3ヶ月間の出張がはじまった。マンスリーマンションに送った荷物を整理するのと、
明日朝一の打ち合わせに備えて今日移動してきた。服をクローゼットに入れ、
こまごましたものを引き出しにつめる。
「さて…と」
一通りの片付けが終わったものの、寝てしまうには早すぎる。
来るときに見つけた、近所のBarに行ってみるか。
ジャケットに袖を通す。
ドアを開け、木でできた階段を上る。
カウンターの中で迎えてくれたのは黒髪長身のレディ。
広すぎず、狭すぎず。
うるさくなく、静かすぎず。
暗すぎず、明るすぎず。
何もかも好みだった。
あまりにも好みすぎて、自分でつまみも作りたいくらいなんだが。
バーボンソーダを。
「どうぞ」
レディの美しい手が、すっとグラスを差し出す。特別愛想がいいとは思わないが、
クールな感じがこの店に合ってるかもしれない。
店の中をぐるっと見渡す。混雑はしていないが、そこそこ人気はあるようだ。
カウンターの端で飲んでいる男に目が留まる。
きれいな緑色の髪。地毛かなぁ。染めてるにしちゃきれいだ。目つきは悪いが。
喧嘩したくないタイプだな。
そんなことを思いながら見ていたら緑髪がこっちを向いた。一瞬、にらまれる。
まずいっ。喧嘩、売られるのか?と少し身構える。
勝手な考えは全く予想ハズレ。相手はすぐに目をそらした。実はちょっとびびったから
正直ほっとした。
「同じものを」
これを飲んだら明日に備えて部屋に戻ろう。
2杯目を出してくれたレディとたわいもない話をする。
「ロビン」
目の前のレディが、なぁに? と言うように顔を向ける。声をかけたのはあの緑髪の男だった。
ロビンちゃんっていうのか。いい名前だ。緑髪は親指で店の奥を指し「いいか?」と聞いた。
「ええ」ロビンはうなずいてBGMのヴォリュームを下げた。
奥を見ると、アップライトのピアノの前にやつが座っていた。
鍵盤をそっとたたく。ごつい体の印象とはうらはらに、繊細な音を奏でる。飲むのを忘れて
音に聞きほれ、やつの指に見とれてしまっていた。
気持ちよさそうに数曲弾くと、鍵盤のふたを閉じて立ち上がった。ピアノの近くに座っていた
女の子グループから「ロロノアさん!」と声をかけられ、にこやかに相手をしている。あの目つき
の悪さはどこにいったのか?と思うくらいの笑顔で。
手の中のグラスで、からん、と氷が音をたて、我に返る。
「ロビン、テキーラくれ」
カウンターに戻ってきたやつはショットグラスが出てくると同時にお金を払い、一気に飲んだ。
「ごちそうさん」
ロビンに軽く手をあげて去っていく。
出て行く背中を見送って、ロビンに聞いた。
「彼はプロなのか?」
ふふっとロビンは笑って否定した。時々気が向けば弾いてくれるのだそうだ。
「上手だし店の雰囲気も壊さない。彼のファンは多いわ」
そうか…。ロロノア、という男。不思議な魅力を持ったやつだ。
しばしぼんやりとあのピアノの音を思い出していた。
「あちらのお客様から」
ロビンがオレンジ色のかわいいカクテルを差し出した。えっ、とそちらを見ると、オレンジ色の
髪のレディが階段に向かって歩いていた。くるり、と振り返ると、笑いながら手を振って出て行った。
「ナ、ナミさん!?」
驚く俺の様子を見てロビンが微笑んだのは、俺と知り合いだとナミさんが言ったに違いない。
ナミさんは会社の同僚で、二人とも出張でここに来たことを話した。俺は3ヶ月間、ナミさんは
打ち合わせの時のみだけど、と。
「彼女、いつからこの店に来てた?」
「ピアノが始まる少し前かしら」
ということは、俺がピアノに聞き惚れていたのを見てたってことか。
…はずかしい。
オレンジ色のカクテルを飲んで、店をあとにした。
ナミさんがおごってくれるとは思わない。きっと明日になれば請求書がやってくるだろう。
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だいたい週の半分くらいはあの店に行っているだろうか。ロビンちゃんとはそこそこ話すようになった。
彼女は饒舌な方ではないが、適度な距離感が心地いい。
打ち合わせがある日はナミさんもたいてい来る。一緒にくる日もあれば、別々に来る時もある。
緑髪のやつが定位置にいないときや、定位置にいてもピアノを弾かずに帰るときは、ちょっと
残念に思うようになっていた。

