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乾いた風が埃を巻き上げ、日は射しているのに風ばかりが冷たい日だった。
めずらしく日のあるうちに長屋へ帰って来たゾロは、入り口の柱の横に立て掛けてある突っかい棒を手に取った。
慣れた様子ではめ込みの組み木をずらすと、留め木がぽとりと下へ落ちる。すらりと抜きはなったのは青白く冴えた
刃先を持つ一振りだった。
直刀に近いがわずかに反りがある。ずっしりと厚みがあるが、切っ先がやや細く鋭い。
全体に長いがその分中ごも長く均整がとれている。ヤスリ目のみで銘はない。ハバキの緩みがないのを確かめて刃を
ぐいっと拭うと、うす暗い部屋の中でぬめりを帯びたような光を放った。地鉄は密に詰んで小柾目肌。
全体にゆったりとのたれる直刃だが刃先近くにわずかな小乱れが覗く。
それから腰に差している竹光の柄を外すと、刀身を入れ替えた。
柄はやや長く牛革を黒漆で固めてある。それに細い組み紐を平巻きにしてあるが、柄元と柄先は太く巻いてあって、
手に合わせた形であるらしい。
目釘は小さく、柄巻きの隙間から抜き差しができる工夫だろうか。その目釘も常とは異なり、手の平側から
差し込むようになっている。
鍔は小さめだが鉄製で耳が厚く菊花の形、中に弧状の空かしが散らしてあるのは月か盃か。鞘も黒漆塗りが
厚く重ねてあるが、ところどころに傷を直した跡が判る。
だが、全体に腰高で反りが少ない、どっしりとしたたたずまいの拵えは、この豪放な男にいかにも似合いだ。
その夜、腰に真剣を差したゾロは、ふらりと酒場にでも入るような足取りで、この間店へやって来たヤクザの
妾宅へと押し込んだ。
「ひいっっ」
ねずみ男がうつ伏せに倒れたまま這いずって逃げようとする、顔の直ぐ脇でどすりと畳みが音を立て、目の前に
直刃がぎらりと光った。
「俺あ まどろっこしいのは嫌えなんだ。知ってる事を全部しゃべりな。」
こくこくとかぶりを振りながら震える声が返事をする。
「まず、誰に頼まれた?あの店を欲しがるのはなんでだ?」
「あっしは…火盗のクロコダイル様の下っ引きでして…。10年程前は疾風の泰三ってケチな盗人だったんです。
その時に盗人宿に使ってた店が、表向きは口入れ屋だったんですが…、あの飯屋の…風車の場所にあったんで…
その口入れ屋が焼けたのと、盗人の仲間が火盗改メのお調べで一網打尽にされたのが丁度同じ頃でして。
あっしとそこのイロの女は江戸を離れていたもんで、助かったんですが。
その時のお調べで、盗んだ金の1万両が、盗人宿の床下に埋めてあるって喋った奴がいたんです。真偽の程は
あたしにゃ判らない。あの一味の中じゃあ、あっしなんてまだ下っ端だったんですから。ただ、コレを聞いた
火盗改めのお調べのお役人ッて方が、その話を自分だけのモノにしちまった。喋った男は責め殺されたそうで
ございます。あとで掘り出して、出世の種にしようと思われたのかも…。
ところが、あの火事で盗人宿の在り処が判らなくなっちまいましてね。伝え聞きの目印も綺麗さっぱり焼けち
まったんですから。
いろいろ、手を尽くされたんですが、当時の仲間は皆獄門送りになってますし。ひっ…それで、あっしの出番だった
訳です。あっしだって、そんなお宝が眠ってるなんて知りゃしませんでしたが、場所を知ってるのが、あっしだけ
だったんです。
ところが、あの店の小娘は店を売ろうとはしない。
仕方ないってんで、火盗改め方から、防火を口実にこのあたりの土地の買い占めをした。その最中なら、家を立て
直すてんで、基礎やらなにやら口実に地面が掘り返せるって訳です。上手くいったとおもったんですがねえ…。」
「え、何か問題でも?そう、あの店がね、大きな道の辻にあたるんです。
いくらなんでも辻のどまん中を用もないのに掘り返す訳にはいかないでしょう?店の連中も壊されるまでは商売を
