出張先の懇親会で飲んだあと、まっすぐ帰る気分になれずに店に行った。
目に飛び込む緑の髪。やつがいる。それだけで嬉しかった。
今日は気が向いたみたいで、やつはピアノの前に座る。1曲聴いたあと、俺はグラスを持って立ち上がり、
やつのところに行った。こんなことをする俺は、多分少し酔っていたんだろう。
「いい曲だな。なんていうんだ?」
やつはちらっと俺を見た。
「グラスを、ピアノに置くな」
「ん?」
「グラスの跡がピアノにつくから、そこに置くな」
「あ、ああ。すまん」
アップライトの上に置きかけたグラスをあわてて持つ。跡はついていないようだ。
「"My Favorite Things"」
一瞬きょとんとしてやつの顔を見た。
「"My Favorite Things"。今の曲だ」
「"サウンド・オブ・ミュージック"って映画があってな、その中の1曲だ」
「そうか…」
曲名を頭ん中に叩き込んだ。
「なんか、弾いてよ」
「なんか、ってなんだ」
「俺は音楽に詳しくねぇ。弾きたい曲を弾いてくれたらいい」
やつの目がじっと俺を見る。
しばらくして、弾き始めた。
「これは?」
「ガーシュウィンだ」
「その名前は聞いたことがある」
「"SOMEONE TO WATCH OVER ME"って曲」
弾きながらやつは答える。「お前を見てたら、この曲が浮かんできた」
「何でだ」
「知らねぇよ」
黙って聴いていた。なんだか切なくなる曲だ。
俺の満足そうな顔を見て、やつは少し笑った。そして、演奏を終えていつものようにテキーラを飲んで帰っていく。
翌日、昼休みの時間を少し削ってCDショップに行った。やつが弾いていた曲のCDを探すために。
CDのバーコードをかざせば視聴できる、なんて機械がある店で助かった。同じ曲でもアレンジが違うもんなんだな。
なるべくやつが弾いていたあのイメージを壊さないようなものを探しまくる。
仕事を終えて部屋に戻ると、パソコンを立ち上げてCDを聴いた。やつのピアノを思い出しながら。
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荷物はまとめて宅配便で送った。あとはこの荷物だけを持って帰ればいい。
この3ヶ月で増えたCDは、エアパッキンで包んですでにスーツケースの中だ。
やつのピアノで気になる曲があると「あの曲はなんだ?」と聞いていたもんだから、やつは毎回
テキーラを飲む前に、弾いた曲名を走り書きしてくれるようになっていた。
で、「ごちそうさん」とロビンに声をかけ、俺には声をかけずにメモだけ投げて帰るのだ。
最後の夜だ。やっぱり行くだろ。やつがいることを祈りつつ。
「今度来るのはいつになるかわからないけど」
明日帰ることをロビンに話をしつつ、定位置にいないやつのことを思う。
やつが現れることを期待していたんだが無理かも…ゆっくり飲んでいたはずなのに、もう酔いが回ってきた。
「よぉ」
ロビンに挨拶をして、やつが定位置に座る。
やっと、来た…。
やつと話すことは、もうないだろう。せめてピアノくらいは聴きたい。
ぼんやりした頭に、聴きなれた音が耳に響いてきた。あぁ気が向いたんだな、よかった。
"My Favorite Things"。これは"Take Five"だったっけ。
それから…"SOMEONE TO WATCH OVER ME"。なんで今日は俺の気に入った曲ばかり弾いてくれるんだ?
俺、今日で帰るってやつに言ったっけ?
