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喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったものだ。
新進気鋭の麦藁海賊団、剣士とコックはまさにその典型だとナミは思っていた。

この二人は最初から、そりゃあ相性が良さそうになかった。
ほんとの出会いはどうだったか知らないが、ココヤシ村に来た頃には寄ると触ると喧嘩ばかり。
戦いの最中は気が合っていたらしいが、満身創痍の勝利の夜にも手が出せなければ口で身振りで、
いつまでも争っていたらしい。

仲間となってグランドラインに渡ってからも些細な諍いや意地の張り合いは日常茶飯事で、
新たに仲間になるクルーたちも数日で二人の関係に慣れて行くようだった。
まあ、狭い船で生まれも育ちも違う赤の他人と、始終顔を付き合わせて暮らしていくのだ。
いっそこのくらいオープンにぶつかり合う方がストレスは堪らないだろうと、常に一歩引いて
二人の喧嘩を見守っていたナミだったが、その内否が応にも気付いてしまった。

―――これって、じゃれ合い?
よくよく考えてみれば、ルフィとウソップを覗く殆どのクルーたちは、幼少時を同年代の友人と
過ごした経験がない。
自分にはノジコがいたし、女の子同士はまあビビともそうだったように一晩お喋りすれば大抵
仲良くなれるものだが、男同士はそうはいかないのかもしれない。
どうやら、お互いどう接したらいいかわからなかったようだ。

それに遠慮なく喧嘩し合える同等の強さと言うのも、お互いに初めてでもあり嬉しかったのだろう。
サンジがなにかと難癖つけては張り合うのも、ゾロがいちいち応酬してからかうのも結局は
子供じみたおふざけだ。
それに気付いて、ナミはほとほと呆れると同時にほんの少し羨ましくなった。
男って、いくつになっても可愛いものね。

自分には無害だと、そう思って生暖かく見守っていたのに最近雲行きが変わってきたようだ。
ゾロが、イラついている。








ゾロとサンジのじゃれ合いに、微妙なズレが生じてきたのはいつの頃からだっただろう。
順調な航海が続いて暇を持て余していた頃じっくりと観察した限りでは、サンジがゾロに
ちょっかいをだすのは単純に嬉しいからだ。
ぐる眉を下げて口元を歪めて心底嫌そうに軽蔑した風に話しかけてはいるが、尻尾でも
生えてたらぶんぶん振り回してしまうくらい、構ってもらって嬉しそうだ。
大人にばかり囲まれて育って来た反動だろう。
それはナミにも理解できるから、微笑ましく思っていた。

がしかし、一方のゾロはと言えば、確かにこちらもサンジ同様表面で見せる以上に、内心で
サンジとの諍いを楽しんでいるのは見え見えだった。
これも幼い頃から一人旅に出ていた反動かとも思ったが、どうやら違う。
大体ゾロは人を恋しがるキャラでもない。
サンジに構ってもらって嬉しいと言うよりも、サンジを構って楽しんでいる、そんな感じだ。

なんだかな〜
どこかで見たパターンみたいなんだけど・・・とナミが一人で呟いていたら、ロビンが悪戯っぽく微笑んだ。
「苛めっ子の心理でしょう。」
目から鱗とはこのことだ。
なんだーと一人で合点が行けば、今までの流れもすべて見えてくる。
なんのことはない、ゾロは本当にサンジにちょっかいをかけて楽しんでいる。
好きな子に意地悪するみたいに。

―――好きな子?
思い至れば新たな展開が見えてきた。
なになに?もしかしてゾロって、サンジ君のことが好きなの?
そう思い出したらうずうずして止まらなくなった。
まさかあの強さばっかり目指す朴念仁が同い年の男に興味があるなんて、なんだか美味しい展開じゃない。
そうロビンにそっと囁くと、ロビンも至極真面目な表情で「ほんとにね」と同意した。
どうやらロビンはもっと以前から、楽しんで眺めていたようだ。

「ゾロっておっさん臭いばっかりだと思ってたけど、案外子供っぽい部分もあるのね。
 もう告ったのかしら。」
「それどころか、自覚してるかどうかも怪しいわよ。」
言われてみればそのとおりだ。
生身の男同士の恋愛絡みが身近で起こるのはちょっと生々しくて勘弁だけれど、この二人なら
まあ許せないこともない。

