きっかけは、新聞の片隅に小さく載せられた記事だった。
「幻のオールブルー、発見か?!」
サウスブルーのとある企業に雇われた探検家が、多種多様な生物が生息する海域を見つけたと、書いてある。
ルフィやウソップは場所はどこだと大騒ぎし、ナミはほんとかしらと眉を顰め、チョッパーはサンジを気遣い、
ロビンは首を傾げた。

煙草を咥えて、思ったより暢気に記事を読むサンジの背後からゾロがぼそりと呟いた。
「ぼやぼやしてっから先越されるんじゃねえか」

それが、サンジの逆鱗に触れたらしい。

















「サンジぃ、思い直してくれよぉ」
チョッパーが半泣きでウロウロしている。
「そうだぞ早まるな。まだ本物と決まったわけじゃねえし。焦って船降りてどうやって行くってんだ」
大げさな身振りでなんとかサンジの荷造りを阻止しようとするウソップをキッチンから蹴り出して、
サンジは鞄をドンとテーブルに置いた。

「簡単なレシピはこのノートに書いてあるから、素人でも大丈夫だぞ。次のコックが見つかるまでの場繋ぎに
 なるだろう。買出しの定番リストはこっち。次の航海予定日数で掛ければ大体の数量はわかる」
てきぱきと動く手を止めて、特に怒った素振りを見せず笑みさえ浮かべて振り返る。
底知れぬ不気味さを感じて、チョッパーは無意識におびえた。
「何がどこにあるか、誰にでもわかるように整理しといたからな」




次の島で、サンジは船を降りると言う。
突然の宣言は青天の霹靂で、クルーを震撼させた。
ウソップとチョッパーは慌てふためき、宥めて脅してすかして、最後は泣き落としで引きとめようとした。
半分冗談だろうと高を括っていたナミも、自分の言葉に従わないサンジは初めてで、戸惑っている。


「ったく、サンジ君たら意地になっちゃってるのかしら」
ナミは風で乱れる髪を押さえて、水平線を眺めた。
「もうそろそろ島影だって見えてきちゃうわよ」
「ゾロのせいだぞ!」
「そーだ、ゾロが悪い!」
甲板に呆然と立つクルー達の目が一斉にゾロに注がれる。
船縁に凭れて腕を組むゾロは、気まずそうに首を回して空を見上げた。

「・・・で、俺にどうしろってんだ」
「謝まんなさい。どう考えても、あんたの一言がサンジ君の背中を押しちゃったのよ」
「そうだよ、大体ゾロは無神経だよな」
「オールブルーはサンジの夢だぞ。あんなこと言われてじっとしてられる訳ないじゃないか」
いつもは弱気なウソップにまで責められて、さすがにカチンと来る。
「謝らなきゃならねえようなことは言ってねえぞ。ぼやぼやしてっから先越されたって、事実を言ったまでだろが」
「そう言うとこが、無神経だっつーの!」
ウソップの反論にも鼻の頭に皺を作っただけで言い返せない。

顎に手を当てて考えていたロビンが口を開いた。
「確かに、コックさんが船を降りる動機にしては、弱いわね」
「そうなのよ。ゾロが無神経なのは今に始まったことじゃないし、サンジ君が自棄を起して船を降りるって
 言ってる訳じゃないみたいだし」

はあ・・・と深く溜息をつく。
「だから余計戸惑っちゃうんじゃない。サンジ君は本気で、私達に別れを告げて自分の夢に一直線に進んで
 行っちゃうんじゃないかって」
もしそうならば、誰もサンジを引き止めることなどできない。
深く沈んでしまったクルー達を横目にゾロは甲板を後にした。

実は、心当たりがないことも、ない。













少し前に海賊船とやりあった時、珍しく傷を負った。
太ももを切った程度だが、下手をすれば動脈が切れていたとサンジはひどく怒って怒鳴る。
「大体てめえ、相手が弱いのわかってて深追いした結果がこれじゃねえか。チンケな海賊の小競り合いだと
 思って舐めてんじゃねーぞ」
手痛い指摘にムカっときて、返事も待たずに引き倒す。
「って、何考えてんだ!怪我人は大人しく寝てろ」
「うっせー、どうせ眠れねえよ。相手しろ」
シャツを引き抜いて薄い腹に手を這わせるとサンジはぎゃあぎゃあ喚き始めた。
「傷縫ったとこだってのに暴れんじゃねー、返り血ついたまま触るなっ、ちゃんと食って薬飲め!!」
他の仲間たちは戦闘に疲れて早々に眠ってしまったとは言え、辺りを憚って小声で抗議する。
それでも足が出ないのは、ケガを気遣っているのだと、ゾロはわかっているから始末が悪い。

