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日本橋にある町火消しの番屋では、昼をまわってどやどやと人の出入りが激しくなってきた。
「兄貴!半鐘が鳴ってますぜ。陣太鼓も出てるようで。」
「…遠くもねえな。火元はどこだ?」
「外堀の北の向こう…湯島の先あたり、小石川までは離れちゃいないようでさあ。」
番屋の表に走り出した小頭が訪ねるのに、やぐらに上がった男が上から大声を上げる。
武家地だな。あのあたりは八番組か…六番か。
「纏が見えるか?」
「手前の屋根で振られてるのは『た組』のようですぜ。」
そう言いながら小柄な男がとんと身軽にやぐらから降りて来た。
「火の粉が大分風に乗ってるようです。どうします?」
「あたりめえの事ぁ聞くんじゃねえ!俺らも出るぞ。」
よっしと小頭が大声を上げる。刺し子の半纏、頭巾をかぶり鳶口をぎりりと腰に差す。
「いろはの組の一番『い組』だ。加勢に行くぞ!風が舞ってる。命の惜しくねえ奴だけ付いて来い!」
答えてわらわらと人が集まってくる。革頭巾をかぶった平人が梯子に木槌、刺股を持ち、揃いの法被を
着た人足達が龍吐水と玄蕃桶を積み込んだ大八車を押しながら列を作る。
その先頭に「い」の纏が立てられた。号に合わせて鳶口や提灯がかかげられ、慌ただしく出発してゆく。
遅れて合流する連中に激を飛ばしながら走る小頭に横から風見の男が言った。
「ただ、あのあたりは定火消しの屋敷がありますんで、町火消しのでる幕じゃねえかもしれませんがね。」

火事場に到着してみれば、なんと火元は火付盗賊改方の役宅そのものだった。
クロコダイルの屋敷…。盗賊の上前を跳ねて財を貯えているという噂もある。確かに塀の奥にみえる
大きな蔵は役人の屋敷にしては作りが頑丈だ。
「火勢が強いな」
吹き付ける風が時折煙と熱を運んでくる。
昼前からの火は昼を過ぎて一旦治まりかけたように見えたが、強まった風に煽られて再び勢いを増し、
塀の向こうは黒い煤が渦を巻いてそのなかからけむった空へちろちろと炎がちぎれ跳んでみえる。
「おい、みろ!掘の向こうに火が飛んだぞ。
いいや、まだ向こうは大丈夫だ、屋根に水を撒いてる。」
「そうだ、火の粉は叩け!」
「いったい火盗の屋敷が火元ってのはどう言う事だ!」
「町中にまで飛んでるじゃねえか、どうして始末をつける気だ?」
怒号が飛び交う中で『い組』の梯子持ちが大声を出した。
「小頭、大名火消しも定火消しも出張ってきてる。俺らは堀内にまわった方がいいか?」
「いや、待て。あれを、門をみろ!」
ゆっくりと煙が正門の廂を嘗めている。母屋は随分火がまわっている様だが、門までは距離があるのに、
なぜか、正面の門へと火が飛んだらしい。
小頭は火事場を背にくるりを向き直り、大声で叫んだ。
「やい!『い組』!見てのとおりだ。門に火が回ったからには乗り込むぞ!
武家はどうだか知らないが、江戸の町中でこんな大火を出したんなら、土蔵の一つも焼いて詫びるのが
火元のけじめだ!俺達は町人の流儀でやらせてもらう!侍に斬られてもかまわねえ奴だけ一緒に来い!」
小頭の威勢に野次馬がどっと湧き、『い組』の組員が大声で答える。他に駆け付けてきた町火消しの組も、
門が焼けたんなら遠慮はいらんとばかりに塀に梯子を掛け、敷地へ入り込んで燃えている建物を引き壊し始めた。
『い組』の連中が並んだ土蔵へやって来て、いざ錠前を打ち壊そうとすると、一番奥の扉が既に半開きに
なっているのが見えた。火事場泥棒でもいやがったら、ついでに懲らしめてやると蔵の引き戸をからりと開く。
ひゅうと唇が鳴った。
噂通りだ。千両箱が二十ほども積んであり、周りの棚には南蛮由来と一目でわかるような箱やら壷やらが
並んでいる。上等の絹布の包みがいくつもあって無造作に床に置いてある。
入り口と壁にある風抜きの窓を開けておけば、中まで全部燃えるだろうと思いつつ、積んである千両箱に
何気なく目をやった小頭はその印に気付いた。
「おい、お前ら!これを運べ!。それから町奉行所の連中にこれを見せてどこにあったかを教えるんだ。
あたりの野次馬にもだ。できるだけ大勢に見せるんだぞ。」
「兄貴!それじゃあ泥棒になっちまいますが…。」
「うるさい!訳は後だ。とりあえず運べ!」
鳶口の連中は驚いたものの、小頭の剣幕に気押されて、言うとおりに運び始めた。

