Apfel In Schlafrock -17-



来た電車に飛び乗って、駅からは駆け足で自宅に帰る。
店は開いてっけど、まさかまた暢気に飯でも食ってんじゃねえだろうなと危惧しつつ、いや今はアイドルタイムだと思い直して足を速める。
店舗ではなく自宅玄関へ回れば、あろうことかゾロは玄関先に座り込んで船を漕いでいた。
影が長く伸びて吹く風も冷え切った秋の夕暮れに、なんで他人の家の玄関前によっかかって居眠りこいてんだこの変態野郎!
いきなりキレて、サンジは予告なしにゾロの横腹を蹴り付けた。
爪先に衝撃を感じるほど硬い腹筋だ。
ゾロはぐほっと変な声を上げ、そのままコンクリートの上に横倒しになる。
ぺっと唾を吐き出して、何しやがると掠れた声で顔を上げた。
「何しやがるはこっちの台詞だ。なに人ん家の前で寝くたれてんだよ」
「お前が帰ってくるのが遅いからだ」
「だからなんで、人の休みの日に家来るんだよ」
「休みだからどっか行こうっつったじゃねえか」
「俺は了承してねえんだ、ボケっ」
夕飯の買い物帰りの主婦が、あらあらまあまあと顔を背けながらチラ見している。
サンジははっと気付いて愛想笑いを返し、まだ座り込んでいるゾロの襟首を引っ張って立たせた。
「ここじゃなんだ、どっか場所移すぞ」
「お前ん家でいいじゃねえか」
「アホか、てめえみてえなアブねえ奴、ホイホイ家に入れるか!」
「俺の家にはホイホイついて来たくせに」
「てめえ黙れ、ほんとに黙れ、オロされてえか」
ゾロの腕を取ってグイグイ引っ張りながら近くの公園へと向かう。


開いたベンチに強引に腰掛けさせ、サンジはその前に立ち塞がるように腕を組んで仁王立ちした。
「言っとくが、俺は休みの日だろうがなんだろうが、てめえとどこかに出掛けるようなことは金輪際ねえからな」
「なんでだ?」
「それをてめえが聞くのかこの野郎!」
言ってて虚しくなってきた。
なぜかサンジの怒りばかりが空回りして、ゾロにはなんのダメージも与えられそうにないのが、一番悔しい。
「金輪際ってパリは?」
「はあ?!」
思わず、声が裏返ってしまった。
もう酸欠で気が遠くなりそうなのに、ゾロはベンチに座って途方に暮れたような顔をしている。
「店は年末年始きっちり休みだろ?正月休み全部使ってパリ行こうぜ」
「・・・な・・・な・・・」
「てめえのこったから、星付いたホテルのがいいか?割といいオーベルジュも知ってるが、民泊も捨てたモンじゃねえんだよな」
「ちょっと待て、頭沸いてんのかてめえは」
サンジは混乱しながら片手で額を覆った。
「お前、俺がエースと・・・その、ショック受けたっつってたじゃねえか。あれでもう、俺に愛想が尽きたんじゃねえのかよ」
「ああ」
あっさり頷かれて、かくりと膝が抜ける。
「確かにかなり俺にしては凹んだけどよ。もうやっちまったもん四の五の言ったってしょうがねえじゃねえか。それより俺は、ぐずぐずしていた自分を反省した」
「反省するポイント間違ってる!」
「反省したからには、遅れを取り戻さねえとな」
「勝手に決意すんじゃねえよ!」
いくらサンジが絶叫しても、どこ吹く風だ。

「そう言う訳で、パスポート取っとけよ」
「どう言う訳だ、コラ待て逃げるな」
言うだけ言って立ち上がり、とっとと公園を去ろうとするゾロのジャケットを引っ張る。
「お前、まさかな」
なんだ?とでも言う風に、ゾロは訝しげに振り返った。
休みの日にどこかへ出掛けようとか、お前が帰ってくるまで待ってるとか。
そんなことを言うくせに、この男は自分が言いたいことを伝えるとすぐ素っ気無く帰ったりするのだ。
エースみたいに何も用事はなくてもただ傍にいるとか、二人の間を漫然と時が流れるとか、そういう情緒というかへったくれというか、そういうものがまるでない。
「まさか、それ言うためだけに今日ここで待ってたのかよ」
「そうだ」
「それだけのために?会社休んで?」
「そうだ」
「そんで、伝えたらもう帰るのか?」
「帰って欲しくないのか」
「誰がんなこと言ってんだ!」
「お前がだが」
ゾロと話していると突っ込むのに忙しくて、なかなか先に進まない。

