Apfel In Schlafrock -11-



エースには「少し遅れる」とメールして、開店前から店に並び即行で一式買って店で着替え、駅のコインロッカーに荷物を放り込んだ。
手櫛で髪を整え、タグの取り忘れがないかトイレの鏡の前でくるりと回転してから、何食わぬ顔で改札に向かう。
当たり前みたいに、先に来ていたエースが「よっ」と気障な仕草で片手を挙げて見せた。
サンジは小さく噴き出して、遅れて悪いと駆け寄った。
「なに、ニコニコしてんの?」
「え、いやあエースって駅が似合わねえなあと思って」
「なにそれ、なんかひどくね?」
「駅とか電車とか、乗ってないっぽい」
「んなことねえよ〜」
多分、普通に満員電車でもみくちゃにされてるんだろうに、サンジの頭の中ではいつも愛車を颯爽と運転するエースだ。
ゾロなら満員電車もアリかと思いつつ、すし詰めの車内でも涼しい顔してんだろうなとも思って、少し腹立たしい。
てか、なんでここでゾロが出てくる。

「んで、どこ行く?」
エースに聞かれて我に返った。
「ああそうだな、どこに…」
どこに行こうか?
しまった!
今日の予定は俺が考えるんだった!
俄かに青褪めたサンジに、エースはあれ〜?と大袈裟に肩を落として見せる。
「今日は俺に任せろ!とか、言ってなかったっけ?」
「ごめん、ついうっかり忘れてて・・・」
「そっか〜忘れられちゃったんだ。今日のデートはサンちゃんにとってその程度だったんだ」
「や、んなことねえよ。俺なりに楽しみで・・・」
エースが本気で怒ってないのは明白なのに、サンジはマジ焦りだった。
実際今日のデートより、昨夜のゾロとの飲み会のが楽しみだったなんて、口が裂けたって言えやしない。

「今すぐ探すから、ちょっとだけ待ってて」
あわてて携帯を取り出すサンジを、エースは笑いながら押し留めた。
「冗談だって、ごめん、からかい過ぎた」
「でも」
「サンちゃんから特に希望がないなら、俺から提案していい?」
もちろんと、勢い込んで頷く。
いつもこうして、エースに助けられてばかりだ。
「んじゃ、遊園地行こう」
「…は?」
思い付きもしなかった選択肢に唖然としたサンジの手を引いて、エースは駐車場へと向かった。



「遊園地なんて、高校ん時以来だ」
窓を開けて風を受けながら、サンジは車の外に手のひらを翳した。
「デートで?」
「う…んにゃ、二人きりでデートできないってダチに頼まれてグループデートだった。あれはあれで楽しかったなあ」
エースは?と問い返せば、俺も高校ん時くらいかなあと視線を上げている。
「いや、大学ん時にも行ったか。なんにせよ久しぶりだ」
こんもりと繁る森の向こうに案外と大きな観覧車が見えてきた。
「観覧車って、なんかワクワクするよな」
「実際乗るとたいしたことないんだけど」
「あの外観がいいんだよ」
窓から顔を出すサンジに笑い掛け、エースは緩やかなカーブを曲がった。


「平日の遊園地も、案外人がいるな」
複数ある入場券売り場はどれも閉まって窓口は一つのみだか、園内にはそれなりの人影があった。
「小学校の遠足かな?賑やかでいいや」
揃いの体操服を着た低学年くらいの子ども達が駆け抜けて行って、ほっとする。
閑散とした遊園地ほどバツの悪いものはない。
「待たずに乗り放題だぜ、なにから行く?」
「まずは腹ごしらえから」
即座にそう答えると、エースは意外そうに目を丸くした。
「俺ならともかく、サンちゃんから早い時間の食事のお誘いとはね。意外だけど嬉しいな。お腹空いたの?」
「朝、あんまり食えなかったんだ」
嘘だ、今日は朝食抜きだ。
「OK、じゃあ手始めに屋台を制覇しよう」
本気で制覇する勢いで、エースは園内を駆け巡った。


腹ごしらえして、空いてる絶叫マシーンに乗って、ほっと一息吐いてコーヒーでも飲んで、また別のマシーンを梯子する。
エース自身が子どもみたいにはしゃいで明快なリアクションをするから、サンジもつられてはしゃいでしまった。
あれもこれもと欲張りに遊具を渡り歩き、お化け屋敷やからくり屋敷で絶叫した。
ふれあいミニ動物園では、時間を忘れて癒され、写メを撮りまくった。
遊園地なんて、エースに誘われでもしなかったら恐らく来ることもなかったスポットだ。
こんなに楽しいなら、彼女ができたら連れてきてあげたいなとか、現実逃避な夢を見る。
実際、一緒に来たのがエースだからこんなにも楽しいのだろう。
例えばゾロだったら、遊園地なんて思い付きもしないだろうし、一緒に来たって楽しくなさそうだ。
ゾロがジェットコースターを前にして目を輝かせて奇声を上げる図なんて想像できないし、ありえない。
や、なんでここでゾロが出てくるんだよ。

