「――――お前は、誰だ」
問いかけるサンジ自身、彼が誰なのか本心ではわかっていた。
けれど聞かずにはいられない。
だってその姿は、サンジが知っている彼とは全く違う。
違い過ぎるのに、彼以外いないとさえ思えるほどそっくりだった。

「ロロノア・ゾロだ」
考えていた通りの名前を名乗り、ゾロは自分が羽織っていた長衣を脱いでサンジの肩に掛けた。
その動きを警戒して、腕を振り上げて遮る。
「…なにすっ」
「寒いだろうが」
言われて唐突に気付いた。
確かに寒い。
オールブルーで海に入った時は水温が高くて心地よかったのに、いまは肌を撫でる風が身を切るほどに冷たく感じる。
思わず両腕を抱いてぶるりと身体を震わしたサンジを、ゾロは羽織らせた長衣ごと包み込んで抱き上げた。
「なにすんだっ?!」
これにはさすがに驚いて両足をバタ付かせたが、上半身を布で包まれて持ち上げられているから身体が揺れるだけで
決定的な蹴りを入れられない。
「裸足だろうが」
ゾロはそう言って荷物のように小脇に抱え、ざぶざぶと波を蹴りながら浜辺に戻った。
「待て、待てよ、俺はオールブルーに戻るんだ!」
サンジは身体を無理やり捻って、後方に首を傾けた。
さっきまで遠い場所に合った島影が、明らかに薄れてしまっている。
島が、遠ざかっているのだ。

「オールブルーに、戻るんだ!」
「諦めろ」
ゾロはそう断言して、脇腹を蹴り付ける膝を掴んで身体ごと引き上げた。
「いまは諦めろ、後で必ず連れてってやる」
「――――・・・」
正面から見詰める、ゾロを名乗る男の顔をサンジはまじまじと見た。
こんな男、知らない。
けれどなぜか、心の内ではこれはゾロだと理解できてしまっていた。
こんな男、知らないのに。

「取りあえず、街に戻るぞ」
大股で森へと向かうゾロの肩に手を掛け、サンジは諦めたようにその髪を引っ張った。
「街って、あっちに見えてるのがそうなんじゃねえのか」
明らかに森の中へと入ろうとするゾロの首を、両手で無理やり捻る。
まったくの別人に見えても、やはり方向音痴は同じらしい。





ゾロに連れられて(担がれて)街の大通りを歩くと、島民達に遠巻きに眺められた。
その表情は興味半分、恐れ半分といった感じだ。
確かに、客観的に見てもただならぬ気配を纏った凶悪な顔をしたおっさんなんだから、普通の人間なら目が合うのも憚られるだろう。
なのに、ゾロは遠慮するでもなく「宿はどこ」だの「着替えを用意しろ」だの、偉そうに命令する。
その度に誰かが飛んできて用立てようとするのに、驚いた。
こいつ一体、何様だ。

ほどなくちゃんとした宿に案内され、小奇麗な部屋に落ち着いた。
ずぶ濡れのサンジをシャワー室に入れて、自分も一緒に入ろうとして来るのを慌てて蹴り出す。
なにもかも相手のペースに乗せられているようで、戸惑いつつも腹が立った。
とにかく身体を温めようとタイルの上に立ち、はてと途方に暮れながら周囲を見渡した。
ここがシャワー室なのはわかるが、どうやったら水が出るのかわからない。
蛇口もないし、シャワーヘッドだって見当たらなかった。
「…畜生、なんて島だ」
追い出した手前、ゾロもどきに聞くのも気が引ける・・・と思っていたら、いきなり天井から霧のような湯が降り注いだ。
次いで、四方からも湯が噴射される。
身体全体を包み込むように満遍なく洗われて、適度な湯温が心地よい。
「―――なんだ、これ・・・」
柔らかな飛沫にうっとりと身を任せていたら、湯は勝手に止まった。
温かな湯気に押されるようにしてドアを開け、温風が吹き抜ける脱衣所でバスローブを羽織った。
至れり尽くせりだ。

