海へ還る日 -2-
みう



「自慢するだけあって、こりゃ美味いな」
即席で作ったとは思えない、豪勢な昼食を前にして、ゾロは唸るように言った。
「ほんとか?美味いか?」
サンジはフォークを握ったまま、ゾロの手前に腰掛けて子どものように目を輝かせる。
「ああ美味え、こんなもんに比べたら、農研の食堂なんかクソだ」
言ってから、コホンと咳払いして「失礼」と詫びる。
サンジはまた笑い転げた。

普段は、一方的にマウスにしか話しかけない生活だ。
だからこんな風に会話が成り立つなんてことはなかったし、ましてや相手の台詞で笑うだなんて、何年ぶりのことだろう。
話しかければ返事がかえり、自分が笑えば相手も笑う。
ああ、人との対話はまるで鏡のようなんだ。

常に研究ばかりに没頭していたサンジにとって、ゾロとの出会いは新鮮だった。
こうして向かい合わせに誰かと食事をとるのもこの部屋では初めてのことで、椅子が足りないからと研究室から
わざわざ一脚転がしてきたくらいなのに。



ひとしきり食事を堪能した後、ゾロは「あ」と間抜けな声を出した。
「俺がお前に礼をしなきゃならねえのに、飯まで食わせてもらってどうするよ」
今更な台詞に、サンジはまたおかしくて笑い出す。
「いいよもう、こうしてゾロと話ができて、ほんとに楽しかった」
「いいのか、これで」
「うん、すげえ楽しい。ありがとう」
素直な気持ちで、サンジの方から礼を言った。
こんな笑って楽しくて、気分がいいのも何年ぶりだろう。
「じゃあ、また来ていいか?」
ゾロの瞳が、少年のように煌いている。
ジャブラと知り合いだからとゾロ自身のコネもあるようで、ここまで来るのにそれほど面倒はないのだろう。
「うん、いつでも大歓迎だ。よかったら、来てくれ」
友達が部屋に遊びに来てくれる。
子どものときでさえ考えもしなかった出来事が、こんな風に唐突に実現するだなんて夢のようだ。

「いつでもって、今日みてえな日は、ダメだろ?」
ゾロからそう言われて、サンジは改めて思い出した。
「ああ、そうだな・・・あの、毎週火曜日は採取の日だから」
「採取?」
聞きとがめられて、自分の失言に気付いた。
「あ、いや、検診。健康診断」
ゾロがぐっと眉根を寄せる。
「そういや、お前変な声出してたな」
「ええっ」
今度こそ、両手で口を塞いでしまった。
「そんな訳ねえだろ。俺声なんて出してねえぞ、我慢してるのに・・・」
言ってから、また「あ」と固まる。
ゾロは、正面で頬杖ついてにやにやと笑っていたからだ。
「てめ・・・まさか」
「嘘だ。カマかけた」
「・・・この野郎!」
まるで現場を押さえられたような気分で、サンジは目を逸らせて赤面した。
「やっぱほんとにあるんだな。天才の種の採取って」
「・・・んで、知ってるんだよ」
悔しくて、横を向いたままぼそぼそと呟く。
「いや、割と一般的だぞ。精子バンクの登録もあるだろうが、ものすげえ高値で売れっだろ?」
「そうなのか?」
それはサンジの方が初耳だ。
と言うかサンジ自身、なぜ毎週採取されるのか知らなかった。
聞いた事もないし、聞きたくもない。
「そうなのか?って、お前自分の精子がどう使われてるのか、気にならねえのかよ」
ゾロの方が目を剥いて尋ねてくる。
「う・・・まあ・・・」
「俺ならものすげえ気になるぞ。どっかで自分のガキがボコボコ生まれてたらどうするよ」
ゾロに言われるとなんだか現実味を帯びてきた。
確かに、既に成人に近い自分の精子は生殖能力があるだろう。
「・・・あり得る、な」
「精子と言えどもお前の一部だろうが。せめてなんのために採取するのかくらい、聞いてみたらどうなんだ」
「う・・・」
反対に説教される形になって、サンジは両手を膝の上にちょこんと乗せてうな垂れる。