「サンちゃん、バンザイーっ」
「バンザイーっ」
つられてバンザイしたら、大量の水しぶきが顔面を直撃した。
今日の急流滑りは、サービス満点のようだ。



「や〜濡れた濡れた」
前髪から水を滴らせながら、エースは両手を振って見せた。
「まさに、水も滴るいいオトコってね」
「言ってろ」
ちょっと身体か冷えたねと、暖房が効いた食堂に入った。
エースは来ていた薄手のセーターを脱いで、広げて椅子に掛ける。
「こうしといた方が早く乾くっしょ、サンちゃんも」
「そうだな」
タートル部分が濡れて気持ち悪い。
俺も脱ごうと両手を裾に突っ込んでから、はたと気が付いた。
確かに下にはTシャツを着てるが襟刳りが開いてる。
ぶっちゃけ、ゾロが付けた後は首もとや耳の下辺りにまであった。
サンジは腹まで見せて脱ぎ掛けていた両手をそろそろと下ろし、濡れた部分をさり気なく撫で付ける。
「俺は着たまま乾かす」
「それじゃ、乾きにくいんじゃないの?」
エースの素朴な突っ込みに、真面目な顔で首を振った。
「いんや、暖房の風と体熱のダブルの効果で乾くのが早まるかもしれないから」
「・・・冷たいんじゃない?」
それ以上しつこく追求することもなく、エースは身体が温まるものを注文してくれた。



「夕暮れの遊園地って、なんか物寂しいな」
チラホラと外灯が点き始めた園内では、回転木馬の灯りがひときわ目立つ。
足早に通り過ぎる客達を窓越しに眺め、サンジは無意識に濡れた袖を握りながら、なんとはなしに呟いた。
「もう帰りたくないな、って感じ?」
「そうかも」
温かな紅茶を口元まで持って行って、ふと笑う。
「実際今日楽しかったし、野郎同士で遊園地なんて超寒いのにな」
ははっと声を立てたサンジに、エースは追随して笑わなかった。
「サンちゃんはよく野郎同士でとか、こっ恥ずかしいとか言うけど、人は自分が思ってるほど他人を見ちゃあいないよ」
「え?」
動きを止めたサンジとは対象的に、エースはカップをずずっと啜った。
「遊園地はみんなが楽しむ場所だ。今日だって男女のカップルより、女の子同士とか親子連れとか遠足とか、男同士のグループとかも結構いたんじゃね?」
「・・・そう言えば」
サンジは通り過ぎる女の子しか目に入らなかったけれど、今ざっと見渡しても食堂のテーブルに着いている客達で男女のカップルは1組程度だ。
それも若いとは言いがたい、訳ありっぽい玄人風の二人。
後は学生仲間なのか、男ばかりのグループもいる。
「男同士でつるんでるから二人は付き合ってるのかなんて、普通はそう考えない。サークル仲間かもしれないし兄弟かもしれないし、親戚かもしれない。いずれも、ただ擦れ違うだけの他人のことなんかさほど興味のある事柄ではないと思うよ」
サンジはなんとなく気恥ずかしくなって、冷めた紅茶を啜った。
「そう言われると、俺が相当自意識過剰っぽくね?」
「そこまでは言ってないよ。そうなるのも仕方ないかなとわからないでもないし」
男同士なのにエースと付き合っていると、そのことが後ろめたくて意識しすぎているのかもしれない。
エースの言うとおり、人は他人のことなんて基本的にはどうでもいいのだ。
今日、サンジとエースが楽しく遊園地デートをしたとしても、ここに来ている人達もみなそれぞれに楽しんでいるから多分眼中にない。
時には退屈して人間観察をしていた人がいただろうけど、それだってその人の1日の内のほんの1コマ、目に付いただけかもしれない。
人は皆自分が主人公の人生を生きている。
サンジがサンジであるように、エースはエースで。
ここにいる人々もそれぞれに、それぞれの人生を悩み惑いながら日々暮らしていて。
雑踏の中のたった一人でしかない自分と、他の人々も実はみんな同じだと、そう気付いたらなんだか目からウロコだった。
「そっか、みんな一緒なんだな」
「ん?」
「つまんないことであれこれ悩んだり、考え込んじゃったり、かと思うと肝心なことに気が回らなくてしまったなって一人で悔やんだり。こういうのって、実はみんな一緒なんじゃないかって」
「そうだな」
エースはサンジの言葉に感心したように頷いて、カップを置いた。
俺もそうだよと口先だけの同意をしないところが、またいいなあとサンジはカップを持ち上げたままぼうっとエースの顔を見た。

