Apfel In Schlafrock -15-



その後、エースからメールが入った。
しばらくは会わないで、メールだけで連絡し合おうとの提案だ。
ドミノからおかしな写真を突きつけられて以降、柄にもなくかなり凹んだ様子を見せてしまったので、それが彼女を安心させたらしい。
どうせならこのまま別れたことにして、騙してしまおうというのがエースの魂胆だ。

「サンちゃんとの関係を否定するようで、本当は嫌なんだけど」
そう言って詫びるエースに、サンジは勢い込んで返事を送る。
「なんだって押すばかりが能じゃねえぜ、時には引いて相手をかわす技も使わねえとな」
エースとの関係継続を隠すというのは、サンジにとっても大歓迎だった。
正直、エースのように堂々と同性相手に交際宣言できないし、それほどの情熱も実のところない。
何より、「当分会わずに」と言うのが心底ありがたかった。
今度、エースと顔を合わせて二人きりで過ごすようなことがあったら、間違いなく流される。
それはヤバいと、この期に及んでビビるのだ。
泥酔している間にゾロに悪戯されようが、エースと何度もキスしてようが、男と寝るだなんてやっぱり無理だ。
すげえ怖いし、気持ちも悪い。

―――俺は、根っからノンケなんだろうか。
それなら何故、エースの行為に流されてしまうのか。
ゾロにアレコレされても、嫌悪を感じなかったのか。
今だって、腹が立つとか嫌いだとか口に出して言わなきゃならないほど、心の奥底ではゾロのことを嫌ってははいない。
むしろとうに許してしまっている。
これはこれで、変だろう。
自分で自分が、わからない。

「はあ」
ため息一つ吐いて、携帯を閉じた。
もうすぐ休憩も終わりだと、慌てて新しい煙草に火を点ける。
「来月のシフト表だいぶ変わったから、確認しとけとよ」
続いて休憩に入るパティが表に顔を出して声を掛けてくれた。
「お、サンキュ」
先週から、ゼフの元から独立した兄弟子のスタッフが研修と称して働きに来ているのだ。
人手が増えたことで、サンジのみならずバラティエスタッフ全員にどことなく余裕が出て、休暇も取り易くなった。
「緑の兄ちゃんには、新しい休暇を言っといたからな」
「うん、・・・はっ?!」
慌てて振り向き、行き掛けたパティを勢いよく掴む。
「あんだ」
「待てよ、ゾロがなんだって?」
なんでそこで、ゾロが出て来るのか。
「今日、ランチに来たからな。お前の来月の休みはいつかとか聞いてくるから、答えといた」
「なっ」
思わず絶句した。
「ちょうどランチのピークでお前も忙しくしてたからな。お前に聞かなくてもいいからってぇ言うから、俺が教えたんだ」
「待てよ、ちょっと待て」
「お前が落ち着けよ」
暢気に突っ込むパティの横面を、衝動的に張り倒したくなる。
「俺の予定を、無断で人に言うな」
「なんでだ?お前らダチだろ」
言われてぐっと詰まる。
「なんだ、喧嘩でもしてんのか?それにしちゃあ、兄ちゃんの方は普通だったが」
はは〜んと、訳知り顔で一人頷く。
「お前、また勝手に一人で怒ってんだろ。ガキじゃねんだから、拗ねてばかりじゃ嫌われるぜ」
「誰がだっ」
今度こそ切れて、パティの尻を思い切り蹴り上げた。
避け損ねて片側の尻たぶを強打し、パティの巨体がその場で跳ねる。
「いってえなあ、何すんだ」
「うるせえ馬鹿、余計なこと喋んじゃねえ」
「おおコワ・・・」
尻を抱えてイソイソと立ち去るパティの背中に、念押しに怒号を投げた。
「いいか、金輪際ゾロに俺のこと話すんじゃねえぞ、みんなだぞ」
「うっせよバーカ、知ったことか」
サンジは苛々と髪を掻き毟りながら、吸い掛けの煙草を揉み潰した。

一体どうなってるってんだ。
ゾロは、どんな顔してランチを食いに来たんだろう。
エースと寝たって言ったら、それなりにショックを受けた顔してたってのに。
俺に幻滅したんじゃねえのか。
もう他の男のもんになった身体になんて、興味を亡くしたんじゃないのか。
それでも人の予定を聞きに来たって、もしかして―――

「ドミノさんと、繋がってんのか?」
サンジの中で、ゾロへの疑惑が急速に膨れ上がっていった。





サンジのわだかまりを察知したかのように、不意にドミノがバラティエに姿を現したのは翌日のランチタイムだった。
計ったようなタイミングに、サンジの中でやはりという無念の思いが湧き上がる。
すぐにでも逃げ出したかったが、職場に客として来られては避けようもない。
ドミノはゆっくりと食事をした後、スタッフにサンジを呼びに越させた。

「いらっしゃいませ」
渋々応対に出たサンジに、艶然と笑みを返す。
「とても美味しかったわ、ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
礼だけ言って引っ込もうとしたら、当然のように引き止められる。
「今日はお礼に伺っただけですわ。そう警戒しないで」
「・・・お礼?」
ドミノに礼を言われる筋合いはないと思うが。
口には出さないが表情が不快そうに見えたのか、ドミノはサンジをとりなすように頭を下げた。
「卑怯な真似をして、本当にごめんなさい」
「・・・」
「でも、お陰でポートガス様の目も覚めたようで、今は吹っ切るように仕事に専念してらっしゃいます」
そう言えば、柄にもなく凹んだ姿を見せたって言ってたっけか。
「貴方には不本意だったと思いますが、結果的に別れてくれた形になって感謝しております」
―――あれ?
サンジは僅かにドミノに身体を向けて、ぱちくりと瞬きした。
ゾロから何も、聞いてないのか?