火事は湯島、本郷の薮を焼き、周りの家屋を数十件ほども打ち壊して明け方にはなんとか治まった。
まわりに町家が無かったのが幸いだったのだろう。火の粉と飛び火が出たが、大事にはならずに済んだらしい。
町は昨日の火事の噂でもちきりだった。
「火盗改のお屋敷から火がでたんだと。慌てて火消しが飛んでッたんだけどよ。どうも、盗人が火を
付けたらしいんだ。金蔵の扉が開いててな。
それが、その金蔵の中からすげえもんが出てきたんだよ。ほら、この間、野党に押し入られて一家
惨殺された近江屋、そう、あの両替商。その店の印の入った手文庫が出て来たんで大騒ぎさ。
見つけたのは町火消しの連中らしいンだが。よくみれば、昔押し込みに入られた大店の屋号の入った
千両箱だの、金庫だのもごろごろ置いてあったらしい。
話が町奉行から目付け、将軍様まで行ってさ。そりゃ、大事だよ。
ええ?そりゃあ、盗賊の上前をはねてたって事だろう?他に考えようがねえもの。
まあ、でもさすが『い組』の小頭だぜ。あの火事騒ぎのなかで、なによりの証拠だってんでそっくり
運び出し、うやむやにされねえように居合わせた連中に見せたんだ。こんだけ話が広がっちまったら、
何もなかったようにはできねえからな。
え?クロコダイルかい?
取りあえず、老中からの御沙汰で若年寄りにお預かりだそうだ。先手組から結構な出世だったのに、
こりゃ切腹になるんじゃねえかな。」

町中がそんな騒ぎで落ち着かない中、ふらりとゾロは風車へとやって来た。
いつもの席に座ると、久しぶりにゆっくりとした様子で飲み始めた。
今日の品書きの先頭は煮付けた鰤のアラとある。サンジが中鉢を膳に置くと、「ほい、土産だ。」と
代わりに小さな紙切れを渡された。
なんだろうと畳んだ紙をはらりと開いて、サンジの顔がすっと固くなった。
「…これって、おナミちゃんの証文…。」
あたりをさっと見渡して、小声をかける。
「おめえ、こんなところうろうろしてていいのかよ?これを持ってるってことはヤクザ殺したのは、
てめえだろう? 今、妾の女が動転して口がきける状態じゃねえのと昨日の火事の騒ぎとで、
まだ調べが進んでねえらしいけど。」
「俺じゃあねえよ。…でも、会いに行ったのはホントだからなあ。殺されたとあっちゃ疑われるよなあ。」
「じゃあ、本当の下手人が判るまで、隠れてた方がいいんじゃないか?」
ゾロは真顔で心配するサンジの顔をなんとも言えない顔で見ていたが、ふっと笑った。
「ああ、明日にでも江戸を離れる。俺もなんだかヤバい気がしてな、深川のはずれの茶屋にいるんだ。」
帰り際に店の名をぽつりと呟き、サンジの耳元で「まってるぜ」とささやいた。










酔夢無頼