Apfel In Schlafrock -1-



「間もなく焼きあがります。その間にお茶の準備をしましょう」
サンジの軽やかな身振りに促され、お菓子作り教室の生徒達は一斉に動き始めた。
教室の過程の中で一番楽しいと言われている作業だ。
ケーキが焼き上がるいい匂いに満たされた教室で、女性達がさんざめくようにお喋りしながらお茶の用意をする。
サンジにとっても、まさに至福のひと時。

「先生ー、準備できましたー」
「今日は3班で一緒に食べてくださるんですよね」
こっちこっちと可愛らしく手招きされて、サンジはスキップする勢いでテーブルへと駆け寄った。
「はい、ではオーブンを開けてください。火傷しないように、気を付けて」
教室も7回目を迎えると、みんな手馴れたものだ。
取り出し担当、盛り付け担当、お茶担当とそれぞれ指示しなくても勝手に配役を決めて、阿吽の呼吸でテキパキと準備を済ませる。

白いプレートに焼きたてのアップルパイを乗せ、生クリームとバニラアイスを添えて好みでキャラメルソースやシナモンを振る。
淹れたての紅茶から芳しい香りが立ち昇って、心浮き立つ午後のティータイムだ。
「先生、私この時間が一番大好き」
「奇遇ですね、俺もですよ」
「このためにお教室に通ってるのよねえ」
「あらあ、本当は先生に会うためよ」
「あ、嬉しいですね」
「抜け駆け〜」
「私もよ」
年上且つ既婚の生徒達に囲まれ、サンジはデレデレと鼻の下を伸ばしっぱなしだ。
花嫁修業目的でうら若きレディもいてくれるかと期待したのだが、結果的に妙齢のマダムばかりで構成されている。
まあそれでも、サンジにとっては女性ばかりに囲まれたまさにパラダイス。
こんな職場に不満も不足も無い。
ただ―――

・・・実質的にお付き合いしてる相手が男って事実だけが、あるんだよなあ。
そう考えると女性に囲まれた優雅なティータイムの中にあっても、自然と肩が下がってしまった。
どういう成り行きかサンジ自身よくわかってないのだが、今の恋人はこのスクールの理事であるエース。
今日もこの教室のあと、生徒が帰ったのを見計らってエースはおやつを食べにくるだろう。
恋人同士の甘いひと時を過ごすために…?
「や、おかしいだろ」
つい声に出して呟いたら、隣に座っていたマダムが「お味変でした?」と心配そうに聞いてきた。
「ああいや独り言です、とっても美味しいですよ」
慌ててニコリと笑みを返しお茶のお変わりをどうぞとテーブルを回り出す。
賑やかな雰囲気の中にあって、それでもサンジの気分は晴れなかった。



エースと顔を合わせるのに気が重いのは、前回ゾロと三人で飲んだ後のエースとゾロとの間で交わされた会話を聞いてしまったからだ。
どう考えてもあれは、サンジを挟んだ恋の鞘当てっぽくしか聞こえなかった。
って言うか、もしかして三角関係?
俺、男に挟まれて取り合いとか、されてる?

んな訳ねーだろ!と何度セルフ突っ込みしても、あの日の言葉が頭から離れなかった。
エースはゾロを同類だと言った。
いや、同じ穴の狢か。
自覚するのは遅かったとしてもゾロは俺に惚れてるとか言い切ったし、ゾロだってエースの邪魔をするようなことばかりしていた。
酒に酔って一瞬意識を手放したのは事実だが、エースの背中で揺られている内に目が覚めてしまったのだ。
なのに顔を上げることができなかった。
つかもう、あの場で意識を取り戻しちまったことを激しく後悔した。
あんなに居た堪れないことって、普通ねえよ。