なにより、そういったことの対極に位置するゾロが、サンジに惹かれたと言うのが非常に好ましい。
剣の道だけにひたすら生きて高みを目指すだけの男じゃなくて、ちゃんと求める人間がいたのだ。
しかもその相手がただ守るだけのひ弱な存在ではなかったことが、ゾロらしいと言えばゾロらしくて
他人事ながら嬉しかった。

勿論、これはサンジにとっては災難でしかないだろう。
少なくとも今ナミが客観的に分析している時点では、サンジは根っからの女好きで男には興味は
なさそう…と言うより、毛嫌いしているようだ。
レディ至上主義の信念よりも先に、過去の色んな経験が彼をそうさせてしまったのかもしれない。
と言うのも、ナミの目から見てもサンジにはどこか危うい魅力がある。
男らしさを誇示するつもりのタバコや乱雑な素振り、粗暴な振る舞いも、どこかコケティッシュで
人目を引いてしまう。
実際上陸する度に酒場でひと悶着起こす原因は女性絡みではなさそうだし、その話題に触れると
まるで苦虫でも噛み潰したみたいな顔で睨みを効かせているから、本気で不愉快なのだろう。
そんなサンジ君相手に、ゾロの幼い恋は成就するのかしら。
ナミの最近の関心ごとはもっぱらそれだった。

ところが最近、ゾロが激しい苛立ちを見せ始めている。
本人に自覚がないのか傍迷惑なオーラが響いて、ウソップは怯えるわチョッパーはうろたえるわで、
クルーの生活リズムにも支障が出てきた。
注意深く観察すれば、ゾロの機嫌が傾くのには、なんでもない日常の一コマにだってその原因が
あるらしい。
例えばサンジがナミやロビンに特別にデザートを振る舞っていたり、掃除や修理などで率先して
手助けをしていたり、上陸したときのナンパ話を得意げにウソップたちに話していたりするときだ。
つまり全部女絡み。

・・・わかりやすいにも程があるわ。
実に幼稚な焼きもちだ。
それがわかりすぎるほどわかるから、ナミは面白がるより軽い頭痛を覚えた。
この程度では、ゾロの恋の進展なんてとても望めないだろう。
それどころか、ゾロ自身が自覚しているかも怪しい。

多分無意識に、サンジ君が女の子にメロリンしてると不機嫌になってるだけなんだわ。
無自覚な条件反射。
見てるだけなら楽しいけど、場合によっちゃ迷惑ね。
非常に微笑ましいことでもあるが、男同士のままごと恋愛ははっきり言って気色悪い。
そろそろ大人のお付き合いに発展してもいいんじゃないかと、ナミは一計を案じることにした。











麗らかな秋島海域。
穏やかな気候と豊富な雨量は、点在する島々に恵みをもたらしている。
豊穣の島に立ち寄り、ログが溜まるまでの僅かな時間をのんびりと過ごすことになった。
「ログが溜まるのが3日だなんて、なんだか惜しいわね。」
「もう少しゆっくりしようぜ。温泉あるんだろここ。」
急ぐ旅ではないのだが、ルフィは馬鹿の一つ覚えみたいに常に前へ前へと進みたがる。
「どうせこの先も秋島海域は当分続くんだから、適当に進もうぜ。」
ブーイングを上げる仲間たちの前で、ゾロだけがルフィの肩を持って皆を黙らせた。

「ゾロって、よくわかんないわよね。」
船番にサンジを残して降り立った小さな街で、ゆったりとグラスを傾けた。
「なにがだ?」
この島は酒が美味いとゾロはご機嫌だ。
先の見えないナミの振りにも構わず淡々と飲んでいる。
「私やサンジ君達はもっとこの島にいようっていってるのに、当然みたいにルフィの肩持つんだもん。」
少し驚いたように、手を止めてナミを見る。
「ああ?なに言ってんだお前。」
「なんだってそうよ、ゾロはルフィの言うことは大概無条件で通しちゃうもの。サンジ君とは大違い。」
「だからなんでそこでクソコックが出てくんだ。」
ゾロは不機嫌そうに顔を顰めた。
やはり、無自覚なのだろう。

