Apfel In Schlafrock -10-



「ど、どどどどういうことだ!」
動転のあまり声が裏返ってしまったのはみっともなかったが、サンジはもうそれどころじゃなかった。
だって目の前に、素っ裸のゾロがひっくり返っている。
引き締まった尻が半回転して勢いよく起き上がるのに、見てはならないものも一緒にブンと揺れていたから慌てて目を瞑った。
「そりゃあこっちの台詞だ、いきなり蹴るな」
「んなこと言ってる、場合かー!」
手近なモノを何か投げ付けたくなったが、目に付いた時計の針にぎょっとした。
現在、7時20分。
サンジにしてはあまりに寝坊過ぎる時刻。

「お前、今日仕事だよな」
シーツを手繰り寄せたまま問い掛けると、ゾロはサンジの目の前で堂々と服を身に付けながらおうと頷いた。
「今日は現場直だから、8時前に出れば間に合う。お前は適当にして、後で出ろよ」
そう言いながら鍵の置き場を喋るから、サンジは慌てて手を伸ばした。
「ちと待て、ちょっと待て。俺の服はどこだ」
「・・・あ―」
今思い出したという風に、ゾロは洗面所らしき場所に顔を向けた。
「風呂場に放り込んだままだ」
「なんで?風呂場?」
「覚えて・・・ねえな」
じとっと見つめられて、サンジはバツが悪そうに視線を逸らす。
覚えてないって、一体いつからのことだろう。
ゾロに美味いカクテルを飲ませてくれる店まで連れてってもらって、バーテンダーのチカちゃんがそれは可愛くて、それから―――
「ここ、お前んち?」
「そこからかよ」
ゾロは脱力しながらも、シャツのボタンを合わせてしゅっとネクタイを締めた。

「お前が酔い潰れて、仕方ねえから俺の家に連れてきたんだ。したら、玄関入った途端吐きやがって。背負ってた俺の首の後ろからゲロまみれだ。仕方ねえから服脱いでてめえも脱がせて、風呂場に放り込んだ」
「げ・・・」
そうだったんだ。
「一応身体だけ洗ってベッドに寝かせたんだがな、服のことはそのままだった」
「や、それならわかった。いいよ、っつうか悪かった、迷惑掛けて」
そこまで言ってシュンとして、それからん?と顔を上げた。
「俺がマッパなのは説明付くとして、なんでお前までマッパなんだ」
「俺は、寝るときは服を身に付けない」
「火事になったら、どーすんだ!」
「このまま逃げる」
「猥褻物陳列罪で捕まるわアホっ」
サンジは想像して頭を抱えた。
女性の裸族は大歓迎だが、男の裸族なんて存在すら認めたくもない。

「しかもマッパの野郎二人で一緒の布団で寝るだなんてよ、俺なんかソファかその辺の床に転がしといてくれりゃあいいのに」
そう言うと、ゾロは手にしていたブリーフケースをわざわざ足元に下ろして、つかつかと歩み寄った。
あまりに速いスピードで、サンジはベッドの上に座ったまま思わず仰け反る。
「・・・なんだ?」
ぶつかるかと危惧するほどの勢いでベッドの縁に膝を当てると、そのまま乗り上げてサンジの上に馬乗りになる。
ゾロの行動が唐突過ぎて思考が付いていけず、サンジはまるで追い詰められたみたいに両腕にシーツを抱えたまま壁に押し付けられた。
「お前、俺以外の奴の前でもう飲むな」
「は?」
「だらしなくグデングデンになりやがって、みっともねえったらありゃしねえ」
これにはカチンと来た。
がしかし、記憶をなくすくらい酔っ払って迷惑を掛けたのもまた事実だから、おいそれと反論できない。
「そりゃあ、てめえに迷惑かけて悪いとは思ってるけどよ・・・」
語尾を濁すように口を噤んだら、ゾロの顔がふとぼやけた。
焦点が合わないほど近付いたのだと気付く前に、肌が頬に触れる。
「―――?」
背中に手を差し込まれ、きつく抱き寄せられると同時に耳元で小さく呟く声。
「悪かった」
「?」
なにが、なんで、なにごと?
脳内一杯に膨れ上がった疑問をぶつける前に、ゾロはさっさと身体を離しベッドから降りると、鞄を持って早足で玄関へと向かった。
「鍵はそのまま持っててもいいぞ、俺はスペアを使う」
「え、は」
「行って来る」
「・・・行って、らっしゃい」
呆然と座り込むサンジの前で、ゾロは振り向きもしないで扉を閉めた。