「こんの、色ボケ剣豪・・・なんでそんなに無茶ばっかするんだよ――――」
抗っていた手をいつの間にか背中にまわして、ゾロの頭を抱えるようにかき抱く。
仰け反った首元に軽く歯を立てて舌でなぞった。
青白く浮いた血管がぴくぴく動く感触を楽しんで、顔を上げる。
「俺にゃ、立ち止まってる暇はねえんだ」
一つでも多く闘って打ち勝って、いつ鷹の目に出くわしてもいいように。

「てめえみてえに悠長に夢が叶うのを待ってる訳じゃねえんだよ」


ほんの軽口のつもりだった。
戦いで傷付いて少し気も立っていた。
興奮が収まらなかった。
図星を指されてむかついてもいた。

だが、サンジは一瞬目を見開いてゾロの顔を凝視した後、ぎゅっと目を固く瞑り、それきり
終わるまで開くことはなかった。












やや乱暴にキッチンのドアを開けると、部屋の主だった男は背を向けたままシンクの下に顔を突っ込んでいる。
足音でゾロだとわかっただろうに振り向きもしない。
「船を降りて、どこへ行くってんだ」
ごそごそと忙しなく手を動かす痩躯は、ゾロの声に反応を示さない。
「ガセネタかもしんねえ、その方が確立は高えぞ。今ごろのこのこ行ったって無駄足だ」
ひょいと頭を抜いて、身体を起した。
手にいくつか箱を抱えてシンクに置く。
「意地張ってねーで前言撤回しろ。てめえの大好きなナミだって困ってんじゃねーか」
くるりと方向を変えて、ゾロを見た。
取り澄ました顔からは何の表情も見えない。
「お前それで、引き止めてるつもりか?」
声に笑いさえ含んでポケットを弄った。
煙草を取り出し火をつける。
「大方チョッパー辺りに泣きつかれて渋々ここに来たんだろ。ご苦労だな」
これにはゾロもカチンときた。
「ガキみてえに拗ねたこと言ってんじゃねえ。本気でもねえのに周りの反応を試すような真似しやがって・・・」
「生憎だが俺は本気だぜ。この船を降りてオールブルーを探しに行く」
ふうと煙を吐き出して横を向いた。
「ガセネタでも自分の目で確かめねえとな。外れならまた次に行くさ。別にこの船じゃなくても探せねえことはねえ。
 ここに拘る理由もねえさ」
ろくに吸わないまま灰皿で揉み消した。
今度はシンクの上の棚を整理し始める。

「・・・怒ってやがんのか。俺の言ったことに」
「関係ねえっつったろ。俺が夢を叶えるのにこの船も、ルフィたちも、てめえも、なんの関係もねえんだよ」
パタンと扉を閉めて、ゾロの目を見ずに口元だけで笑う。
「わかったら出てってくれ。作業の邪魔だ」
頑なな態度に、これ以上は今は何を言っても無駄だと思いゾロは大人しく引き下がった。







「島が見えてんぞ。ナミ、上陸しないのか〜?」
「馬鹿ね、島に降りたらサンジ君は船を降りるって言ってんのよ。上陸できるわけないじゃない。
 とりあえず沖で停泊して、明日の朝までにサンジ君を説得しましょ」
甲板から島を眺める仲間の元にゾロが戻ってきた。
「お、ゾロどうだ?ちゃんと謝ったか」
「サンジ、機嫌直してくれたか?」
とことこ足元に寄ってきたチョッパーにウルウルした目で見上げられて、ゾロは苦い顔を返した。

「・・・俺の言うことなんか、なんも耳貸さねえぞ」
「あんだよ、役にたたねえなあ」
尋常でない事態のせいか、ウソップは普段では考えられないような暴言を吐いている。
「まあゾロが役立たずなのは今に始まったことじゃないし、いいわ。今夜私の幸せパンチを一発・・・ううん、
 二発ほどお見舞すれば、サンジ君も気を変えるでしょ」
「そりゃあ・・・効きそうだな」
「頼むぞ、ナミ」
ウソップとチョッパーの期待を一身に受けてナミは余裕で笑って見せた。