「例えばルフィが右って言って、サンジ君が左行きたいって言うじゃない、ゾロは絶対迷いもなく
 右に行くのよね。」
「ああ?当たり前だろうが。」
馬鹿馬鹿しいと、横を向いて息を吐いた。
「なんで?ルフィが船長だから?それともサンジ君の言うことは、最初からそのとおりに
 しないつもりなの?」
「なんだってんだてめえ、絡み酒か?」
ナミはふふんと鼻で笑ってゾロのグラスに酒を注ぎ足した。
「まさかと思うけど、あんた自分で気付いてないの?ゾロにとってルフィが特別?それともサンジ君?」
「・・・意味が、わからねえ。」
ゾロはナミと呑むのは結構気に入っているが、こんな風に遠まわしに話を向けられるのは苦手だ。
先が見えなくて苛々する。

「んじゃ単刀直入に言うわね、ルフィは船長だしあのとおりだから、あんたにとっては特別だけど
 それ以上じゃないわよね。」
「だから、なんでそこでルフィが出てくんだよ。」
「いいから黙って聞きなさい。それに比べてサンジ君はあんたの喧嘩仲間だけど、ほんとはそれ以上に
 気になって仕方ないでしょ。」
ゾロはむうと口を噤んでナミを見返した。
茶褐色の瞳が、悪戯っぽく輝いている。
「サンジ君のお願いに逆らってばかりいると、逆効果よ。」
「話が見えねえ。」
「苛めっ子の心理が通用するのは子供の時だけってことよ。反発させるようなことばかりしてないで
 サンジ君の意を汲むようなこともすれば、案外簡単に関係は変わるかもよ。」
すました顔でジョッキを煽るナミの横顔を、ゾロは黙ってじっと見つめた。
ふん、と一呼吸置いて肴を摘まむ。

「馬鹿馬鹿しい、黙って人のこと見てにやついてやがるかと思えば、一人で楽しんでやがったな。」
「あら失礼ね、暖かく見守ってあげていたんだじゃないの。」
「そう言うのを下衆の勘繰りっつうんだよ、別に俺あなんとも思ってねえ。」
「あら、そうかしら。」
ふとゾロは真顔になってナミを凝視し、にやりと笑った。
「そう言うてめえもあれだな。話の引き合いにルフィを出してくるたあ、意識し過ぎじゃねえのか。」
いきなり話を振られて、ナミは半端じゃなく赤くなった。
「な、なによ。あんたこそいきなり何言い出すの?すり替えないでよ。」
「ああわかったわかった。安心しろ、俺は野郎にゃ興味ねえし、ましてやルフィなんて範疇外だ。
 俺が認めたキャプテンのそれ以上でも以下でもねえよ。」
「むっかつくわね、違うって言ってんでしょっ」
「盛り上がってるところを失礼。航海士さん、そろそろ日付が変わるわ。宿に帰らない?」
やんわりとロビンが割り込んだ。
これ幸いにとゾロがナミのジョッキを横取りする。

「ああ、お前らには夜中は物騒だ。とっとと宿に入っちまえ。面倒ごとに係わるなよ。」
「一々むかつく男ね。サンジ君なら送ってくれるのにーだ。」
「ならルフィに送ってもらえよ。」
後ろでウソップとはしゃぐ背中を指で示せば、ジョッキで思い切り殴られた。
「あんたみたいな無神経男、ちょっとはサンジ君の爪の垢でも煎じて飲ませてもらえばいいんだわ。」
はしたなくもあかんべえをして、ロビンと連れ立って店を出た。




「随分腹を立てているのね、航海士さん。」
「ああ言う見掛け倒しのガキ男にからかわれるのが、いっちばん腹立つのよ。ったく、むかつくったら・・・」
それもまたお互い様で微笑ましいと思ったが、賢明なロビンは口に出さない。
「人がわかりやすく忠告してあげてるのに、あの唐辺木・・・ただでさえ男と女の恋愛感情も理解し難いのに、
 男同士であの調子でどうする気かしら。」
「かえって同性同士の方が理解が深まるのではないかしら。」
「なんにしても、あの二人は規定外よ。」