「もしかして、採取は週に一度でそれ以外自慰も禁止されてんのか?」
「え?」
また素で吃驚した。
なんで知っているのだろう。
「やっぱりそうか。密度の濃いのを採取するためだな」
「え、あ、や・・・あの・・・」
「じゃあ何か、お前女とデキねえのか?」
「う、あ、あ?」
「大体、こんな部屋の中から出れねえなら、女から来るしかねえよな。定期的に通ったりとか、しねえのか?」
「あの、そ・・・」
「さっきの女とか、あれはどうだ」
「とんでもない!」
サンジはぶんぶんと首を振った。
「彼女はれっきとした看護師だから、すべて仕事として行ってるだけだ。そういう意味では、俺は指一本触れてないぞ」
「いやー、どちらかと言うとお前が触れられてないかって聞いてんだけどよ」
ゾロの悪びれない態度に、サンジの方が恐縮してくる。
「それは・・・ないっていうか・・・その・・・必要、ないだろ?」
「お前のそれが、よくわからん」
ゾロは腕を組んで背を逸らした。
そうすると、余計態度がでかく見える。
「なにかっつうと必要とか言いやがるがな。例えば俺がお前に会いに来るにも『礼がしてえ』って口実がいっただろうが。
 けどよ、俺はそれがなくてもここに来たいと思うぜ」
「え、ええ?」
何故だかどきんと胸が鳴る。
「お前に会いてえなって思うのに、理由がいるかよ。女の話でもそうだ。ちょっとすっきりしたいからって理由で女を
 呼びつけるなら、毎週抜いてるてめえには『必要』がねえだろうよ。だが、本来そういうもんじゃねえだろうが」
ゾロの口調に、サンジはただこくこくと頷く。
「理由がなくたって会いたかったり話をしたかったり、女と過ごしたかったりってのはあるんだよ。人間ってのは一人で
 生きてるもんじゃねえからだ。しかも生きてんのはてめえだけじゃねえ。俺もだし他の奴らも、だ。それぞれ思惑が
 あって考えも要望もあるんだから、気持ちがあっち向いたりこっち向いたり、あるだろうが」
なにやら抽象的だが、わからないことでもない。
「だからよ。またお前の飯が食いてえなと思うのは正直なとこだがよ。もし、今度来た時飯がなくたって、俺はまた
 てめえに会いたいと思うよ。『必要』がなくてもな」
ああ、またどきんとした。
どうしよう、不整脈かもしれない。

「正直な話、女を恋しいとか思ったりもしねえのかよ。まだ若えのに、もう枯れてんのか?」
ゾロがずい、と顔を近づけてきた。
案外滑らかな頬をしていると、つい視線がそちらに移っていよいよ鼓動が高まっていく。
他人の肌をこんな間近で目にするなんて、初めてのことかもしれない。
「つか、お前まさか・・・」
ゾロの目がまたしてもぎょろりと開いた。
ああ、白目の面積が大きいんだなと場違いな感想を抱く。
でも瞳は綺麗な琥珀色だ。
ここまで近いと、光彩もくっきりとして鮮やかな―――
「童貞じゃ、ねえだろうな」
聞き慣れない単語に、ふと引き戻された。
「え、なに?」
「だから童貞だ。女としたことねえとか・・・」
「ああ、うん」
素直にこくりと頷いた。
そういう現象をそう呼ぶなら、自分はそうなのだろう。

ゾロの目は更に大きく見開かれ、目玉が零れ落ちそうだ。
なんだか怒ったような顔つきになり、やや怖い。
「なんだと・・・マジでか?」
ちょっと鼻の穴が膨らんだ。
と思ったら、ふいーと大げさにため息を突かれて、ゾロの方から視線を逸らされる。
「なんてこった・・・」
「え、あの・・・なんで?」
なんで、なんだか落胆して見えるんだろう。
ゾロは、やや沈痛な面持ちでサンジを眺めやった。
「仕方ねえよな。こっから出たことねえんだもんなあ」
最後の方は独り言みたいに呟きながら、不意にゾロが腕を伸ばす。
テーブル越しに髪に触れられて、サンジはフォークを持ったまま固まってしまった。
「こーんな小っせえ頭ん中に、とんでもねえモンがたくさん詰まってる天才だもんなあ」
しみじみと呟かれ、サンジは違う種類の恥ずかしさを感じて目を伏せた。
ゾロのサンジの髪を弄る指の熱が、頬にまで移ったようになんだか熱い。
「俺って、誰かに知られてんの?つか、どんな風に?」
「ん?お前のことか?」
ゾロは手を引っ込めて、そのまま冷めたコーヒーカップを手に取る。
「なんか、年中研究棟の中に篭もって訳わかんねえ、でもすげえ研究をずっと続けてる雲の上の人だとか聞いたぜ」
それは嘘ではない。
サンジはこの施設の手中の珠であり、貴重なモルモットだ。
ランクの低い事務員はサンジの外見を垣間見て『雲の上の天使』と称し、憧憬に似た想いで慕っている者が多いが、
上層部ではサンジはその頭脳と肉体と双方に希少性を見出されている。
天才的モルモット。
囚われの身に気付かない、賢き愚者。

