Apfel In Schlafrock -18-



ゾロはパリへ、エースは南米へ。
どちらにしろパスポート必要なんじゃね?とか一瞬でも思ってしまって、サンジは慌てて首を振った。
なんで二択なんだよ、二人以外の選択肢って星の数ほどあるんじゃねえか。
そう、全人類の半分は女性なのに、何が悲しくて野郎二人の間でオタついてなきゃいけないんだろうか。
そう思うとさらに哀しくなって、早々に帰った自宅で部屋に引きこもり、一人膝を抱え項垂れていた。
とそこに、手にした携帯がブルルと鳴った。
最近、着信が怖い。
ゾロでもエースでも、どっちにしてもドキリと来る。
恐る恐る開いてみたら、なんとサンディからのメールだった。

『今日はどうもありがとう。楽しかったしご馳走様でした』
当人のちょっと特徴のある喋り方とは対照的な、意外に真面目な文面だ。
『けどごめんなさい。せっかく来週、デートの約束したのに仕事の都合でお休みの日が変わってしまいました。木曜日に休みだからって言ってたのに、水曜日に前倒しになっちゃったの。本当にごめんなさい』
サンジは雷にでも打たれたように動きを止めた。
木曜日の休みが、水曜日に?
『次のデートがとっても楽しみだったのに、これも運命なのかな。悲しいな。またの機会にデートできたら嬉しいな』
サンジは即行返信を打った。
急ぎ過ぎて指が違うキーを押したりして手間が掛かるが、興奮を抑えきれない。
『サンディちゃん、メールありがとう!木曜日のお休みが水曜日に変わっちゃっただなんて、なんて偶然なんだろう。これはもう運命としか思えないよ。実は俺の休みも、木曜日から水曜日に変わったんだ』
これは運命だ、そうに違いない。
『もしサンディちゃんの都合さえよければ、デートは水曜日にして貰えるかな?』
そこまで打って、送信した。
ほんの数秒で返事が戻ってくる。
『ほんと?すっごーい。じゃあ水曜日にデートしよう』
「やたっ」
サンジは携帯を手にして飛び上がった。
休みの都合が合わなくなってデートはポシャったかと思ったのに、こんな偶然ってあるだろうか。
まさに恋の女神の粋な采配だ。

『じゃあ、水曜日のお昼前11時にリトルガーデンで』
『了解☆』
携帯を置いて、サンジはほうっと幸福なため息を吐いた。
なんだなんだ、さっきまで野郎の間で揺れ動いていた自分は一体どこへ行った。
今はもう、ひたすらサンディちゃんとのデートに心踊っている。
もう、野郎同士の三角関係とかありえねえどろどろ恋愛とはおさらばだ!俺は真っ当な恋に生きるんだ!

サンジはハイテンションなまま、ベッドの上に寝っ転がって携帯を胸に抱き締めた。
「サンディちゃん、まさに俺の運命の女神〜」
そう口に出して唱えれば、まさにそうだと思えてくる。
どうせパスポートを取るなら、ゾロのためでもエースのためでもなく、サンディちゃんと南の島辺りでバカンスするために取りたい。
きっとあのポンチョの下はナイスなバディなんだろうなあとか、不埒な妄想でグフグフなりながらサンジはそのままウトウトと眠りに就いてしまった。
色々あって、結構ハードな一日だった。





「サンちゃん、なにかいいことあった?」
お菓子教室終了後の、二人だけのティータイム。
いつものように、エースにケーキとお茶のお代わりを淹れながらサンジは内心ギクッとして手を止めた。
「や、特には」
「そう?なんかこう、表情が明るいからさ」
実は運命の女神に出会えたんだ・・・なんてこと、エースには口が裂けたって言えない。
代わりに、ショコラマロンタルトを大きめにざっくり切って、エースの前に置いた。
「今日のケーキの出来がいいからな、生徒さん達も喜んでくれたし」
「廊下にまでいい匂いが漂ってたよ。他の講師さん達が羨ましそうな顔してたなあ」
エースとは、こうして世間話している分にはとても楽しい。
なんせ頭はいいし気配りもできるし、本当に優しくて頼りになるやつなんだ。
自分が女性だったら、放っといたりしないだろうに。