薄暗い路地を曲がると、歩道の丁度中程に老婆が小さな明かりを灯して座っていた。
まったく気配に気付かなくてぎょっとして立ち止まる。
「あら、占いかしら。」
「・・・違うんじゃないの?」
よくある水晶や八卦見のアイテムはない。
薄汚れたクロスの上に並べられたのは、赤い木の実。

「お嬢さん方、恋愛で悩んじゃいないかい?あたしの実は手軽で便利だよ。」
紗のベールを被った老婆はおどろおどろしい雰囲気かと思いきや、よくみたら丸顔で可愛らしかった。
目尻にも細かな皺が寄り、開いているのかわからない細い瞳はいつでも笑っているかのような形だ。
「なあに、恋に効くおマジナイ?」
「いやいや、気になる相手の気持ちがわかる実じゃ。と言っても透視するものじゃない。まさしく相手の
 心の機微がわかる、ものの捉え方や考え方をそのまま取り入れる実じゃよ。」
よくわからなくて、ナミは膝に手をついてテーブルの上を覗き込んだ。
「この実を知りたい相手に一旦舐めさせて、自分も一粒実を舐める。表面に薄く張った幕は非常に
 苦くてな、どんな人間も一旦は吐き出さずにはいられない。だが二度目はそれは甘い実になるのじゃ。
 お互い苦い部分を舐めて、それから実を取り替えて甘いのを食べさせてしまえば、取替え終了じゃ。」
「取替え?」
「そう、『カエッコ』の実じゃよ。お互い最も理解不能な、謎の心理を取り替えることができる。
 すると、より理解が深まり連帯感も芽生えて絆が強まるという図式じゃ。」
「へええ〜〜〜」
ナミは手にとってしげしげと眺めた。
「ほんとにお手軽みたいだけど、この実って恋愛成就に需要があるのかしら。」
「どちらかと言うと、悪戯目的が多いのお。」
「・・・やっぱり・・・」
なんにしても面白そうだ。

「これの効用はどのくらいなの。」
「摂取してから24時間じゃよ。お手軽便利、じゃろ。」
老婆も悪戯っぽく片目を瞑って見せる。
ナミは買う気になった。
先ほどゾロにからかわれた意趣返しが目的だ。
「で、いくらなの。・・・ええっ高いじゃないっ」
「この島でしか取れない実だしね。一度くらい貴重な経験ができるなら、安いもんさね。」
ああだこうだと交渉して、手を打った。
ナミにしたらお遊びには過ぎた出費だが、これもプレゼントを兼ねると思うと安いものだ。

「え、プレゼント?」
「実は明後日、ゾロの誕生日なのよ。これがゾロの役に立つといいんだけどね。」
瓶に入れた赤い実を二粒、ひらひらと掲げてナミは悪魔の笑みを浮かべた。








朝食の席に遅れて着いたゾロは、臆面もなく大口開けて欠伸を繰り返している。
行儀悪いわねと表向き嗜めながら、ナミはその口目掛けてポンと実を一粒放り込んだ。
飲み込まれては一巻の終わり。
結構スリリングだ。
「んご、ぶっ!」
予想以上にいいリアクションでゾロが実を吐き出した。
素早くそれをナプキンに包み手元に隠す。

「んだあ?」
ゾロは凶悪な顔付きになり、ごしごしと口元を拭った。
「滅茶苦茶苦かったぞ今・・・」
「なあに寝ぼけてんの?」
「虫でも飛んでいたかしらね。」

ゾロはもごもごと無言で口を動かしていたが、何もないとわかったか口直しのようにコーヒーを飲んだ。
テーブルの下でナミとロビンは親指を立てている。





「ふっふっふ〜上手くいったわ。」
小さな瓶の中に赤い実を入れ、ナミはご機嫌だ。
「それをどうやってコックさんに飲ませるつもり?」
「まあ見てなさいって。」

身支度を整えると無遠慮に男部屋の扉を開ける。
「ゾロ、あんた今日船番でしょ。一緒に船まで帰ってあげるわ。」
「あんだ、やぶからぼうに・・・」
一本指片手腕立てに励んでいたゾロがそのままの体勢でナミを睨んだ。
「どうせあんたに船に帰れって言っても、途中で迷って夜中過ぎになったり下手すりゃ
 明日になったりするでしょ、丁度私たちも用事があるのよ。ありがたいと思いなさい。」
「あら、ご一緒していいのかしら。」
ロビンの小声にナミは悪戯っぽく片目を瞑った。

