11月11日 -2-


ゾロの抱擁で落ち着きを取り戻したサンジは、なんともバツの悪そうな表情でコートを脱ぎ、ゾロのと一緒にハンガーに掛けた。
その間にゾロは暖房のスイッチを入れ、洗面所で手を洗い嗽を済ませる。
サンジの躾の賜物だが、当の本人がゾロより遅れて洗面所に入ってきた。
入れ替わりに部屋に戻り、郵便受けに指しっぱなしの新聞やDMを回収するとソファに腰掛け脚を組んだ。
それとなく部屋の中を見渡す。

今日ここに来てそのまま居つくと宣言したはずなのに、どう見てもゾロの受け入れ態勢ができているとは言い難い一人暮らしのまんまの部屋。
先ほどのサンジの動転振りから見ても、今日早めに帰って片付けや準備をするつもりだったのだろうに、何故それができなかったのか。
そもそも、あんな場所にうずくまってサンジは一体何をしていたのか。



「悪い、すぐ飯にするな」
せかせかと洗面所から出てきたサンジは、またあああ〜と絶望的な声を上げた。
「飯・・・炊いてねえ・・・」
ダメージが強すぎたのか、頭を抱えたままその場でへたりとしゃがみ込む。
「別に、米がなくてもいいぞ」
「だってよ、お前ご飯好きじゃないか」
振り返ったらもう涙目だ。
常より少々幼い部分のあるサンジは、ことゾロの前ではその症状が顕著に表れて、時々どちらが年上なのかわからなくなるほどだ。

「いいから、なんか今日おかしいぞ。具合悪いなら休めよ」
「そうじゃねえよ!」
口調こそきついが、明らかに逆切れである。
ゾロにまあまあと宥められ、抱えられるようにして一緒にソファに座った。
「飯なんか食わなくても構わねえ。それより、やっぱり俺と暮らせねえとか言われたら、そっちのがショックで家出するからな」
ゾロが真面目な顔をしておかしなことを言うから、サンジはベソをかいたままくしゃっと顔を歪めた。
「バカ、居ついてないのになんで家出だよ」
「もう居るよ、ここは俺の家だから。お前がいる場所が、俺の帰る家だから」
サンジの顔がもっとくしゃくしゃに歪んでしまった。
「ゾロー」
「あーもう泣くな。鼻水垂れてんぞ、ほら鼻咬んで」
ティッシュでゴシゴシと拭いたら、鼻の頭を赤くしてサンジは「ふえ」と情けない声を出した。
一体どうしたと言うのか、いくら可愛いサンジとは言えやはり今日はちょっと様子がおかしい。

「わかった待ってろ。ヘマしちまったもんはもう、しょうがねえ。幸い料理はバラティエから貰って来てんだ。すぐ用意する」
ひとしきり鼻を咬んで気合が入ったのか、今度こそしゃきっとした目つきになってサンジは台所に立った。






「すげえご馳走じゃねえか」
ゾロはお世辞じゃなく心から驚嘆した。
対してサンジは可哀想なほど肩を落とし、眉を下げてみせる。
「とは言え、俺が作ったもんじゃねえんだ。全部バラティエの・・・じじいが持たせてくれたんだよ」
「あ、やっぱり仕事が長引いたのか?」
ゾロの素朴な問いに、サンジは一瞬躊躇いを見せたが正直に首を振った。
「違う。本当は5時過ぎにはここに帰って来てたんだ。なのにぼんやりしてた」
「・・・・・・」
2時間も、どうやったらぼんやりしてられるというのか。
そう突っ込むべきところだろうが、ゾロはただならぬものを感じて口元を引き締めた。
やはり、尋常ではない何かがある。

「だからなんも準備できてなくて片付けもできてなくて、ごめんな」
料理もすべて温め直したものばかりだ。
いつものテーブルには飾りすらなくて、サンジはそのことが酷く悲しくてしょんぼりしている。
「俺は、お前がそこにいてくれるだけですげえ嬉しいから、ほんとはご馳走とか二の次だからな。あ、勿論お前が作る飯は最高だけど」
自分で買ってきた発泡酒をテーブルに乗せる。
「あ、ワインは冷えてるぜ。前に買っておいたのがある」
グラスもちゃんと冷やしてさと、そこだけ自慢げに笑ってサンジはグラスを取り出した。

