Apfel In Schlafrock -2-




取りあえず、立ち話もなんだからと近くの喫茶店に入った。
女性はサンジの意見も聞かず、さっさと二人分のコーヒーを注文し改めて向き直る。
「お呼び立てして、申し訳ありません」
さして悪そうな素振りも見せず、口先だけで謝った。
「いいえ、貴女のような美しい方にお誘いいただけただけで光栄です」
サンジはいつもの調子で軽口を叩く。
いつまでもサングラスを掛けたままで硬い表情を崩さない女性をなんとか和ませようと思ったからだ。
けれど女性はサングラス越しにも整った顔立ちをクスリとも緩めない。

「早速ですが、私こういう者です」
女性が差し出した名刺には【GDRコンサルタント 第一秘書室主任】の肩書きがある。
「ドミノさん?知的なお名前だ〜」
社名に反応もしないサンジに、わざわざ説明を加えた。
「GDRコンサルタントの会長は、ポートガス様の父親です」
「ポートガス様?」
どこかで聞いたような・・・としばし考えて、エースだと唐突に気付いた。
「エースのお父さんの会社?」
「の、秘書です」
ようやく話が通じたかと、ドミノは無表情なまま頷いた。
そこにコーヒーが運ばれてきて、一旦話が途切れる。
ウェイターが行ってしまってから、ドミノは口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。今後、ポートガス様とは個人的なお付き合いをお控えください」
「・・・は?」
単刀直入すぎて、なんのことやらサンジには理解できなかった。
ポートガス様=エースだと言うのは理解できる。
が、その後の個人的なお付き合いと言うのは―――

「ええと、エースは俺が講師を勤めている文化教室の経営者・・・だと思うけど」
「そうですね」
「それで、個人的な付き合い?」
「お付き合い、なさっているでしょう」
ドミノの言葉はどれもが見事に言い切り型で、そこに疑問も憶測も差し込まれていない。
すべて知っているぞと言わんばかりだ。
しかも最初の文言に至っては、お願いではなく命令。
「そちらがどのように捉えてらっしゃるかは存じませんが、ポートガス様は貴方とのお付き合いを大変楽しみに、そして一定以上の感情と熱意を持って貴方のことを想っておられます。そのことに気付いていないとは、まさか仰らないでしょう?」
ようやっと質問形式が入ったが、寧ろこれは有無を言わせぬ詰問だ。
そんなドミノの迫力に押されるより、サンジはともかく背中を冷や汗が流れる心地だった。
――― 一体この女性は、どこまで知っているのか。

「あの、誤解があるようなので・・・」
「誤解などありません。なにか齟齬があるようでしたらお聞きしますが」
どこまでも居丈高で高飛車だ。
つか、正直怖い。
「ポートガス様にお付き合いのお申し込みがあった、そうではありませんか?」
ありませんか?と問われたら、はいと答えればいいのだろうか。
ありませんか?
はい。
はいっつったら、否定になるのか?

追い詰められて混乱するサンジに、ドミノは苛立ちを隠さない。
「どちらですか?」
「はいっ」
返事をしたはいいが、答えになっていないことは明白だ。
「ええと、確かにエースと一緒に出掛けたりはしています」
それは事実だ。
海に行ったり買い物に行ったり映画を観たり。
それはやっぱり、個人的な付き合いだろうか。
しどろもどろのサンジに、ドミノは追及の手を緩めない。
「交際を申し込まれて、お受けしましたね」
「は・・・は・・・」
うわあっと頭を抱えたくなる衝動をなんとか堪える。
ここで動揺を見せてしまったら、ドミノの言葉を肯定することになる。
どちらにしろ、嘘は吐けないのだけれども。
「その交際を、止めていただきたいのです」
きっぱりと、言い切られた。
勿論これはお願いの要素を伴っているようで、実質的な命令だ。
ドミノはサンジとエースの関係を承知の上で、別れろと言っている。

そんなまさかと、この期に及んでサンジは信じられない思いで目を見張った。
目の前に毅然と座る美しい女性の、表情をすべて覆い隠すようなサングラスには間の抜けた自分の顔が写って見えた。
まさか、こんな美しい女性に自分とエースとの不埒な関係を知られてしまっているとは!
サンジの目下の問題点は、まだここである。

「あの、俺とエースはですね。貴女が思ってらっしゃるような関係ではなくてですね」
「では別れてくださいますね」
別れる?
別れるって?
「そんな、別れるだなんて」
そんなところまで進展していない。
そう叫びたいけれど、具体的な供述は憚られた。
一緒に出かけてデートの真似事みたいなことして、そしてちょっとキスされただけだ。
ただそれだけ。
付き合うとか交際とか、ましてや恋人同士とか。
そんなことはまだ・・・
つか、まだってなんだよ。