「お礼と言ってはなんですが・・・」
そう言いながら、ドミノは小さな包みをテーブルに置いた。
なんだ?とその包みに目を奪われている隙に、ドミノはそっと席を立ち会計に向かう。
「待って下さい、こんなもの貰う理由はない」
「ただの、感謝の気持ちです」
「気持ちも何も、いただく訳には・・・」
差し出したサンジの手を、ドミノは両手で捕らえて挟みこんだ。
そのまま盛り上がった胸の上にまで引き寄せられ、サンジはあたふたと取り乱す。
「受け取って欲しいんです。ほんの気持ちだけでも、お願い」
お・ね・が・いと区切るように囁かれ、ほぼ条件反射でへな〜んとなってしまう。
「それでは、失礼します」
サンジの手から包みを奪うと勝手にコックコートのポケットに突っ込んで、ドミノは澄ました顔で店を出た。
しばらくデレデレと身を捩じらせていたサンジが、はっと我に返ってその後を追う。

「待って下さい、一つだけっ」
もう用は済んだとばかりに素っ気無く振り向くドミノに、サンジは息を切らしながら駆け寄った。
「貴女とゾロは、どういう関係なんですか?」
「ゾロ?」
ドミノは首を傾げ訝しそうにサンジを見つめた。
「どなたのことですか?」
「貴女に、あの・・・写真を送った男です」
「ああ」
ふと思い付いたように頷き、薄いピンク色の唇を緩める。
「ゾロさんと仰るのですか、生憎私とは面識がありません。あの時たまたま、貴方の携帯に出られた方ですから」
「たまたま・・・ですか」
「ええ、たまたまです」
それでは失礼と、軽く会釈して踵を返す。
もう二度と声を掛けるなと、オーラさえ感じさせる毅然とした背中が見る見るうちに遠ざかっていった。


「お安くないねえ」
「今の姉ちゃんが、前に電話掛かってきた人か?」
物見高そうに集まってくる古参のスタッフ達を無言で睨み付け、サンジは足早に厨房に戻った。
なんと声を掛けられても、今はただ鬱陶しいだけだ。
そんなサンジの苛立ちを無言の内にも感じたのか、パティ達はそれ以上軽口を叩かずそれぞれに仕事に精を出した。




後片付けを終え、ゼフにお休みと告げて自分の部屋に引き上げた後、サンジはずっとポケットに隠し持っていた包みを取り出した。
開けてみれば、大方の予想通りライターだった。
凝ったデザインで、いかにも高そうなZIPPO。
シルバーと薄い青で彩られ、無骨な感じが男らしい。
「普通にプレゼントだったら、すごく嬉しいんだろうになあ」
ドミノみたいな美女から貰ったなら、天にも昇るほどに浮かれて舞い上がるだろう。
けれどこれは、サンジが男と別れた礼みたいなものだ。
手切れ金をくれるよりはマシだが、いい気分はしない。

「・・・たまたま、か」
何を信用していいのか、さっぱりわからない。
誰も彼もが胡散臭い、そう思えてパチリと音を立ててライターを閉じた。





エースからは、毎日メールが届く。
会っていた時よりも頻繁で、気持ち的に近しい感じがする。
サンジは特にメールを面倒臭いとは思わないので、着信があってもうんざりとはしなかった。
仕事の邪魔にならない程度に、なんてことない挨拶程度で。
それでも時折、夜に寄越すメールの最後に「愛してるよ」なんて一文があると、なんとも痒くて。
当然「俺も」なんて冗談でも返すことなんて出来なくて、結局ああもうと照れ隠しにガシガシ頭を掻きながら黙って携帯を閉じるのだ。

恋人にしちゃ、薄情過ぎないか俺。
たとえリップサービスでも、5通に1通くらいはちょっと甘い言葉でも打って送り返すべきなんじゃないのか、恋人ならば。
エースに会いたいよ、とか。
今夜はエースの夢を見るよとか。
言葉だけ打つなら容易いことだろうに、寒過ぎてとてもそんなことできやしない。

恋人なのに、おかしいんだろうか。
やっぱり、俺はエースのことを愛してはないんだろうか。
・・・や、愛してるかどうかって聞かれると即答できないんだけどよ。

つい自問自答を繰り返し、考え込んでしまう。
別れたふりして隠れて付き合って、でも実際には顔を合わせもしないで、密かに愛を育んでるなんてとてもいえない状況で。
こんなんで、エースは満足するんだろうか。
これでホッとしている俺は、恋人失格なんじゃないだろうか。
いつまでもこの状況が続けばいいと思ってるだなんて、とてもエースには言えない。
そんな自分が後ろめたい。
エースには申し訳なさばかりで、会いたいとか恋しいとか、思慕の念は湧いてこない。
「ダメ、なんじゃねえの?」

エースもゾロも、ドミノもみんな悪くはないけれど。
俺がダメだ。
つくづくと、そう思った。








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