Apfel In Schlafrock -22-



「聞いたわよ、急転直下ね」
興味津々とばかりに、目を輝かせてサンジを呼び付けたのはナミだった。
ランチタイムもピークを過ぎた頃、ビビと連れ立ってバラティエに食事に来てくれたのだ。
「なんのこと?」
「しらばっくれない、エースと愛の逃避行でしょ」
思わずトレイを取り落としそうになって、慌てて持ち直す。
「な、なに言ってるのナミさん」
よく考えたら、ナミの恋人ルフィはエースの弟だ。
サボと同じようにエースから話が言っていても不思議じゃない。
「多難ですね」
ビビは気の毒そうに眉を寄せて、サンジを励ました。
「私も、コーザとの交際を反対する声が親戚から出たことがあります。辛い気持ちはよくわかります」
「あ、りがとうビビちゃん」
ここは礼を言うべきか。
「でも、まだなにも決まった訳じゃないから」
「決めるもなにもないでしょ。こういうのは勢いよ」
「気持ちさえあれば、結果は後からついてきます」
その気持ちが問題なんだけど。

「でもさ、俺もエースもその…」
男なんだけど。
言い掛けて止まった言葉の先を理解し、ナミはしたり顔で頷いた。
「サンジ君がためらう気持ちもよっくわかるけど、事態はもうその辺りの問題点は飛び越えてるから」
「エースさんの身の振り方が要ですよね。本当におうちを飛び出してしまわれるのか」
「愛だけじゃ、暮らしていけないわよ」
「あらでも、愛がなければ幸せになれませんわ」
軽く言い合う二人を前にして、サンジはトレイで顔を隠し密かにため息を吐く。
なんだかもう、いたたまれない。

「もしかして、みんな俺に別れを告げる気で連日来てくれてるんじゃないだろうね」
昨日はウソップとカヤがディナーに来てくれた。
その前はヨサクとジョニー。
ここのところ立て続けに知り合いが食べに来てくれている。
「偶然よ、でもサンジ君はいつエースに連れてかれるか、わかんないわね」
今の内に会っとかないといつの間にか消えて立ってこともあるしー。
そう嘯くナミの横で、ビビは表情を曇らせる。
「愛する人を強引に攫って逃げてしまうだなんて、ロマンティックではあるけど・・・」
ビビは一旦言葉を切って俯き、意を決したように顔を上げた。
「サンジさんは、本当にいいんですか?その、ゾロさんは・・・」
サンジはグラスを磨く手を止め、ふいっと目を逸らした。
「なんのこと?ゾロは関係ないし」
口調があまりに素っ気無いかと思いつつ、取り繕う気もなかった。
ゾロなんて関係ない。
その名を、耳にするだけで腹立たしい。
「ゾロさんと、何かあったんですか?」
「別に、なにも」
お愛想ににっこりと微笑んで見せた。
上手く笑えたと思ったのに、ビビの表情は凍りつく。
「ビビはゾロ贔屓だもんね」
「ナミさんはいいんですか?ゾロさんとは私よりよほど親しいじゃないですか」
ビビの詰るような声に、ふふっとこちらは柔らかな笑みを返す。
「そりゃあ、私にとってゾロは大切な親友よ。後にも先にも、男女を限らず彼みたいな存在は現れないだろうとも思うわ。でもそれとサンジ君とのことは別。エースとサンジ君とゾロは、恋愛関係でしょ。これは周りがとやかく言うことじゃないの、サンジ君の気持ちだけが優先されるべきこと」
ずきんと、サンジの胸が痛んだ。
俺の気持ち、それが一番あやふやでいい加減なこと。
「ぶっちゃけエースの気持ちもゾロの想いも、考えなくていいのよ。サンジ君がどうしたいのか、それだけが肝心」
ね?と片目を瞑られて、サンジはとっさにナミに縋り付きそうになった。
エースの気持ちはありがたいけど、正直どう応えていいかまだ迷っていること。
ゾロの裏切り。
ナミがそこまで信頼を寄せる、親友と呼んで憚らないゾロが実はあんな卑怯な真似をする人間だったってことをナミが知ったら、どう言うだろうか。
ナミはどう、思うだろうか。