行き掛けた足を止め、ゾロが再度振り返る。
「お前、次の木曜日休みだろう」
答えないサンジに、勝手に話を進め出した。
「俺も休み取るから、旅行の打合せしようぜ。早めに押さえとかないと混む時期だからな」
言うだけ言って、今度こそ早足で歩き去って行ってしまった。




「ふざけんなっ」
当人が消え去った後でどれだけ怒りをぶつけようと、誰が聞いてる訳でもない。
相手に流され易いのは自分の悪癖だと自覚してはいたが、ここまでとは我ながら情けなかった。
一瞬頭の中で、年末年始の予定とか考えていたりして。
事情があるとは言え今はエースと疎遠だし、ゼフはクリスマス後はとっととバカンスへと世界を飛び回るし、ぶっちゃけサンジの予定は空いていた。
今年こそ可愛い女の子と温泉旅行でもと目論んでいたのは去年の話だったのに・・・
「ちょっと待て、落ち着け俺」
がーっと髪を掻き混ぜながら、取り敢えず今手を打つべきはなになのかを、必死で考える。
「次の休みって、パティの野郎が口滑らせたあれだな」
目先のことから潰していこうかと、サンジは店の裏口へと戻った。

「休みのチェンジ?いいですよ」
研修で入ってくれている一時スタッフは、快く休暇を変わってくれた。
水曜日と木曜日のチェンジ。
いくらゾロが木曜日に「休んだからどっか行くぞ」と言ってきても「わりー、俺昨日と休み代わったんだわ」と答えればそれでいい。
姑息なことを考えながら、ふと頭に浮かんだのはサンディちゃんだ。
可愛いあの子も一緒の休みと喜んでいたのに、彼女に断りの電話を入れなければならないことには胸が痛んだ。
折角繋がった赤い糸なのに、やっぱりついてないなあ。

善は急げと携帯を取り出したら、着信があった。
一瞬ぎくりとしたが、エースの名前でほっとする。
なぜか妙にエースが懐かしく思えた。

『会いたいな』

たった5文字が、つんと胸に来た。
いつもなら軽い挨拶から始まって、自分の近況やくだない冗談に絵文字が添えられるのに、メール文はたったの一言。
―――なにかあったのかな。
漠然とした予感があって、サンジは通話ボタンを押した。
仕事中で出られないなら、それでいい。
予想に反して、2コールで通話状態になった。
「はい、ポートガスです」
「仕事中だろ?ごめん」
「いえ、構いません。今日のお時間はいかがですか?」
「え、今日休み。いま家だけど」
「それでは、少しお時間いただけますか?8時にスカイピアバンケットでいかがでしょう」
他人行儀な口調は、周囲を意識してのことだろうか。
けれどこれではまるで、直接会おうと言っているような…
「大丈夫なのか?」
「はい、それではお待ちしております」
義務的に通話が切れた。
サンジは携帯を耳から外し、待受け画面をじっと見つめる。
―――メールじゃなく、直接会って話そうってことなのか。
エースにしては随分回りくどい・・・と思っていたら、メールが着信する。
「変更。7時にアラバスタホテルのクラブラウンジで」
ますます回りくどい。
けれど随分と秘密めいていて、サンジは不謹慎にも少しワクワクしながら返事をした。
「了解」
携帯を閉じて、ポケットに仕舞う。
「さて、と」
急がなければ、今は6時30分。





クラブラウンジに行くには専用のエレベーターキーが必要だ。
宿泊客じゃなくても通して貰えるだろうかと、不安に思いつつ玄関の自動ドアを抜けると、すぐにホテルスタッフが微笑みながら近付いた。
「こちらへどうぞ」
あらかじめサンジの到来を告げられていたのか、そのまままっすぐエレベーターへと案内される。
スタッフは手持ちのキーでエグゼクティブフロア階へのボタンを開き、ラウンジに通してくれた。
すかさず女性スタッフが笑顔で迎えてくれる。
「こちらでお待ちください。お飲み物はいかがなさいますか?」
紅茶を頼むと、畏まりましたと恭しく一礼して下がる。
丁度イブニングタイムで、軽食やワイン等がフリーになっていた。
クラッカーとチーズを皿に取り、運ばれてきた紅茶で軽く腹ごしらえをする。
本当はワインの一杯も傾けたかったが、エースの顔を見るまではどうにも落ち着かない。