「20歳、おめでとうゾロ」
「ありがとう」
少し改まってグラスを掲げ、見つめ合いながら口をつけた。
ふうと、サンジが先にため息をつきグラスを置いた。
「ゾロが20歳か〜。いつの間にか大人だな」
「早かったか?」
「うーん、早いようなそうでもないような・・・」
サンジは感慨深げにそう呟いて、うっとりとした眼差しで正面に座るゾロの顔を見あげた。
「小さいゾロも可愛かったのに・・・」
「でかくなって、可愛げねえ?」
目だけぎょろりとして、手足がやたらと細っこかった小さなゾロは、いつの間にか逞しい体躯と精悍な顔付きの青年に成長していた。
もう、サンジより背が高い。

「そうでもねえよ」
素直にそう言うと、真顔でいるとどこかの凶悪犯みたいな目つきの強面が一瞬でガキ臭い笑顔へと変化する。
「・・・サンジ」
そのままにじり寄ってこようとするから、慌てて手で制してフォークを手に取った。
「まずは飯だ。お残しは許しませんよ」
「はいはい、いただきます」
元々サンジには勝てないから、ゾロは大人しく先に食事を楽しむことにした。



「ロビンちゃんは、恙無くお元気か?」
「おう、親父もルフィも、家族揃って元気なもんだ。また改めて挨拶に来るって言ってたけど」
「とんでもねえや、俺の方からまた挨拶に伺うよ」
保護者同士の面目の問題だろうか。
ゾロとしては、もう子どもじゃないと自負しているから少々不満ではある。
「こっから大学に通うのも距離的にたいした違いはねえし、基本的に何も変わらないな」
「路線が違うだろ。今度一緒についてってやるから、頼むからメモするなり携帯に入力するなりして一度きりで覚えてくれ」
「大丈夫だよ」
「この件に関してだけは、お前の大丈夫は当てにならねえ」
何気無い会話を交わしながら、ゾロは内心ほっとしていた。
今後のことを語るサンジに妙な屈託は感じられず、少なくとも同居は快諾されたと胸の内で安堵する。
自信がないわけではないが、サンジの中にはまだゾロが知らぬ闇が息づいているかのようで、先ほどの奇行を思い返す度にほんの僅か胸が痛んだ。
今日という日をひたすらに待ち焦がれていたゾロと違い、サンジは手放しで喜んでくれているわけではなさそうだ。
それが彼の本心とは別のものだとしても。

「ご馳走さん」
当たり障りのない会話で彩られた食事を終えて、ゾロは行儀良く手を合わした。
「これからできる限り、片付けは俺がやるから」
「そっか、んじゃ頼もうかな」
サンジ的に躾は完璧だから、ゾロに家事の一部を任せることになんら心配はない。
ただ、そういう家事分担を改めて定めている辺りなんとなくもぞ痒く、二人微妙に視線を逸らせて宙に漂わせた。
「だから、先に風呂行ってろよ」
「ん、ああ」
椅子を引いて立ち上がる、その動作がぎこちなかった。
食事は終わったから次は風呂で、それから寝るのだ。
単純な生活リズムではなくて、今日のそれはあまりにも大きな意味と目的を兼ね備えている特別な一夜であるが故に、どちらもなんだか緊張している。

「それじゃ、お先に」
「おう、ごゆっくり」
ゾロはなんでもない素振りでサンジを風呂へと見送ったが、内心はバクバクだった。
とうとう今日、積年の想いが遂げられる。


物心ついてより、ずっと絶対的存在であり思慕と恋情の対象であり続けたサンジ。
その歳月があまりにも長すぎたが故に、それは単なる恋人や情人の粋に定まらずいっそ家族か双子の片割れのように愛情だけで括れない絆のようなものに変化を遂げるかと思っていたが、当人の思惑より外れて至極真っ当な恋愛感情だけがすくすくと成長した。
純粋に、好きで抱きたい。
一緒に暮らして、誰よりも近い場所で、その笑顔を見ていたい。

それは、多分世間一般で言うところの普通の恋人達となんら変わりない“愛”であり“恋”だと思う。
年の差とか性別とか家族関係とか、様々な障害があったにもかかわらず、ゾロのベクトルはまっすぐ
サンジに向けられ、サンジもそれを受け止めてくれた。
ゾロにとって、幼少期から発生した想いではあったけれど自覚したのは思春期からだし、サンジも幼児性愛の趣味はないからやはりゾロがある程度大人になってから想いを受け止める気構えを作ってくれていたのだろう。
そういう意味で、二人の間に片想い期間の差はさほどない。
ゾロが想う程度にサンジもまた、この日が来るのを待ち遠しく想ってくれていると、勝手にそう思い込んでいた。