この魔女め、また何か企んでいやがる。
薄々気付いてはいたが、ゾロはあえて抵抗しなかった。
あれこれ反撃してみても煙に撒かれるのがオチだろうし、無駄に係わり合いたくもない。
素直にありがたい申し出と受け入れて、一緒に港に向かった。







「んナミさんっ、ロビンちゃん!!感激だなあ、停泊中に会えるなんてっvv」
案の定、サンジは大量にハートを飛ばしながら実をくねらせ歓迎した。
「っと、オマケのサボテン!なんでてめえがいやがるんだっ」
「交替要員は俺だろうが、ダーツ!」
すぐさま一触即発の気配となったが、絶妙のタイミングでナミが間に入る。

「まあ、ゾロはちょっと早めに着いちゃったけどね、その分サンジ君、使ってやってよ。」
「なんで俺が・・・」
「ああ〜そうですねナミさんっvうし、交替要員!ちょっとこっち来い!」
「なんでてめえまでえらそうなんだ。」
ギリギリと音が立ちそうなほど睨み合いながら、二人してラウンジを出て行った。



ナミとロビンはとりあえずテーブルに着いて、いい天気ね〜なんて世間話を始める。
数秒も待たせないうちにサンジが飛ぶように帰ってきた。

「ごめんねえレディたちを待たせて!すぐお茶にするね、それともブランチ?」
「朝ごはんはホテルで食べてきたから、お茶でいいわ。」
「了解vいや〜やっぱり美女が二人もいると、華やぐなあ。」
鼻歌雑じりで湯を沸かすサンジに、ナミは声を掛けた。
「ねえ、明日ゾロの誕生日でしょう。どうする?」
「ああ・・・それを相談しに来たの?」
サンジはタバコを咥えながら振り向いて、とってつけたように顔を顰めて見せた。
「あんな苔マリモのために祝わなくてもいいのに。」
「あらあ、折角のイベントじゃない。ルフィだって楽しみにしてるのよ。」
「どこかいいお店借りてお祝いする?それともこの船で全員でするのがいいかしら。」
「生憎今日がゾロの当番だから、ここでは仕込みができないのよねえ。」
「この年してサプライズパーティもねえだろ。第一あいつ感激するようなリアクションぜってーねえもん。
 嫌味並べながらこれ見よがしに準備してやる。」
サンジの言葉に声を立てて笑って、ナミはそうそうとポケットを探った。

「昨日市場で珍しい香辛料だって貰ったの。これ、使えるかしら。」
「へえ、綺麗な赤い実だね。」
サンジは瓶ごと手にとって繁々と眺めた。
「匂いは・・・別に何もしないな。」
指で割ろうとするのをナミが慌てて止めた。
「待って、それ皮を使うって聞いたの。割っちゃうと中の汁が出て苦いとかなんとか・・・」
「へえ、ちょっと失礼。」
サンジは丸ごとポンと口に入れた。
途端咳き込む。
「ぐはっ、は・・・ごめん!」
うっかり吐き出した実がテーブルの上を転がって、サンジは慌てて手でそれを隠そうとする。
「汚いことしてごめん、けど・・・なんって苦いんだこりゃ・・・」
「苦い?やっぱり使えない?」
ナミが両手を合わせて哀しそうに呟いたので、サンジは慌てて実を拾い上げる。
「いやいや、この苦味がいいのかもしれないしさ・・・しっかし・・・」
口がひん曲がるぞと小声で呟いて掌で実を転がす。
と、そこにゾロが顔を出した。

「おい、言われた分甲板に積み上げたぞ。後どうするんだ。」
「ああお疲れ、まあてめえも茶あ飲んで・・・」
言いかけて、にやんと口元を歪める。
悪戯を思いついた子供のような顔。
「おいゾロ、いいもんやるぞ。」
殆ど獣を手なずけるような謳い文句だ。
ゾロはああんと怪訝そうに眉を顰め、それでも手招きに応じてサンジに近付いた。

