Apfel In Schlafrock -14-



「ちょうど焼き上がったみたいですね。オーブンから取り出してください」
「はーい」
その間に2班と3班はお茶の準備を・・・とサンジが指示するまでもなく、生徒さん達は先立って行動していた。
さすがにお菓子教室も半年以上経つと、習う生徒側も勝手知ったるといった感じだ。
特に主婦層が中心なせいか、生徒と言えども皆手際がいい。
半数以上は、人生においてサンジより先輩だ。

「先生、お茶が入りましたよ」
「ケーキに生クリーム添えますね」
生徒達が率先する形になって、サンジは促されるままにテーブルに着いた。
もはや至れり尽くせりで、お客さん状態だ。
「かぼちゃモンブランには紅茶がよく合いますね」
どうぞと紅茶までサーブされ、サンジは着席したまま肩の力を抜いた。
「落ち込んだ時はやっぱり、甘いものと熱めの茶が一番」
「そうそう、ほっとするよね」
「息、吐けるよねー」
3班の生徒さん達に囲まれて、サンジは熱い紅茶を啜った。
本当に、胸の底からほっと温かい息が漏れる。

「・・・ありがとうございます」
こんなんじゃ、講師失格だなと思う。
自分では意識してテンション上げて望んだつもりだったのに、結果的に生徒さん達に気付かれて気を遣って貰う形になってしまっただなんて。
今日の講義は、そんなに元気がないように見えただろうか。
「先生、おかわりはどう?」
「お菓子が零れちゃってますよ。ほら、もっとお皿を前に持ってきて」
すっかり世話まで焼かれてしまって、サンジはますます意気消沈してしまった。



「・・・はあ」
授業中は吐けなかったため息を盛大に吐き出して、サンジはステンレスの流し台の上に両手を投げ出した。
きっちり綺麗に片付けて、さんざめきながら生徒さん達は帰っていった。
元気出してね。
よかったら、なんでも相談に乗りますよ。
そんな言葉まで残されて、まったく面目ない。

火の点いていない煙草を咥え、サンジはちらりと冷蔵庫へと目をやった。
あの中には、今日も一人分のデザートが残されている。
紅茶だって、いつでも淹れられるようにスタンバイ済みだ。
けれど、来るだろうか。
きっと来ないだろう。
お菓子教室の終了後、エースのためだけに残しておいたケーキを二人だけで食べる時間。
あのひと時はもう二度と、戻ってこないとわかっているのに。
それでも、もしかしたらと。
準備して待っている自分がいる。
廊下をスキップして歩く、あの足音はもう聞こえないのに。



「やほ」
扉が開いて、サンジは弾かれたように顔を上げた。
エースが、いつもの屈託ない笑顔ではなく少し困ったような表情でドアの隙間から顔を覗かせている。
「おやつ、ある?」
サンジはガタンと椅子を鳴らして立ち上がっていた。
「ある、あるある」
あるよあるとバカみたいに繰り返しながら冷蔵庫を開けた。
本当は熱々状態で食べたかった筈のモンブランを、何故か熱いまま冷蔵庫の中に保管してしまっていたことに、今更気付く。
何やってんだと舌打ちしながらカトラリーを添えてエースの前に置き、紅茶の葉を取り出した。

エースはサンジのバタついた動きを眺めながら、いつもの椅子に腰を下ろした。
腕を組んで興味深げに、その動作を見つめている。
「今日は、かぼちゃのモンブランなんだ」
「へえ」
「ほんとはあったかいの皆で食べたのに、ごめん俺、なんか冷やしちゃって」
まだ少し水色が薄いのに、何故だか焦って紅茶も淹れてしまった。
急がないとエースがどこかに行ってしまいそうだったから。

「どうぞ」
「いただきます」
紅茶とケーキを前に手を合わせるエースを見下ろし、あっと声を上げた。
「生クリームにシナモンを・・・」
「まあまあ」
落ち着かないサンジに苦笑を漏らし、エースはその手を取って軽く引いた。
「いいから、サンちゃんも座りなよ」
「・・・シナモン」
「いいから」
口調は強いけれど、顔は笑っている。
その表情に安堵して、サンジはそっとエースの隣に腰掛けた。
「うん、美味しい」
一口で食べられそうな小さなケーキを、フォークでちまちま切って口に運んでいる。
その動きを目の端で捉えながら、サンジは斜めの方向に向いて座っていた。
なんとも中途半端だ。
「やっぱり秋と言えばりんごやかぼちゃだね」
「次回はさつまいもの、予定」
「なるほど」
行儀よく切り分けながらも3口で終わってしまったケーキに、サンジはまた立ち上がった。
「いま、お代わりを・・・」
「いいから」
また手を取って引き寄せられた。
促されて再び腰を下ろし、それでも離れない手をどぎまぎしながら横目で見ている。

