Apfel In Schlafrock -20-



サディはベッドの上で鞄をひっくり返し、中のものを散らばらせた。
なんだかわからない、けれどなんとも禍々しい幾つもの器具がサンジの顔の横に転がる。
「ん〜〜〜〜サンジちゃん、もしかしてこういうの初めてん?」
「サ、サディちゃん冗談は・・・」
仰向けたまま首だけ擡げたサンジの胸元を、サディの手がむんずと掴んだ。
そのまま勢いよく左右に引っ張る。
薄いシャツが派手に破けた。
「ん〜〜〜〜真っ白、痕がくっきり残りそう」
いつの間に嵌めたのか、革手袋を装着したサディの指が肌蹴られたサンジの胸をすっと撫でた。
「綺麗なお肌に消えない傷を、刻んであげちゃう」
「サディっ・・・ちゃんっ」
「ん〜〜〜〜地獄で天国見せてあげちゃう。聞かせて、甘美なるスクリームっ」
サディが再び鞭を振り上げた、その時―――

「お客さん困りますよっ」
「非常事態なんだ」
ダンっと扉が開いて男が二人飛び込んできた。
「サンジ!大丈夫かっ」
「エース?!」
横から飛んできた鞭を片手に巻き付け、勢い付けて引き寄せる。
思わぬ方向に引っ張られたサディが、バランスを崩してベッドから落ちた。
「いやん、ん〜〜〜〜なにごと?」
仰向きに倒れて顔を上げ、サディは慌てて顔を隠した。
「ん〜〜〜〜知らない人っ」
「惚けるな、サディちゃんどういうつもりだ?!」
「エース、この子知ってんのか?」
両手を戒められ、前を肌蹴た状態でサンジはエースに食って掛かった。
「前に話しただろ、合コンに来てたサディスト・サディちゃんだ」
エースは手早く上着を脱ぐと、サンジの身体を覆い隠すように被せた。
「プレイ中に部屋に入れるなんて、ん〜〜〜〜管理人失格よ」
「ごめんよサディちゃん、こいつがどうしてもって」
「鍵は?」
サンジの枕元に膝を着き手錠を弄くっていたエースが、低い声で振り返る。
「手錠を外す鍵を、早く」
「ん〜〜〜〜」
サディは渋々、ポケットから鍵を取り出した。
「久しぶりに、調教し甲斐があったのに」
「悪いが、他を当たってくれ」
両手が自由になって、サンジは即座に上着の前を合わせた。
掛けられていた服をエースに返し、ベッドから飛び降りる。
「さ、早く」
エースに背中を押され、サンジは振り返る暇もなくホテルの部屋から飛び出した。



誰に追い掛けられている訳でもないのに、駆け足で表に出る。
そのまま路駐されていたエースの車に乗り、すぐに発進させた。
街中を通り抜け郊外に出るまで、二人とも無言だった。

「間に合ってよかった」
街路樹に彩られた広い道路に出てから、エースはほっと息を吐いた。
「なんで、わかったんだ?」
「ん、ああ・・・なんだかドミノがおかしな動きをしていると、思ってたんだ」
エースはハンドルを回しながら、前を向いたままごめんよと呟いた。
「完全に、俺が巻き込んだんだ。こんなことになって、本当にごめん」
「いや、俺こそ助けてくれてありがとう」
サンジは先ほどのことを思い返し、ようやく安堵の息を吐いた。
「けどびっくりしたな、まさか女の子があんな・・・」
「ドミノの動きを追っていてサディちゃんに辿り着いたんだ。調べてみたらあそこは行きつけのホテルだってわかったし、もしやと思って来てみて・・・」
本当によかったと、心底堪えたように呟く。

「サンちゃんにもしものことがあったらって、そう思うだけでもう」
「大げさだな」
サンジはエースを慰めるつもりで軽く笑った。
「そりゃあ手錠なんて掛けられてびっくりしたけど、女の子なんだからそんなすごいことしないよきっと。ちょっと悪ふざけしてたんだろう」
「んな訳ないだろう!」
急に大きな声を出すから、サンジは助手席で飛び上がった。
「彼女は本物のサディストだ、女だからって舐めて掛かってたらとんでもない目に遭う。俺が掛け付けなかったら今頃どうなってたか・・・」
「そんな」
へらりと笑って流そうとするサンジに、エースは苛立ちを隠さない。
「縛られて吊るされるだけじゃ済まないからね、サンジは想像もできないだろうけど女だから挿れられないって考えなら甘いよ。代わりになに挿れるかわからない、最終的には腕とかね」
「腕?なんの?」
きょとんと返したサンジに、エースは忌々しげに舌打ちした。
「ああもう、そんなだから放っとけないんだ!」
バンと力任せにハンドルを叩く。
ここに来てようやくサンジにも、エースが怒っていることがわかった。
その怒りの矛先が、ドミノではなく自分に向かっているということも。

