今まで住んでいた世界とあまりに違いすぎて、サンジはなかなか現実として受け入れることができない。
目が覚めたら海賊船の中でした、なんて御伽噺みたいだと思っていたけど、こっちの現実の方がずっと
過酷じゃないか。
何の苦労も知らず、平和ボケした日本でのほほんと育ってきた自分は、こっちのゾロから見たら苛々する
ような坊ちゃんでしかないんだろう。
なんとなく気持ちがわかって、サンジは更に凹んでいた。
この世界で、自分が出来ることなんて何もないんじゃないか。
そもそも自分がここにいたら、いけないんじゃないか。
かと言ってどこかに行けるわけでもない。
第一この身体はサンジのものだから、居心地は悪くても大事に居座って、ちゃんと帰れる日まで大事に
して置くことしか、できないんだろうなあ。
サンジはそっと手元に置いたノートのページを繰った。
後片付けしていて見つけた、レシピノート。
英語に似た文字だけど、今の自分ならすらすら読める。
これを書いたのはこっちのサンジ。
クルーの好みから、食材の使い方、下拵え、仕上げのコツまでこと細かく書いてある。
もしかしたら、今自分がこれを見て調理をしようと思えばできるくらいに、詳細に。
と、突然ぐらりと船が揺れた。
慌ててノートを引き出しに仕舞い込んで立ち上がる、とまた部屋が大きく傾いた。
「敵襲だ――っっっ!」
遠くで、ウソップらしき声が怒鳴っている。
敵襲?
煙草を灰皿に押しつぶし、訳がわからないままサンジはラウンジから飛び出した。
横波のような水飛沫がかかり、続いて雄叫びが耳に響いた。
すぐ側まで迫った船からわらわらと男たちが下りてくる。
手に携えた武器が陽を照り返して眩しく光って見えた。
「え、えええっ?」
サンジにはとっさに理解できない。
さっきまで大海原の中をのどかに航行していた筈のGM号に今、攻撃がしかけられているなんて。
「ゴムゴムの〜っ」
「無理だって、馬鹿!!」
ナミの声に振り向けば、オレンジの髪をなびかせてなにやら長い棒を振り回している。
「ああ、ナミさん!あぶない!!」
考えるより先に足が出た。
軽く甲板を蹴って回し蹴りの要領で男を吹き飛ばす。
文字通り飛んで行った敵を目にして、自分のしたことながら呆然となってしまった。
――――今、俺なにした?
「サンジ君、後ろ!」
考える間もなく次々と男たちが襲い掛かってくる。
敵が手にした刀は紛れもない本物で、紙一重で避ければ髪が一房切り落とされた。
足元に落ちた金の束に改めてぞっとする。
「じ、冗談じゃねえぞ」
夢なんかじゃない。
ここで一撫でされたら、怪我どころじゃすまないだろう。
ナミと背中合わせに、ルフィは拳で闘っていた。
武器を持った相手に丸腰なんて、大丈夫なんだろうか。
それはロビンも同じだ。ひらりと軽く身をかわしながら敵の攻撃を封じてはいるが、ダメージを与えることが出来ない。
「火薬星!」
パチンコのような武器でウソップはあちこちを破裂させている。
なんだか一番頼もしいかも・・・
なんて思っていたら、すぐ側を風のようにゾロが駆け抜けた。
「旋回!」
ゾロの周りだけ、時が止まったように感じた。
正確にはゾロだけがとまっていて取り囲む男たちが木の葉のように吹き飛ばされてたってことで・・・
敵船から乗り込んでくる男たちの動きが止まる。
じりじりとゾロが歩を詰める度に、相手の緊張が高まっていくのがわかった。
「サンジ、今の内にこいつら海に放り込め」
いつの間に側に来たのか、ウソップが甲板に伸びた男たちをポイポイ海に落としている。
言われるままに倒れた男に手を掛けて、ぎょっとした。
身体の下から染み出してくる夥しい血。
ついさっき、ゾロに斬られたから・・・
斬られて?