「あのさ」
「・・・うん」
「俺も、それなりに反省してさ」
「え?」
驚いて顔を向けた。
なんで、なんでエースが反省するんだ?
「かっこ悪かったなあと、自分でも結構落ち込んだんだ」
「なんで?」
サンジは目を剥いて問い掛けた。
「エースがかっこ悪いとか、全然ねえじゃん。悪いのもみっともないのも俺だけだし、エースがなんも反省することなんてねえし」
ムキになったように言い返すサンジに、笑って首を振る。
「いやあ、俺のが大人気なかったよ。動揺して恥ずかしいったら」
「んなことねえって!」
サンジはテーブルの上で拳を作って、勢い込んで言った。
「なんもかも全部、俺が悪かった。こんな時で悪いけど、本当にごめんなさい」
拳をそのままに、両手を着いてきっちりと頭を下げる。
エースは苦笑いしながら、自分で紅茶のお代わりを淹れた。
「わかったよ、もう謝るのなしにしよう」
サンジは恐る恐る、顔を上げる。
「そう、だよな。エースだって困るよな。こんなに度々謝られたって」
逆の立場に立って、例えばエースの浮気が発覚したとしたなら、何度も詫びられて気分がいいものだろうか。
・・・あれ、気分いいかもしれない。
つか、何度謝られても気が治まらないかもしれない。
「や、やっぱりお詫びのしようがねえんじゃね?」
「まあ、落ち着きなって」
サンジの分の紅茶も淹れて、さあどうぞと勧めた。



「俺は別に、処女性とか貞操とか特に拘るタイプじゃないと、自分じゃ思ってたんだよ。それがどうしたことか、いざその立場になると自分でも驚くほど動揺しちゃったりしてさ。自分でも驚いてる」
あれ、それって・・・と、サンジの方が微妙に動揺してしまった。
それは、ゾロも同じじゃなかったか。
「責めたり詰ったりしたくねえのに、口を開くと余計なこと言いそうになって、だからつい黙ってた」
「・・・言ってくれたら、いいんだ」
サンジは紅茶のカップを両手で抱えて恨みがましそうに視線を上げた。
「俺がバカだって、軽はずみだって怒ってくれたらよかった」
「サンちゃんは、それを望んでた?」
うん、と声に出さずに頷く。
「俺が一番辛いのは、自分のバカさ加減を詰られるより、エースを悲しませてしまったってことの方。エースを裏切って落胆させたって、それがすごくj怖かった。本当にバカだと、自分で自分を責めるしかできなかった」
「俺の代わりに?」
そうかもしれない。
何も言わないエースの代わりに、自分で自分を責め立てた。
そんなんじゃ気持ちだって晴れない。
「あと、エースに嫌われたって思った」
「それが、堪えた?」
こくりと頷く。

エースには、嫌われたくない。
ドミノに妨害されて忠告されて、別れる口実にゾロを使おうかとさえ思い付いていた筈なのに、いざその状況になると焦って足掻いた自分がいた。
やっぱり俺は、エースのことが好きなんだろうか。
「自分ではっきりした態度も取れねえのに、嫌われたくねえって虫が好過ぎるよな」
「でもそれが、サンちゃんの正直な気持ちだろ?」
飲まないまま冷めていく紅茶を見つめながら、サンジの気持ちがゆっくりと凪いで行くのが自分でもわかった。

やっぱりエースはいい。
こうして腹を割って話せる時間を作ってくれたことが、なにより嬉しい。
恐ろしくて哀しくて悔しくて、後悔ばかりの毎日だったけれど、こうして向かい合って話せたことで気持ちが随分楽になった。
こんな優しさが、エースの魅力だ。

「今更言い訳なんてできないけど、こうして話せてよかった。ありがとう」
サンジは視線を上げ、エースの顔をしっかりと見つめる。
「エースの優しさに何度も救われた、ほんとに・・・」
「そんな、別れの言葉みたいに言わないでくれる?」
指を組んで肘を着いたエースが、眉を上げて見せた。
「勝手に終了にされちゃ、こっちが困るんだけど」
「え・・・」
「なにもなかったってサンちゃんの言葉、信じるよ」
サンジの目を見つめ返し、エースはしっかりと頷いた。
「なにかあったとしても、それでもいいんだ。酒の上での過ちだって俺は許せる。素面の時のサンちゃんの気持ちが、本物だってそう思っていいんだろ?」
「勿論、いや、でも・・・」
「俺もさあ、それなりに考えたのよ。色々と」
エースは砕けた調子で頬杖を着く。
「あんだけ派手に身体中にキスマーク付けられてさ、気付かない訳ねえじゃんとか。サンちゃんが知らないまでも、ゾロは意識のないサンちゃんを好き放題玩んだってことだろ」
「も、もて・・・」
「サンちゃんが気付かないだけで、あーんなことやこーんなことや、もしかしたらそんなことまで」
「ど・・・どんなっ」
「色々見られちゃったり」
「ひいっ」
「吸われたり、舐められたり?」
「ひいいい」
予想はできていたことだが、実際に口にされるとダメージがでかい。
サンジは両手で自分の頬を挟み込んで、声を殺し身悶えた。
「俺がまだ見てもないし触れてもないのに、好き勝手したと思ったらさあ」
「うううう」
「腹、立つっしょ」
「う、ん」
がくりと俯いてから、へ?と顔を上げる。
「腹、立つ」
「ゾロにね」
「あ〜〜〜〜」
そう言われれば、そうかも。