酔っ払ったせいで夢を見たんだと思いたい。
ゾロの言葉もエースの背中の温もりも、全部夢だったんだ。
別にそんな願望はないけど、とにかく夢。
すべてなかったこと。
そうでなければ、どんな顔してこれからあの二人を付き合ってけばいいってんだ?
いや、ゾロとは付き合ってねえんだっけか。
でもまた店に食いに来るだろうし、ルフィを挟んで友人だし、たまには飲みに出かけたりもするだろうし。
ああいう友達付き合いまで遠ざけたくはないのに、こうなった以上はエースのことを思うとあんまり軽々しく付き合うわけにはいかないんだろうか。
いやだって、そもそも男同士じゃねえか。
付き合うって、男同士飲みに行くのになに後ろめたいことがあるんだよ。
それでエースが邪推するなら、そんな束縛するような男こっちから願い下げだ。
つうかなんでそもそも、俺の恋人が男なんだよ〜〜〜〜〜

先日から果てしなくクルクル続いている堂々巡りの思考に悩まされていたら、いつものスキップするような足取りが近付いて来た。
はっとして、慌てて新しいお茶の用意をする。
「うっすサンちゃん、お疲れ〜」
廊下ですれ違った生徒さんに愛想よく手を振りながら、もう人気がなくなった教室に入ってくる。
「そろそろ来る頃だと思ったよ」
言いながら、残っていたアップルパイを皿に乗せていろんなトッピングを全部てんこもりにしてやった。
なんせエースは欲張りの大食らいなのだ。
なんでも際限なく食べるから、最初から「これきり」と目安をつけて与えないと切りがない。

「なにこれ、アップルパイ?」
「寝巻きを着たリンゴだ」
丸ごとのリンゴコンポートをパイ生地で包んで焼いたシンプルなパイ。
焼きたてが一番美味しい。
「熱々だから気をつけろよ」
「バニラアイスとよく合うねえ」
サンジの忠告など意に介しないで大口で齧り付き、アチチと飛び上がっている。
「言ってる傍から・・・紅茶も熱いぞ」
「はふはふ〜」
冷たい水もグラスに注いでやって、目の前に置く。
エースは大食らいですぐがっつくが、案外と猫舌だ。
それに比べてゾロは熱いモノでも平気で口にする。
本当は熱いのかもしれないけれど、表情に出ないだけだろうか。
「―――ゾロは」
「はへっ?」
サンジは飛び上がる勢いで吃驚した。
俺なんか、ゾロのこと口に出しただろうか。
思ってたことが、伝わっちゃった?
「なんか言ってた?」
「な、なななななにが?!」
慌てすぎたのか、エースは頬袋を膨らませたままクスクスと笑っている。
「なに言ってんの、俺の話聞いてた?」
「えっと・・・」
「ゾロに聞いてくれたかなって、来年からの講師のこと」
「ああ」
それか。
「そろそろ来年度のプログラムで宣伝したいしね。アレンジメント教室、講師一人分空けてあんだけど」
「多分脈ないと思うぜ。一応こないだ言ったけど、むべなく断られた」
この間というのは、最終的に三角関係になってしまったあの夜だ。
思い出すと、やっぱりなんだがモジモジしてしまいそうになる。
あれは夢だ、やっぱり夢だ。

