海へ還る日
みう



囲まれた白い箱の中。
密かに忙しなく息づく、ちっぽけな命達。
それがサンジのすべてだった。
彼が来るまでは―――



定時より早いチャイムに、サンジはいぶかしく思いながらもスイッチを押した。
「はい」
「こちら警備のフレデリック、サンジにお客様です」
「え、客?」
今日の予定は採取のみだ。
客など珍しいと言うより、あり得ない。
「カリファ女史じゃないのか?」
「そちらはまだお見えではありません。ジョン・F・ゾロと名乗る人物です」
「え・・・」
さすがに絶句した。
サンジが他人と偶然接触したのは1週間前。
こともあろうに万全の警備を誇る研究棟内に迷い込んだというのだから、ある意味只者ではない事務員だ。
「ゾロが、何しに・・・」
「面会を要請しておりますが、心当たりはありますか」
「え、ええあります。許可します」
驚きのあまり、つい入室を許可してしまった。
自分でもそのことに動転しながら、部屋の中をうろうろと歩き回る。

一体全体、どうやってまたこの棟にやってくることができたのだろう。
今度は迷子とは言えないだろう。
サンジを名指しして、警備を通して入ってくるなんて・・・

考えている間に、今度は部屋のチャイムが鳴った。
はいと声に出して返事してから、確認もせずにドアのロックを開く。
「ジョン・F・ゾロ氏です、よろしいですか」
サンジの軽率さを窘めるかのように、警備員のフレデリックは慇懃に隣に立つ男を紹介する。
「はい、どうぞ」
サンジはまだ信じられない思いで、突っ立ったままパチパチと瞬きをした。
目の前にいるのは、先週出会ったばかりの強面の男。

「え?あーと・・・ジョン?」
「ゾロでいい」
警備員が踵を返すと、ジョン・F・ゾロは片手を挙げて挨拶をし、ずかずかと部屋に入り込んでくる。
「どうしたんだ?てか、どうやって?」
躊躇いのない真っ直ぐな歩みは、部屋の持ち主がどちらだかわからない感じだ。
慌ててその背を追って、サンジは扉を閉めた。
「来れるもんなら遊びに来いっつっただろ?」
いきなり振り向かれてそう言われ、思わず面食らった。
そう言えば、そんなことも言ったかもしれない。
社交辞令で。
「どうやってここまで来たんだよ。」
「別に、今日は休暇だからこの棟まで来て、ややこしいチェックを受けただけだ。・・・1時間くらいかかったがな」
「そんな・・・」
個人の立ち入り自由とは言え、基本的に用がなければ来る必要のない棟だ。
それがどうして、一介の事務員ごときに自分との面会を求める権利が許可されるというのだろうか。
「生物研究エリアに、ジャブラってのがいるだろが」
「・・・副所長だな・・・」
いる、確かに。
要職に就いているにしては、少々それにそぐわないタイプの男だ。
法務省から異例の人事で、世間に疎いサンジでも他の研究員からは影で軽々しく扱われていると耳にしたことがある。
「あれと飲み仲間でな」
「・・・はあ?」
今度こそ、本気で呆れた。
ジャブラ副所長は酒で憂さ晴らしをしているのだろうか。
それで、よりによってこんな得体の知れない男を・・・
「ジャブラ副所長の証明を貰ってお前の承諾も得たんだから、これからはここに来るのがもっと楽になるだろうよ」
他人事みたいに言うゾロの後ろで、サンジは困ったように両手を挙げる。
「生憎だけど、今日はこれから予定があるんだ」
「どっか出掛けるのか?」
言いながらも、ゾロはもうソファに腰掛けてテーブルに置きっぱなしにされている雑誌を手に取ったりしている。
「いや、週に一度のさ・・・検診があって・・・」
「メディカル・センターから?」
「うん」
浮かせた両手を擦り合わせて、どこかしどろもどろな感じでサンジは応える。
「時間的には、そう掛からないんだけど・・・」
「ならいいじゃねえか。その後なんか予定あんのか?」
「・・・特には」
研究は気が向いたときにいつでもしているし、スケジュールと言われるものは採取しか入っていない。
サンジには基本的に課題も期日も約束もない。
すべては自由だ。
ただこの白い箱の中に住んでいるだけで。

「なら、待っていいだろ?」
そう言ってにかりと笑うゾロに、サンジも自然と表情が緩む。
「そうか、じゃあゆっくりしてってくれ」
つられて微笑んで、しまったと顔つきを改めた。
本当は暢気に人を部屋に入れてる場合じゃなかったのだ。
なんせ今日は採取だから。
「・・・大体、何しに来たんだよ」
「何しにって」
ゾロはどこか呆れたみたいに、片方の目だけ大きく見開いてみせる。
「先週言っただろ。今度は礼をしに来るって」
「・・・礼?」
この男の礼と言うのは、相手の都合も聞かず勝手に押しかけて居座ることなのだろうか。
「なんせエレベーターの中で干からびる寸前だったんだからな。何か礼がしたかったが・・・考えても
 さっぱり思い浮かばねえ。酒好きか?」
「基本的に飲まない」
「だろ?だから何がいいかわからなくてな。教えて貰いに来た」
「・・・・・・」
今度こそ絶句する。
なんだろう、こいつのこの調子の良さは。
それでいて、本気で思案しているような真面目な顔つきで座っているから、怒る気にもなれない。
何か言おうと口を開いたら、再び背後でチャイムが鳴った。
しまった、カリファ女史だ。