「お前も味見してみろよ。この実、そんなに甘くねえからさ。」
甘くないどころか激苦なのだ。
このサプライズをぜひゾロにも味あわせてやりたい。
そう企んで差し出した実を、ゾロはさして戸惑いもせずぱくりと口に放り込んでしまった。

―――やたっ!
内心のガッツポーズもどこへやら、ゾロはん?と一声唸ってべろんと舌を出す。
「甘えじゃねえ、何が甘くねえだよ。」
「はあ?」
今度はサンジが驚いて突き出された舌をうっかり引っ張りかけた。

「まあ不味くもねえな、ごっそさん。」
そう言ってどかりとイスに腰を下ろす。
眼を白黒させているサンジに、ナミがもう一瓶取り出した。
「おかしいわね、ゾロの舌がおかしいのかサンジ君のがおかしいのか・・・」
「ぜってー苔緑ですって、ったく限りなく動物に近いんなら苦味くらい判別できねーと命に係わるぞ!」
「まあまあ、もう一粒あるのよ。食べてみる?」
差し出された実に一瞬たじろぎながらも、サンジはそれをぱくりと口に含んだ。
もぐもぐして「お」と呟く。

「甘え・・・」
「あら、甘いの?」
「甘い・・・です。けど香辛料って感じじゃねえなあ・・・」
「まあよくある色形だから、類似品も多いらしいわ。色々あるのねえ。」
ナミはそう言って素知らぬ顔でテーブルについた。
握り締めた拳が歓喜に震えている。
二人がこの場にいなかったら、万歳しながら小躍りしたい気分だ。
丸窓の外に目をやれば、ロビンの手だけが拍手している。


「えーと、これで木の実は終わっちゃったのかな?」
サンジが申し訳なさそうに首を傾けた。
ああ、とナミは緩んでいた表情を引き締める。
「まあ試しにって貰った物だから、気にしないで。美味しかったのならそれでいいわ。」








手際よく紅茶を入れるサンジの所作を眺めながら、ナミは今更ながらちょっと待てよと考えていた。
入れ替わるって、一体何が入れ替わるのかしら。
そしてそれはいつ?
赤い実を口にしたのはたった今だけど、胃の中で消化してから効力を発揮するのか。
そしてその効力が現れるのはどの部分なのか。
まさかサンジの料理に対する情熱とゾロの世界一への野望が入れ替わったりしたら、
相当ややこしいことになるのではないか。

俄かに内心で冷汗を掻きながらロビンをそっと伺い見た。
ロビンも何食わぬ顔で新聞を広げているが、二人の気配を探っているようだ。







「はいどうぞナミさん、ロビンちゃん。お茶請けがなくてごめんね。」

サンジの様子はいつもと変わりない。
ゾロも、目の前に置かれた紅茶に僅かに頷くだけで腕を組んで目を閉じている。

「ええとね、それで・・・ゾロ、あんた明日誕生日でしょ。」
いきなり振られて「あ」とだけ応えて片目を開けた。
「今日はサンジ君このまま船に残って仕込みをするのよね。あんたも手伝いなさい。」
「おいちょっと待て。」
「ええっ、俺居残りですか!?」
二人同時に抗議の声を上げた。
「なんで俺がてめえの祝いの手伝いをしなきゃならんのだ。」
「あーら、誕生日祝いなんて口実で、単にみんな飲んで騒ぎたいだけじゃない。
 なら率先して協力しなさいよ。」
ナミのあんまりな物言いにも、ゾロは僅かに顔を顰めたがそう強くは抵抗しなかった。
「まあ、それも鍛錬代わりだな。」
珍しく素直ねとほくそ笑んで、ナミはお茶を飲み干すと早々に席を立つ。

「それじゃ、私たちは宿に帰るわね。明日、日暮れまでにみんなで此処に戻ってくるわ。」
「ご馳走様。」
ふとゾロが立ち上がり、大股でナミを追い越しラウンジのドアを開けた。
――― 一瞬、その場にいた全員の動きが止まる。

