Apfel In Schlafrock -16-



久しぶりに予定のない休日で昼まで寝倒そうと思ったのに、朝から妙に目が冴えてしまった。
もはや、怠惰に過ごせない身体になってしまったのか。
前日に酒でも飲まなきゃ寝込めないかなあと考えて、前回の醜態を想い出し一人赤面する。

布団の中でモゾモゾと身体を丸めながら、パジャマの襟を引っ張り自分の鎖骨辺りに視線を落とした。
視界に入るギリギリの場所に、エースが付けた痕があった。
もう随分色も薄くなって、今日なら襟ぐりが開いた服も着られるかもしれない。
ゾロが付けた痕はとうに消えてしまった。
最後までしつこく残っていた、乳輪に刻み付けられた歯型も、もう跡形もない。

思い出して、そっと胸に触れた。
男のこんなところに歯を立てるって、どんな気分なんだろう。
あんなにもきつく噛まれて、俺は痛がりはしなかったんだろうか。
まったく覚えていないのだけれど、そっと指で押してみるとその時の記憶が蘇るような気もした。

ゾロが、ボタンを外して胸を肌蹴させて、ふにゃふにゃと頼りない小さな乳首を舐めたり吸ったり、したんだろうか。
扁平なこの胸に顔を埋めて?
ゾロの短い前髪は、この肌に擦れたりしたんだろうか。

ズクン、と腹の底辺りが鈍く疼いて慌てて指をどけた。
心なしか、粟粒みたいな小さな乳首がほんの少し大きく硬くなった気がして1人頬を赤らめる。
「なにやってんだ、恥ずかしー」
声に出して呟いて、サンジはさっさとパジャマを脱ぐとベッドから足を下ろした。





さて、今日は何をしようか。
久しぶりの休日に時間を持て余し、朝食もそこそこに街に出る。
映画でも観ようか。
今から観て、昼過ぎにランチを取るか。
頭の中で算段しながら電車に乗った。

映画は何を観よう。
いま、なにをやってるだろう。
エースなら、どんな映画を薦めてくるだろうか。

エースはマイナーだけどいい映画をよく知っていて、よく一緒に観に行こうと誘われたっけか。
確かに「いい映画」なんだろうけど、観た後にズンと心に残ってしまうのが、サンジは苦手だ。
動かされた気持ちに引き摺られていつまでも思い返しては心を重くしてしまうから、性質が悪い。
それよりも、観ている間はただハラハラドキドキして、ああ面白かったで終わる単純な映画の方がいい。
エースにそう言ったら、サンちゃんらしいと笑われた。
それでちょっぴり傷付いた気分になったのはここだけの話。

エースが笑うのももっとものことだ。
なんだって適当に流して、上辺だけなぞってヘラヘラとかわして。
軽佻浮薄な男だと、自認している。
それでいいと開き直っていい加減に生きてきたつもりだったのに、なんだっていつの間にか男同士の三角関係に巻き込まれる形になっているんだろう。
自分の曖昧さと八方美人のツケが回ってきたんだろうか。
しかも相手がエースとゾロだなんて、どう客観的に見てもレディが放っとかないいい男の二人なのに。
なんだって俺みたいな、軽薄な男に執着したりするんだろうか。

中途半端な時間帯で空いている電車に揺られながら、サンジは戸口に立って流れる街並みを眺めた。
一緒に映画に行くならエース。
エースならどんな映画だったって、後で楽しく会話できる気がする。
じゃあゾロとなら、どんな映画を観るだろう。
仁侠映画とか時代劇とか、サンジの苦手な分野だけれど、そんなのがいいだろうか。
どんな映画を観たところで、ゾロは途中から爆睡するだろうか。

頭の中で勝手に二人を比べていると、今更気付いてサンジは首を振った。
エースはともかく、ゾロとはもう縁を切った方がいい。
こんな風に比べて考えること自体、異常なことだとうんざりしながらポケットから携帯を取り出す。
時間を確認するつもりで開いて、着信と受信の両方のマークに気付いた。
先に着信を見て、ゾロの名にどきりとする。
また性懲りもなく連絡してきたのかと、次に受信メールを開いたらやはりゾロだった。

「今日休みだろ。俺も休みを取ったから、どっかいかねえか」
すっと背中が寒くなった。
なんだこれ。
受信時間を見れば10時20分。
サンジが家を出た時刻だ。
ゾロにしたら、休日の起床時間というところか。
確かに、パティから聞いたのなら自分の休暇を知っているのはわかる。
だが、それに合わせて自分も休むってどういうことだ。
なんでゾロが、そこまでする?
もう、自分に興味なんて無くしたんじゃなかったのか。