「エース、ごめんって」
「わかってない、サンジはなんにもわかってないんだ」
大きな公園の駐車場に車を入れ、入り口から一番遠い場所に乱暴に停車した。
シートベルトを外して、助手席の背凭れに身体をぶつけるように身を寄せる。
「あいつらはどんな手段使ったって俺とサンジを引き離したいんだ。俺が、あいつらの息の掛かった系列企業の娘と結婚して、うまく操縦できるように。ゴール家と太刀打ちできる基盤を作るためにはどんな汚い手だって使う。そのためにサンジが邪魔なんだ。俺が愛したり、したからっ」
そこまで言って、くしゃりと顔を歪めた。
常にないエースの激昂ぶりに、サンジは内心慄きながらもしっかりとその目を見つめ返す。
「俺がサンジを巻き込んだんだ、それなのに・・・」
「俺が悪かった、ごめん」
エースが言わんとすることを先回りして答えた。
「エースと付き合ってるってのに、他の女の子に気を取られた俺が悪かった。エースのことだけを想ってたらこんな罠になんか嵌らなかったのに、エースを裏切った罰だ」
「サンジ・・・」
「俺が不誠実だった、怒っていいよエース」
エースは泣き笑いみたいに顔を歪める。
「怒っていいって、先に言われると怒れないもんだな」
「ごめん」

乱れたエースの前髪に、そっと指をくぐらせて梳いた。
柔らかな猫っ毛が引っ掛かりながら解けて行く。
何度か優しく梳いてやると、エースはその手に頬ずりするように首を傾けた。
「俺の方がごめんよ、サンジ」
「俺が悪かったって」
「自分が原因なのわかってて、サンジに腹を立てた。なにフラフラしてんだって思った」
エースの本音に、サンジは黙って耳を傾ける。
「俺と付き合うことを了承して、キスしたらうっとりと目を閉じて、なのにサンジはいつだって俺だけを見ていない。どこかうしろめたそうな顔で他所を向いてる。俺を受け入れられないならはっきりと言えばいいのに、いつだって調子を合わせるみたいに笑って、困った顔をしながら拒まなくて」
耳が痛い、けれど事実だ。
「俺だけじゃないんだろう。サンジは多分、誰にだって優しい。ゾロもサディちゃんも等しく誠実に、優しく対応してるんだ。それがわかってて腹が立つ。俺だけを特別に扱わないことが、そんなサンジが好きのに、そんなサンジが憎らしい」
「エース」
エースの手が、そっとサンジの頭を引き寄せた。
「俺にはサンジだけなんだ。サンジだけが、俺を正しい道に導いてくれる。ダメなことはダメって言って、損得の勘定なしにただ俺のためだけを思って意見してくれる。それはちゃんとわかってる、サンジが、俺だけじゃなく他の人間にも同じように接しているってわかっているから、自分だけが特別だなんて思い上がっちゃいない、でも―――」
エースの熱い吐息が頬を掠めた。
「俺は、サンジの“特別”になりたいよ」

両手で顔を挟まれ、掬い取るように口付けられた。
あまりに優しい仕種に、サンジはついうっとりと目を閉じる。
エースの口付けはあくまでも甘く、サンジの気持ちを宥めるように何度も軽く啄ばんだ。
それに答えて口先を尖らせながら、サンジも無意識にエースの背中に手を回す。
ぶるっと懐が震えて携帯の振動が伝わった。
一瞬ぎくっとしたが、自分の携帯は電源を切ったままだ。
エースのものだろうと自分からキスを解くと、エースは俯いて胸元を探った。
着信表示を見、一瞬顔を顰めてから開く。
「うん、無事だ。ああ」
答えながら、座席を振り返るように身を捩った。
サンジは助手席に元通りに座り直し、改めてキョロキョロと周りを見回す。
平日の公園は親子連れの姿が遠くに見えるが、ここまで遠い駐車場に他の車は見当たらない。
それでも、真昼間から車の中で抱き合ってキスだなんて、我に返ると顔から火が出そうだ。

「ありがとう」
エースは丁寧な口調ではっきりとそう告げ、携帯を切った。
誰から?と無言で問えば、軽く笑って携帯を翳す。
「サンちゃんを探すのを手伝って貰ったんだ」
サンジは神妙な顔付きで両手を膝の上に乗せた。
「俺、ほんとにたくさんの人に迷惑掛けちゃったんだな」
「お互い様だ、元はといえば俺が・・・」
「ストップ」
堂々巡りだと掌を向けると、違いないとエースも破顔した。