「ゾロ、あんた何やってんの?」
「ああ?お前ら街に帰るんだろうが。」
ゾロは、ラウンジのドアを開け身体を避けて立っている。
「送っていく。」
「「「はあ?」」」

ナミとロビンがぽかんと口を開けた。
サンジは咥えていたタバコを指に挟んで、口端から煙を吐く。
「なに言ってんだ、子供じゃあるまいし。」
「馬鹿野郎。こんな別嬪共をほいほい街ん中歩かせられっかよ。」
「バカはどっちだ。帰りにまた迷うのはてめえじゃねえか。」
なんでもなく普通に、二人は口喧嘩に突入した。
が、ナミとロビンはそれどころではない。
横目で視線を合わせ、ふるふると無言で肩を震わせた。

「あ・・・の、ゾロ・・・あたしたち、二人で帰るから。」
「ええそうね。剣士さん。お気遣い、ありがとう。」
二人とも若干声のトーンが上がっている。
ゾロは不機嫌そうに顔を顰め、サンジはへへっと鼻で笑った。

「ナミさんもロビンちゃんもお前なんかよりよっぽどしっかりしてんだ。てめえはオレの手伝い
 してたらいーんだよ。」
「そうね、それじゃサンジ君、後はよろしく。」
「ああ、気をつけてね。」
ナミとロビンがラウンジを出るまで、ゾロはずっと扉を開けたままだった。

背後でパタンと静かにドアが閉まる。
それでもナミもロビンも振り向かず、言葉も交わさず甲板に出て船を降りる。
砂だらけの波止場をさくさく歩きながら、二人してほぼ同時に爆笑した。



「み、みみ見た?聞いた?ロビン!!」
「け、剣士さんが・・・ドアをっ・・・」
「しかも送ってくって・・・別嬪共って・・・」
ひーーー苦しいとナミが身を捩る。
「ゾロが、あんなこと・・・ねえ入れ替わったのって・・・」
「そうねもしかしたら、コックさんのフェミニストな部分かしら。」
ロビンは目尻の涙をそっと拭き、また思い出し笑いを零す。
「フェミニストってえか、あのまま女好きまで入れ替わってたら・・・すごいわね。」
ナミは手を叩きながらも、はたっと真顔になった。
「ゾロが女好き・・・ゾロが・・・」
まるで宙に女好きゾロがいるかのように視線を漂わせて、また身体を捩る。
「あのゾロが、メロメロリーンとか言ったら・・・ど、どうしよう〜・・・」
くひーと呼吸を引き攣らせるナミに、ロビンも口元を手で押さえる。
「それはコックさんのキャラだから・・・全部が全部じゃないでしょけど・・・」

それにしてもねと肩を揺らせ、二人は浮き浮きとした足取りで街に向かって歩いていった。












「ありゃ、しまった。」
サンジは皿洗いの手を止めて、今更のように振り返る。
「食材の買い出しに行きたかったのに、ナミさん達にしばらく留守番頼んどきゃよかったな。」
「俺がいるじゃねえか。」
「ばーか、てめえは荷物持ちでついてくんだよ。」
タバコを咥え直し、ま、いっかーと呟く。
「市場は目と鼻の先だし、真昼間だしな。問題ねえ、ここ片付けたら行くぞ。」
「なにが行くぞだえらそーに、お願いしますと言え。」
「んだと生意気な。お供しますと言え。」
くだらないどつき合いを始めながらも、二人とも自分たちに訪れた変化にはまだ、気付いていたなかった。




真っ青に晴れ渡った空の下、ずらりと市場が並んでいる。
サンジは早速テントを覗いては言葉を交わし、あれこれと吟味する。
ゾロは適当にぶらついて時間を潰すつもりでいたが、ふと目を留めた。
よいしょと大きな籠を担ぎ、危なっかしい足取りで手押し車を押して歩くの老婆の荷物を、
ゾロはひょいと抱え上げた。
泥棒かと目を剥いて仰ぎ見る老婆に笑みを返し、運んでやるぜと低く囁く。

「いつもこんな重え荷物持ってんのか、すげえなバアさん。」
「いやだね、久しぶりにいい男に声を掛けて貰えたね。」
コロコロと笑う老婆に付き従い店を開く手伝いをしていると、その隣で干物を干していた
年配の女性が声を掛けていた。