―――俺はまだまだ、修行が足りねえぜ
ともすれば漏れそうになる溜め息を押し殺し、ゾロは黙々と片付けを続けた。




ゾロと暮らしていた頃の癖が抜けないのか、ほとんど烏の行水でサンジが上がってきた。
きちんとパジャマを着込んでいるので若干がっかりしたが(いっそタオル腰に巻いたきりとか、白シャツ一枚下生足とか、夢ぐらい見たっていいじゃないか青少年だから!)、それよりも風呂上りにしては頬が青白く、ちゃんと浸かって来たのか心配になる。
「お先」
「ちゃんとあったまってきたのか?」
濡れた髪を拭いてやろうと手を伸ばすと、サンジはさりげなく避けてゾロの横を通り抜けた。
「蓋開けてあるから、冷める前に入って来い」
「・・・うす」
入って来いよ、ではなく「来い」の命令形だったので、ゾロは即座に反応してしまった。
身に染み付いた親子関係というか養育歴というか・・・ともかく、ゾロは基本サンジの命令形には逆らえない。

―――どうもペースが掴めねえ
久しぶりの再会+20歳の誕生日で、感無量の想いと共に、興奮は最高潮に達するはずだった。
ロマンティックな雰囲気で食事を終え、デザートはお前的展開で押し倒し初夜へと雪崩れ込む予定だったのに・・・

「う〜ん」
ゾロはバリバリと頭を掻くと、勢いよくシャツを脱ぎベルトも外した。
下着とl靴下は別にして下洗いしてからでないと洗濯機に入れちゃだめだから、まとめて脱いだズボンの中からトランクスだけ抜いて風呂場の中の専用盥に放り込む。
ごく自然のその動作に移っていて、ゾロははたと気がついた。
―――これか
一連の動作は身に染み付いており、多少サンジと離れて暮らした年月があっても、そのブランクを感じさせない
程度に生活習慣として馴染んでいる。
ぶっちゃけ、恋人との久しぶりの再会とか、積年の想いを遂げられる人生で最高の瞬間とか、そういう特別感や甘い雰囲気が立ち入れないほどに、所帯じみているのだ。

親子として暮らした10年間は伊達ではない。
ゾロが自覚している以上に、サンジの「親」としての存在は大きかった。
―――父親を恋人にするって、結構難しいな
ゾロは今更ながら難題の大きさを認めつつ、気合を入れるべく両手で頬を勢い良く叩き風呂場へと向かった。




ゾロにしてはやや丁寧に身体を洗い、じっくり浸かって充分リラックスしてから上がった。
そうでなくともせっかちな愚息は、あらゆる萎え要素をものともせず臨戦態勢のままだったので、宥めるのにひと苦労だった。
サンジから見たら若いとか青いとか、鼻で笑われそうなていたらくだが、身体は正直なのだから仕方がない。
脱衣籠にはパジャマが畳んで置かれていた。
ゾロが持ってきたものではない、見慣れない新品のもの。
この日の為に用意してくれたのかと思うとそれだけで嬉しくなって、いそいそと袖を通す。
暗に、裸で上がってくるなという戒めなのかもしれないけれど。

「いい湯でした」
これも躾けられた挨拶と共に風呂から上がれば、サンジはテーブルに皿を並べていた。
「ケーキ食おうぜ」
「・・・・・・」
まだか、やはりまだお預けなのか!
椅子に腰掛けた状態で、その薄い身体を力任せに抱き上げて布団へと運ぶのは造作もないことだが、
ここまで我慢してきて最後に乱暴な真似はしたくない。
「バラティエ特製、プチ豪華なケーキだぞ」
無言のまま椅子に座ったのはささやかな抵抗だ。
サンジはゾロのむっつり顔など気にも留めないで、綺麗な手付きでケーキを切り分ける。
「・・・あ、ろうそく立てるの忘れた」
「いい、いらねえ」
さっさと終わらせるべく、率先してコーヒーを煎れていると、サンジの手元に置かれたフォトファイルに気付く。