シャワー室から出ると、ゾロもバスローブに着替えてゆったりとベッドに寝転んでいた。
サンジが出て来たのに気付き、視線を上げて微笑む。
「えーと…」
結果的に宿に連れ込まれた形になっていて、サンジはタオルで髪を拭いつつその場に立ち尽くした。
「…お前、誰だ?」
「ロロノア・ゾロだ」
自分でも間抜けだと思わざるを得ない、子どものような質問を繰り返すサンジに、ゾロは呆れもせず付き合ってくれた。
というか、まるで子どもを相手にするみたいに噛んで含めるような言い方だ。
「俺はロロノア・ゾロだ。ただし、お前と別れてから22年が経ってる」
「…マジで?」
目を瞠りつつも、さほど驚きはなかった。
なんとなく、そうじゃないかと思ってはいたのだ。

目の前のゾロは、ゾロが年を食ったらこうなるだろうな~と想像させる通りの姿形をしていた。
これだけは変わらない、緑の短髪に鋭い目つき。
だが以前ほどギラついておらず、むしろ落ち着いた穏やかな瞳をしている。
それでいて顔付きは精悍さを増し、悔しいけれど「苦み走ったいい男」としか形容できない見てくれだ。
左目を覆う傷は馴染んでいて、いくつかの細かい傷と共に目尻や口元には皺もあった。
いい年の取り方をしていると、思わず零れそうになった溜め息を飲み込んで唇を引き結んだ。
確かに、年を食ったゾロに見える。
けれど、サンジが知っているゾロじゃない。

「まあ、なんでもありのグランドラインだからな。こういうのもあるんだろう」
サンジはテーブルに置かれていた煙草を手に取り、軽く吹かして指に挟んだ。
バスローブの裾から惜しげもなく太ももまで晒して、足を組み替える。
「んで?ここは22年後の世界か。それとも、お前が22年先から来たのか」
「22年後だ」
それも、納得できなくもない。
島自体はさほど変わったように思えないが、先ほどのシャワールームの装置は初めて見るものだ。
こんな普通の宿にでも標準装備されているのなら、それこそ未来のホテルって感じじゃないか。
「へえ、じゃあ俺はオールブルーから海を渡っただけで、時間まで渡っちまったってことか」
こんなところで、未来のゾロと呑気に会話している場合でもないのかもしれない。
けれど慌てたってしょうがない。
なんでもありのグランドラインなのだから、まあなんとかなるだろう。
「お前、俺がオールブルーから来たって知ってたんだ」
煙草を吸いながら目を眇めると、ゾロはああと頷いた。
「やっぱ未来のお前だから、過去のことがわかんだ。つまり、俺がこの先どうなるかもわかってる。だから、そんなに
 落ち着いてられんだろうなあ」
この質問には、ゾロは答えなかった。
ただ困ったように、片目を顰めて見せている。

「違うのか?お前は俺にとって未来のゾロだろう?」
「…違う」
ゾロはじっとサンジを見つめていたが、おもむろに手を上げて自分の髪をガシガシと掻いた。
「ああ、やっぱり俺だけじゃうまく説明できそうにねえ」
「あ、そうか。ナミさんやロビンちゃんはお元気か?ルフィは海賊王になったのか」
そこまで聞いて、ううんと慌てたように自分で口元を抑えた。
「…もしかして、俺が未来のことを知るのはタブーか?」
「はあ?」
質問の意図が分からないとばかりに、ゾロは顎に手を当ててサンジの顔を覗きこんだ。
「え、だってよ。未来のお前に先のことを聞いたら、これから俺が進む未来に影響とか、出るんじゃね?先に起こることを
 知っちまったらヤバいだろう」
大真面目に答えるサンジの顔をじっと見つめてから、ゾロはほんの少し唇を戦慄かせた。
「…なんだ」
「ああ畜生」
きょとんとしているサンジに、ゾロは静かに抱き着いた。
あまりに自然な仕種だったから反応が遅れ、強く抱きしめられてから「ちょっと待て」と慌てだす。

「待て、待て待て、お前やっぱり偽物だろ?」
「うるせえ」
「ああ、その乱雑さはやっぱり本物っぽい。けど、けどなんでこんなことすんだよ」
身を捩るサンジを逃がすまいと、ゾロは腕に力を込めて抱き上げ膝の上に乗せてしまった。
軽々しい扱いにサンジは憤慨しているが、ゾロはもう色々と限界だ。
「…クソ、俺に取っててめえは何年振りだと思ってやがる」
「は?」
サンジは目を白黒させてから、なんとか身を捻ってゾロの正面に顔を向けた。
「なに言ってんだ?もしかして、俺ってこの世界にはいないのか」
俄かに不安が湧き上がる。
22年後のゾロのそばに、自分はいない。
オールブルーに残ったということなのだろうか。
それとも不慮の事故か怪我かなにかで、もしやこの世にももう――――