サンジは紅茶カップを置いて、隣に座るエースの横顔をじっと見つめた。
「エースはさ、女性に興味はないの?」
不躾だったかなと思ったが、エースは動じずにん?と優しげな瞳をこちらに向けた。
「今のところサンちゃんにしか興味はないけど」
「や、そういう意味じゃなくて」
わかるよ、と悪戯っぽく笑う。
「茶化してごめん。まあ、過去や自分の性癖を問われているとしたら、勿論女性もOKだよ。それなりにお付き合いもしてきてるし」
「・・・だよな」
ならなぜ?との即物的な疑問には、口を閉ざす。
それを見越したか、エースの方から話を振ってきた。
「俺はガキん時から、他人の思惑に振り回されてきたことがあるからね。あんまり人を信用できないんだ。おべんちゃらとかお愛想とか好きじゃないし、耳障りのいいことを言いながら擦り寄ってくる人間は、大抵俺のことより自分が大事で己に有利なことしか考えてないって思ってしまう」
サンジはじっとエースの言葉に耳を傾けた。
そんなことないよとか考えすぎだよとか、そんな風に口を挟みたくない。
「だから、社会人になってからの方が俺は生き易かったよ。お互いビジネスだから割り切ってるし時にシビアだし、こういう他人行儀な距離感の方が楽だ」
それはなんとなく、サンジにも判る気がした。
家族だから、親友だから親戚だからと、無条件に注がれる愛情ってものは、実はエースに取ったら欺瞞に満ちたものだったのかもしれない。
身内に手酷く裏切られたことがないサンジには真に理解はできないものかもしれないけれど、エースのこれまでの言動から察すれば、家族間で傷付いた経験が多いのかもしれないと推測できる。
だから余計、最初から他人相手の交渉の方が情や馴れ合いに流されないから楽なのだ。

「んで、仕事を通じてサンちゃんとも知り合って、最初は可愛いなあってそこに着目してたんだけどね」
「や、それは普通じゃないだろ」
誰が、男相手に「可愛い」とか思うものか。
「いやいや、何事も一生懸命だし口は悪くて乱暴なのに優しいしさ。料理は美味いしルックスも好みで、どんぴしゃだったよ」
そう言ってだらしなく顔をニヤけさせる。
「いつから好きだったなんて、もう思い出せないくらいだ。きっと初めて会った時から、俺はサンちゃんに惚れてたんだろうなあ」
「エース・・・」
サンジは照れるより眉を顰めて、口元を隠すようにカップを持ち上げた。
「神聖なる職場でそういう台詞は」
「あ、ごめん。そうだよね」
素直に詫びて、そ知らぬ顔でタルトを頬張る。
「サンちゃんは俺のためを思ってだろうけど、結構言いにくいこともずばり言ってくれちゃったりするだろ」
「え、そうか?」
サンジ自身、自覚はなかった。
「そう言うのって言われる方もわかるんだよ。ああ、純粋に俺のこと思って言ってくれてるんだなとか、実は自分の保身のために口先だけで言ってるんだろうなとか」
一瞬エースが暗い目をしたから、サンジはどきどきしながら紅茶を飲んだ。
そんな風に言われると、自分の過去の言動も本当に純粋な気持ちで言ってきたかどうかが一気に怪しくなる。
エースに嫌われたくなくて、どこにでもいい顔をしたくて、適当に調子のいいことばかり言ってきたんじゃないかと思うのに。
「サンちゃんは正直だからね。怒ってる時はほんとに怒った顔するし、それが自分のことでじゃなくて他人のことでの方が多いんだ。俺に対しても、俺のことを思って怒ってくれたり戸惑ったり困ったりしてくれてる。俺はそれが本当に嬉しい」
そんなことないよ、と言いかけて止めた。
でもそんなことはない。
今だって、本当のことが言い出せない。
ゾロともエースとも別れて、女の子と付き合いたいって思ってるだなんて、面と向かって言い出せない。
俺は、嘘吐きで誤魔化しばかりの、最低な臆病者だ。