「遅れてごめん」
5分ほど過ぎた頃、エースが現れた。
「よかったのか?」
「うん、うまく行ったと思う」
やってきたスタッフにコーヒーを頼み、サンジの皿に乗せてあったクラッカーを勝手に摘まんだ。
「飲まなくていいのか?」
「実は、8時からほんとにスカイピアホテルで会合なんだよ。時間なくて慌しくてゴメン」
「ホテルの梯子かよ?」
「まあね、ここにはほんとに今晩泊まるんだ。だから俺が会合前に一服してても、誰にも怪しまれない」
相手が俺とわからなければ?
そう口に出せば、エースは少し苦そうに笑った。



こうしてエースの顔を見るのは、随分久しぶりのような気がする。
少し痩せたのか頬の辺りがシャープになって、目の下の皮膚が薄っすら色濃い。
「仕事、忙しいんじゃないのか」
「まあね、嫌がらせのようにあれこれ振ってくるからなあ」
時間ないから本題に入るねと、エースらしくなく性急に話を戻した。
「唐突だけど、俺転職しようかと思ってる」
「・・・はあ?」
サンジはチーズを運ぼうとした手を止め、口を開けたまま顎を落とした。
「転職?」
「うん、今の会社の経営は弟に譲ろうかと思ってさ。あと、ゴールDコーポレーションの下請けも辞めようかと」
「・・・どうする、気だ?」
エースのことだからなにか考えがあってのことだろうが、あまりにも唐突だ。
しかも一介のサラリーマンならともかく、エースの会社は言わば家族経営・・・というか、一族であらゆる業種を経営している財閥なのだから、会社を辞めようが転職しようがそのしがらみから逃れることはできないんじゃないのか。
「今、海外の企業から話貰っててさ。白ひげ商事っての、聞いたことある?」
「・・・あんまり」
「名前は知られてないかもね。南米中心でさ、かなりデカい仕事すんだぜ」
引き抜きなら条件次第ではいい話なのかもしれないが、エースは単なるやり手のビジネスマンじゃない。
いっぱしの企業を経営してきた社長で、青年実業家だ。
それが、いくらデカい会社だろうが海外にまで飛び出して新天地で心機一転、一からやり直すような真似をする意味があるのか。
そんな苦労をする価値があるのか。
「俺は、賛成できないよ」
「かもね、普通ならそうだよね」
慎重なサンジの意見に、エースはもっともらしく頷いた。
「会社の経営に行き詰まってる訳でもないし、社員達ともうまくコミュニケーション取れてるしね。現状は概ね満足だけれど、やっぱり俺は自分の気持ちまで縛られたくはないんだよ」
それはやはり、俺との関係の問題なんだろうか。
そう思うと、サンジは眉を顰めざるを得ない。
まさしくドミノが言った通り、エースはサンジとの恋愛を重視して自分の人生を捻じ曲げてしまおうとしている。
「まさか、ご両親に俺との仲を反対されるのが嫌で、海外に逃げようってんじゃねえだろうな」
「直裁だなあ」
「婉曲に言ったって意味ねえだろうが」
サンジは短く叱咤した。
「もっと冷静になれよ。今の会社で働いてる社員のことも考えろ。社長の立場でそう軽々しく転職しようかなんて口に出すんじゃねえ」
「別に、社長なんて誰がなったって仕事自体は変わりないっしょ」
エースの言葉に、サンジはカッとなった。
「本気で言ってんのか?誰がトップになったって同じだなんて、んなことある訳ねえだろうが。エースだから、エースがボスでいてくれるから頑張れる奴だっていっぱいいるんだ。ボスが誰だって同じだなんて思われてるとしたら、それはエース自体が社員なんて誰でもみな同じって思ってるって証拠だろうが」
厳しい言葉に、エースの表情が強張る。
「部下を使い捨ての駒みたいに思ってるんじゃねえよ。エースが俺のことで色々考えて、親御さんとももめたりしてんのは、ありがたいとは思わないけどそんだけ真剣なんだなって俺だってわかる。そういう意味では感謝もしてる。けど、だからって仕事とプライベートをごっちゃにして解決しようとするのは、間違ってると俺は思う」
一気に言ってから、しまった喋りすぎたかと後悔した。
こんな偉そうなことを言える立場に、あるはずがない。
寧ろトラブルを引き起こしているのは、自分自身なのだ。
元凶のクセになに偉そうな説教垂れちまったんだ俺は。
急に自己反省してしゅんとうな垂れたサンジの前で、エースもまた真剣な面持ちで下を向いていた。
両手の指を合わせて自嘲するようにふっと息を吐き、そうだなと頷く。
「そうだな、サンちゃんの言う通りだ」
「いや、俺は・・・」
「つい、自分だけが楽になるようにって考えてて、本当に会社全体のことまで考えてなかった」
少し冷めたコーヒーを一口飲み、経営者失格だなと頭を振る。
「俺の後には弟をって思ったから、それで一安心したのも事実だ。弟は本当に優秀だから」
「優秀・・・か?破天荒で大物なのは認めるけど」
思わず呟くと、エースは違う違うと破顔した。
「ルフィだと思ってっしょ。違うよ、俺にはもう一人弟がいるんだ。サボっつってね、弟だけど同級生でさ」
サンジははっとしてエースの顔を見た。
もしかしたら腹違いの、本妻さんの子。