しかしその夜―――――

豪勢な夕食を食卓に準備して、緊急避難用のボートと共に、サンジはGM号から忽然と姿を消した。













「今からなら、まだ間に合うぞ。追いつけるから、早く島に着けようぜ」
「参ったわね。こう暗くちゃ、あんな小さなボートなんか見つけられないわ」

慌しく入港準備をするクルー達をルフィが暢気な声で止める。
「明日の朝にすりゃあいいじゃねえか。それよりあったけえうちに飯を食うぞ。みんな座れ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!ルフィ、わかってんの?サンジ君船降りちゃったのよ。もう帰って来ないかも
 しれないのよ」
「サンジは帰ってくる。俺に何も言わずに出てく訳ねえ」
きっぱり言い切って食事をはじめる。

ルフィの根拠のない断言は不思議と焦る気持ちを宥めてくれた。
「それに、せっかくサンジが用意してくれた飯だ。美味く食べなきゃ叱られっぞ」
ルフィが落ち着いているなら、多分大丈夫だろう。
きっとこのままルフィに断りもなくサンジが消えたりはしない。
なんとなく、皆そんな気になってきた。
「そうだな、・・・食うか」
「仕方ないわね。腹が減っては戦はできぬ、よ」
「コックさんにも何か考えがあるんでしょう。明日手分けして探しましょうか」


肩を落として食卓につく皆を眺めながら、ゾロはひどく腹を立てていた。
自分の言ったことが原因なら、その場で言い返せばいいだけのことだ。
黙ってそ知らぬふりをして、あてつけみたいに姿を消すなんて性質が悪いにも程がある。

「ゾロ、あんたも座って食べなさい。今更オロオロしたってしょうがないわよ」
「誰がオロオロなんざするか。大体なんで奴を探さなきゃならねえんだ。勝手にどっか行ったんだろうが。
 ほっとけばいい」
乱暴に腰掛けると、イスがギシリと悲鳴を上げた。
「放っときゃいいって、あんた本気で思ってんの」
ナミの目が座っている。
「おうよ、あいつがどこ行こうが俺の知ったこっちゃねえ」
「それを、あんたが言うの」


不穏な空気にウソップ達は食べかけた手を止めた。
気にせずに食事を続けているのはルフィくらいだ。

「・・・何が言いてえ?」
「言ってもいいの?ここで」
ゾロは胸を反らした。
「構わねえぜ。隠し事しなきゃならねえことも、隠すこともしてねえからな」
「そう・・・」
ナミは静かにフォークを置いた。

「船のコックが出て行ったってことじゃなくて、あんたの大事な恋人があんたに黙って姿を消したってのに、
 放っといちゃだめだって言ってんの!」
ガチャン、と派手な音を立てて、ウソップの手からフォークが落ちた。
アワアワと口を開け閉めしながら、ゾロとナミの顔を交互に見比べている。
ゾロは否定も肯定もせずに腕を組んでナミを睨むだけだ。

「こ、こここここ恋人って・・・」
ウソップは喉に何かを詰めながら蒼くなったり赤くなったりしている。
「違うかしら。私にはそう見えてたんだけど。少なくとも単なる処理目的のセフレって訳じゃなかったでしょ?」
しれっと言葉を綴りながらも挑発するような目でソロを見る。
「だからこそ、今回のサンジ君の行動はあんたが原因だと思うのよ。普通に考えたらいくらオールブルーが
 絡んでるからってこんな無責任な行動をするとは思えないわ。心当たりは、ないの?」

「・・・ある」
コケっとウソップの肘が滑った。
あるんかよ!と小声で突っ込む。

「ならあんたがさっさと追いかけなさい。私達がいくらバタバタしたって無駄なのよ。サンジ君がこの船に
 帰ってくるかどうかは、あんた次第よゾロ」
びしっと指差されてゾロは眉を上げた。
じっと見つめる全員の顔を順繰りに眺めてコキリと首を鳴らすと、静かに立ち上がる。

「じゃ、ちょっくら行ってくる」
「おう、ゾロ頼むぞ」
ルフィは口一杯に食べ物をほうばったまま暢気に手を振った。
その頭にナミの拳骨が落ちる。
「食べてる場合じゃないわよ。船、入り江に着けるからみんな準備して」
食卓をそのままに、慌しく動き出す。



「しっかし驚いたなー・・・まさかゾロとサンジが・・・あ、いや・・・」
思わず口にしてからゾロの顔を見てウソップが首を竦める。
「人間はオス同士でも番になるのか」
チョッパーの素朴な疑問が却って生々しく、て嫌そうな顔をした。
「けど、こうやって探しに行くってことは・・・サンジのこと本気なんだな」
かなり動揺していたウソップだが一瞬真顔でゾロを見る。

