Apfel In Schlafrock -13-



「早かったな」
1人で食卓に着いていたゼフに嫌味でなく驚かれ、サンジは暗い表情のままペコリと頭を下げた。
「夕べは、ごめん」
「なんでえ気色悪い」
素直に詫びる様子に肩を竦め、舌打ちして見せる。
「お前が酔っ払ったってえ、緑のガキから連絡は貰ってる。家で世話になったのか」
「あ、あ…」
サンジは奥歯を噛みしめて平静を装った。
「泊めて貰った」
「酒で迷惑掛けるなんざ、ガキのやることだぞ」
「…うん」
素直に頷いて反論しないサンジを、ゼフは薄気味悪そうにねめつける。
「辛気臭い面見せるな、飯がまずくなる」
「うん…」
再び小さく頭を下げて、しおしおとうなだれたまま部屋に向かった。
「飯、食うのか食わねえのか、どっちだ!」
追い掛けて来る怒号に、いらないと返すのが精一杯だった。



部屋に入り、膝から崩れ折れるようにベッドに突っ伏す。
ゼフの口から「緑のガキ」と聞くだけで、心臓が止まりそうになった。
まだショックが和らがない。
というか、時間が経つに連れ、ジワジワと染み込んで来るようだ。

サンジは顔を上げて、懐から携帯を取り出した。
メール着信があってドキリとしたが、只の配信メールだった。
一瞬、エースからフォローメールが入ったかなんて、都合のいい期待をしたことが恥ずかしい。

ゼフの言葉を思い出しながら、リダイヤル画面を開く。
確かに「自宅」の番号があった。
ゾロはこの時間には、サンジの携帯を勝手に使ってゼフに連絡を入れたのだ。

ふと思い付いて、着信履歴も開いてみた。
ゼフに連絡する少し前に、未登録の番号から着信があった。
この番号は…と思い至り、サンジは慌てて起き上がると、財布の中を探って名刺を取り出した。

いつでも連絡して欲しいと、ドミノから貰った名刺に書いてあるのと同じ番号。
ドミノから、サンジの携帯に連絡が入ったのだ。
それをたまたま、ゾロが取った。
たまたま、か?
そう、たまたまだ。
そうでなければ、サンジの携帯に連絡してくる必要はない。
ゾロとドミノが示し合わせていたなら、ゾロと直接連絡を取り合えばいいだけのこと。
サンジの携帯を使う必要はない。

サンジは着信があった番号をドミノの名で電話帳に登録した。
それから念のため、メールの送信記録も見る。
身に覚えのないメアド宛てに添付メールが送信されていた。
名刺と見比べて、それがドミノ宛てだと確認する。
なにが添付されているのか、見たくはないか開いてみた。
案の定、エースの部屋で見た写真だ。
似たようなアングルで添付されていたのは5枚、メールにはタイトルも本文も入っていない。
サンジは震える手で、ピクチャフォルダを開いた。
そこには、自分のあられもない姿が保存されていた。

―――決まりだな。
ゾロは、ドミノからの指示を受けて、サンジの携帯を使って写真を送った。
二人の間でどんな取り引きがあったのかは知らないが、そういうことだ。
間違いなく、ゾロがやったこと。



「…なんでだよ」
身に覚えはないと、シラを切り通す気なら痕跡はすべて消すだろう。
ゾロのことだ。
その辺はぬかりがないはず。
それなのに、なにも手立てをしていないということは、バレてもいいと思ってるってことか。
自分が当人に内緒で写真を撮って、無断で他人に渡したという恥ずべき行為をしたことを、隠すつもりはないのか。
サンジに、嫌われてもいいと思っているってことか。
そもそも、ゾロはサンジに好意を抱いてるんじゃなかったのか。
好かれてると思ったのは勘違いだったのか。
こんな風に人を貶めて、陰でほくそ笑むような男だったのか。
「わかんねえ…」

ゾロに真意を問いただそうと開いた携帯を、すぐに閉じてベッドの上に放り投げた。
もうなにもかもがめちゃくちゃだ。
何をしても取り返しがつかないし、今さら足掻いても仕方がないと思える。
「もう、どうにでもなれ」
サンジは着替えもしないで、そのまま布団の中に潜り込んだ。





私生活でどんなトラブルがあろうとも、仕事には二度と影響を出させない。
前回の失敗を肝に銘じ、サンジはいつも以上に集中して働いた。
余計なことを考えなくとも済むように、就業後にも厨房に残り隅々まで掃除したり、他人の仕事を取ってでも身体を動かした。
ゼフは何か問いたげだったが、口を挟む理由はなかった。
仕事だけは完璧にこなした。

カルチャースクールの打ち合わせがある来週までには、エースに自分から連絡を取ろうと心に決めていた時、ランチタイムギリギリにふらりとゾロが姿を現した。



「Bランチを頼む」
いつもと変わらない様子で注文し、厨房から覗いたきり凍り付いたように動けないサンジを見付け、軽く手を上げる。
「部屋、片付いてたな。ありがとう」
「―――っ」
思わずその場で怒鳴り付けたい衝動をこらえ、ふいと顔を背けて奥に引っ込む。
その場で即行仕事を片付け、ランチタイム終了と同時に休憩を譲って貰った。
食べるのが早いゾロが会計を終えて店を出るのを待ち受けて、表で捕まえ路地に引きずり込む。