ぎくりとして目を上げれば、敵船に乗り込んだゾロが刀を振るっている。
両手に一本ずつと口にまで一本咥えて、見たこともない型でまさに縦横無尽に斬り刻んでいた。
赤い飛沫を上げて飛んだのは腕だ。
有りえないほど大柄な男は立ったまま腸の飛び出た腹を抱えてうめいている。
「う・・・」
サンジは咄嗟に両手で口を抑えて息を呑んだ。
まるで舞うように鮮やかに剣を振るうゾロの後に、累々と屍が折り重なり、辺りは血の海と化している。
最後にボスとみられる一際でかい男が唸り声を上げてゾロに斬りかかった。
身の丈より大きな斧を薄い刃で受け止めて、返す刀で首を刎ねた。
一瞬のことだった。
血飛沫を上げてゆっくり倒れる巨体と、弧を描いて海に落ちた首。
すべてがスローモーションのようにゆっくりと流れて、倒れ込む音と共に静けさが訪れる。
さっきまで恐ろしいほどに鳴り響いていた怒号や喧騒はあっけなく消え去り、波の音だけが辺りを支配した。
ぶん、と刀を払い、敵の服で血を拭ったゾロはゆっくりと振り返った。
サンジの背後からナミの快活な声が掛かる。
「ゾロ、ついでにお宝ないか、船の中調べて頂戴!」
それに軽く片手を上げて、ゾロは船の中に降りていく。
「あー、どうなることかと思った。」
「ったく失礼しちゃうわよね。いきなり襲ってくるなんて。」
ウソップやナミの呟きをどこか遠くで聞きながら、サンジは口に当てた手を外すことができないでいた。
少しでも動いたら、何か叫んでしまいそうだ。
潮風に乗って、立ち込めていた血の匂いが流れていく。
デッキブラシを取り出して甲板をせっせと洗うウソップや、バケツで海水を汲んでは流すロビン。
これはドラマでも映画でもどっきりでもなくて――――
足元に転がってるのは本物の死体で。
殺したのはゾロで・・・
ぐらりと視界が揺れて、その場にしゃがみこんだ。
気付いたロビンがそっと近寄り肩に手をかける。
「大丈夫?気分が悪いの?」
「いえ・・・」
まだ口元に手をあてたままくぐもった声を返すサンジの顔色は真っ青だ。
「ここはいいから。中で休んだ方がよさそうね」
血の気が引いて白く震える指に手に褐色の指を添えて、ロビンは優しく強張った手を外してくれた。
「あ、ありがと・・・」
ようやくその言葉だけ搾り出して、サンジはそこから足早に立ち去った。
たいして汚れてもいないのに、何度も何度も手を擦って洗い流す。
まだ動悸が止まなくて、口から心臓が飛び出そうだ。
こんなことで震えている自分が情けない。
しっかり、しっかりしなくちゃ――――
「おい」
不意に背中に声を掛けられて、文字通り飛び上がった。
血の匂いがする。
ゾロだ。
「無駄に水使うんじゃねえ、勿体ねえ」
言われて慌てて蛇口を捻った。
ゾロは大股でサンジの横をすり抜けると服を脱ぎ始める。
全身ずぶ濡れで、白いシャツは斑に朱に染まっていた。
海で返り血だけ洗い流してきたんだろう。
サンジが知っているゾロより一回り大きな体。
日に焼けた肌と鍛えられた筋肉。
盛り上がった胸筋を斜めに走る傷に今度こそ声を上げそうになった。
脱いだシャツを一纏めに洗面所で搾ると、ゾロは固まったままのサンジを睨みつけた。
「何、見てやがる。」
だが、サンジはその傷から目を逸らすことができない。
深く切り裂かれたであろう傷口はぼこぼこと盛り上がって、粗い縫い目がそのままに残っている。
普通なら、死んでるに違いない、深い傷。
ちっと派手に舌打ちをしてゾロは風呂場に入ってしまった。
それを見送ってはじめて、サンジはよろけながら壁に手をついた。
びっくりした・・・
っていうか、驚いたってえか、ビビったってえか・・・
額に手を当てて、もう一度大きく息を吐く。
しっかり、しなくちゃ。
「今日は、ごめん」
何事もなかったように和やかに囲まれた食卓で、サンジは一人頭を下げた。
一瞬なんのことかわからず、ナミ達の動きが止まる。
「って、やだー何言ってるのサンジ君。今日の海賊達のこと?」
「なに謝ってんだよ。それより気分はもう、大丈夫か」
結局青い顔をしたままキッチンに引きこもって、それでもなんとか夕食は拵えた。
レシピを片手に、それなりに一生懸命。
「私達はもう慣れっこだけど、コックさんには刺激が強すぎたでしょう。それなのにこんな風に食事を作って
くれただけでも、凄いことよ」
「おう、それにこの飯、美味いなあ」
口々に褒められて慰められて、サンジはますます頭を垂れる。
実際吐き気を我慢してここまで食事を作った自分は我ながらえらいと思う。
けど、こっちの常識じゃ軟弱としか思われないんじゃないかな。
そう考えるとやはり落ち込んでしまうのだ。
「それにしても、気になるのは今日の奴らが言ってた事ね」
ナミはフォークを絡めたままウソップを見た。
「ああ、あれだな『力がねえ内に』って、あれ」
「どういうこと?」
ロビンが首をかしげてウソップを見る。
「ルフィやロビンにはなるべく後方に下がっててもらってたから、聞こえなかったかも知れねえが、あいつら
明らかに能力者の力が失われてることを前提に襲ってきた感じなんだよ」
ふへえ、とルフィは口いっぱい頬張ったまま視線を上げた。