「でも、もう決めた」
「ん?」
吹っ切れたように、エースはハンドルの上に両腕を乗せて前屈みになる。
「俺は家を出るよ、仕事も辞める。サンジを連れて南米に行く」
「う、え?」
突然の宣言に、連れて行かれる本人が目をぱちくりとした。
「もう四の五の言わせない。サンジが嫌だっつっても連れて行く、今決めた」
「ちょ、エース」
「サンジの仕事のためにもなる店、俺が探すよ。一緒に世界に出よう!」
「エースっ」
再びガバリと抱き付かれ、今度は噛み付くように口付けられる。
こんなところでと必死に髪やらシャツやらを掴んで引っ張っても、容易には剥がれない。
「サンジ、愛してる。俺と一緒に行こう」
感極まったか嗚咽を押し殺しながら囁くエースに、まともに答えを返すことが出来なかった。





破かれたシャツの代わりに新しい服を買ってあげるとの申し出を固辞して、そのまま家まで送って貰った。
うっかりエースの誘いに乗って付き合っていたら、今度こそ最後まで流されてしまう。
すでにかなり流された感を残しながらも、サンジは自分としては冷静に対処したと思いつつ家路に着いた。

それでも、エースには必ずゼフに話をするようにと約束させられた。
もしうまくできないようなら俺から筋を通すからとまで言われ、慌てて「大丈夫自分でできる」と言い張った。
こうなったら意地でも、ゼフに話を付けなくてはいけない。
エースについていくと言う部分は省略したとしても、海外で修行をしたいんだと切り出したら、ゼフはどんな顔をするだろう。
生意気だ、まだ早えと怒鳴られるだろうか。
そうであって欲しいと、心の底で願ってしまうのは、甘えだろうか。


「おう、そりゃあいい」
サンジが決死の覚悟で切り出したのに、ゼフはあっさりと頷いた。
「そろそろてめえの口から、そういう話の一つや二つ出てこねえかと思ってたところだ」
「え?だって、まだ早くね?」
「遅えくらいだ。やる奴あ10代から外に出てる」
「や、でも、俺がいなくなったらココ、大変じゃね?」
ゼフは怒りもせず、寧ろ笑い出した。
「笑わせんな。てめえみてえなヒヨっこの一匹や二匹、いなくったってどうってこたねえ。つまんねえ言い訳ほざいてんねえで、ちったあ外に目を向けろい」
「あんだとお!」
「いつまでもジジイの脛、齧ってんじゃねえよ。まあ、てめえから言い出したことだけは褒めてやる」
ポンポンと子どもにデモするみたいに頭を叩かれ、サンジは腕を大きく振り回してムキーっと怒った。
「ふざけんなクソジジイ、俺ほんとに海外出るからな」
「おう、どこに行くかあ見ものだな。言っとくがフランス辺りで俺に紹介しろなんて甘っちょろいこと言うんじゃねえぞ」
サンジはふんと鼻息を荒くした。
「そんな見え透いた真似すっかってんだ。思いもかけねえとこ、行ってやる」
「せいぜい楽しみにしてんぜ」

南米だといったら、なんで南米だ?と問われるだろうか。
それとも、こしゃくな真似しやがってとまた子ども扱いするだろうか。
ゼフは、本当はエースと旅立とうとしていることを、知ったら許してくれるだろうか。
サンジはゼフの笑い声を振り切るように足早に階段を駆け登り部屋に入った。





上着を脱いで、無残に引き裂かれた襤褸切れみたいなシャツも脱ぐ。
ゴミ箱に投げ捨てて、裸のままベッドに倒れこんだ。
脇腹にシーツが擦れて、ぴりっとした痛みが走る。
俯けば、肌が赤くなって皮膚が剥けていた。
スタンガンのせいで火傷したのだろう。
「いって・・・」
今更痛みを感じて、サンジは患部に触れぬように掌で脇を覆い寝返りを打つ。

ベッドに仰向けになれば、サンディちゃん・・・いや、サディちゃんの豹変振りに改めて怖気が走った。
まさかあんなナイスバディが、ポンチョの下に隠れていたなんて。
もっとじっくり見とけばよかったと、場違いな後悔の念も湧き上がる。
女の子ってよくわからない、結構怖い。
でも、綺麗な身体していたなあ。
我ながらしょうもないことを考えると、自分で自分に呆れつつ身体を起こした。
上着のポケットに仕舞いっぱなしになっていた携帯を取り出し、電源を入れる。
覚悟をしていたが、ゾロからの着信は1件もなかった。







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