「ダメかぁ」
「ゾロのは自分が楽しむためのものであって、人に教えるもんじゃねえんだと」
わかるけどねーとか言いつつ、エースは惜しそうだ。
「サンちゃんの色仕掛けで、もう一押しできねえかな」
「なんだ色仕掛けって、つかなんで俺がそこまでしなきゃなんねえんだよ」
来年からゾロと同僚なんて真っ平だ。
これ以上居た堪れない状態になったらどうしてくれるつもりか。
「大体エース、お前なんか勘違いしてないか?」
サンジは居住まいを正し、きっと目力をこめた。
対してエースはフォークを握り締めたまま、膝を合わせて畏まる。
「自分とこのスクールの勧誘に、なぜ一介の講師でしかない俺に頼る。直接言えばいいじゃないか」
「俺が言ったってゾロは聞いてくんねえもん」
「それは俺も同じだろうが」
「違うよ、サンちゃんから押したら絶対ゾロ折れると思うなあ」
「なんで?」
「ゾロはサンちゃん大好きだから」
またそれか、とがくりと肩が落ちそうになりながらも、サンジはなるべく動揺を見せないように無表情を取り繕った。
「エースってすぐにそれ言うよな、そんなん勝手な思い込みだ」
「そうかなあ」
意固地に反論しないで、エースは会話を楽しむように含みのある言い方をした。
「ゾロはサンちゃんのこと好きって言ってたよ。俺、この耳でしかと聞いたし」
「なんだよそれ、幻聴じゃねえの?」
あの時狸寝入りしていただなんて知られたくなくて、空っとぼける。
「まあ、ゾロのことはいいか・・・それより」
あっという間にすべて平らげてしまってから、少し冷めた紅茶を啜る。
口端にクリームが付いているのはご愛嬌だ。
「来週の水曜日、休みだろ。一緒に飯食いに行こう」
「・・・いいけど」
デートか?と思わず身構えた。
「ホテルオーシャンブルーの楼蘭、予約取れたんだ」
「うそ、マジ?3年先まで予約でいっぱいのとこじゃね?」
「ちょうど空きがあったとかでね」
ラッキーと嘯くエースに、サンジはすぐに怖い顔をして見せた。
「また、金に飽かして横入りしたんじゃねえだろうなあ」
「違うよ、ってえか『また』ってなんだよ」
確か以前、これも予約が取り難いホテルのレストランに行ったことがあった。
「いくら俺が料理人だからって・・・」
そこまで言いかけて、口を噤む。
このまま続けたら「こんなことで気を引こうなんて思うなよ」になってしまう。
なんだかそれは、おこがましい。
「なに?」
「いや、そんな気を遣うなよって」
モゴモゴと続けたら、エースは大げさに首を振った。
「気を遣うなんてとんでもない。むしろ俺が飯食いに行きたいだけなんだって。でも一人で食ってると寒すぎるだろ?頼むから付き合ってくれよ」
「野郎二人で食ってる方が寒いよ」
「んなことないって、だってサンちゃんは料理人なんだから食ってお互いこっそり批評しあったりしてさ、そういうのも仕事の内だろうが」
そう言われると、自然な気もしてきた。
なにより、楼蘭の味にも興味がある。
「それとも他に、なんか予定あるのその日」
「・・・特に、なにもねえ」
「じゃ、決まりね」
午後から待ち合わせしてデートしようぜ。
あっけらかんとそう言って、エースは満足そうにニカリと笑った。


あの笑顔が曲者だ、とサンジは思う。
エースの軽い口調とやけにきらめいて見える瞳と、外堀から埋めるような周到な話し方。
天然じゃなく、実は計算し尽くされているんだろう手管にまんまと嵌められてしまう。
そうと感じさせない強引さでじわじわと距離を狭められて、いつの間にかエースの囲いの中に囚われてしまいそうで、そこはかとなく恐ろしい感じはしていた。
とは言え、きっぱりと拒絶する理由はない。
エースといると楽しいし、キスした時も嫌じゃなかった。
寧ろ、ほんの少し欲望を滲ませた黒い瞳に見つめられた時、身体の奥底がじんと熱くなったのは事実だ。
友達としてだけじゃなく、恋人としてだってエースは十分に魅力的だと思う。
ただこのまま流されていいのか、世間一般的な常識にとらわれて戸惑ってしまうだけのこと。
―――本当に、そうか?
脳裏にちらりと、まったく関係がないはずのゾロの顔が浮かんでサンジは慌てて首を振った。

スクールからの帰り道。
一人とぼとぼと街路樹の下を歩きながら、自然と俯きがちになった。
何を考えるわけでもないけれど、なんだかぼうっとする。
「すみません」
不意に背後から声を掛けられ、サンジは一拍遅れて振り返った。
俺のことかと後から気付く。
「・・・はい?」
気付かなかったが、すぐ後ろに女性がいた。
金髪の巻き髪にきっちりとしたスーツを着、大き目のサングラスをしていた。
まだ若そうに見えるが顔が良くわからない。
「バラティエのサンジさん、ですか?」
「はい、そうです」
名前を当てられて、サンジは慌てて正面に向き合った。
事情はどうあれ、若い女性に声を掛けられたのだ。
嬉しくない筈がない。
「美しいレディ、どこかでお会いしましたか?」
「いいえ初めてよ」
無碍に言い切られ、しゅんと肩を落とすサンジのすぐ横を女性はヒールを鳴らしながら通り過ぎた。
「お話があります、少しお時間よろしいですか?」
有無を言わせぬ口調だった。


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