「伊達や酔狂で仲間に手え出したりしねえよ」
見つめ返されて、鼻の先まで真っ赤になった。
「んんん、ならいい!頼むぞ!」

刀を背負って暗い浅瀬に飛び降りる。
「・・・問題は、ゾロがサンジ君を見つけられるかどうかね」
「それだけは確かに心配だわ。下手をすると二人とも行方不明になるわよ」
「おいおいロビン、これ以上不安にさせるなよ。俺はもういっぱいいっぱいだ」
「さー、食事の続き、しようぜえ!」
「まだ食うんかい!!!」

仲間達の喧騒を尻目に、波を蹴る音が闇に紛れて遠のいていった。














さて、どうするか。

勢いで飛び出しては見たものの、サンジの居そうな場所などさっぱり見当もつかない。
大体なんで船を降りるなんて言い出したのかすら、さっぱり理解できないでいる。

――――ナミの言うことは一理あるんだがな

普段のサンジの行動から見て、確かに今回のことは説明がつかない。
原因は自分の無神経な発言にあるんだろう。
――――悠長に待ってたとかぼやぼやしてたとか・・・そんなにキツかったのかよ
穀潰しだの寝腐れマリモだの本人は言いたい放題なのに、ちょっと言っただけでへこむなんざ鍛え方が
足りねえんじゃねえか。
どうしても不条理な仕打ちを受けているとしか思えなくて、腹の虫が収まらない。

――――あの野郎、見つけたらとっつかまえて思い知らせてやる
自分にどう非があったのかとか、そんなことは頭から消えて、違う方向に熱くなった。



サンジといえばラブコック、ラブコックといやあ女だろう。
ゾロは夜の更けた街中を明るい方を目指して歩いた。
赤色灯の光が、街角に立つ女達を昼間以上に怪しく美しく照らし出している。

「お兄さん、寄ってかない?」
「お安くしとくわよ。男前だから」
行く手を遮る白い腕をかわしながら、サンジの特徴を挙げて尋ねる。
「黒いスーツ着た、金髪で細身の男は来なかったか?」
金髪は何人書いたが、黒いスーツに痩躯というのはそういないらしい。
首を傾げる女達に見切りをつけてゾロは夜の街を尋ね歩いた。

だが一向に目撃証言すら得られない。
人を捕まえては聞き歩いている間に、どっちの方向からきたのか、港はどこなのかすらわからなく
なってしまった。

―――あのアホのことだから、てっきり花街かと来てみたんだが・・・
ゾロは立ち止まり、考える。

この島に降りたのは停泊の為ではない、奴は船を降りると言ったんだ。
暢気に遊んでる訳はねえじゃねえか。

舌打ちして暗い闇の方角に目を凝らした。
あっちが海かもしれない。
夜間に出航する船に、乗り換えてやしないだろうか。
この街に留まらないで、夜道を何処かに向かって歩いていってはいないだろうか。
急激に焦燥感が湧き上がった。


もしかしたら、これきりサンジには会えなくなるかもしれない。
一人で村を出て、旅をして、初めて仲間を得てからは、別れが必ずあることはわかっていた。
だがなぜか、今はひどく動揺している。
ナミが言うとおり、俺で、あいつだからか。


何もかもが気に入らない喧嘩仲間から、いつしか肌を合わせる仲になった。
深く眠っていても気配があればすぐ覚醒する自分が、隣で眠るサンジが起きても目を覚まさなくなった。
天邪鬼で素直に気持ちを伝えられないサンジが、ゾロにだけは違う表情を見せるようになった。

確かに身体が先だったかも知れねえが、気持ちも通じていたはずだ。
俺は、そこに甘えちまったのか。



最初から、辿るように思い出してみる。
いつもの喧嘩とは、明らかに違う・・・
どこか傷付いたような表情―――――

考え事をしながら歩いていたせいか、入り組んだ袋小路に入ってしまった。
明かりも少なく人気がない。
背中に纏わりつくような殺気を払うように振り向く。
影に身を潜めるように、かなりの人数の男達がつけてきていた。












「三刀流のロロノア・ゾロだな」
身の丈ほどの長刀を構えた男が、挑むように闇から叫ぶ。
「その首、貰い受ける!」
問答無用と言った感じでいきなり多人数で斬りかかって来た。
ゾロは流れるように身体をかわし、雪走を引き抜くと返す手で薙ぎ払った。