「なんだ、俺は仕事に戻らなきゃならねえんだが」
「うるせえ!」
ゾロの襟元をネクタイごと掴んで激しく壁に押し付けた。
後頭部が鈍い音を立てたが、知ったことじゃない。
「説明しろ、お前俺の携帯使ってなにやった?」
「あ?ああ、もう届いたのか?」
「もう、どころじゃねえよ。当日だよ、てめえんとこ泊まった日にエースと一緒に俺も見たよっ」
「へえ」
ゾロは片眉を上げて、首元を締め上げるサンジの手首にそっと手を当てた。
鋭い痛みが走り、思わず声を上げて手を離す。
途端、嘘のように痛みが引いた。
「仕事が早えな、せっかちなのか」
「てめっ・・・なんでドミノさんを知ってんだ」
ゾロは緩んだネクタイを締め直し、スーツを叩く。
「知らねえよ、携帯が鳴ったから出ただけだ」
「人の携帯に出るかよ、信じられねえ」
「取るつもりはなかったがな、てめえんとこに掛けるつもりでボタンを押したら偶然繋がったんだ」
少しも悪びれず、しれっと答えるゾロの言葉の、どこまでが本当なのかさっぱりわからない。
「だからって、なんでドミノさんの言うなりになってあんな・・・」
ゾロを睨み付けながら、無意識に握り締めた拳が震えているのに気付く。
取り澄ましたこの顔を思い切り殴れれば、どれだけ胸が空くだろう。
「だから、悪かったっつったろ」
「意味わかんねーよっ!」
代わりにゾロの向こう脛を蹴った。
少しは効いたらしく、顔を顰めている。
それでも、サンジの攻撃をかわそうとはしない。
「なんであんなことしたんだよ!人の了解なしに勝手にあんな、あんなの撮って他人に送り付けて、コソコソ隠れて卑怯な真似をっ」
膝を振り上げてゾロの腹にも打ち込む。
膝ともう一度向こう脛を蹴ってから、サンジは肩で息をしながら一歩引いた。
「説明しろ、弁解してみろ。いくら貰った」
「ああ?」
「いくら貰ったんだ、ドミノさんから」
俺を売った金は、いくらだ。
サンジの表情を訝しげに見ながら、ゾロは首を振った。
「別に、金のやり取りはしてねえが」
「ならなんでてめえがあんなことするんだよ、てめえのメリットはなんだ」
「お前とエースの仲が、拗れるだろうが」

「―――は?」
咄嗟に意味がわからず、サンジは口を開けたまま固まった。
「てめえがエースと付き合ってんのは、どうにも気に食わねえんでな。俺にできることならやるだけだ」
「・・・な」
「説明は終わりだ」
鞄を持って歩き出そうとするゾロのスーツを、反射的に掴んだ。
まだ何かあるのかと眉間に皺を寄せて振り返るゾロの顔を、目を見開いて凝視する。

「は、」
目を見開いたまま、サンジは口を開いて笑の形にした。
「は、ははははは」
異様な笑い方に、ゾロはぎょっとしたように身を引く。
「なんだてめ、俺とエースの仲が拗れるって・・・別れさせたくて、あんなこと、したって?」
お笑い種だ。
そんな馬鹿馬鹿しい理由で、あんなことを。
ロロノア・ゾロって男は、そんなバカだったのか。


「なにがおかしい?」
スーツを掴んだ手の甲が白く浮きだっているのを、ゾロは不快そうに見つめている。
一頻り笑った後、サンジは下から掬うようにねめつけた。
「生憎だな、逆効果だよ」
「・・・・・」
「俺、エースと寝たよ」
ゾロの片方の眉が、ぴくりと動いた。
それに気をよくして、サンジは強張っていた指の関節をなんとか開き、ゾロのスーツから手を離す。
「エースが、証拠見せろってさ。俺の服脱ぐよう言ったんだ。だから俺脱いだ。全部見せた。それでも証明できないから、身体で証明した」
逆効果だよ。
呟く自分の声が、掠れている。

「なあ、俺とエースの仲を拗れさせたいって、そうそうてめえが思う通りうまくコトが運ぶと思ってたのか?」
何でそんな風に、他人の心を操れるだなんて思ったんだ。
「生憎、だったな」
精一杯の嘲りをこめて、再び笑い声を立てる。


ゾロは壁に凭れ掛け、ふうと息を吐いた。
「なに、どうした」
そんな様子を愉快気に、サンジは眺めた。
「なんだよ、俺とエースが寝たのは、そんなにショックなのかよ」
んな訳ねえだろと、ゾロの代わりに答えようとして先に言われた。
「そうだな」
「あ?」
「自分で思ってる以上に、ショックだったようだ」
見れば、ゾロは少し青褪めて身体を傾けていた。
右手が左胸に当てられている。
「まさかこんな風にショック受けるなんてな。この事実のが、俺には意外だが」
―――てめえが・・・
「好きな奴を寝取られるってえ、こんだけ、キツいんだな」
笑うに笑えない表情でそう呟き、ゾロはよろめくようにサンジの脇をすり抜けた。

「ごちそうさん」



サンジが振り返る頃には、ゾロはもうしゃきっと背筋を伸ばして歩き出していた。
先ほどの衝撃など微塵も感じさせないような、颯爽とした後ろ姿。
それでも、ゾロが胸に当てた右手はそのままで。
いつも以上に足早に歩き去る姿は、なにものをも拒むように頑なだった。


また一つ、取り返しのつかないことをしてしまったんだろうか。
襲い来る後悔に気付かないふりをして、煙草を取り出し火を点ける。

「てめえが、悪いんだぞ」
言い訳めいて呟いても、サンジの心は晴れなかった。





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