「ゾロと言えば―――」
ナミはグラスの水を口に含んで、思案気に視線を上げた。
「転職するらしいわよ。今年一杯で会社代わるって」
「え、そうなんですか?」
ビビも初耳だったらしく、身を乗り出した。
サンジが気になっても聞けないことを代わりに尋ねてくれる形になって、少し助かる。
「前からあちこち話があったみたいだけど、最終的に決めたみたいね」
「一体どこに?って、聞いてもわからないかしら」
「わかるわよ、ゴール・D系列で新規事業立ち上げるって、プロジェクト段階から呼ばれたらしいわ」
サンジは今度こそ動きを止めて、ぽかんとナミの顔を見返した。
「ゴール・Dって・・・」
「ええ、ルフィのお父さんの。まあエースの絡みとはまた違うのよ、系列が違うって言うか・・・あの家も結構複雑だから」
知ってる、知ってるよ。
つまりゾロは、エースと敵対した会社・・・ドミノの傘下に付いたってことだ。

「ゾロにはうちの叔母も話持ってったんだけどね。振られたって夕べ自棄酒飲んでたわ」
苦笑するナミに、サンジは平静を装って無意味にグラスを移動させながら聞いた。
「えっと、叔母様って結構、煙草吸われる?」
「ええ、確かここでゾロと話し合ったんじゃないかしら。女性ならサンジ君も覚えてるでしょ、ゾロったらあちこちからあった話を一々対応するの面倒くさいとかなんとか言って、横着にも全員立会いで食事しながら話聞いたって言うじゃない。あけっぴろげにも程があるわ、この無神経さには呆れる」
「ポニーテールの美女と、ショートボブの美女がいたよ」
「あ、ポニーテールが叔母。あとロングの美女がいたでしょ、彼女の話に結局乗ったんだそうよ」
やっぱり、ヒナさんが・・・
「ゾロさんにとっては、ステップアップてことでしょうか」
「そうね、彼の個人的な人脈を当てにされてヨーロッパでの事業展開も視野に入れてるらしいし」

―――正月休みに、一緒にフランスを旅行しよう。
あの誘い文句すら、すべてが計算づくのように思えてきた。
もう何も、信じられない。

「サンジ君、大丈夫?顔色が悪いわよ」
「いや、別に」
大丈夫だよと笑い返すことも忘れ、サンジはさっきから何度も磨き続けているグラスを再び手に取った。





エースと二人で、南米に行こう。
この先どうなるかはわからないけど、エースとならなんとでもやっていけそうな気がする。
自分の気持ちはまだ見えないけど、裏に打算が見え隠れするゾロよりよほど、エースの方が信頼できる。
俺の気持ちがすべて優先と言ったって、俺にはもう選択肢が残されてない。
エースと行こう。
この先は余所見もせずに、エースだけを見つめてエースだけを愛してみよう。





ゴール・D家とポートガス家で一騒動あったらしいが、サンジは情報の一切を遮断してただ黙々と仕事をこなしていた。
週に一度は必ず回ってくる休暇も極力取らず、休みの日でも家から出なかった。
暇さえあればエースとメールで連絡を取り合って、これからのことを語り合った。
それだけで充分に楽しかった。
ゾロのアドレスは携帯からすべて削除し、着信拒否を掛けた。
もし店に来たらスタッフを巻き込んででも追い払おうと思っていたのに、あれからゾロは一度もサンジの前に姿を現さなくなっていた。

―――もう、用なしってことかな。
ドミノの側は、諦めたのかもしれない。
ゾロを使って妨害の工作も、必要なくなったのかもしれない。
だからゾロは、サンジの元に現れなくなった。
最初からそういうことだったんだ。
ゾロは、そのためにだけしつこく言い寄って来て、あんな写真まで撮って妨害しようとしていたんだ。
それだけのことだったんだ。

不毛な男同士の三角関係状態は解消されたと、喜ぶべきことなのに。
サンジの気持ちは現状とは裏腹にどんどん沈みこんでいく。
それが何故なのか、考えればわかってしまう気がして、極力なにも考えないように努めた。





「いよいよ明日だな」
一旦渡米すると言っていたエースが、明日の朝出発する。
逃げ出す形にはなるけど、飛んでしまえばスッキリするとエースは朗らかに笑っていた。
親族のゴタゴタに巻き込まれ、神経が相当磨り減っているだろうに。
面窶れした顔で、それでもサンジの前では元気なそぶりを見せるエースが、心底愛しいと思えた。
自分にできることはなんでもしてあげたいと、思うほどに。