―――――うぜえ
三本抜くまでもなく、ぞんざいに切り捨てていく。
太刀筋さえ勘で見切れる雑魚共だ。
転倒した男の首を跳ねようとして、手を止めた。
虫けらの命一つ取ったところで、腕の足しにもならねえか。

「・・・あ、わわわ・・・」
最初に襲い掛かった勢いもどこへやら、血塗れの男達が這って逃げる。
止めを刺す気にもなれず、ゾロは血を払って鞘に収めた。

―――――どうせなら鍛錬代わりになるような、強い奴がかかって来りゃあな
時間の無駄だと舌打ちして足早に歩き出す。
もっともっと強くなりたい。
数多の敵を倒し、腕を磨き、いつか約束の時を迎えるまで―――――


ゾロはふと、足を止めた。
どこへ行こうというのか。
サンジのいる場所など、あてもないのに。
向かうべき場所がわからないのに、気ばかりが焦る。
奴もこんな気持ちだったかと、唐突に思い当たった。

日々身体を鍛え、旅の内に敵を倒し、腕を上げて来た。
もっともっと強くなれる。
あの船にいる限り冒険も修業も事足りるだろう。
だが、サンジはどうだったのか。
グランドラインを渡るからといって、オールブルーに出くわすとは限らない。
ルフィの求めるものはワンピースで、他のクルー達は別々の夢を追っている。
だがそれは長く航海をしていけば必ず叶うべきもの。
ただサンジの夢だけが勝手が違う。
どれだけ旅を続けても必ず見つけられるとは限らない、幻の海。

―――――奴に、焦る気持ちはなかったのだろうか
己の夢だけを目指して一直線に進むのなら、GM号でなくても、よかったんじゃないのか。
オールブルーを探す船に乗り込んでいた方が、余程確率は高くなるんじゃないのか。


ゾロは、耳を澄まして波の鳴る方向を見た。
魚のレストランから旅立つきっかけをくれた船だからか。
船長がルフィだからか。
奴が、GM号に乗り続けていた意味は、どこにあったんだ?










白い光が、水平線を浮かび上がらせた。
ゆっくりとだが瞬く間に空が白み始め、どこか神々しい朝陽が顔を出す。
ゾロは足を止めて、しばしその爽やかな光景に見蕩れた。

こっちから太陽が昇るってえことは、東か?
昨日夕陽を背に船を降りたから、一晩で島を半周したことになる。
朝陽に照らされた我が身を見れば、肩から腕にかけて返り血がべったりとついていて、かなり物騒な状態だ。
波打ち際にしゃがみ込んでこびりついた血を洗い流した。
サンジがオールブルーを真っ直ぐに目指すなら、海から離れないだろうと思った。
ともかく浜伝いに歩いて出くわした人間に手当たり次第に聞いて廻ろうと思っていたが、夜中だったせいか
誰にも出会わず、よしんば出会ったとしてもこのナリでは悲鳴を上げて逃げられるのがオチってとこか。

ほんの少し身奇麗にして、また歩き出した。
早起きの漁師に尋ね、朝市の準備をする商人にも聞いてみたが誰もサンジの姿を見ていない。
それでも海辺に沿ってずんずん歩けばやがて砂浜は岩になり、岩壁になり、攀じ登れば崖になっていて
さらに真っ直ぐ進むと森になった。
左手には波の音が響いているから間違いはないだろうとまた進む。
鬱蒼とした樹木の間をくぐり、谷を越え、崖から落ちて砂浜から起き上がりまた前を進む。
ともかくどこかに海を眺めながらひたすら探し回った。










陽が傾きかけた頃、ようやく人の姿が見え始めた。
血塗れよりましだが泥まみれな姿で、片っ端から尋ねて廻ったが一向に目撃証言が出て来ない。
もうそろそろ島は一周した換算だ。
これで誰も知らないとなると、サンジはこの島に降りてないとしか考えられない。

――――まさかあのままボートで海原に出たか?
根っから海の男だ。
そんな無謀な真似はする筈がないが、なんらかのアクシデントだって考えられる。
もしくは上陸する前に、どこかの船に乗り移ってとうにここから離れてしまっているかもしれない。

ゾロは愕然として海を見た。
赤味を帯びた光を纏いながら一際大きくぼやけた太陽が揺らめきながらゆっくりと沈む。
間違いなく、島を一周したのにサンジはいない。

「畜生!」
誰にともなく、ゾロは悪態を吐いた。
サンジが見つからない。
誰も見ていない。
もうここには、いないのかもしれない。
もう二度と、会えないかも知れない。

「・・・くっ」
何故だか猛烈に腹が立った。
誰に対してかと思えば、紛れもないサンジに対する怒りだ。
あの野郎、俺に何も言わずに消えやがって。
俺をなんだと思ってやがる。
俺は――――
奴にとって、なんだったんだ?