脳内の一人突っ込みは置いてきぼりのまま、ドミノは手にしたバックの中から茶封筒を取り出した。
「ご承知いただきましたら、こちらをお納めください」
サンジの前につっけんどんに差し出された、随分と分厚い封筒。
しかもこの形って、なんだかテレビでよく見るような―――
「なんですか、これ」
どうぞと、声もないままドミノが顎で指し示す。
サンジは恐る恐る封筒を持ち上げ、その感触で中を見ずともわかってしまった。
―――札束?しかもめっちゃ重くて分厚い?
これで全部千円札だったらギャグだろうなと、頭の端にチラリと浮かぶ。
それどころじゃねえだろと己を突っ込みつつ、そうっと封をされていない口から中を覗き込んだ。
・・・うわあ

思わず取り落としそうになるのをなんとか持ちこたえ、サンジは素早く封筒をドミノの前に戻した。
「受け取れません」
「受け取っていただきます」
「無理です、こんな大金をいただく理由はありません」
封筒から離した自分の手が、色を失って若干震えているのは自覚があった。
分不相応な大金を手にした恐れからではない、紋切り調で一方的に通告され金を出されたからだ。
まるで、金で黙らせようとするみたいに。
「俺とエースは、貴女が思ってらっしゃるような関係ではありません」
「それは、寧ろ貴方自身の認識の誤りではありませんか?少なくとも、ポートガス様は貴方に心を奪われておいでです」
またしても、サンジは蒼白のまま口をパクパクと開け閉めした。
さっきから、このドミノと言う女性はサンジの許容範囲を超えた爆弾を次々に投げてくれる。
「こ、ころを・・・って」
「貴方を愛するあまり、周りが見えておりません。ご自分の立場も見失ってらっしゃる」
ドミノは再度サンジの前に封筒を差し出すと、きっと正面から顔を見据えた。
透けて見えないはずの真っ黒なサングラスの向こうから、底冷えするような瞳が睨み付けているようだ。
「ポートガス様は、D財閥のれっきとした継承者。まだお若いながら経営感覚に優れ、経済界からもその手腕を認められております。ご本人がどこまで自覚しておいでかはわかりませんが、間違いなく経済界の未来を背負って立つ器の方です」
へええ・・・とサンジは素直に感嘆した。
普段は適当におちゃらけて見えるのに、やっぱりエースって凄いんだ。
「そんなポートガス様は、20代の間にしかるべき方とご結婚され身を固められることを周囲から望まれております」
あ、とサンジは声もなく呟いた。
「既に多くのご縁談が薦められておりますが、ポートガス様はいずれも首を縦には振られません。その気はないとの一点張りで」
ですが、とドミノは語気を強める。
「ポートガス様は、D財閥の後継者なのです」
ああ、とサンジは深くため息をついた。
ドミノが言いたいことはよくわかる。
エースと自分じゃ立場はまったく違うし、なによりエースは莫大な財産と広大な人脈を継承すべき跡取りだ。
彼は、一族の安泰を支える義務がある。
こんなところで、ちんけなコックに入れあげている場合じゃない。

「わかって、いただけましたね」
サンジが何も言わないのに、ドミノはその表情を見ただけで満足したように口元を綻ばせた。
「なによりポートガス様の、そしてご家族様の将来のために。そして貴方自身の未来のためにも、今のような不適切な関係は早期に解消した方がお互いのためと思います」
「・・・不適切」
「お気に触ったら申し訳ありません。でも、これが“普通”の関係だと貴方自身、よもや思ってなどいないでしょう?」
ドミノの物言いは、どこまでも断定的で。
けれどそのどれもが的を射ていて、反論の隙も与えては貰えない。

「ポートガス様は随分と貴方にご執心のようですから、貴方から別れを切り出してください。これは、そのための依頼金です」
そう言って席を立とうとしたドミノを、サンジは慌てて片手で制した。
「待ってください、少なくともこれは受け取れません」
強い口調が静かな店内に響き、一瞬他の席の客達の動きが止まった。
目立ってはまずいと思ったのか、ドミノは一旦浮かし掛けた腰をそのまま下ろす。
「それでは無償で別れてくださると、そういうことですか?」
「そもそも俺は、まだ貴方に何もお答えしていません」
サンジは毅然と前を向き、表情のないドミノのサングラスを見つめた。
「俺とエースの関係は、確かに一緒に出かけたりエース自身に・・・その、優しいことを言われたり、そういうことは確かにありました。けれど、実際だから具体的にどうこうとか、そういった事実はありません」
「肉体関係は、ないと?」
「は、い・・・」
後ろめたいから動揺したんじゃない、あまりにもドミノが単刀直入すぎて、サンジの方が居た堪れないだけだ。
「けれど、エースが俺のことを・・・その、想ってくれていると言うのは自覚があります。事実だとも、思います。エースはすごく真面目なので」
ドミノは黙って聞いている。
「ですからそんなエースの真剣な思いを、俺がこんな形で、エースの知らない間に誰かと取り決めをして断るだなんて、こんな真似、俺はしたくありません」
ドミノはふっと口元を緩ませた。
ヌードベージュの艶やかな唇の間から、白い歯が零れる。
瞳の表情はわからないのに、どこかぞっとするほど冷たい微笑。
「思っていた以上に青臭いことを仰るのね。自分が悪者になるのは嫌?」
「・・・そんなことを、言ってるんじゃない」
「同じことでしょう。私共はポートガス様には内密に、こうして貴方に頭を下げて代償まで支払って別れを切り出すことをお願いしている。それでもお受けしていただけないのは、すべてご自分の身が可愛いから」
一度も頭を下げて貰ってない気がするのは、この際置いておいて。
「俺は別に、エースに嫌われるのが怖くて断ってるんじゃないんです。エースの気持ちを変えることなんて、幾ら俺でもできません」
「突っぱねればいいのです」
ドミノはどこまでも冷淡だ。
「ポートガス様のすべてを拒否すればいいのです。時には嘘を吐いて、なんらかの演技も交えて。そうしてポートガス様の心を傷付けてでも、あの方と別れてください。私共はそうお願いしているのです」
「そんな・・・」
「勿論、それなりのお代としてこちらを用意させていただきました。方法は貴方にお任せします」
「だから、これは受け取れません」
二人の間で、分厚い封筒が行きつ戻りつを繰り返す。