「だから、ね。ショックはショックではあるけど、サンちゃんに対しての怒りはないよ」
「それは・・・」
嘘だろ?とサンジは思った。
確かに元凶はゾロではあるけど、油断してホイホイついていったのはサンジの落ち度だ。
この場にいないゾロより、能天気なサンジに対しての怒りの方が沸いて当然で当たり前で。
「怒ってくれて、いいんだぞ」
寧ろ、怒って欲しい。
なにやってんだって怒鳴って詰って、責め立てて欲しい。
罵詈雑言くらい浴びせてくれないと、こちらの気が済まない。

「そんだけ申し訳ないとか思ってくれてるってことは、多少は後ろめたく思ってくれてるんだ」
凹むサンジとは裏腹に、エースの表情は随分と明るくなった。
気楽な様子で腕を組んで、ワタワタ一人焦っているサンジを面白そうに眺めている。
「多少どころじゃねえよ。俺がもうどんだけ反省して後悔して落ち込んでたことか」
「ゾロに対しては?」
余裕さえ見せる問いに、サンジは動きを止めた。
口元をきゅっと閉じて、眉を顰める。
「・・・あいつは、最低だ」
「うん」
「幻滅でがっかりした。あんな卑怯な奴だとは思わなかった」
苛々とした仕種で煙草を取り出し、火を点けない内にくしゃりと手の中で揉み潰す。
「顔も見たくない、二度と会いたくない」
「嫌いになった?」
「・・・ああ」
口に出して言えば納得するかと思ったのになぜか言葉が上滑りするような錯覚を覚え、サンジは一旦言葉を切って唾を呑み込んだ。
「大嫌いだ。軽蔑する」
「俺もだよ」
エースの同意の言葉に、ずきんと胸の奥が痛む。
なぜだろう。
自分が責められるよりずっと、堪える。

「以前言ってた、ゾロをアレンジメント教室の講師にって話ももう、なかったことにするよ。元々俺とゾロはそう接点もなかったし、もしこれ以上サンちゃんに近付こうとするなら、俺から手を打つ」
「そんな、こと」
「だって、サンちゃんの店の客だろ?サンちゃんから距離を置くのは立場上困るだろう」
それとなく俺からサンちゃんの気持ちを告げてやってもいいんだよ。
そう言われ、困ってしまった。
何で困るんだと、自分の中の誰かが呟く。

「まあ、あいつのことは俺でなんとかするから」
「・・・」
これには、エースは臆面もなく疑いの目を向けた。
「サンちゃんでどうにかできる相手とは思えないけどね」
「や、大丈夫だって。だってもう・・・」
ゾロには、エースと寝たって告げたんだ。
そうはさすがに言えなくて、サンジはごにょごにょと言葉を濁した。
「一昨日、何食わぬ顔で店に来たからさ。はっきり言った。俺はエースと付き合ってんだって」
「そしたら?」
「・・・なんか、ショック受けて帰った」
これは、本当。
「へえ、ゾロがねえ。案外殊勝なとこがあるんだな」
半分信じていないような軽い口ぶりに、むっとして言い返す。
「俺だって驚いたけど、ほんとにちょっと元気なくしてたんだよ。・・・あれで懲りたと思う」
もうちょっかいは出してこないだろう。
エースと寝たことで、きっとゾロは自分に対しての興味をなくした筈だ。
もう金輪際、近付いては来ないだろう。
他人の手に落ちた身体になんて、きっと魅力はないんだ。
ゾロにとって、自分は多分その程度の存在。


「俺は、もしサンちゃんがゾロに抱かれていたとしても、やっぱりずっと好きでいるよ」
まるで心の奥底を見透かされたようなタイミングで、囁かれた。
はっとして顔を上げれば、思いの外近いところにエースの顔がある。
たじろいで身体を引くのに、いつの間にか背中に回された腕がその動きを許さない。

まだタートルネックを着ているサンジの首元に指を掛け、軽く引っ張った。
すっかり色が薄くなってはいるが、まだ少し名残を残している肌にやおら噛み付くように唇を付ける。
「エ・・・?」
ちくりと痛みが走ったが、動いちゃいけないと身体を強張らせ堪えた。
エースの癖っ毛が頬を掠め、すぐに離れた。

「俺の痕」
満足そうに笑う視線の先には、新しく吸い付けられたキスマークが残っているのだろう。
「その内、ゾロに負けないくらい付けさせて貰うさ」
だから今はこれが印と、呆然としたままのサンジの服を適当に直して肩を叩く。

「じゃね」
「ちょっ・・・」
仕事先で、なんてことしてくれてんだ!
思わず振り上げた拳を逃れ、エースは笑いながら身軽に跳び退った。
「今日はこれで勘弁してあげるよ」
「・・・バカ野郎」
真っ赤になって怒鳴るサンジに手を振り替えし、来た時とは打って変わって軽い足取りで教室を出て行った。






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