俄かに気持ち悪くなって、サンジは慌てて携帯をポケットに仕舞った。
ちょうど電車が目的の駅に着いて、早足に降りてホームを通り過ぎる。
どこかでゾロが見ているような、不気味さを感じた。





こうなったら映画館に逃げ込むのが早いと、駅直結のシアターに入った。
平日とは言え結構客が入っていて、入場券を買う列もそこそこ並んでいる。
時間を確認してちょうどいいタイミングなのは恋愛映画だ。
男一人で恋愛映画ってのも、どうかなと躊躇う気持ちがないでもない。

「あのー」
最初自分に掛けられた声だとは気付かなくて、聞き流していた。
すみませんと再度言われ、弾かれたように振り向く。
驚くほど近い場所に、見慣れない女性が立っていた。

「突然ごめんなさい、この映画観られます?」
背中を覆うほど長い金髪の巻き毛が愛らしい、若い女性だった。
目元は前髪に隠れて見えないが、すっと通った鼻筋と花びらのような艶やかな唇が印象的な美人だ。
「んー私、割引券持ってるんですけど、連れが急に来られなくなって余っちゃったの」
遠慮しつつ甘えるような、魅惑的な話し方だ。
上から被るポンチョのような上着を着ていてスタイルはわからないが、背丈もそこそこあり胸元も豊かに盛り上がっている。
先方から話し掛けられるなんて超ラッキーな、極上の美女。
俄かにサンジのスイッチが入る。

「観ようかどうか迷ってたとこなんです、貴女さえよければご一緒しませんか?」
ずずいとナンパモードに入ったサンジに、女性はさして驚きもせず軽く小首を傾げて見せた。
「んー割引券だけあげようと思ったんだけどー、一緒に観るのも、いいかなあ」
「ぜひ!俺がチケット買ってきますね」
サンジは途端にテンションが上がって、踊るような足取りでチケット売り場に並んだ。



憂鬱な休日が、一転して新鮮なデートになった。
サンディと名乗る女性は、映画を観た後お腹空いたねと話を振ったら、私もーとさり気なく応じてくれる気さくさだ。
駅ビルのレストランは時間帯が少し遅れたせいか空いていて、並んで待つこともなくゆっくりとランチを楽しめる。
今観た映画の感想をお互い話して、当たり障りのない世間話にも花が咲く。
ああやっぱり女の子はいいなあと、頬杖付いてストローを口に咥えるサンディの気だるげな仕種をぼうっと見つめた。
一緒に映画を観るのも、こうして向かい合わせでランチを食べるのも、男女のカップルであることはすごく自然だ。
やっぱり本来、恋愛ってこういうもんじゃね?
男同士でどぎまぎしたり、緊張したり嬉しくなったり腹が立ったりって、根本的におかしくね?
女の子とだってこんな風に楽しく過ごせるんだから、なにも男同士の不毛な三角関係に巻き込まれてなくてもとっとと脱出したらいいんじゃねえか?

今更に今頃な話だが、そうと気付いてサンジは目から鱗が落ちた。
わざわざ苦しい恋に身を置き続けることないじゃないか。
重たく感じたらさっさと見切りをつけて、新しい恋に走るのだってありじゃねえか。
エースにあんなに思われていることは嬉しいけれど、その気もないのにズルズルと関係を長引かせる方が酷だ。
ゾロは気になるけれど、自分が知らない場所で積極的に動いてそうで気持ちが悪い。
なによりどちらも“男”なんだから、恋愛対象としてすっぱり切ったっておかしくはない。
そうだ、そうしよう。

「―――聞いてない」
「え?」
視線を上げたら、目の前でサンディがぷくりと頬を膨らませていた。
目元が見えないヘアスタイルだからどことなく幼く見えるのに、そんな表情をするともう可愛らしいとしかいいようがない。
「サンジ君たら、私の話聞いてないー」
「ああごめん、そんなことないよ。コアラのペットの話だよね」
「そもそも、ペットにコアラはないーって突込みがないー」
サンディの口調がおかしくて、サンジは詫びつつも笑顔になる。
「もっとゆっくり話を聞かせて欲しいけど、これからの予定は?忙しいよね」
「んーそんなことない。今日一日休みで、これから買い物でも行こうかなと思ってたとこ」
「じゃあ、付き合っていいかな」
このまま本格的なデートになだれ込もうかと、時間を見るつもりで携帯を取り出して、電源を切っていたことを思い出した。
電源を入れると途端にランプが点滅して、着信と受信を知らせてくる。
開いてみてぎょっとした。
着信5件、受信10件。
いずれもゾロからだ。