ドミノはほうと大げさにため息を吐いて、顎を上げた。
サングラスの向こうに、見えないはずの軽蔑の眼差しが浮かぶ。
「貴方は、本当はポートガス様を愛してはいないのでしょう」
すっぱりと言い切られて、サンジの顔は更に青褪めた。
「そんなこと、貴女には・・・」
「本当にポートガス様のことを愛してらっしゃったら、自分の立場を弁える筈です。このように往生際悪くゴネたりなどしませんわ」
また言い切られた。
どうしてそんなに、勝手に人の気持ちを推し量るのか。
「それとも、もっと金額を吊り上げるおつもりでも?」
サンジの頬にさっと赤味が差す。
屈辱によるものだが、ドミノの目にはそれがどう映ったのか。
「わかりました。私も突然、このような不躾なお願いをしたことをお詫びします」
そう言って、ドミノはあっさりと封筒をバッグに戻した。
「ですが、私共は諦めません。ポートガス様は意志の強いお方で、家族の忠告にも耳を傾けることが滅多にありませんので、恐らくこのことに関しては私共からポートガス様に申し出ても無駄でしょう。だからこそ、貴方にお願いしたかったのですが・・・残念です」
言いながら、今度は静かに立ち上がる。
「もし、貴方から私に連絡を取りたいと思われましたら、いつでもそちらのメールか携帯にご連絡ください。いつでも結構です、お待ちしております」
「あの・・・」
「それでは失礼」
ドミノは言いたいだけ言って、さっと身を翻した。
来た時と同じように静かに、けれど颯爽と店の外に出て行く。
サンジはあっけに取られたようにその後ろ姿を見送った後、テーブルに置かれたままの伝票に目をやった。
なんだかなあと思いつつ、手を付けられずにすっかり冷めてしまったコーヒーをそのままにして席を立った。
会計をしようとレジに伝票を置くと、ウェイトレスが首を振った。
「すでにお支払いを済ませていただいております」
「え?」
なんで?ここに伝票があるのに。
「お客様がお話の間に、別のお客様がお支払いになられました」
―――なんと
スマートと言うか用意周到というか、抜かりがないと言うか。
ともかくこれでわかったのは、今回の申し出がドミノの単独行動ではないということだ。
これは本気で、エースの父親である会長が手を回しているのかもしれない。
会社の組織ぐるみで、息子の素行を正すために?



サンジは狐に抓まれたような顔で店の外に出た。
足元を木枯らしが吹き抜けて行く。
急に肌寒く感じて、上着の前を両手で押さえながら身を竦めた。

――――貴方は、本当はポートガス様を愛してはいないのでしょう
初めて会った女性にいきなり投げ付けられた言葉。
貴女になにがわかると、言い返したくとも言葉も出なかった。
だって自分自身、よくわからない。
どうしていいのかも、わからない。
本当にエースを愛しているのなら、俺が取るべき行動はなんなのだろう。
エースのことを思えばこそ、ドミノが言うとおり身を引くべきなのかもしれない。
財閥の御曹司が男の恋人にご執心だなんて、そんな外聞の悪いことまかり通るはずがない。
本当にエースのことを愛しているなら・・・
けれど、エースのことを真剣に愛してなどいないとしたなら、どうして俺はすぐにでも別れると彼女に約束しなかった。
やっぱり別れたくないから?
エースのことが好きだから?
それとも、最初に金をちらつかせられたりしたから?

「・・・わかんねえ」
エースのことより、ドミノのことより。
まず自分自身がわからない。
サンジは来た時よりもさらに俯いて、秋の道をトボトボと一人物思いに耽りながら歩むしかなかった。






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