やめないってんですから。だから、今のうちなんですよ。工事の前にあの店の床を一間程の深さに掘り返さなきゃ
ならないんです。」
「その役人ってのが…?」
「そうですよ、クロコダイル様です。い…今、火付盗族改方の頭領をなすっておいでです。
恐いお方なんですよ。あっしだって、あの店の下から金が出てくれば、用済みとばかりにばっさり殺されちまう
かもしれない。いや、出てこなけりゃ役立たずと大川へ沈められる。そんな身なんですよ。少しは役に立つって
言われないと…。」
「こ、これで全部です。あたしゃ頼まれただけで…、ホントに、それだけなんです。」
床の間まであとじさって、もう後ろが無いというのに、なおも隅へとからだを押しやりながら、がたがたと震えている。
その足下では目尻にほくろのある色っぽい年増が気を失って倒れている。
踏み込んだ時に、邪魔だからと払いのけたのだが、打ち所が丁度良かったらしい。
「そうかい。よく話してくれたぜ。」
ゾロの口調が和らいでほっとする親分から一歩引き、くるりと背を向けかけた。が、気が変わったのかもう一度向き直った。
「なあ、この前見せびらかしてた証文。俺にくれねえか?」
「も、もちろん差し上げます。」
「いい心がけだな。」
文箱の中から取り出された紙切れをゾロは大事そうに畳んで袂にしまうと、「礼をしなきゃなあ。」としゃがみ込んだ。
そのまま親分の懐に覗いていた匕首を抜き取ると刃先を返し、みぞおちから少し上めにひょいと突き立てた。
「くうっ」
ねずみ男は何が起ったのか、良く判らないような表情のままびくんびくんとけいれんしている。そのまま白目を向いて
ゾロに向かって転がり込むのを足蹴に転がした。
「へえ…」
いたずらをする子供の顔でにやりと笑うと、気をうしなっている年増を床の間に引きずり上げ、まだ刺し口から血の
溢れている白木の柄を細い手に握らせた。
ぐったりした女の体を男に被さるように引きずって、女の羽織りを広げた後ろから、ちょいと匕首の柄を捻った。
ぐぼりと空気が泡だつ音が生暖かく響く。ゾロは足下の畳に広がってゆく血溜りを避けながら立ち上がると部屋の中を眺めた。
それから自分の身体の汚れを確かめて、もう一度満足そうに笑うと行灯の火を拭き消した。
「さあて、どうするかな…」
独りごちたゾロは懐手で小さく畳んだ証文を弄びながらゆっくりとした足取りで歩く。
とても、今人を殺めてきたとは思えない。
とりあえずこれで、あの金髪に貸しができた。
なんだか、金の匂いがすると思ったのは大当たりだったが、一万両じゃ自分一人の手には余る。それに…クロコダイルか。
ここ何日か、ゾロはクロコダイルの屋敷を探っていた。残念ながら、ゾロの見えるところでははっきりした悪事の
証拠はありそうもない。次の手を考えている時に偶然、馬に跨がった奉行の顔を見たのだった。
確かにあの顔だ。年は取っちゃいるが間違いない。もう十五年ほども前になる。土手の傍に立っていた小屋の中から、
眠っていた親父を引きずり出して刀の試しに使いやがった。あの頬の傷と感情を忘れた瞳は見間違えはしない。
どうせ、俺達は人間扱いなんてされちゃいなかった。仇討ちなんて考えたこともない。
…が。
放っておけばあの男は一万両を手に入れ、自分の出世のために使うのだ。それはあまり面白くない。第一、俺の手に
入れられない金を、他人が持っていくなんてのは我慢ならねえ。
夜更けの月は笠をかぶってぼんやりと滲む。河原の桜は赤茶けた葉をほとんど落してしまい、枝振りだけになった
並木がうっそりと続いている。カサカサと枯れ草が音をたて、落ち葉が足下を転げ飛んで行った。北西からの
季節風は冷たく乾いて川面の月影を散らしている。
吹きさらしの土手で乾いた唇を嘗めながら、ゾロはにやりと笑った。
「なら、明日だ。」

