A Heart of Thanks  -1-



いまだかつてこれほど勤勉なゾロは、見たことがなかった。
サンジは思わず我が目を疑い、目頭を熱くする。
海賊風情に勤勉もクソもないだろうが、額に汗してひたすら労働に励む背中は刀を振り翳し敵と対峙する姿と同じほどに美しい。
惚れた欲目ではなく本気でそう思ってる辺り、末期だなと自覚している。





春島海域の賑やかな島に着いた時、ゾロは珍しく刀をすべて外して船を下りた。
どういう風の吹き回しだとのサンジの問い掛けに、口の片端を上げて見せるだけで明瞭な答えは言わず、他の仲間達も特にゾロに
対して言及はしなかった。
なんか変だなと思いつつ、とりあえず初日の船番としてサニー号に残る。
帯刀しないゾロは、腹巻も不要とばかりに脱いで船を降りた。
その後ろ姿はいつもの見慣れた剣士ではなく、どこにでもいるような普通の男だ。
緑の髪とてそう珍しくはないし、往来を行き交う男達の方がよほど巨躯や凶悪面が存在している。
ゾロなど優男の類だろう。
意外なほどにしっくりと、景色に馴染む“普通のゾロ”を見送って、サンジは甲板に佇んだままふうと煙を吐き出した。

明けて翌日、船番交代のウソップのために夕食と夜食を作りとっくに何事もなかった旨、伝達事項を残して船を降りたサンジは、
遠目にもすぐに見つけられる緑頭に気付いて目を見張った。
港から離れた倉庫で荷運びをする人足に混じって、実に地味に根気よく黙々と働いている。
“海賊狩り”だの“イーストの魔獣”だのと恐れられていた影は微塵も感じられない。
ただひたすらに勤勉で朴訥な労働風景に、サンジはしばし目を奪われ立ち尽くした。
柄でもないことをしているだけなら冷やかしの言葉でも投げ掛けてからかうのに、なぜか今のゾロには目を向けることすら憚られる。
折角の上陸なのだから、久しぶりにゆっくり過ごしたいと願っていたはずなのに。
サンジはなんとなく落ち着かない気分のまま、一人で街に向かった。

いつもより気を張って、市場巡りと買い出しの段取りを済ませていく。
ログが貯まるまで5日間。
初日が船番だったとは言え、まだ出港まで数日あるのだからのんびりとナンパに勤しむのが常だったのに、なんとなく勤勉なゾロの
姿に釣られるように禁欲的に過ごしてしまっている。
特に影響を受ける理由などない筈なのに、どこかでゾロが真面目に働いているかと思うとおかしいような気持ち悪いような、複雑な気分だ。
一体どういう風の吹き回しで、こんなことになっているのだろう。
島に上陸しても、なんとなく成り行きで二人で過ごすことが多かったから、今回のように最初から離れて過ごすのも随分と久しぶりのことだ。
今こそ羽を伸ばすべき時期だろうに、さっぱりとそんな気にならない。
けれど一人の夜はなんとなく寂しくて、サンジは意識して繁華街を歩き仲間の姿を目で探していた。





「あら、一人?」
ロビンと連れ立って歩くナミを見つけ、往来で小躍りしたのは3日目だった。
「んナミっすわんvロビンちゅわん!やっぱり僕達は巡り会う運命なんだね」
「本当ね、ナイスタイミングだわ」
ナミはにっこり笑いながら、ロビンと二人で手分けして抱えていた荷物を押し付ける。
「丁度よかった、悪いけどこれ船まで運んでくれる?」
「よろこんで!」
輝くような華やかな笑顔に釣られてニコニコしながら、サンジは両手一杯の紙袋と紙箱5箱を受け取った。
それだけで、前も見えないほどの大荷物だ。
「じゃあ、私達はもうちょっとウィンドウショッピング続けるわね」
「助かったわ、ありがとう」
じゃあね〜と軽やかに手を振る二人に手を振り返すこともできず、サンジは荷物を抱えたまま「えええ?!」と声を上げる。
「昨夜はゾロが船番だったから、ついでに何か作ってあげて」
「フランキーと交代したら、その後のお守りもお願いね」
美女二人にそう頼まれては断ることもできず、サンジはあうあうと嘆きながらも仕方なく船に向かった。

