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サンジの店は長屋の近くの表通りにある料理屋、というか飯屋という方が近いかもしれない。
昼から夕時まで開いている。
ゾロが店の暖簾をくぐったのは、それから三日をあけて四日目の昼だった。
「何しに来やがった。」
「めしやに飯食いに来て何が悪い。」
「このっ」
奥の壁際の腰かけにどっかりと腰を下ろした浪人を、ケリ出してやると料理人が身構えた瞬間。
チャリンチャリンと音がして、机の上に四角い銀子が転がった。
「女将、酒だ。」
「まいどあり?」
甲高い声が響くのと同時に机の上の銀はしなやかな手の中に消えた。
その手を軽く引き止めておいて、ついでのように懐から引っ張り出したもう一枚を握らせながら、
「腹も減ってンだ。飯も頼む。」
と来たものだから、女将と呼ぶにはまだ若い娘が満面の笑顔を返した。
「いますぐお持ちしますね。」
「ほら、サンジ君。お客さまをお待たせしちゃダメじゃないの。」
「だって、おナミちゃん…。」
「もう、お代は頂いちゃってるんですからね。」
サンジはぐっと、何かを言いたそうにしていたがナミの一言で厨房へ引っ込んだ。

甘辛く炊いた魚やら油揚げやらを肴にして、ゆっくりと飲んでいるゾロの前で、客がのれんをくぐっては
飯をかっ込んで出て行く。かなり繁盛しているようだ。大方は顔見知りの客らしいが、途切れることなく客足が続く。
お茶をだし、注文を聞き、膳を配って、お代を貰った端から片付ける。くるくると機敏に動き回る娘も
たいしたもんだが、注文を聞いてから膳が出てくる間が短い。
いい板前なんだなと思いながら杯を空けていると、なにやら物騒な連中が入って来た。

四人、いや五人か。細いのや太いの、背の低い奴もいるが、揃ってしっかりした体つきをしている。
「今日こそはこの証文に判をもらうぜ。」
そう行ってどっかりと腰掛けたのは、浅黒い顔に太い眉。引き締まった体つきがなかなかの男っぷりだ。
「あら、そんなの無理よ。うちには判なんて立派なモンはありませんからね。」
「くそ、いちいちうるせえな。丸でも〆でも手形でもなんでもいい。この店を明け渡しますってこの証文に、
 判ったって証拠を残してくれりゃいいんだよ。」
「いやよ」
「なにおう、人がこうして何度も足を運んでるってのに、話は判ってるだろうが。若い娘だからって、
 手をあげないと思ったら大間違いだぞ。」
だんっと立ち上がった男に合わせて、残りの連中が気色ばむ。
「うるせえ、おナミちゃんは嫌だって言ってるんだよ。とっとと帰れ!」
「またてめえか。今日こそは簡単には行かねえぞ。…先生。」

その声に後ろから白地の着流しに総髪の二本差しの浪人がゆらりと進み出た。
痩せて骨張った頬だが、細い体躯には引き締まった肉がみてとれる。窪んだ眼窩に細い目が炯と光る。
おナミを店の奥に下がらせると、サンジはつま先をとんとんと土間に突き、先生と呼ばれた浪人を睨み付けた。
浪人の手がゆっくりと大刀の柄にかかる。すっと浪人の顔から表情が消え、鞘をわずかに内に傾けた。
隠し切りにされた鯉口からすらりと白刃が走る。と同時に浪人は裾を大きくはだけ、伸びるように前に踏み込んだ。
…ほう、居合いか…。
低い位置から上向きに放たれる切っ先。サンジはさらに低く沈み込んでごろりと床へ転がる。からだの動きに
ついて行いけずに宙に留まった金の毛先が白い軌跡に触れ、はらりと光った。
居合いの一撃は必殺。まさか、町人に見切られるなどとは思っていなかったのだろう、驚愕に目を見開きながらも
ニ撃目を振り下ろそうと手首を返す。その目前を下から突き上げるような黒い残像が通り抜け、握っていたはずの
大刀はくるくると回ってトンと天井へ突き刺さった。
サンジが飛び起きざま蹴り上げたのだ。
頭に血の上った浪人が手にした鞘をとんぼに振りかぶってかかってくる。それを引きつつ半身で躱し、足払いを
掛けて転がすと、毬のように表へと蹴り出した。
「わあ、先生!」
「よくも、やりやがったな!」
飛び交う怒号の中、様子を見ようと表へ走り出るチビの背中へ、サンジに蹴り飛ばされた別の男が叩きつけられる。
「こ…こちとらお上の御用なんだぞ。」
用心棒がやられて慌てて逃げだすかと思いきや、最初に口を開いた男はまだ威勢を失っていない。その横手から
太った男がサンジめがけて飛びかかる。サンジは足場を踏み直したかと思うと伸びてきた腕を潜ってくるりと回り、
勢いのついた足を風船のような腹に踵から叩きつけた。
腹の肉に足がめり込んで、ぐえっ!っという呻き声とともに巨体が視界から消える。言葉を飲み込んだ男の頬を
かすめ、一瞬のうめき声と風圧が通り過ぎる。
呆然と立ち尽くす男の前に天井から抜き取った刀の柄が突き出された。
「…それが本当なら、きちんと役人でも連れて話をつけに来るんだな。」
「くそっ…。…また来るからな!」
慌てて身を翻して出て行った男達をふんと見送って、ナミが門口に塩を撒いている。

