような言葉を聞いた気がする。
あれは、ナミだったか・・・
「てめえは、てめえの気持ちを大事にして動きゃあいいんだ。俺があれこれ口出すことじゃねえし、無理に選ばなきゃなんねえもんでもねえ。てめえで望まねえなら、無理するこたあねえ」
「・・・そんなんっ」
困る、そんな風にすべてを委ねられたら、すごく困る。
「いつまでも宙ぶらりんで、どっちつかずになっかもしんねえんだぞ!」
何に怒ってるのかわからないが、サンジは激して言った。
対してゾロは暢気な半眼でタイルに持たれ、瞼を開けるのも億劫そうだ。
「別にそんで構わねえだろうが。なに焦って無理してんだ」
「だって、ゾロは俺に一生懸命・・・で、色々してくれてんのにっ」
「だから、それは俺がしてえからしてるんだっての。てめえだってなんかしたかったら全力でやるだろうが。別に人に合わせなくていい」
「う―――」
サンジは歯噛みして地団駄を踏みそうになった。
エースはサンジの意思を尊重しつつ、共にいることを望んで一生懸命努力している。
ゾロは、サンジを守ることに奔走しながら、サンジを縛り付けることを望んではいない。
求められているのは当然エースなのに、サンジの心は大きく揺れた。
いっそゾロが、なにもかもかなぐり捨てたくなるくらい激しくサンジを求めてくれたなら、もっと早く決断できたのに。
―――いや、一体なに考えてんだ俺!

サンジは我に却ってあわわと髪を掻き毟った。
向かいにはスケベ椅子に腰掛けて壁に凭れ、ガアガア鼾を掻き始めたゾロがいる。
こんな暢気な状態でいていい訳がない。
取り敢えずエースに連絡しようと、サンジはそっと浴室を抜け出した。





携帯を手に取ると、エースから着信があった。
心配しているだろうなと案じつつ、電話を掛ける。
コール2回で出てくれた。
「ごめんエース、心配しただろ?」
「大丈夫か、サンジ。今どこにいる?」
「えっと、駅の近くのホテル。や、大丈夫だから」
ゾロと一緒にいることを言うべきかと一瞬迷ったが、躊躇いを振り切った。
もうどちらにも、隠し事はしたくない。
「妙な奴らに襲われて、ゾロに助けられたんだ。今、ゾロと一緒にいる」
エースは、怒るだろうか。
「・・・そうか」
ならよかったと小さく続けられ、思わず耳を疑った。
「エース?」
「ん?」
「どうかしたのか」
「うん、実は今、俺もガレーラ・ホテルにはいない」
「え?」
携帯を持ち替える音がする。
一つ大きく溜め息を吐いて、エースは殊更明るい声を出した。
「前の時と同じパターンでさ、サンちゃんがホテルに来たらフロントで別の場所を伝えてもらおうって思って、隣のシャボンティ・ホテルで待機してたんだ。このことは当然サンちゃんにも伝えてなかったし、サンちゃんから漏れる心配もなかったのにね」
「エース?」
「それでもバレた。ってことは、俺の側から情報が漏れたってことだ」
キイッと椅子が軋む音がする。
サンジは黙って、携帯の向こうから聞こえる小さな音も聞き逃すまいと耳を済ませた。
「俺の方は大丈夫だから、サンちゃんはゾロの傍を離れるんじゃないよ」
「エース?」
「ゾロがいてくれるなら安心だ。俺は大丈夫だから、また連絡するよ」
おやすみ、と囁くように告げて携帯を切る。
そのまま電源も切って、エースはテーブルの上に携帯を置いた。
伸びをするように背凭れに身体を預けて、これ見よがしに大きく嘆息してみせる。



「まさかお前が、首謀者だったなんてなあ」
―――心から信頼していたのに。
そう続けると、向かいのソファに座ったサボは人のよい笑みを浮かべ頷いた。




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