「俺、どうなったんだ」
「どうもこうもなってねえよ、てめえはここにいる」
ぎゅうっと抱きしめる力を更に強め、ゾロは愛しげにサンジに頬ずりをした。
「ずっと探していた。てめえを失くしたと思った。けど、こうして帰ってきた」
「・・・ゾロ」
「もう、絶対に離さねえ」
絞り出すような声とともに、サンジの唇が塞がれた。
それがキスだと、気付く前に呼吸まで吸い取られそうなほどきつく吸われ舐められた。
思わず仰け反り逃げを打つも、追いかけるように食らい付いてくる。
「…ふ、んっ、ん・ん―――――」
そのままベッドに押し倒され、がっちりと肩を抑えつけられて散々に貪られた。
もはや呼吸をするのもままならず、頭の芯がぼうっと霞んで意識が飛びそうだ。
「―――――んー…」
強引な口付からようやく解放され、サンジはぜいぜいと肩で息を吐いて苦しげに眼を閉じた。
あまりの展開に、頭がついて行かない。
「…だから、なんだってんだ」
「もう、絶対に離さねえ」
無体なことをしでかしておきながら、馬鹿の一つ覚えみたいに同じことを繰り返して、ゾロはまた鼻息荒く抱きしめてくる。
「だーかーら、頭湧いてんじゃねえかてめえは!」
サンジはなんとかショックから立ち直り、いきり立って寝転んだままゲシゲシとゾロの膝を蹴った。
裸足だから、まったくダメージを与えられないのがまた悔しい。
「なんだって俺にいきなりんなことしてくんだよ。変態かてめえ!」
「好きだ!」
「はああ?!」
思わぬ展開に、文字通り頭が真っ白になってサンジは横たわったまま目と口を開いて固まってしまった。
そんなサンジに、ゾロは構わず思いの丈をぶつけてくる。
「好きだ、てめえのことがずっと好きだった。多分初めて会った時から胸糞悪ぃと思ってたのが、そういうことだったんだ。
 てめえのやることなすこといちいち気に食わなくて、ウザくてムカついて目障りだと思っちゃあいたが、それでいて目が離せなかった」
「…ケンカ売ってんのか」
「なにもかも今さらだ。だが、俺はもう二度とてめえを失いたくねえ。お前が好きだ、ずっとずっと好きだった」

――――ずっとずっと好きだった。
サンジが、誰に伝えるつもりもなく自覚することさえ厭った言葉を、このゾロは容易く口にした。
そうしながら、まるでかけがえのないもののようにサンジを掻き抱いて、全身全霊でもって愛しさを伝えようとして来る。
そのことに、無性に腹が立った。

「なんだてめえ、この期に及んでなに言ってやがる。大体てめえは未来のゾロなんだろうが、そんなこたあてめえの俺に言え。
 つうか、もしかして俺は…22年後にはもういないのか?」
埒が明かず、サンジはタブーかと思えた未来の話に切り込んだ。
もし、自分が将来早世しているようなら、このゾロの取り乱し方も理解できなくもないと思いながら。
なのにゾロは、大真面目な顔をして答えた。
「お前は、お前だ」
「だから、お前が22年後のゾロだってんなら俺だって、途中で死んでなきゃ22年後の俺がいるんだろうが」
その言葉に、ゾロは悲しげに眉を潜めて首を振った。
「いない、お前はお前だ。お前は22年の時間を飛び越えた。俺達は、お前がいない間にもう22年分、年を取ったんだ」
「…はあ?」

訳が分からない。
サンジは混乱したまま、自分の額に手を当てて呻いた。
もう片方の手は、さっきからずっとゾロが握っている。
彼の言葉通り、もう二度と離さないと訴えるかのように。
汗ばんだ掌は、サンジの皮膚を締め骨にまで食い込むほど力が籠っていた。









こんなに長い幸福の不在

-6-