へえ、あんなに暴れたのに、椅子にも机にも傷一つ残していない。この男、この店をえらく大事にしているのだろう。
いや、壊せばこのがめつい女主人が煩いのか。
それにしても、何度見てもあの蹴りはいい。あの身のこなしはほれぼれする。
…あの速さと正確さで狙えば腕でも足でも思うところを折れるだろう。こめかみを狙えば頭が、顎先を狙えば
首がおそらく砕けるだろう。それを加減して打ち身程度で済ませている。
…まあ、性根が甘いって事だ。
ぐびりと杯をあおる。酒が旨い。


「ちょっと、看板なんですけど!」
昼過ぎから店の隅に居座って、杯を重ねていた浪人者は、日が暮れてとうとう酔いつぶれてしまったらしい。
「いいよ、おナミちゃん。もう遅いし先に帰りな。俺はまだ明日の仕込みがあるし、そん時起きなけりゃ店の
 前にでも放りだしとくから。」
ナミを見送って、厨房以外の灯を落として行く。
そうして振り返ると、目に入るのはうす暗い店の中で脳天気に眠っている緑頭だ。
その瞬間、サンジの中でぷちっと何かが音を立てた。
右足を振り上げると同時に軽く飛び上がり、体重を乗せた踵を脳天めがけて叩き付けた。
「…アブねえじゃねえか」
何時の間に抜き取ったのか、大刀の鞘ががっちりとサンジのふくらはぎを受け止めていた。
「狸寝入りかよ!」
反動で後に飛びながら、怒りでサンジの顔に血が上る。
「あれぐれえの酒で酔うかよ。それより、つれねえなあ。折角、仕舞うのを待ってたってのによ。」
「三日も音沙汰無しで何言ってやがる。」
「三日もたって、恋しくなったから来たんじゃねえか。…ええ?」
「うるせえ、その減らず口をきけなくしてやる。」
横っ面めがけて上段に回し蹴りが飛んでくる。速い。が、身を落とすように躱されて、視界からゾロが消えた。
「ちっ」
後ろへ飛び退いて体勢を整えようとするのに、同じ方向へゾロが連れ立って飛んだ。踏み切りに遊びがないだけ
ゾロが速い。着地をしようと伸ばしたサンジの足を引っ掛けるように、ゾロの足が伸ばされ、どうっとサンジは
背中からひっくり返った。このままだと、上がり框に頭をぶつけ、打ち所が悪ければ首の骨が折れる。
一瞬のうちに覚悟を決めて目をつぶったサンジに、その衝撃は来なかった。
肩口に回された右腕と、浮いた腰を引き止めるように巻き付けられた左腕に抱えられて、ゾロの懐に納まっていたからだ。
目をあけると、薄暗がりなのに睫が見える程のゾロの顔だった。
「なっ…なに…」
開きかけた口は舌ごとに浚われて、出そうとした言葉は吐息ごと飲み込まれてしまった。
振りほどけないかと身を捩るのに口付けは益々深くなる。
こうして身動きがとれない程に抱き締められる事を、心のどこかで知っていた気がした。立ち上る酒精に
包み込まれながら感じる汗臭さを、一瞬懐かしく感じている。
押し退けようと抗うのにはもう、手後れなのかもしれない。













酔夢無頼