そう言えば、ウソップの次はゾロが船番だったか。
それならばゾロの俄かアルバイトは一日で終了だったのかなと、今後の算段なども頭を過ぎってつい表情が綻んでしまった。
なんのかんの言っても現金なもので、ゾロと一緒に過ごせるのが一番落ち着くと自覚している。
なにせ目を離せばすぐに迷子になるし、余計なトラブルを招くしで危なっかしい。
ロビンではないが、なるべく手元に置いてお守りしていた方が、後が楽だ。




荷物の山に埋もれながらヨタヨタと船に戻れば、交代のために戻ってきたフランキーと行き会った。
「こりゃまたスーパーな荷物だな、奮発したか」
言いながら、ひょいと荷物を持ってくれる。
「俺のじゃねえよ、麗しきレディ達がお困りだったからさ」
「包装紙見りゃわかる。親切なこった」
二人掛かりで荷物を積み込んでいると、ラウンジの中からゾロが出てきた。
「早かったな」
「おう、今そこで会ってな」
荷物運びをフランキーに任せ、サンジはキッチンに向かい冷蔵庫の中を確認する。
ウソップとゾロで粗方食べつくしたのか、中身は見事に空っぽだ。
「二人とも、腹具合はどうだ?」
「俺用の飯は買ってきたぜ」
「俺は降りて食う」
「そっか、じゃあ特に作らなくていいな。つか、作る材料がそもそもねえんだけどよ」
悪いなとフランキーに断って、それとなくゾロに近付いた。
「てめえは、どこで食う気だ」
「決まってる」
「へ?」
「付き合え」
いつもなら、特に決まってねえと素っ気無く返る言葉が今日はやけに確信的だ。
これまた一体どういうことだと目を丸くするサンジに、ゾロは尊大な仕種で顎をしゃくって促した。


「じゃあな」
「おうゆっくりして来い」
フランキーに見送られ、二人連れ立つ形で船を降りるのがなんだか癪で、サンジは用もないのに甲板で煙草を吹かした。
先に降り立ったゾロが振り返り、眉を顰めて声を張り上げる。
「クソコック、とっとと来い!」
その大声に思わずワタワタと慌てて、なんだよと舌打ちしながら嫌々降りた。
「馬鹿野郎、なんだその一緒に行きましょう的アプローチは」
「付き合えっつっただろうが」
「俺はまだウンと言ってねえんだよ」
「四の五の言わずに、とっとと付いてきやがれ」
「なんだその偉そうな口ぶりは。この万年迷子!」

やいのやいのと言い合いながら、それでも街に入る頃には隣り合って歩いていた。
サンジだってあの場にフランキーがいなかったら、もう少し素直に応対できたのだ。
ゾロから誘われるなんてことは初めてだからなんとなく夢見心地で、悪態でも吐いてないと口元が緩んでしまう。
「んで、どこに決まってんだって」
「おう」
ゾロはそう言って立ち止まり、首を巡らした。
「あそこだ」
「はん?」
指差したのは、街の中心地から丘へと昇る高台だった。
夕暮れが迫る宵闇に、ポツポツと明かりが灯り始めている。
その中でも一際明るい、高層高級ホテル。
「あそこに、予約を入れてある」
「・・・は?」

サンジは再度ゾロに振り向き、そこで改めて気付いた。
ゾロは未だ帯刀せず腹巻も身に付けず、あろうことかジャケットまで羽織っているという、過去に例を見ないほどこざっぱりとした姿をしていた。








坂道をゆっくりと上って行けば、瀟洒で豪華な佇まいのホテルがあった。
近くで見ると余計、そのグレートの高さを見せ付けられるようで気後れする。
ゾロはそんな雰囲気に臆することなく、堂々と正面玄関に向かった。
女性をエスコートする妄想はしても、男にエスコートされることなど想像だにしていなかったサンジは、この状況だけですでに脳内パニックだ。