「来年の契約更新だけど」
「うえ?」
急に話を変えられて、サンジはキョどってしまった。
そんな様子を目を細め、エースは頬に付いた菓子クズを手の甲で拭いぺろりと舐め取る。
「白紙にさせてもらうよ」
「・・・え」
どきんと、心臓が鳴った。
それは講師をクビ、と言うより―――
「このスクールも、俺の経営じゃなくなるからさ」
「じゃあ、新しい経営者との交渉になるんじゃないのか」
思わずサンジは食い下がっていた。
エースが経営から降りたとしてもこの学校がなくなる訳じゃない。
この仕事は結構気に入ってるし、生徒さん達とも気心が知れてきて正直楽しい。
来年以降も、できることなら続けて行きたい。
サンジの剣幕にエースは少し寂しそうな顔をしたが、それはすぐに挑むような目付きに変わった。

「勿論、サンちゃんの意思を第一に尊重するけれどね。俺としてはやっぱりサンちゃんも連れて行きたい」
「まだ、南米の会社のことを・・・」
「まだ、話は始まったばかりだよ」
ご馳走様と小さく唱え、皿を重ねて立ち上がる。
「視野を広げて世界に目を向けるのは、サンちゃん自身にもプラスになることって多いと思うよ。実家の店を継いで片手間に料理教室の講師やって、充実してるかもしれないけれど、料理人としてそれでもいいの」
ズキっと胸の奥にナイフが刺さった。
エースは時に、こんな鋭い刃を言葉の中に隠し持っている。
サンジの心の底でずっとわだかまっている、コンプレックスの塊をいきなり抉り出されたようだ。
戸惑いが顔に出たのか、エースはごめんねとすぐに謝った。
「ただ、俺を信じてついて来いなんて俺自身が言えないだけさ。だってサンちゃんは自分の足でしっかり立って、生きて学んでいけるんだから。ただ、俺の決断がその助けになればって、そんな風にポジティブに解釈できちゃう力もあるんだ。転んでもただではおきない・・・いや、違うな。なんていうかこう、マイナスをプラスに転じるような、そういう考え方」
うまく言えないや、と首を傾げながら「まあそういうこと」と一人で納得している。
「サンちゃんは強いからさ、俺も遠慮なしに振り回したり押したり引いたりできるんだ。そんなとこが大好きだよ、俺の一生のパートナーでいて欲しいって思う」
「エース・・・」
「今のは口説き文句じゃないよ。単なる希望、俺の切望」
だから、来期の契約は俺以外の人間とは、破棄で。
念を押すようにそう言い置いて、エースはじゃあねと足取り軽く教室から出て行ってしまった。





優しくて気配り上手で、それなのに随分と押しが強くて有無を言わさない強引さがあって。
そんなエースにやはり俺は敵わないんだなと、サンジは机に肘を着いて額に手を当てた。
この強引さが正直嫌じゃない。
エースなら、自分を正しい方向にと導いてくれるような信頼感がある。
これも理屈じゃなくて、彼が発する天性のオーラのようなものかもしれないし、単に口の巧さから来るものなのかもしれないけれど。

実際、サンジはずっと祖父であるゼフの下で修行してきて、外の世界を知らなかった。
どこかで、できれば海外で修行に出たらとの話がなかった訳でもない。
行くなら今の年齢くらいの方がいいだろうと、思ってなかったこともない。
それをズバリ言い当てられて、単純に心が揺れ動いている。

―――でも、どうせならヨーロッパがよかったな。
エースの赴任先が南米じゃなく、フランスかどこかだったらもう渡りに船的に乗り気になったかもしれない。
それならゾロと・・・いや、ゾロとは年末年始の旅行でパリに行くだけじゃね?
そこまで考えて、そうじゃねえよと両手でバリバリ頭を掻いた。
なんでまた、ゾロの話になってんだよ。
いやその前に、男との恋愛関係の縺れからは脱却しようと昨夜心に誓ったじゃないか。
なんで言い出せないんだよ、なに流され掛けたんだよ、急に修行モードに入ってんだよ。
あれ、でも南米にもフランス領なかったっけ?
色々と考え始めて、またああああとなる。

心を入れ替えてサンディとラブラブモードになったら、このままバラティエで働き続けて、エースが言うところの「片手間」に料理教室の講師も勤めて、家庭でも職場でも可愛いレディに囲まれて順風満帆、絵に描いたような幸せな人生になるんじゃないだろうか。
そう想像してみても、昨夜ほど胸はときめかなくなっていた。







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