このまま聴いていると泣きそうだ。
「ごちそうさん。ありがとね」
お金を払ったまではよかった。かなり飲んでしまっていた。立ち上がったつもりがふらついて
カウンターの上に倒れこんでしまった。
「大丈夫か」
やつの声が上から降ってくる。目を開けて「あぁ」とつぶやくのが精一杯だった。
「…大丈夫じゃねぇな。家はどこだ?」
地名とマンションの名前を告げた。
「ああ、あのマンスリーか。ロビン、ちょっと送ってくるわ。それから、それを2-3本くれ。おい、お前、寝ちまう前に鍵出せ」
鍵をポケットから出してやつの手元に置き、やつがロビンと話しているのを夢の中で聞いた。
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目が覚めたら、ベッドの中だった。
頭が痛い。
「起きたか」
壁にもたれて、やつが座っていた。昨夜のことを思い出す。
「…迷惑かけて申し訳ない、ロロノアさん」
「ゾロでいい」
やつは袋から瓶を取り出し、中身をグラスに注いだ。
「飲め」
体を起こして、枕を背もたれに…したはずなんだが、自分の体を支えられない情けなさ。
ベッドの上にぱったりと横倒しになる。
「ダメダメだな」
ゾロがくくっと笑う。
「仕方ねぇな」
枕元に片足だけ胡坐をかくように座ったゾロは、俺の両脇に手を差し入れて体を起こした。
そして背中から抱くようにして俺を座らせる。
「なっ…」恥ずかしいが、じたばたもできない。
「自力で座れねぇくせに、がたがた言うな」
…はい、ごもっとも。
片手で俺を支えつつ、もう一方の手にグラスを持ち、ほれ、と俺に差し出す。
おとなしく飲んだ。口の中がしゅわしゅわする。
「…ガス入りの水か」
「苦手だったか?」
「いや、そうじゃないけど」
「そうか、それしか思いつかなかった」
まだ酔いは醒めていないのだろうか。どきどきして頭に血がのぼる。
「ゾロ」
ん? とゾロがこっちを見る。
「俺、何か寝言とか言ってなかったか」
「いや」
「なら良かった」
「腕、つかんで離さなかったけどな」
「えっ!?」
「"行くな"とか"帰るな"とか"ここにいろ"とか言ってさ」
顔が赤くなるのがわかる。何言ってんだ、俺。
「それ、寝言じゃねぇのか…」
「そうか? ちゃんと目ぇ開いてたから寝言とは違うだろ」
ゾロは真顔で答える。
恥ずかしすぎて言葉が出てこない。俺って、すげぇ間抜け…。
「しっかりと水飲んで、寝ろ」
俺は水を飲み干して、布団にもぐった。
すぐにまぶたが重くなる。ゾロがグラスをデスクに置く気配がする。
「ありがとう」
かろうじてそれだけ言えた。
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目が覚めるとゾロの姿はすでになく、デスクの上にメモが残されていた。
『鍵はポストに入れておく』
そのメモの下に、もう1枚置いてあった。
『また、ピアノ聴きに来い』
少し角ばったけど丁寧な字。
重し代わりに、昨日あけた水の瓶。袋の中には未開封の2本が残されたままだった。
重い頭をかかえてドアまで歩き、ポストをあけて鍵を取り出す。
空いた瓶を捨てる気にならず、手荷物の中に入れた。
そういえば、俺は、自分の名前すら教えていない。
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「はい。これ、今日の資料」
「サンキュー、ナミさん」
客先に持っていく資料の束を抱えて、ナミさんがやってきた。それらを入れる紙袋まで
用意してくれている、心配りが素敵だ。
でもにっこり笑って無言で手を差し出し、お礼を要求するのがまたナミさんらしい。ま、いつものことなんだけど。
机においていた2本の瓶から1本を渡す。
「こんなの飲んでるなんて、なんか、サンジくんらしい」
瓶を手にとって、ナミさんが光に透かす。
「ペリエってガス入りの水でしょ」
「ああ」
しばらくその様子を眺めていた。
「あのBarのピアノ弾きさんの髪の色みたいよね、この瓶」
「えっ」
うふふ、とナミさんは意味深な笑みを浮かべて、去っていった。
すべてお見通しか。
あの瓶を捨てられなかった理由。これを飲んでいる理由。
忘れられない。ゾロのこと。
次の出張、いつになるかなぁ。
卓上カレンダーをぺらりとめくりながら、今度会ったらお礼を言って、名前を教えようと思った。
END
ピアノ弾きゾロに、萌えましたーーーーーっ!!
はっきりとわかりやすい萌えで恐縮ですが、この意外性がたまらないんです!
ゾロの指が、節くれだって長くて、それでいて繊細に奏でる姿が目に浮かぶようです。
いっそそれでサンジの白い身体も奏でてなんて、おかしな妄想まで浮かんでしまいました。
いやいや、これは未満のお話なんですが、この距離感がまた素敵vv
きんぎょさん、太っ腹にもくださってありがとうございました!!大感激ですv
