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次の日、ゾロはクロコダイルの屋敷の前にいた。先手組頭の肩書きも持つ火付盗賊改方の頭領は、
奉行所として自分の自宅を用いる慣例らしいが、さすがに堀内の役宅では手狭だったらしく、
ここ本郷のはずれにある大名の地所を譲り受けて奉行所としている。
このあたりは湯島天神の賑わいの近くだが、町家が建てられないために山裾に沢や薮が広がり、
広めの武家屋敷が散在している。
その用人口を力任せに叩くのに、庭番がびっくりして駆け寄って来た。
「おい、腕試しに来たと伝えろ。」
仁王立ちになって、脅しつけるように言うと
「へ、へい。」と、用人が詰め所へ飛んで行った。それと入れ替わりに見覚えのある与力が奥から出てきた。
「…なんだ、本当に来るとはな。」
「俺は強いって言ったろう?」
先日、屋敷のまわりをうろついていて呼び止められ、俺を手下にしないかと言ってやったのだ。
「…相変わらず生意気な浪人だな。よし、使えるかどうか試してやろう。貴様の腕がいうたとおり
ならば、御奉行から役目申し渡されるやもしれぬ。ただし、その前に死んでも構わぬという一筆を
貰い受けるぞ。」
「承知。」
「庭伝いに行くと板間があって鍛練場にしている。そこで支度をしろ。獲物は木刀でよいな?」
そう言って用人に案内を言いつけたが、そのままくんと鼻を鳴らした。
「おい、煙臭くはないか?」
「…どこかで野焼きでも…」と言いかけて口をつぐみ、あらためて口を開いた。
「おい、この煙の火元を見て来い。こんな乾いた風の強い日に野焼きなどしていたら火付けと同じだ。急げ。」
慌てて出ていった下働きとおもわれる少年はすぐに息せき切って戻ってきた。
「大変でございます。火元は屋敷裏の薮でございます。煽られて火の粉が舞い上がっております。
早く消しませんと、お屋敷にも飛んでくるかもしれません。」
「なんだと」
どやどやと庭に人が出て、家令から号が飛ぶ。
「主は重要な書類を土蔵に運んで戸締まりを頼む。門に二人程番をしてくれ。身の軽いものは屋根に
上って風向きをみてくれ。残りの者はで手分けして火を消し止めよ。」
「そうだ、非番の者は呼びにやったか?」
慌ただしく人が行き来する中、ゾロは鍛錬場へ向かうふりをしてそろりと屋敷の裏へ回った。
中には浪人姿のゾロを見ていぶかしむ者もいた。
「何者だ?」
「手下の試験を受けに来たのだが、火消しを手伝えと言われたのさ。」
ぬけぬけと言うのだが、屋敷の庭も風向きで煙が吹き込みはじめている。 慌ただしい中、それ以上気に
かける必要もないと思われたのだろう。ゾロはしばらくするとすっかり忘れられているようだった。
人気がなくなったあたりで縁の下へと潜り込む。
床板の隙間に細長い木切れをこじ入れ、隙間にはおがくずを巻いた紙を押し込んだ。
そうして、懐から少し湿った手ぬぐいの包みをほろりと解くと、黒い紐に繋がった鉄の小さな箱があった。
その蓋を空けると赤い火種がちろりと光った。どこで手にれたのだろう?
どうやら銃の火種を携帯するモノであるらしい。
うす暗い縁の下で仕掛けたおがくずが赤く燻るが誰も気付かない。
細工を3ー4個も終えたゾロは庭に戻り、ふらりと台所へ向かった。
途中に紙束や文箱を抱えた男とすれ違う。男の向かう先にはでかい蔵が3つ並んでいる。
壁が厚く頑丈そうな土蔵だ。これなら火事でも中は燃えないだろう。
お役目の書類なのか、鬢が白くなりかかった男の指示で、紙の束を抱えた何人かが一番手前の蔵へ
運び込んでいる。
台所では既に炊出しの準備が始められており、大きな釜に米がいれられていた。
「水もらうぜ」
柄杓を突っ込んで水を飲む浪人にちらりと目をやるが、相手にするものなどいない。
風といっしょに煙が流れこんで来ているのだ。下働き達も火元が気になるらしく、ちらちらと風上を
見遣りながらそわそわと落ち着かない。
くるりと回って門を見にゆくと、門の見張りはどうやら表にでているらしかった。
ゾロは人目がないのを確認して台所からこっそり持ち出した瓶の中身を門に振り掛けた。
蔵へ戻ると、白髪の男が丁度鍵を閉めているところだった。
じゃらりと鍵束が音をたてる。近付いて来たゾロをじろりとうさんくさそうに見る。
「何か用か?」
「はい、クロコダイル…いえ、御奉行様に火事のお知らせを出したかどうか聞いてこいと言われまして…。
どなたにうかがえば良いのでしょうか?」
クロコダイルが朝から留守にしているのも、行き先は城の老中の所だという事もゾロは既に知っていた。
あたりは煙の臭いが立ち篭め、時折白く煙りはじめている。
「ふむ…そうだな。お知らせした方が良いかもしれぬ。誰に聞かれたか知らぬが、今使いを出すと伝えるがよい。」
そういって男はくるりと背を向けた。いきなりその背から胸元に大刀の刃がトンと突き抜けた。
何が起ったのか判らないまま死んだのだろう、驚いたような顔で倒れ伏す男にゾロは「ちょっと借りるぜ」と
声をかけ、鍵の束を受けとった。