他のクルーとは明らかに違った筈だ。
酒の勢いとは言え身体を重ねた。
案外相性が良くてそれ以来癖になった。
所詮処理だろと笑うあいつに腹が立って、ひどく手荒に扱って傷つけたこともあった。
それでも――――
いつでも、許してたのは、あいつの方か?





沖から吹く風が強くなった。

波に洗われながら岩を登り、高台から海を見下ろした。
そう遠くないところに羊頭が見える。
やはり一周してしまったのか。
俺はこのまま、奴を失くすのか。
あいつに、何も伝えないまま―――――
もうあの子供地味た悪態も、他愛無い戯言も阿呆みたいな笑顔も見ることはできないのか。

訳もなく、駆け出したくなった。
叫びたくなった。
そんなのは嫌だとガキみたいに足掻く自分がいる。
だが、実際にはゾロは、ただ岸壁に蹲って海を見ていた。
どこをどう探していいのか見当もつかない、八方塞がりの状態で、頭に浮かぶのは馬鹿みたいなヒヨコ頭ばかりだ。


そう、あんな風に―――――

目の端に映る黄色い頭が懐かしいと、本気で思ってから気がついた。
自分の真下の崖の窪みに身を隠しているのは、紛れもない、クソコックだ。













勢いよく立ち上がったら足元が崩れてガラガラと小石が落ちた。
驚いて振り向いた瞳と視線がぶつかる。

「うわ!」
「てめっ・・・」
ゾロの姿を認めたサンジが、慌てて浜辺に飛び降りた。
砂に足をとられながらも必死の勢いで逃げる。
「逃がすかこの野郎!!」
ゾロは悪鬼の如き形相で追いかけた。

突然、踏み出した足元に銃弾が打ち込まれた。
「見つけたぞロロノア・ゾロ!昨日はよくもやってくれたな」
台詞から察するに昨夜の男達なのか、ゾロは覚えちゃいないが銃を構えた者達がぐるりを取り囲んでいる。
だがゾロには前を逃げるサンジしか目に入らない。
気配で弾を避けて、無意識に刀を引き抜いた。

「・・・邪魔だ!」
魔獣に距離など、関係なかった。












「待ちやがれ、クソコック!!」
怒気を孕んだ声に振り返れば、血塗れのゾロが刀を振り翳して追ってきていた。
「きゃああああ!!」
「人殺し!!」
港を行き交う人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「あの、金髪の男が殺られるぞっ」
「早く海軍を呼べ!」

サンジは舌打ちして仕方なく逃げるのを止めた。
これ以上大事になったら後が面倒だ。
「おいクソ剣士・・・」
だが意に反してゾロは止まらない。
その勢いのまま突っ込んだ。

「うおっ!!」
辛うじて後頭部を強打するのは免れたが壁に激突して押し倒される。
一瞬意識が飛んで、気がつけばゾロが馬乗りになっていた。
「て、てめえ・・・なんの・・・」
「うっせえこの野郎、ぶっ殺す!」
殺気すら覚えて、サンジはゾロの下でもがいた。
「このクソでかサボテン!退け、俺がどこ行こうがてめえには関係ねーだろうが!!」
「関係なくねえ!」
ゾロは刀を鞘に収めてサンジの襟首を掴み引き上げた。
力加減がないから首が圧迫されてみるみるうちにサンジの顔が真っ赤に染まる。
「俺に黙って出て行くたあ、どういう了見だ。俺をなんだと思ってやがる」

「おいおいおい、あの人殺されちゃうよ」
「海軍はまだか」
ギャラリーが遠巻きに取り囲んで成り行きを見ている。
サンジは酸欠で遠退きそうな意識を必死に保って、なんとかゾロの背中に膝を蹴り入れた。
無理な体勢で威力は半減だが、首を持つ手が緩む。
「この、馬鹿力っ・・・、殺す気かっ」
咳き込みながら身体をずらして壁に凭れた。
抵抗しないと見て取って、ゾロもようやく手を離す。