「ってことは、俺がゴムじゃないことを知ってて襲って来たのか?」
「残念ながら、そこまで知られてないようね。まあ海賊船だからそこそこ能力者も乗ってると思ったんじゃ
ないかしら。ともかく重要なのは、奴らが能力者の力がなくなってることを知ってるってこと」
「この海域はそう言う海域だってことね」
ロビンの言葉にこくりと頷く。
「ロビンも知らないなら、ここ最近の現象かもしれない。実際次の島はもう目と鼻の先にあるんだけど、
用心して上陸は明日の朝にしましょう」
「そうね、島を取り囲む形で待ち伏せされていた感じもあるし、用心に越したことがないわ」
「まあ、あいつらの誤算と言えば、この船にゾロが乗ってたことだろうな」
まるで他人事みたいに、ウソップが声を上げる。
「そうよね、能力者じゃないのに、能力者並みよね」
「あいつら、案外イーストブルーの魔獣も何かの能力者だと誤解してたんじゃないかしら」
くすくす笑うナミにちらりと視線を送ったままで、ゾロはただ黙々と食べるばかりだ。
「イーストブルーの…、魔獣?」
つい声に出して呟いたら、ウソップがああ、とサンジを見た。
「そうだぞサンジ。このゾロは俺たちと出会うまでは海賊狩りをやっててな、魔獣って恐れられてたつわものだ」
「海賊狩りって・・・」
「おう、元海賊狩りが海賊になってちゃ、世話ねえよな」
ケラケラ笑うウソップと対照的に、ゾロはにこりともしない。
今改めてゾロを見ると、最初に見た印象と随分違う。
いや、はじめて見たときは、多分ゾロだと思っただけで、よく見てなかった。
ゾロには間違いないんだけど、顔つきや身体が少しずつ違う。
性格も多分、全然違うんだろう。
イーストブルーの魔獣。
三本の刀を操る剣士。
―――――俺の知ってる、ゾロじゃねえ
サンジはそのことを肝に命じておこうと思った。
間違えないように、錯覚を起こさないように。
沖に停泊したまま、GM号は早い夜を迎えた。
さすがに皆疲れたのだろう、早々に部屋で休んでいる。
今夜の見張りはルフィらしいから、何か差し入れを持って行ってやろうか。
サンジは疲れてはいたが、どうも興奮していて寝つけなかった。
仕方なくキッチンでレシピノートを捲る。
夜食のバリエーションも豊富に書き留めてある。
でもこのルフィバージョンは、なんでもゴムの時のらしいから、分量は当てにならないみたいだ。
クロックムッシュを片手にひょいひょいとマストを上がった。
もう慣れたものだ。
途中から待ちきれないかのようにルフィが落っこちそうな勢いで下を覗き込んでいる。
「サンジ〜、腹減ったア!」
「おう、お待たせ」
もどかしそうに両手を伸ばしてトレイを受け取ると、にししと笑う。
あどけない、少年のような船長。
17歳っつってたから、俺と同い年になるんだよな。
勉強はできそうにないが、どこか一本筋の通ったとこがあって憎めない。
でも、強さで行ったら断然ゾロのが強いだろ。
思わずしげしげとルフィの顔を見ていたら、こっちに座れと手招きされた。
「サンジはどんなサンジでも飯は美味いなあ」
満足そうにそう言われて、サンジは苦笑した。
「そうでもねえだろ。だって皆どこか物足りない顔してるぜ。こっちの俺ってよっぽど料理美味かったんだろうなあ」
愚痴じゃないけどつい本音が出た。
「そりゃあ、当たり前だぞ。サンジはプロだ」
ぺろりと指を舐めて、にかっと笑った。
「だけどお前が作るのも美味い。さすがサンジだ。一緒だな」
・・・一緒、だろうか。
2年の年の開きだけじゃなくて、多分根本的なものが俺と違う気がする。
「・・・俺、いつまでもここにいちゃ、いけないな」
そんなこと、口に出して聞いたって仕方ないことなのに。
「どっか行くのか?」
「行けないよ。戻りたいけど、どう戻ったらいいかわからない」
サンジは膝を抱えて頼りなさげに顎を乗せた。
「でもここに俺の場所はねえよ。サンジみたいに美味く作れねえし、何もわかってねえし、戦えねえし、
それに―――」
ゾロに、嫌われてるし。
「俺は割とお前も好きだけどな」
あっと言う間に夜食を平らげて、ルフィは熱いカフェオレを啜った。
「お前がサンジじゃねえのはわかってる。サンジと違って、お前は弱さを隠したり、自分に嘘吐いたりしてねえ」
「・・・」
「そんなお前も俺は好きだ。だから一緒にいろよ。どこにも行くな」
サンジはじっとルフィの目を見た。
暖かいランプの灯りを仄かに照り返して、黒い瞳は闇の中でも輝いて見える。
何故だかルフィに断言されると、そうなんだなと納得させられてしまうものがあって・・・
「俺は、ここにいて、いいんだろうか」
「ここにいろ。サンジと交替する時が来たら、すればいい。それまで側にいろ。これは船長命令だ」
瞳だけは真剣で、でも笑いながらくしゃりとサンジの髪を撫でた。
ぽふぽふ、子供みたいに軽く叩かれて、その笑顔に吊られて笑う。
「そっか、そだな。どこにも行くあてないもんな」
こんなにガキなのに、どこか頼もしい。
やっぱ船長は違うなと感心して、手すりに凭れた。
見上げれば、空には降るような星空が広がっている。

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