「どうしたの?」
サンディに手元を覗き込まれ、慌てて携帯を閉じた。
「や、別に」
「んー仕事?」
「違うんだ」
大丈夫、と笑みを返しながら視線を泳がせたら、向かいのオフィスのエレベーターに視線が止まった。
シースルーの箱の中に、長身の美女が二人。
その内の一人がドミノで、はっと目を見張る。
もう一人もどこかで見覚えがあると、サンジは目を凝らした。
長いピンク色の髪。
凛とした立ち姿。
ドミノと同じように大きめのサングラスを掛けているが、あの素顔をどこかで見ている。

「あ・・・」
サンジは一度見た女性の顔は忘れない。
あれは、以前ゾロが連れて来た美女の内の一人。
ゾロをヘッドハンティングした、ひと?

二人は親しげに笑顔で会話を交わし、連れ立ってエレベーターを降りた。
その後ろ姿がビルの中に消えていくのを、放心したようにじっと見送る。

ヒナさんとドミノさんが、知り合い。
ヒナさんとゾロは知り合い。
だから、ドミノさんはゾロを、知ってた?
やっぱり二人は、繋がってる―――



「んー許せない」
サンディの低い呟きに、慌てて向き直る。
「ごめん、ちょっと・・・」
「他の女に目を奪われるなんて、サンジ君サイテイ」
「違うんだ、知ってる人っぽかったから」
「んー言い訳は、いらない」
「ごめんって、ほんとごめん」
これはまずかったと平身低頭謝るサンジに、サンディはふっと口端を歪めて笑った。
「罰として、今日一日私に付き合って貰おうかな」
「勿論、そのつもりだよ」
声を弾ませるサンジに、長い指をチチチと振って見せた。
「1日よ、24時間。今夜の12時まで一緒にいて」
「・・・え?」
それって―――

俄かにどぎまぎしたサンジの胸が、本当に震えた。
着信だと気付き、慌てて携帯を取り出す。
ゾロだ。
「ごめん」
「んーもう」
むくれたサンディに頭を下げて、サンジは携帯を耳に当て店を出た。
このままではラチが明かない。

「お前、どこにいる」
開口一番そう問われ、サンジはかっとなって言い返す。
「どこだっていいだろ?なに人の携帯に何度も連絡入れてくんだ」
「今日休みだろうが」
「お前に関係ないって言ってっだろうが」
「俺が会いたいんだ、どこにいる」
「俺は会いたくねえよ」
堂々巡りなのはわかっていた。
いい加減、ケリをつけなければ。
「てめえこそどこにいるんだ」
「てめえんち」
「・・・は?」
サンジは中空を見つめたまま、パクパクと口を動かした。
「な、んで俺んち?」
「てめえが戻ってくるまで、ここで待つ」
「ちょっと待てコラア!」
「待ってる」
一方的に言って、携帯を切られてしまった。
サンジは「あ」とか「ご」とか意味不明の言葉を唸りながら、乱暴に携帯をポケットに仕舞う。
それから慌てて店内に戻った。

「んーなに?」
やや不機嫌そうに脚をプラプラさせているサンディに、這い蹲る勢いで頭を下げた。
「サンディちゃんごめん、ちょっと急用ができて俺すぐ戻らなきゃならなくなったんだ。ほんとごめん」
「んーがっかり」
「ごめんね」
名残惜しいのはサンディも一緒なのか、綺麗にネイルで彩られた指で自分の携帯を摘みあげると、ジェスチャーした。
「この埋め合わせは、またしてくれる?」
「もちろん!」
メアドを交換してくれて、サンジは嬉しくて涙が出そうになった。
綺麗な上に、なんて優しい子なんだろう。

「ちなみに、私の次のお休みは来週の木曜日」
「え、そうなんだ。偶然だね、俺も休みだよ」
これはもう、運命としか思えなかった。

「じゃあ、また木曜日に」
「うん、ありがとう」
あっさりと手を振るサンディに大きく手を振り返して、サンジは伝票を掴んで足早にレジへと向かった。




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