「おや見かけない顔だね。お孫さんには・・・見えないねえ?」
「あたしのいい人だよ。」
「んまー、婆さんも隅に置けないねえ。」




サンジは新鮮な魚の下見だけして、今度は商店街に向かおうと後ろを振り返った。
その辺でぶらついているはずのゾロの姿がない。
あの野郎、また迷子になったかとぶつくさ文句を言いながら歩き出したら、いやに盛り上がる
オバちゃんの集団が目に入った。

「あんたこっちも食べてみなよ。そりゃあつまみに合うんだから。」
「やーね、まずはこっちからだって。そうだ、良かったら昼はうちで食べていかない?」
「何言ってんのうちに来なさいよ。旦那の秘蔵の酒も内緒で出しちゃうわよ。」
エプロン姿のオバちゃんの真ん中ににょっきりとゾロの緑頭が見える。
あーだこーだと口々に騒いでいたオバちゃん達だが、とうとうゾロの腕を掴んで引っ張り合いをはじめた。
「おいおい、俺アありがてえが、あんたらに迷惑じゃねえのか。」
取り囲まれても涼しい顔で、頭を掻いて微笑むゾロはどっから見ても好青年だ。
「迷惑なもんかね。こーんないい男。一度捕まえたらあたしゃ離さないよ。」
「やだね、年を考えなよあんた。宿六はどうしたんだい。」
「それをあんたが言うかね。こんなとこで油売ってないで、どこぞで飲んだくれてる亭主を探しに
 いっといで。」
「まあまあまあ。」

サンジは珍しい光景に呆れながらも仕方なく声をかけた。
「失礼。こいつは俺の連れなんで、ちょっと貸してもらえるかな。」
「おや、こっちも可愛い坊やだね。一緒にお昼どう?」
「ははは、また今度。」
額に青筋を浮かべながら取り繕った笑顔を浮かべると、サンジは強引にゾロの腕を引っ張って
大股で歩き出した。

「またおいでよね。」
「ありがとうね〜」
賑やかに声をかけるオバちゃん軍団にゾロは手を振り返して、やれやれとサンジに並んだ。
「せっかく昼飯食わせてくれるってのに、なんで邪魔すんだよ。」
「なにが邪魔だ。てめえは俺の荷物持ちじゃねえか。飯につられてふらふら歩いてんじゃねえ。」
大体お前は・・・と横を向いたらもうゾロの姿はなかった。
慌ててぐるりを見渡せば、若い女二人と楽しそうに話している。

「昨日この島に着いたとこなの?私達が案内してあげましょうか?」
「うん、どうせ暇だったしね。いいとこいっぱい知ってるよ。」
「そうか、そりゃありがてえな。」
「ちょっと待て待て待てコラ。」
慌てて間に身体を割り込ませる。
「お前は荷物持ちだっつってんだろうが、なにナンパしてんだよ。」
「いいじゃねえか。こーんな別嬪二人が、この島案内してくれるっつってんだぞ。てめえも
 来たきゃ来いよ。」
「冗談じゃねえ、俺は明日の準備で忙しいんだ。てめえは俺の言うとおりついてくりゃいいんだよ!」
サンジの剣幕に驚いて、女は顔を見合わせる。
ゾロは肩を竦めて見せて、柔らかく微笑み返した。

「悪いな。しばらくこの島にいるから、またどっかで会えるかもしれねえ。そん時、頼めるか?」
「ええ勿論よ。」
「またぜひ会いたいわ。」
軽く手を上げて、踵を返す。
サンジはぎりぎりとゾロを睨み付けて盛大に舌打ちした。

「一体どういうこったこら。天下の大剣豪にもなろうって奴がなに女に鼻の下伸ばしてんだよ!
 みっともねえっ」
「なに言ってんだ。いつもレディがどうのって騒いでんのはてめえの方だろうが。」
言われてみてはじめて、サンジははっとした。
そう言えば、何かがおかしい。

「おい、ゾロ・・・」
振り向けばまたその姿がない。
「ああああ?」
怒りに声を上げて首を巡らせば、ゾロは酒屋の娘と楽しげに会話しながら試飲をしていた。