『今夜はどこに泊まるんだ?』
『空港近くの、ホテル・ガレーラだよ。見送りに来てくれる?』
サンジはすこし躊躇ったあと、送信ボタンを押した。
『今日は早帰りだから、仕事が引けたらそっちに行くよ。泊まっていいだろ?』
驚くほど早く、返信のランプが点く。
『ありがとう、待ってる』
パタンと携帯を閉めて、サンジは休憩室から出た。
途中倉庫から出るゼフを、わざと軽い口調で尋ねた。
「ジジイ、今日は仕事引けたらちと出掛けて来る。いいだろ?泊まるから明日の朝、帰るな」
「朝帰り宣言か、生意気な野郎だ。どこへ行きやがる」
「ホテル・ガレーラ。友達の送別会が入ったんだ」
「もうガキじゃねえんだ。勝手にしろ」
これでよし、と吹っ切れた気分で廊下に出るとコビーと擦れ違った。
「サンジさん、今日お出掛けですか?」
「あ、ああ。ちょっと野暮用で」
「実はいいお店見つけたんで、付き合ってもらいたかったんです」
「それはまた今度、休みの日でもな」
そう言うと、コビーは残念そうに顔を曇らせた。
いつも聞き分けがよい・・・と言うか、ソツのないコビーにしては素の表情が出たと思う。
「なんか、相談事?」
「・・・いえ、いいんです。またお願いします」
ぺこりと頭を下げて先に厨房に向かうコビーの様子を、サンジは特に気に止めなかった。



「そいじゃ、お先です」
定時と共に店舗部分から出、住宅部分に入った。
軽くシャワーを浴びて着替え一式を持つ。
新品の下着を身に着けた時はさすがに自分でも引いたが、これが勝負下着と言うモノかと見当違いな感心をしながら己を奮い立たせる。
せっかくのエースの旅立ちなんだから、俺がちゃんと応援してやらないと。
こんなことで力になれるかどうかわからないけど、やれるだけのことはやってみようと思う。
誠意を持って。

「んじゃ行って来ます」
誰もいない玄関で挨拶だけ残して、外に出た。
いつもとは違う電車に乗って、少し離れた空港へのラインに乗り継ぐ。
ホテルは最寄り駅から10分ほど歩いた場所だ。
携帯で地図を確認し、裏通りを歩いた方が近道だと判断する。
―――ゾロじゃねえんだから、迷ったりしねえよ。
そう思ってから、なんでまたゾロが出て来るよと一人で歯噛みした。

駅の裏手から路地に入るため、一方通行の道路を横切った。
音もなく近付いた黒塗りの車が、サンジの真横で止まる。
すばやく飛び出す数人の男達の気配に、サンジははっと身構え反射的に横蹴りを繰り出した。
自分を狙ったとか考えず勝手に身体が動いたが、結果的には正解だったらしい。
倒れても次々と飛び掛ってくる男達を振り払い、夢中で駆け出した。
路地に入り、ケバケバしいネオン煌めく繁華街を全速力で駆け抜ける。
途中ゴミ箱を蹴っ飛ばしたが、気にして入られなかった。
不意に正面の角から男が現れ、挟み撃ちかと思ったら横道から手が伸び腕を掴まれた。
後頭部に衝撃が走り、次いで腹も蹴られる。
身を折って膝を着きかけたところを抱え上げられ、後ろ手に腕を捻り上げられた。
「ここらでいい、適当に連れ込め」
ホテルの入り口まで引き摺られ、冗談じゃないと必死でもがく。
羽交い絞めにされ足まで抱え上げられ、力任せに頬を殴られた。
一瞬頭がぶれて意識が飛ぶ。

「ぐっ・・・」
「なんだてめえっ」
どさりと地面に投げ落とされ、頭の上で激しい乱闘が始まった。
なにがなんだかわからないまま、サンジは頭を抱え身体を丸めて伏せる。
サンジの顔の横にどさりと勢い付けて倒れたのは、黒服の男だった。
寝そべったまま目を見開くサンジの襟首が、強い力で掴まれて引き上げられる。
次はなんだと仰向いたら、鬼のような形相のゾロが立っていた。

「なっ、ゾっ!」
「一体てめえは、何してやがる!」
それはこっちの台詞だと言い返したいのに、首が詰まって声が出ない。
ゾロは猫の子みたいにサンジを引き上げて横抱きにし、男達が連れ込もうとしたホテルにずかずかと入り込む。
―――お前もかー!
突っ込みたかったが、声も出なかった。


フロントで簡単に手続きを済ませ部屋に入ると、担いでいたサンジを乱暴にベッドの上に投げ落とした。
仕事帰りなのか、ゾロはスーツ姿だ。
非常に怒っているようで、フガフガと鼻息も荒く上着を脱ぎ、ネクタイを毟り取って大股で踏み出す。
ベッドの上で後退るサンジの足を掴み、引き摺り下ろしながら上から覆い被さった。
「まっ、ゾロっやめ―――」
あ―――――



「あ、ん・・・そこっそ・・・あ・あ――――」





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