「ご馳走さん、美味かった」
ゾロはコーヒーを飲み干すと、徐に立ち上がった。
サンジもつられて立ち上がり、慌ててすとんと椅子に腰を下ろす。
「片づけるの手伝うぜ」
「ああ、いいよ別に。食器洗い機に入れるだけだから・・・」
「けど、あんた仕事あるんだろ?」
ゾロにそう返されて、サンジははっと気付いた。
愛しい彼女達に薬を投与する時間が過ぎている。
「あ、やべ・・・」
「すまん、邪魔したな」
そう言って来たときと同じようにさっさと部屋を横切り扉を開けようとするゾロに、サンジは慌てて追いついた。
「待て、送るよ。エレベーター乗れねえだろ」
「ああそうだな。すまん」
サンジに道を譲るように壁際に立ち、手を添えて肩を抱いた。

何か、と顔を上げたサンジのすぐ間近にゾロの顔があって―――
ふと触れた温かな感触はすぐに離れた。
だがサンジは、それが何だかわからない。
「え?」
「つか礼だ、挨拶。ご馳走さん」
そう言って、今度は身体を屈めて首を傾け、しっとりと合わせて来る。
思考が追い付かず突っ立ったままのサンジに、唇を離し、けれど鼻の頭をくっ付けたままゾロがくしゃりと相好を崩した。
「親愛の情を表すのに、キスくらいすっだろが」
キス、の単語でようやく我に返った。
「え、キス?キスう?なんでだよ、男同士でやんねえだろ」
「すっだろ、普通だ」
そう言ってさっさと廊下に出てしまうから、サンジはまた後を追った。
「いやいやいや、おかしいよ良くねえぞ。こういうのは綺麗なレディとかとするもんじゃ、ねえの?」
「そうとは限らねえ。お前は知らねえかもしんねえが、街とかなら平気で男同士女同士とかがいちゃついてっぞ」
「え、えええええ」

サンジがこの研究棟に来て10年。
その前まではノースの貧民街にいたから、汚いものや気持ち悪いものなんかはいっぱい見てきた。
サンジ自身、危ない目に遭ったことも何度かある。
けれど、その時の記憶や感情と、さっきゾロが仕掛けた行動の雰囲気とは全然違う気がした。
「・・・親愛の、情?」
「そうだ」
ゾロに促されて、サンジはエレベーターを呼んだ。
ずっと顔のほてりが治まらない。
ゾロの言うように、あれが親密さから来る挨拶なのだとしたら、自分のこれはやはり過剰反応だろう。


ぼそぼそと蚊の鳴くような声でエレベーターを操作し、1階に着くまでの間、二人の間に妙な沈黙が降りた。
サンジはなんだか居心地が悪かったが、ゾロは平然と扉を眺めている。
ランプが点灯し扉が開く直前、またゾロがくしゃりとサンジの髪を撫でて開いた扉から足を踏み出した。
「じゃあな」
あれもまた、挨拶なのだ。
気安くサンジの髪に触れたり、口付けとは言えないような軽いキスを仕掛けたり。
ゾロにとっては、ただの挨拶代わりで。
特別なことなんかじゃなくて・・・
こうして、面倒でもサンジの元に遊びに来てくれることだって、ゾロにとってはただの気まぐれで―――

扉が閉まる間際、ゾロの驚いたような顔がこちらを見返した。
なんであんな顔したんだろうと思って、振り返ったエレベーターの中の鏡でその回答を知る。
―――なんて顔してんだ、俺が
鏡の中の自分は、なんだか泣きそうな表情をしていた。
なのに頬や鼻の頭が赤くて、ゾロに触れられた髪が妙な方向に乱れている。
「ちっ」
舌打ちして髪を整えながらも、自分の頭皮の温もりさえゾロの名残のように感じてしまった。

初めて髪に、触れられた。
優しい手付きで梳かれて、ほんの少し摘まれて。
遠い昔、母さんが柔らかに撫でてくれた、あの感触をほんの少し思い出したくらいに。

けれどそれ以上に、胸が熱くて心拍数が上がっている。
思いのほか近い場所で見たゾロの顔や、乱暴な口調、何てことない仕種の一つ一つが、脳裏に焼きついて離れない。
「・・・友達って」
いや、友達以前に人付き合いと言うのは・・・本当に大変だ。
なんだかとても振り回される。





少し項垂れて部屋に戻り、また忘れていたラット達のことを思い出した。
投与時間が15分24秒遅れている。
そのことも頭に入れて、データを出さなければ。

サンジはゲージにかけられた布を取った。
途端、きゅいきゅいと賑やかな鳴き声がサンジを歓迎する。
「カトリーヌにマデリーン、待たせたねロゼッタ」
差し伸べられた手に飛びついてきた一匹を恭しい手つきで抱き上げた。
「ジュリエット、愛しているよ」
つんと軽くキスを施してみて、サンジは一人照れ笑いをした。



next


TOP