一体なんだったんだ。
さっきのハグはなに。
つか、ハグだよなあれ。
混乱し過ぎて思考停止状態に陥ったサンジは、まずは煙草をとベッド周りを見回した。
風呂場で服を脱がされたのなら煙草もポケットの中に入ったきりで、すっかりダメになっているかと落胆していたら、ベッドサイドのローテーブルの上にライターと一緒に置かれているのを見つけホッとする。
シーツを撒き付けたまま床に降り、部屋の中をゴソゴソと探し回ったが、灰皿らしきものは見付からなかった。
仕方なく分別ゴミの中を覗いて空き缶を取り出した。
顔に似合わず繊細な花を愛するゾロの気性らしく、男の一人暮らしにしては部屋の中は随分と綺麗に片付いていた。
ゴミの分別もバッチリ。
むしろ少し神経質過ぎるきらいがある。
―――俺の部屋とは、えらい違いだな。
サンジとてそう散らかす方ではないが、もっとモノが多いし雑多な感じがする。
ゾロの部屋は整いすぎて無機質で、どこか冷たい印象だ。
―――こういうタイプと一緒に暮らすって、大変だろうなあ。
ぼんやりと考えながら煙草を吹かしている内に、少しずつ思考力が戻ってきた。
ゾロは仕事で、俺は休み。
定休日だから、エースと―――
「忘れてた!」
がばっと立ち上がったらシーツが身体から落ちた。
慌ててしゃがみ、抜け殻みたいに小山になったシーツの中に身を潜める。
エアコンが効いているから寒くはないが、素っ裸と言うのはどうにも心もとない。
ゾロはよくこんな状態で爆睡できるものだ。
「ともかく、こうしちゃいられねえ」
エースとの約束は11時だったから、時間的にはまだ余裕がある。
がしかし、ゾロの話だと着てきた衣類が風呂場に放置で、着るものがない。
なんとかしなければ―――
サンジは急いで煙草を吸い切ると、空き缶の中に握り潰してシーツを見に纏ったまま立ち上がった。



「うっわ」
風呂場を開けたら、かすかに異臭がした。
一応洗面器の中に浸けて搾ったらしき跡はあるが、基本脱ぎっぱなしの衣類が散乱している。
ボイラーを点けて、裸なのをいいことにそのまま中でジャブジャブと下洗いし直した。
幸いなことに乾燥機も備え付けてあったから、まずは服を洗濯機に放り込みゾロのも自分のもまとめて回した。
ついでに風呂場の掃除もして、小窓を開け放ち風を入れる。
「乾くまで、どんくらいだ」
乾燥機の目盛を確認しながらエースとの待ち合わせの時間へと逆算する。
「なんとか、なるか」
取り敢えず顔洗おうかと洗面所の前に立ち、サンジは改めてぎょっとした。
「ん、な―――?!」
鏡の中には、素っ裸で立つ間抜けな男。
がしかし、その間抜けさを一層際立たせているのは、胸やら首元やらに散った赤い朱色だ。
それはもうあちこちに、ところにより赤黒い痣となって転々と散らばっている。
「なんだこれ、虫?蚊?この部屋ダニでもいるのか?」
この寒いのに蚊がいるのかよ、と改めて自分の身体を点検したが、虫刺されらしき口は見当たらなかった。
寧ろ皮膚が充血してうっ血した形は時に横長で、ありありと口の形に見えるのもある。
鎖骨と肩口に歯形まで見つけて、サンジはようやく我が身に降りかかった災難を知った。

「あ、あああああああンの野郎おおおおおおお」
―――悪かった。
なにが悪かったんだ、これか?これなのか?
人の身体を吸い捲くってキスマーク付けたことを詫びたのかゴルアぁっ!!!
「なに考えてんだーっ!」
怒髪天を突く勢いで激怒しても、無人の壁を震わせお隣さんに迷惑を掛けるぐらいしか効果はなかった。