エースと何気ない話をするのが好きだ。
ごく当たり前のことなのに気付かないでいる事柄を、エースは上手に掬い取ってサンジにわかるように話してくれる。
決してお仕着せがましくなく、お説教口調でもない。
ただ自然に、なんでもない世間話を、エースと語るのは楽しい。
しかもエースが言うとなぜか説得力があって、なんでも信じてしまいそうな傾向もある。
その辺はゾロも一緒だろうか。
ゾロの場合、なんの根拠もないのに妙な自信があるせいか、信じると言うより任せる形になるのだけれど。
つか、なんでここでゾロが出てくんだよ。

「そろそろ行こうか」
気が付けば、濡れた服は粗方乾いていた。
当たり前みたいに伝票を取るエースに、後でまとめて精算してもらおうと性懲りもなく心に決めて、サンジは後に続いた。





「まだ少し時間が早いけど、どこかで夕飯食ってく?」
「不規則に色々食ったからなあ、あんまり腹減ってないし」
さりとて、それじゃあここでと別れるには中途半端な時間だ。
まるっきり中学生の遊び仲間みたいで。
「お茶漬けとか、食いたいな」
「お茶漬け専門店か」
「や、そうじゃなくて。簡単な残り物とかで俺作れるけど」
サンジの提案に、エースは軽くハンドルを叩いた。
「じゃあ俺んち来ない?飯はこれから炊くとして・・・冷蔵庫の中にも当然のように余りモノはねえけど、材料買って帰ればいいじゃん」
「ああ・・・」
それはいいかも、と言い掛けて止まる。
先日サンジの家でヤバイ方向に入ったというのに、今度はエースの部屋とか言ったらもうなんだかまっしぐらじゃね?
サンジの顔色で察したか、エースは朗らかに笑って見せた。
「だーいじょうぶだって、いきなり襲ったりとかしねえから。ほら、俺って紳士だし」
「えーと」
「まだ時間が早いし、サンちゃん明日は仕事だろ?きちんと夜9時までには帰すよ。門限何時?」
「ねえよ、門限なんて」
とは言え、サンジが帰るまでゼフが眠らないのは知っていた。
昨夜はゾロが連絡を入れてくれただろうから心配はしてないだろうが、2晩連ちゃんで無断外泊はさすがにまずかろう。
「でもまあ、9時までに帰れると助かる、かな」
「んじゃ、決まり」
安いスーパー知ってるんだと、車は商店街の方へと走る。
セレブな生活をしている筈なのに、ずっと庶民的なエースは私生活も掴みどころがないなと改めて思った。
それが魅力なんだろうなとも、悔しいけれど認めざるを得ない。



エースの住まいは、想像通りの瀟洒なマンションだった。
それでも、これみよがしに最上階とかではなくそこそこ普通の部屋で、気後れせずにお邪魔することができた。
「へえ、いいとこだな」
「だしょ、ちょっと都心から離れてるけど静かだし」
玄関から室内を覗いて、つい噴き出してしまった。
ゾロの部屋と違い、エースの部屋の中は実に雑多な感じに散らかっている。
最初からサンジを連れ込むつもりはなかったと、証明できる程度に乱雑だ。
「悪いね、散らかってて」
「言葉通りだから嫌味じゃねえな」
買ってきたスーパーの袋をテーブルに置くサンジの隣で、エースはポストに入っていたDMの束らしき封筒をソファの上に投げた。
つ、と滑り落ちたのは、明らかにDMとは違う茶封筒。
あれ?と手を止めて、エースはわざわざ拾い上げる。
「うちの会社名じゃん、なにこれ」
裏にドミノのサインを見つけ、エースの表情が一瞬険しくなる。
けれどすぐに表情を改めて、封筒で扇ぐ仕種をした。
「性懲りもなく、なに企んでるんだか」
「なんだよ、気になるなら開けたら?」
俺は気にしないよ。
そう言い置いて、サンジは米を研ぐべく台所に立つ。

エースは封筒を片手にしばらくブラブラと歩き回っていたが、意を決したように封を開けた。
中から便箋と、デジカメで撮ったらしい写真が出てくる。
「わざわざ封筒だなんて、メールで送ればいいの・・・」
途中でエースの言葉が止まったことに、なぜだかどきりとする。
サンジは平静を装いながら、どうした?と軽く聞いた。
返事がない。
不審に思って振り返れば、エースは呆然と手元の写真を見下ろしている。
胸騒ぎを覚えながら、サンジは濡れた手を拭き近付いた。
「なんか、写ってんのか?」
動かないエースの手元を、そっと覗き込み息を呑む。

そこには、裸の胸に数多くのキスマークを散らし、頬を染めたままうっとりと目を閉じる自分がいた。



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