「てめえがどうしても俺から逃げるってんならここで殺す」
ゾロの言葉に驚いて、サンジは顔を上げた。
不似合いなほど真摯な瞳で見つめ返されて絶句する。

「てめーが夢追ってどっか行くっつっても逃がさねー。夢叶えるんなら俺の側で叶えろ。そんかわり、
 俺の夢が叶う時は、てめーはぜってー見届けろ」
熱の冷めていたサンジの顔が、また別の意味で赤く染まった。
何度かぱくぱくと口を開け閉めして、こくんと唾を飲み込む。
「あ、あの・・・てめ、言ってることわかってんの、か?」
「何が」
「いやだから、その・・・なんで俺を捕まえんだよ」
「逃がしたくねーからじゃねーか」
「何で逃がしたくねーんだよ」
「そりゃあ、ほ―――――」

ゾロの口が「ほ」の形で止まった。
固唾を飲んで見守っているギャラリーの口も「ほ」の形で止まっている。

「ほ」ってなんだ。
「ほ」の次は…
次はなんなんだよ!

「ほ?」
「ほ、ほ――――…」

と、そこへけたたましく海軍が乗り込んできた。

「犯人はどこだ!」

「げっ!」
「やべっ」
野次馬を押し退けている隙に、手に手を取って駆け出した。
「待てい!撃つぞ!!」
「行け、逃げろ〜!」
「『ほ』の次はなんだ〜!!!」
怒号と声援を受けながらゾロとサンジはひたすら逃げた。









「ったく、しつけえ奴らだ」
海軍を撒いて路地裏に逃げ込んだはいいが、日が暮れてからも捜索の手が緩むことはなかった。
山狩りでもされそうな勢いで続々と人員が増えている。
出るに出られずゴミ置場の隅に隠れて様子を窺うしかない。
「街ん中を探し終えたら山の方に行くかもしれねえ。もうちょっと様子見ようぜ」
「船の位置、わかるか?」
「てめえじゃねえよ。当たり前だろ」

近くの通りから複数の足音が近づき、通り過ぎる。
二人はぴたりと身体を寄せ合って、息を潜めてやり過ごした。

すぐ鼻先にあるサンジの白い顔をまじまじと見つめて、ゾロはその耳元で囁いた。
「なんでてめえ、あんなとこにいやがったんだ?」
ぴくりと頬が震えたが、何も答えない。
「もしかして夜、てめえが船出てからずっと、あそこに隠れてやがったのか?」
サンジは答えない。
だが言葉より顕著に赤く染まる耳がすべてを肯定していた。
「てめー・・・元から出て行く気なかったな」
「ちげーよ。マジで俺あ・・・」
皆まで言わさずその口を塞いだ。
勢い余って薄汚れた壁に頭を打ちつけながらも、サンジはゾロの背中を抱き返す。
「この、アホめ・・・マジで、・・・どっかいきゃあがったと・・・焦って、よ・・・」
キスしながら細切れに話すゾロは縋りつく子供みたいで、サンジの顔に笑みが浮かぶ。

「けど、俺のせいだな。・・・ひでーこと言ったか?」
サンジの気持ちがよくわからないから、余計に力を込めてその痩躯を抱きしめた。
苦しいだろうにサンジは抗わない。
「俺のせいだな」
もう一度、ゾロは言った。
まるでそうだと言ってほしいように。
だからサンジは黙って頷いた。

「やっぱ魚の海か?俺は馬鹿にした訳じゃねえぞ」
「わかってる」
サンジは小さく身を捩って息を吐いた。
「てめえによ、悠長に待ってるなんて言われてムカついたけどよ、けどなんで自分から探さずにこの船に
 乗ってんのかって言われた気がして・・・気づいちまったんだ」
こつんと、ゾロの肩に額を乗せた。
「ルフィはなんせ海賊王になる男だから、こいつについてきゃオールブルーも見つかるだろうさ。ナミさんや
 ロビンちゃんみたいな麗しいレディと一緒に旅できるなんて、最高だし、ウソップもチョッパーも離れがたい
 仲間だ。だからよ、だけどよ」
ごしりと、血で汚れたシャツで目元を擦った。
金色の髪が揺れる。
「・・・てめーに、言われたか、ねーよ・・・」

暢気にこんなとこにいる場合じゃねえぞなんて、言ったつもりはないけれど、そう取られても仕方のないような
言い方を、俺はしたか―――――
珍しくゾロは反省した。
詫びのつもりで抱きしめる手に力を込めたから、サンジは酸欠の金魚みたいに仰け反って喘いでしまった。

