<3>

すっかり明るくなって、ゾロは支度の邪魔だと店から追い出された。
朝っぱらから叩き起こしやがってと思ったが、だるそうに腰をさすりながら睨まれると大ぴらに文句もいえない。
起こした方は暗いうちから市場へ出かけ、魚やら青菜やらを仕入れてきたとあってはなおさらだ。
あれだけヤったってのに、なんで動けるんだあいつ?

髭でも当たるかと湯屋へ行き、寝直そうと湯屋の二階へ上ったら、柄の悪い男が四、五人で酒に酔って騒いでいる。
見覚えがあると思ったら、昨日サンジに店から蹴り出されていたちんぴらどもだった。
「おい、朝っぱらからいい機嫌じゃねえか。」
「なんでぇ、こりゃあ物騒なお侍さんじゃねえですかい」
「物騒ってのは言い過ぎだろうが」
「そんなでかい刀傷を腹に抱えて何をいうんです。まあ、その古傷は昔の事にしときましょう。でも、まだ血も
 乾かねえような爪の跡を何本も背負ってるじゃねえですか。暗い湯殿であれだけくっきり見えるんですぜ。
 そんな愛人(イロ)を持ってて物騒じゃない訳ぁないでしょう?」
…なるほどな、自分じゃ見えねえが、そんなに情の強い奴だったかよ。
「ところで、朝酒とは景気がよさそうだな。一杯奢るよ。いい話でもあるのか。」
「景気がいい?何寝ぼけてんですかい、こちとら朝っぱらから小火で呼び出されたんですよ。勢い込んで
 駆けつけて見れば、ほんのたき火程度のもんで、肩透かしをくらっちまってね。」
ちんぴらだと思った男達は町火消しの組員だと名のった。みれば、半纏だの頭巾だのが脇に置いてある。
昨日は地上げ屋の真似してたじゃねえかと言ったら、お上のお達しで仕方なくという返事だった。防火の為に
このあたりの土地を買い上げて、道幅を広げ、火避けの空き地を確保してから町を作り直すのだという。
「あの店のあたりが辻になるんで、どうしても土地が必要らしいんですよ。まあ、図面を見たわけじゃあないし、
 見せて貰っても判りゃしないんですがね。」
今の長家を見ていると、新しい町並なんて想像もできないが、火事が減るっていわれるんじゃあ手を貸さない訳には
いかないと言いながら、こっちにも酒をすすめてきた。
額まで真っ赤になった酔っぱらいが一気に椀の酒を空けて気合いを入れる。
「俺ら達火消しが命がけの仕事やってんだ、この町は俺達が守ってンだよ!火事が減るってんなら結構な話じゃあねえか。」
おおっ!と声が上がって、男臭い連中が酒をあおる。
色気も何もないが、こんな騒ぎは嫌いじゃあない。
ゾロはタダ酒を飲みながら聞くともなしに話を聞いている。
「ただ、判らねえのが、なんとかっていう金貸しもあの店を欲しがってるんですよ。どうせ、お上に取り上げられちまう
 土地だって知れてからも未練があるようだ。そこが不思議といえば不思議なんですがねえ…。」
ぴくりとゾロの眉が跳ねた。
へえ…あの店がねえ…。


「なあ、この店は元からここにあるのか?」
湯屋の二階で散々飲んだ後だというのに、ゾロはいつもの席でやっぱり酒を飲んでいた。
「ええ、そうよ。十二年程前に大火事があったでしょう?あのあと、あたしの両親がここで料理屋を始めたの。」
「へえ、それまでは何があったか判るか?」
「札差しの帳場があったって聞いたけど…良くわからないわ。人足相手の木賃宿だったって言う人もいたし。」
「…なんで、この店売らねえんだ?今朝方、火消しの連中に会ったが、もっともな理由があるんじゃねえか。」
「そうなんだけどね。ちょっとうさん臭いのよ。最初から町を新しくする話を持ってくるなら判るんだけど…。
 半年くらい前かしら、この店を譲って欲しいって話が、裏長屋の大家さんを通じてあったの。両親の残してくれた店
 だからって断ったんだけど。そしたら、あたしと夫婦になりたいって男にさんざん付きまとわれて。長屋にまで
 押し掛けてくるもんだから、サンジ君に泊まり込んでもらったりして大変だったのよ。ようやく落ち着いたと思ったら、
 こんどはヤクザが嫌がらせにやって来て。ふつうの店ならとっくに潰れてるわよきっと。でも、うちはサンジ君が
 いるじゃない?お得意のお客さんにも応援してもらって追い払ったの。そしたら一月程前からは、奉行所やら町火消し
 やらがやって来て、御政道だから立ち退けってあの調子。まあ、ホントに町が良くなるんなら、明け渡しても
 いいんだけどね。なんだかうさん臭いから様子をみてるのよ。」
そう言いおいて、箸を置こうとしている客にお茶をついでいる。やれやれ、この店のモンはよく働く。