「そう、ゴール家の正統な跡取りさ。我が弟ながらほんっとうに優秀な男でね、こいつならなんだって任せられると思って」
ゆくゆくは、サボがすべてを継いで行くんだと独り言のように続ける。
「家族と、ドミノとか派閥系統の親族の口出しが煩わしいってのもあるんだけど、なにより白ひげ商事の会長に俺自身が惹かれててさ。俺は勝手にオヤジさんって呼んでんだけど、本当に器のでかい男なんだ。いい年して入退院を繰り返してる爺さんなんだが、そりゃあもうスケールが桁違いにでかい」
「・・・そんなに?」
「俺は、本当はこの人の息子だったらいいのにって思うくらいの人だよ」
エースの瞳が夢見るように眇められた。
彼にしては珍しく、傾倒しているようだ。
「彼の元で働けたらいいなって、夢みたいに思った。けれどいざそれを現実のものにしようと思ったら、考えてみたら、できるんだって気付いた」
切っ掛けはサンちゃんだったけどと、頭を掻きながら笑う。
「そうやって色んな岐路があって切っ掛けがあって、道が拓けるのが人生って奴じゃないかと思うよ。後で振り返ってあの時ああしなければかったなんて後悔なんかしないし、ましてやそれがサンちゃんのせいだったなんて恨みに思ったりなんかもしない」
「そんな・・・」
「全部、選んだのは俺自身だ。それくらいの責任も取れるし判断もできる。俺自身が決めたこと」
けれど、と目を眇めてサンジに微笑み掛けた。
「そんな俺を案じて真剣に叱ってくれるなんてサンちゃんしかいないよ。やっぱりサンちゃんだ、だから俺はサンちゃんが大好きなんだ」
「エース」
人目がなければがしっと手でも握られそうな勢いだが、イブニングタイムで賑わうクラブラウンジではさすがに憚れるのか、向かい合わせで見つめ合うに留まる。
「どうもありがとう、サンちゃんの意見も踏まえてもう一度ちゃんと考えてみる」
腕時計に目を落とし、時間だと呟いた。
「もう迎えが来る。またメールするよ」
「ああ、気を付けて」
一緒に立ち上がると、ゆっくりしてってと座らされた。
「あのさ、それでも結構俺の気持ちって固まってるしさ。もし、よかったら」
そこまで言って、照れたように鼻の頭を掻いた。
「よかったら、パスポート取っておいてくれないかな」
「―――え?」
「じゃあ、ね」
名残惜しげに手を上げると、エースは早足でラウンジを出て行った。

言葉の意味を図りかね、サンジはしばらくソファに腰掛けたままぼうっと出口を見つめ続ける。
どういう、意味だろう。
少し考えればわかる気もするが、わかりたくないような気もした。





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