俄かに恐慌状態に陥りつつ、サンジは改めて我と我が身の貞操を確認する。
前は・・・起き抜けだし色々あってちょっぴり硬くはなっているが、異常なし・・・と思う。
多分、使用した形跡は、ない。
んでは後ろは、と―――
「異常な、し?」
こちらも経験がないからなんとも言えないが、いつも通りと思われる。
触られたり抉じ開けられたり、ましてやなにか突っ込まれたりしていたら、もっとこう痛かったり違和感があったりするだろう。
恙無く慎ましく窄んでいるから問題なし。
「・・・なんだってんだ?」
酔っ払って人事不省に陥った男相手に、肌を吸ったり噛んだりして、一体なにが楽しかったんだろう。
ゾロってもしかして、そういう性癖があるのか?
思い至って、ぞっとした。
普段気安く付き合ってはいるが、サンジ自身ゾロのことなどほとんど知らないに等しい。
多分同い年で大手の会社に勤めてて、酒が好きで花の道を究めているが確か剣道もそこそこの腕前だとか。
趣味の範疇でならある程度知識はあっても、生い立ちや生活スタイルまでは知らない。
隠されたアブノーマルな性癖とかあったら、どうしたらいいんだろう。
そこまで心配してから、いやいやいやと首を振った。
別に、ゾロと付き合う訳じゃないんだからそこまで深入りして悩むことはないんじゃないのか。
今回は酒の上での過ちと言うことで、今後もう二度とこんな失態を犯さなければいいだけの話で。
ゾロだって言ってたじゃないか。
俺以外の奴とはもう飲むなって。
ん、俺以外の奴?

「――――」
サンジは素っ裸のまましゃがみこんで、考えてしまった。
ゾロがこういう悪戯?をするような男だったということは、やはり油断ならない相手ということになる。
だって俺はエースと付き合ってる訳だし。
この上でゾロとなにかあったら、浮気ってことにならないか?
つか、やっぱりゾロって俺にちょっかいだそうと思ってるってことか?
だったら尚のこと、二人きりでパリ旅行とか行けねえじゃん。
エースが許すどうこうの前に、俺が許さん。

「あああああもう」
一人で考えていても埒が開かないので、ともかく服が洗えるまでに身を整えようと部屋に戻った。
空き巣さながらに勝手にクローゼットを開け、小引き出しの中を漁る。
ようやく新品の下着を見つけたが、サイズが大きくてなんとも不恰好だ。
それでもないよりマシとその場で履いて、トランクス一丁で次は冷蔵庫の扉を開けた。
ある程度予想はできていたが、やはりと言うかなんと言うか、冷蔵庫の中は缶ビールしかなかった。
野菜は愚か卵もハムも、牛乳すらない。
サンジはがっくりと肩を落として冷蔵庫の扉を閉めた。
「使えねえ・・・」
基本的に自炊ってモノをしないのか、一体なに食って日々を暮らしてんだ。
ランチはバラティエでとるからいいとして、朝飯もろくに食わず夜はビールだけ飲んで寝てんじゃねえだろうな。
何故かサンジの中で、沸々と怒りが沸いてきた。
いい年した大の男が、そんな不摂生でどうするってんだ。
せめて三食くらいきちんととれよ。
食は人生の要だぞ。

今日だって、朝ちゃんと早起きできていたらなにがしか食料を買ってきて朝飯くらい作ったのに。
そう思ってから、いやいやいやと考えを改めた。
なにゾロに同情してんだ。
あいつは男を引き込んで知らない間にキスマーク付けるような変態なんだぞ。
これ以上下手に関わってその気になってもらっちゃ困る。
や、その気ってなんだよ。

服は乾かない。
食べるものはない。
なにもすることがない。

サンジは途方に暮れて、しばらく煙草を吹かしていたが、思い付いて携帯を探した。
煙草と同じ場所に置いてあるのを見つけ、履歴を調べる。
こちらからサンジの自宅に掛けた形跡があった。
さすがゾロ、抜かりがないというかゼフには連絡しておいてくれたのだろう。
一応ほっとして、それからエースのメアドを開いた。
『今、出先にいるから待ち合わせは駅に変更してくれないか』
要点だけ打って送ると、すぐに返信が来た。
『了解、西口改札で(^_^)ノ』
「うし」
携帯を閉じて、改めて洗面所を覗く。
乾燥が止まるまで後30分。
それから服を来て部屋を出て、どこかに服を買いに行かなければならない。
なんせ昨夜来たのは襟ぐりが開いた服だった。
タートルでも買わないと、このあらぬ跡が誰にでも見えてしまう。
お気に入りのショップが開くのは11時からだったか。
エースとの待ち合わせ、ちょっと遅らせて貰おうかな。

あれこれと考えながら、サンジはパンツ一丁で再び煙草に火を点けた。



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