絶妙のタイミングでドアマンが扉を開き、目の前には豪奢な絨毯敷きのフロアが広がった。
フロントスタッフがゆっくりと会釈しながら近寄ってくる。
「ご予約のロロノア様ですね」
名乗りもしないのにわかるとは、さすが一流ホテル。
「こちらへどうぞ」
真っ直ぐフロントには向かわず、エレベーターに案内された。
スタッフは表示ボタンの横にある鍵穴にキーを差込み、新たに開いたボタンを押してまた鍵を閉める。
「こちらでございます」
扉が開くと先に立って案内され、まるでプライベートオフィスのようなラウンジに通された。
促されて腰掛けたソファがまた適度な弾力で、一度座ったらもう立ちたくなくなるほどの心地よさだ。
飲み物を問われ、上擦った声で紅茶を頼む。
ゾロは酒とか言い出しそうだったから目で制したが、チェックインのために書類にサインしているところだった。
つか、ゾロがチェックインする姿って・・・
なんとなく狐に抓まれたような不可思議な心地で、ソファに凭れる。
眼前に広がるのは、高台から見下ろす岬の景色だった。
丁度夕日が海に沈む頃で、細く棚引きながら金色に輝く雲の筋が美しい。
雄大な景色に目を細めながら、運ばれてきた紅茶でひと息吐いた。
ホテルのオリジナルブレンドだと言う紅茶はなんともフルーティな味わいで、更に胸を甘く擽ってくれる。

「済んだぞ」
手続きを済ませたゾロが、同じく運ばれていた紅茶カップを乱暴に手に取って一気に飲み干した。
色や香りを味わえよと文句の一つも言いたくなるが、ぐっと我慢。
なにせこのラウンジの雰囲気自体が非常に静謐なのだ。
気配りの行き届いたスタッフが何人もいるのに、誰一人無駄な動きをせず視界の邪魔にもならない。
こんな場所では、客たる自分達もまた同じようにスマートな動きが要求される。



ギクシャクした動きのまま、部屋まで案内してくれるスタッフの後に付いてしずしずと歩いた。
こともあろうに野郎二人で、こんな良さ気なホテルに泊まるって滑稽じゃねえのか?
傍から見たら奇異に映るだろうにと案じつつも、実際にはホテルスタッフ以外一般客とは誰とも顔を合わせることなく部屋に通されほっとした。
「お食事は19時から承っております」
それでは失礼致しますと、どこまでも慇懃なスタッフが一礼して去ると、サンジは無意識に詰めていた息を吐き出してベッドに倒れこんだ。

「ふはー」
ぼよんと跳ね返るスプリングが適度な固さで、実に心地よい。
「なにこれ、何事だゾロ」
「んー」
ゾロは早くも冷蔵庫の中を漁って、酒瓶を取り出している。
テーブルの上には愛らしい花束とウェルカム・フルーツ。
「一体なんだ、この豪華なおもてなし状態は」
「ああ」
艶々した果物を丸齧りしながら、ゾロは勝手に栓を開けて煽り始めた。
喉が渇いたから潤すと、そんな感じだ。
「ちと奮発してみた」
「お前の奢り?」
「おう」
サンジは清潔なシーツに埋めた顔を半分だけ上げて、ゾロを盗み見た。
座り心地のよさそうなソファに足を投げ出して、手当たり次第にテーブルの上のフルーツを平らげているゾロはいつもの粗野さだ。
品の良い部屋の雰囲気から、明らかに浮いている。
「なんで?」
「なんでだと思う」
質問に質問で返され、むっとする。
思えば、この島に着いた時から様子がおかしかった。
刀を手放してみたり、真面目に働いてみたりと・・・

「あ!」
唐突に気付いて、サンジは思わず声を上げていた。
ピンク色の葡萄の房を目の高さまで掲げていたゾロが、にやりと笑う。
「もしかして、俺の誕生日?」
すっかり忘れていた。
来週はフランキーの誕生日だからと買い出し内容を確認していたのに、自分のことは放置状態だった。
今回、仲間達も特にそのことに触れていなかったから、尚のこと忘れていたのだけれど。
「そっか、今日2日か」
「そんだけすっぱり忘れてくれると、こっちも遣り甲斐があるな」
なんの遣り甲斐だよと、口先を尖らせて睨み付ける。
けれどすでに自分の頬が紅潮してしまっていることはわかるし、心臓だって無駄にバクバクときめき始めた。
ヤバい、嬉しい。
ゾロが俺の誕生日を覚えていてくれて、しかもこんな豪華ホテルに連れてきてくれただなんて。
なんてこった。
こりゃあ、百点満点のバースディプレゼントじゃね?
知らず口元がニヤつき始めて、サンジは平静を装いながら羽枕に顔を擦り付けた。
落ち着け、俺。

「じゃあ、今夜の夕飯もお前の奢りか」
「ああ」
「予約してあんだな、このホテルのレストランで?」
「いやルームサービスだ」
こともなげに答えたゾロに、はへ?とサンジは顔を上げた。

思えば、ここからが試練が始まったのだ。


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