「悪かった。けど俺あ、自惚れていいんだな」
謝っているのに嬉しそうな表情で頬にキスしてくる。
サンジは今更怒る気にもなれなくて、それでも悔しいから草色の髪を強く引っ張った。
「俺の言葉一つで傷つくてめえは、俺に気があんだよな」
冗談かと顔を上げたら、恐ろしく真面目な顔をしたゾロが見つめている。
何故だかサンジは笑い出しそうになった。
「…何が可笑しい」
「だってよ、お前今更…気付いてなかったのか?」
「何が」
「だから、俺がお前にほ―――――」
「ほ?」
今度はサンジが止まった。
お互い「ほ」の形に口を開けて、どちらからともなく吹き出す。

「俺は伊達や酔狂で仲間に手出したりしねえぜ」
「俺だって、いくら仲間でもほいほい身体任せたりしねえ」
背中に廻した腕に力を込めて、サンジを強く抱き寄せた。
応えるつもりで目を閉じたら、突然足元から声がした。

「今のうちに、早く!」
二人して視線を落とせば小鹿…もとい、トナカイ化したチョッパーが首を振って合図している。

「海軍達は今ルフィが囮になって引きつけてるから!」
先に立って走るチョッパーに続き、全速力で駆けだした。






びよ〜んと伸びた腕でマストをつかみ、難なく船に戻る。
射程距離からも逃れて、なんとか一息ついた。

「とんだ上陸になったわね」
腕を腰にあてて仁王立ちするナミの前で、サンジは床に頭をこすりつけるようにして土下座している。
「無事戻って来れたからいいようなものの、こんなことは金輪際ゴメンよ!いい、二度としないで!」
「ああ〜ナミさんっ、怒った顔も素敵だ〜v」
派手にゲンコツで殴り倒されたサンジの横で、マストにぶら下がったままルフィがにししと笑う。

「な、俺の言った通りだろ。サンジは必ず帰って来るって」
「確かに、最初から余裕かましてたよな。なんか、確信あったのか?」
ウソップの疑問にルフィは不思議そうに返した。
「だってお前、ああいうのを『ちわげんか』って言うんじゃないのか?」

ナミのこめかみの血管が2、3本ぷちぷちと音を立てて切れた。
「痴話喧嘩・・・そんなもので振り回されたの、あたし達・・・」
「いや実際振り回されたの、俺だけだろ。なあ」
しれっとしたゾロに同意を求められて、ウソップが青褪めた顔でぶんぶん首を振る。
「心配したのよ、このボケ共っ!!!」
クリマタクトがゾロとサンジの脳天に容赦なく振り落とされた。




「幻の海・・・幻に終わる、ね」
ロビンは新聞を広げてテーブルに置いた。
多種多様な魚が生息する海域は、個人の商社が独自で研究している養殖漁場だったらしい。
「なんだあ、大げさだなあ。ちゃんと確認してから記事にしろっての」
「まあどんな煽り文句にも最後に『?』がついてるしね」
全員がキッチンに集まっていつものティータイムを満喫している。
サンジが姿を消して、肝を冷やしたのはゾロだけではない。

「サンジ、おかわりv これ美味え〜」
「おう、たんと食え。前の島でろくに買出しできなかったから有り合わせで悪いけどな」
「サンジの作るもんはなんでも美味いぞ。オールブルー見つけたら、俺らに真っ先に食わしてくれんだろ」
ルフィの屈託のない言葉に、サンジは目を細めた。
「ああ、食わせてやる。いくらオールブルーが見つかったって食わせてやりてえ奴が側にいなきゃ意味が
 ねえんだ。だから俺はこの船に乗ってくんだ」
後の方は独り言だったのに、隣でゾロがくすりと笑った。
「・・・馬鹿だな、てめえは」
何を、と言い返す前にゾロの柔らかな視線に驚く。

「側にいるのに、理由なんていらねえだろが」
絶句したサンジの顔が、みるみる赤く染まっていった。



「はいはい、ご馳走様。」
ドサクサ紛れにカミングアウトした恋人達を、冷めた目で見守りながら、ナミは紅茶を一息に飲み干した。






まだまだ前途は多難で、航海は長い。

それでも、行く路は真っ直ぐに続いている。










                                  END


 カワ様に捧げます〜v






愛が呼ぶほうへ