「あのよ、悪いけどちょっと隠れててくれないか?」
「あ?」
「ええと、そっちのクローゼットの中とか。悪い」
「ああまあ、いいけどよ」
別に部屋に他人がいても、カリファが見咎めることはない。
そもそも建物のあらゆるところにカメラが設置されていて、サンジの行動は逐一監視されているのだから
隠れるも何もないのだが・・・やはり羞恥の方が先に立った。
この男に、知られるのはなんだか嫌だ。
「30分ほどだ。すぐ終わる」
ガランとしたクローゼットの中にゾロを押し込めて、そっと扉を閉める。
「カリファです」
「はい、今開けます!」
殊更大きな声で返事をして、慌てて扉に駆け寄った。

「失礼。お待たせしてしまって」
「いいえ、お気遣いなく」
扉を開けると、いつもと変わらぬ完璧な美しさを秘めたカリファ女史が佇んでいた。
警備のフレデリックがまた会釈して去っていく。
彼がサンジの部屋に人を通すのはこれで2度目だが、そのことをカリファに話したりはしない。
少なくともここで働く人々は、余計なことは何一つ言わないことが義務付けられている。
だからこそ、ゾロの軽口がサンジには新鮮だったのだけれど。

白衣を軽やかに翻して、カリファはサンジの部屋に足を踏み入れた。
持ち主より先に立って歩く姿は、先ほどのゾロを思わせる。
外の世界を知り、自らの意思で生きている自信に溢れた姿は、サンジにはないものだ。
「それでは、こちらへどうぞ」
促されるまま隣室に移り、サンジはドアを閉めた。
あちこち開け放してあるのは落ち着かない。
窓も扉も全部閉めて、殺風景だけれど何の変化もない、白い壁に四方を囲まれているのが一番安らぐ。

サンジはベッドの上に腰掛けると、シャツのボタンを外して前を広げた。
カリファが聴診器で申し訳程度の診察と、お決まりの問診をする。
サンジに異常がないのを確認してから、プラスチックの容器を取り出した。
その間に、サンジは横を向いてもぞもぞと下着をずり下ろす。
何度やっても慣れない採取にいつも顔を赤らめながら、横を向いて身体を倒した。
「失礼」
手袋を装着したカリファの指が、ジェルを使ってサンジの前立腺をダイレクトに刺激する。
ぴくんと身体を痙攣させて、どうしたって上がる息を押し殺して、サンジは必死の思いで平静を保ち続けた。

ほんの数分で採取は済んだ。
カリファは顔色ひとつ変えず、容器の蓋を締めた後保温器に仕舞い、てきぱきと後片付けをする。
サンジはまたもそもそと下着を引き上げて、身支度を整えた。
どうしても、顔が真っ赤に染まってしまっているのは隠せないだろう。
「今週も異常ありませんでしたね。それでは」
「・・・お疲れ様でした」
どこまでも事務的なカリファの口調と態度に、救われる思いだ。
先に立って扉を開けて、カリファを見送る。
来た時と同じように背筋をピンと伸ばして立ち去るカリファの背中を、サンジはほうとため息をつきながら見送った。

「・・・終わったのか?」
「おわっ」
すっかりその存在を忘れていたゾロが、クローゼットの隙間から顔を出している。
その姿がなんとも滑稽で、サンジは取り乱しながらもつい笑ってしまった。
「おま・・・なんでそんなとっから顔を・・・」
「お前が隠れてろっつったんだろが!」
目を吊り上げて怒るゾロがまたおかしくて、サンジはドアを閉めながら笑い出してしまった。
「いや悪い・・・つか、そんな・・・」
「人をクローゼットに閉じ込めときながら、いい度胸じゃねえか」
悪人顔で薄ら笑いを浮かべて足を下ろすゾロが、クローゼットから出て来る様子はやはり客観的に見ると
すごくおかしい。
「なんか、変だ・・・」
「誰のせいだ!」
週に一度の採取が終わったことの安堵と見慣れない光景がツボに入ったのとで、サンジは笑いの発作が止まらない。
「ごめんごめん、よかったら飯でも食ってけよ。もうすぐ、昼だろ?」
「あ、ああ」
ゾロは時計を見て、あーと呟いた。
「昼までに帰るつもりだったんだがな。手続きに1時間もかかりやがるから」
「予定がないなら食ってくといい。俺が作るんだけど」
「料理ができるのか?」
大げさに驚くゾロに、サンジはなんだか得意な気分になった。
「俺が作る料理は、案外美味いんだぜ。つっても誰も食べたことねえけどよ。俺が自分で食べて美味いな、と思ってる」
「そりゃあ、相伴に預からなきゃな」
舌なめずりでもしそうな顔だ。
サンジは、殆ど初対面と言ってもいいようなゾロに何故こんなに親しみを感じるのか、わかった気がした。
ゾロはとても表情が豊かだ。
驚いたりむっとしたり、嬉しそうだったり、そんな感情がそのまま表情に表れている。
カリファにしろフレデリックにしろ、サンジを取り巻く人々は必要最小限の接触しかしないし、どれもが事務的で
口調にも抑揚がない。
だから、ゾロとの会話がこんなにも新鮮で楽しいのだろう。

「せいぜい厳しく味見してくれ。農研の食堂とどんだけ差があるかってな」
サンジは浮き浮きした気分で、備え付けのキッチンに立った。




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