そこへ、奉行所の同心が息せき切って駆け込んで来た。
「おナミ!大変だ!」
「あら、ウソップの旦那。どうしたの?」
「お前の姉貴のノジコちゃんが、火盗改メに引っ立てられたぞ。」
「……えっ…なんで!?」
うそでしょう?と言いかけたのをやめたのは、いつになく真剣な同心の顔が冗談ではないと教えたからだ。
はあ、と冷たい茶を一気に飲み干して、ウソップという同心が話しだした。
「ノジコの死んだ亭主の兄貴ってのが、博打で借金をこさえたんだそうだ。その義理の兄貴ってのが、行方知れずに
 なっちまっててさ。その借金がどう言う訳だか、ノジコの借金になっちまってるんだ。なんでも、80両の借金を
 踏み倒したとか、なんとか。」
「なんで…。だいたい、ノジコが借りたんじゃないんでしょ?奉行所へつれて行かれるなんておかしいじゃないの。」
「それが町奉行所じゃねえんだよ。うちらの奉行所ならいざしらず、火盗のクロコダイル様の所じゃ俺達じゃ
 どうしようも無え…。あそこのお調べは強引だ。どういういきさつか知らねえが、このままじゃノジコは罪人に
 なっちまうかもしれねえ。」
ぞくりとナミが震えて顔色が変わった。
「いろんな噂があるわよね。証人で呼ばれただけなのに、責められて片腕が利かなくなったとか、自分で認めた
 罪人の筈なのに刑場で見た時にはすっかり気がふれていたとか。お調べの最中に亡くなる人も多いっていうし…。
 どうしよう。どうしたら…。」
ナミはしばらく俯いてじっとしていたが、不意にその顔を上げた。
「…じゃあ、そのお金を返せば問題ないのよね?いいわ。この店担保にして都合する。死んだ父さんが残してくれた
 から名残惜しいけれど、今生きてる姉さんの方が大事よ。」
「でも…この店って、奉行所が買い占める土地の中に入ってるんだろう? 担保にならないんじゃ…?」
「そんな事、黙ってれば判らないわよ。お金なんてね、勢いで借りたもんの勝ちなのよ!」
飛び出して言ったナミを見送って、ゾロが呟いた。
「…めんどくせえ仕掛けまでしてきやがったなあ…。」

なんでこんなにこの店にこだわる?ここら一帯を残さず買い占めちまう予定にしても、この店だけが狙われてるのが
腑に落ちねえ。
どうせ、潰されて辻にされちまう店を、なんでこんなに慌てて欲しがるんだ。
火付盗賊改方奉行 …クロコダイル…ねえ…。

驚いたことにというか、案の定というべきか、ナミの借金の証文を持って店にやって来たのは、以前には相手にも
されなかったヤクザの地回りだった。男の細いずるそうな目と尖った顎がどぶねずみを思わせる。
「へっへっへっ さあ、今夜にでもこの店立ち退いてもらうぜ。ほら、ここに書いてあるぜ。あんたの名前だ。」
「なんで、あんたがその証文持ってるのよ!あたしがそれを書いたのはほんの一昨日の事なのよ!
 だいたい、期限は二十日ってあるでしょうが。それまでに返せばいいんでしょ!」
「期日があったって、返せねえモンは同じだろうがよ?」
「おい、今日のところは帰んなよ」
せせら笑うねずみ男に、店の隅で飲んでいた客が声をかけた。
「なんだ、手前ぇ、浪人ふぜいが口をだすんじゃねえ。」
うさん臭そうに振り向く顔をちらりとみてゾロは聞こえよがしにつぶやいた。
「この店取り上げられると困るんだよ。ボロ長屋じゃあ、声が響くってんで相手にしてもらえねえんだ。」
「…何?、言ってんだ?」
そう言ったヤクザたちは、次の瞬間にサンジに蹴り出されていた。
「二度と来んな!」
「畜生!二十日経ったら来るからな!覚えとけ。」
遠くから聞こえる声にナミがやれやれとため息をついた。
「ありがとサンジ君。…それより顔、真っ赤よ。大丈夫?熱でもあるんじゃない?」
「そ、それよりおナミちゃん。このままじゃ店、閉めちまうことになるぜ、いいのかい?」
「…ごめんねサンジ君」
ナミはいつになく、弱々しい声でふうとため息を吐くと、手近な椅子に腰をおろした。
「安いお給料でいままで頑張ってきてくれたのに、こんな事になっちゃって。でも、あたし、姉さんを見捨てたり
 できなかったの。」
くるりと店の中を見渡して寂しそうに笑った。
「何の因果でこの店が狙われているのかは知らないけど、借金の証文書いたのはあたしだから…仕方ないわ。」

「へっ、その証文が無けりゃいいんだろう?」 
突然後ろからの声にナミが振り返る。
にやりと笑ったゾロに、サンジの目が怪訝そうに細まった。
「おい、お前、何する気だ?」
懐手を襟元から出して顎をぽりぽりと掻きながら、ゾロは珍しく何かを考え込んだ様子だった。
「まあ…、いろいろ…な。」

それから四、五日、ゾロは毎日どこかへ出かけているようだった。
足を埃だらけにして夜半に店にやって来るのだが、詮索しようとしたサンジは
「そんなに気になるってことはやっぱり俺に惚れてるんだろう?」
と切り返されて何も言えなくなってしまった。













酔夢無頼