「てめえ、何みてやがった?」
「あん?これか」
サンジは煙草を加えたまま、ファイルを翳してにかりと笑い返した。
家を出るとき記念に貰いたいと、ゾロの写真を何枚か持っていったのは知っていたが、何も今こんな時に見返さなくてもいいじゃないか!
天を仰いで無言で呪うゾロのことなど頓着せず、サンジはファイルを開いて懐かしそうに目を細めた。
「ほら見ろ見ろ。お前と初めて行った遊園地で写したやつだ。まだ小せえなあ、メリーゴーランドの馬の上に胡座かいて座りやがって」
「・・・もういいよ」
うんざりしてケーキを頬張るのに、サンジはファイルを捲る手を止めない。
「これなんか、中学の入学式だ。制服でっけえ。これが、卒業する時にはチンチクリンになってたよな。3年間で20cm伸びたっけか」
ファイルの中はゾロの写真ばかりだ。
ゾロがシャッターを切ったことなんてなかったから、サンジの写真は一枚もない。
そのことが、今は非常に悔やまれる。
「ほんっとに、ガキの頃から目付き悪かったよなあ。んで、すぐに迷子になるのに自覚ないから堂々と歩いてさ。お陰で周りの大人も迷ってるって気付かないから、余計離れていっちまうんだよ。挙句、ようやく見つけた俺が何処行ってたーって怒鳴っても、逆にお前の方が何処に行ってたってほざくし。・・・ったく、てめえだっての」
くくくと喉の奥で笑って、愛おしそうに指の腹でゾロの顔の写った辺りを撫でる。
「ほっぺたとかこんなにぷくっとして、やっぱりガキの顔してんな。手足が細っこい、折れそうだ。こっちはもう、だいぶ顔付き変わってきてやがる」
ゾロは勝手にケーキを切り取ってお代わりし、想い出に浸るサンジを眺めていた。
なんとなく、邪魔をしたくはなかったのだ。

「ああこの子、可愛いかったよなあ。絶対お前のこと好きだったんだぜ、俺が言うんだから間違いないっての。なのにお前すげなくしたりしてさ」
高校の集合写真まで持ってきてやがったのか!
「この子もこの子も、バレンタインのお返しは全部俺が作ってやったよな。それ目当てで次の年から倍増して、お前切れて一人バレンタイン禁止令とか出して・・・めちゃくちゃやってたよな」
サンジは楽しそうに笑って、短くなった煙草を揉み消した。
紫煙がゆっくりとサンジを取り巻くように渦巻いて消えていく。

「小さかった、ほんとに小さなガキだったのに・・・」
視線がゆっくりと上がり、真正面からゾロを捉える。
「いつの間にか、こーんなにでかくなりやがって」
笑みの形に細められた瞳は、透き通るように綺麗な蒼色だ。
時折光彩が薄らいで、何を見ているのかわからない光を湛えてゾロを不安にさせることがあった。
今、この時のように。
「でかくてむさくておっさんで・・・お前もしかして俺より老けてね?」
「かもな」
間もなく三十路を迎えるサンジは、年を経るごとに年齢不詳になっていく。
少なくとも、ゾロにとっては初めて会ったときから全然外見が変わってないように見える。

「長い間、待ってくれてありがとう」
ゾロは、サンジの目を見たままぱちりと瞬きした。
「・・・あ?」
「こんなにでかくなるまで、俺を待っていてくれてありがとう」
咄嗟に何を言われたかわからず、ゾロはごくんとケーキを飲み込んでフォークを置いた。
「何言ってんだ。待ってたのはお前の方だろ。俺が大人になるまで」
ふるふると、頼りない仕種でサンジは首を振る。
「待っててくれたのはお前だよ。だから俺は、今日まで生きて来れたんだ」
―――だから、ありがとう。



ゾロは椅子を鳴らさないように慎重に立ち上がり、そろそろと近付いてサンジの傍らに膝をついた。
触れれば逃げてしまいそうで、おっかなびっくり手を伸ばす。
サンジは緩く腰を掛けたまま、そんなゾロの動作を静かな微笑みを湛えたまま見守っている。
「・・・俺でいいの?って、もう聞かないよ」
「聞いたら返事の代わりに張り倒す」
物騒な物言いをしながら、ゾロの腕は極力優しくゆっくりと、壊れ物でも抱くようにそっとサンジの肩に掛けられた。
そのまま背中に手を回し抱き締める。
「・・・ゾロ」
サンジの呼びかけに背中を押されるようにして、ゾロは厳かな仕種でサンジに口付けた。



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