月のない夜だった。
長く手入れされていない庭木が鬱蒼と生い茂り、街からの灯りすら遮って余計に暗い。
この間の嵐で歪んでしまった窓枠の隙間から吹き込む風で蝋燭の火が揺れて、
高い天井にまで伸びる影も心許なく揺らいで見えた。

「今夜は特に静かね、お兄様」
カヤは暖かなミルクを飲み干すと、銀のトレイに静かに置いた。
「こんな夜はゆっくりお休み。こっそり起きて本なんて読むんじゃないよ。目が悪くなってしまう」
サンジはそう言ってカヤの肩を引き寄せて、白い額にキスを落とした。
ふと、階下からの物音に耳を澄ます。

「お兄様?」
訝しげに首を傾けるカヤに微笑みかけると、首元まで毛布を引き上げた。
「心配ないよ。おやすみ」
テーブルの上に小さなランプを一つ置いて、サンジは静かに扉を閉めた。



揺らめく影が交錯する螺旋階段を足早に下りる。
元は毛足の長かった絨毯は、擦り切れてところどころ破れてしまっている。
解れ目に足を引っ掛けないように慎重に階段を下りて、ぎょっとして立ち止まった。
玄関からまっすぐ続くホールの柱に、黒い影が見える。
この家には自分と妹以外いる筈がないのに。

サンジは誰だと問う前に、影に向かって突進した。
蹴り倒すつもりが、身軽に避けられる。
それでも繰り出した回し蹴りはどこかにヒットしたはずなのに、影は揺らがなかった。
もう一発と体勢を立て直すまもなく、背中を殴られた。
勢いで弾き飛ばされながらも、サンジは黙って絨毯の上を転げ起き上がる。
カヤを起こしたくはないから、なるべく静かに迅速に片をつけるつもりだ。

暗くてよくは見えないが相手は若い男のようだ。
泥棒か。
サンジは相手と間合いを計りながら戸棚へと近付いて引き出しを開けた。
ナイフを取り出して隠し持つ。

「なんだ、ここは空き家じゃなかったのかよ」
随分と落ち着いた声で男が話す。
「なにが空き家だ、人ん家に勝手に入ってくんじゃねえっ」
声を潜めながらもサンジは短く怒鳴った。
「電気、なんでつけねえんだ」
「うっせえ、出てけ泥棒」
サンジは刃を煌かせてナイフを突きつけた。
影は身じろぎもしない。
刺すふりをして肩からぶつかるのに、避けもせずに反対に抱えられた。


「お兄様?」
不意に頭上から声がして、サンジは弾かれたように振り向いた。
二階の踊り場から、カヤがランプを掲げてこちらを覗き込んでいる。
「どうなさったの」
「ああ、古い友人が突然訪ねて来てね、驚いてたんだ」
「お友達?」
ナイフの切っ先を男の脇腹に押し付けて、一層身を寄せる。
「まあ、じゃあ私すぐに着替えてご挨拶を・・・」
「いや、もう遅いからかえって失礼だよ。先におやすみ」
「夜分すみません。どうぞおかまいなく」
男も話を合わせたようだ。
ほっとしながら、サンジはカヤに向かって笑いかけた。
「起こして悪かったね。安心しておやすみ」
「ええお兄様。お客様もお先に失礼します」
「はいおやすみ」



小さなランプの明かりが消えるのを見届けて、サンジは再びナイフを握る手に力をこめた。
「こんの泥棒、とりあえずこっちへ来い」
男は素直に従って歩く。
肩を抱かれた状態なのは不本意だったが、そこを頓着している場合ではない。

客間に入ってランプの明かりをつけた。
「動くんじゃねえぞ、コソ泥野郎。今お縄にしてやる」
ナイフを突きつけたまま縛るものはないかと気を逸らせた隙に、男はサンジの手首を掴んで捩じ上げた。
痛みに声を上げることもできず、だがそのままナイフを押し付ける。
僅かに減り込んだ感覚はあるが、男は平然としてサンジの腹に拳を入れた。
衝撃でナイフが落ちて転がる。
身を折った姿勢に、さらに後頭部に一撃を加えられてサンジはそのまま床に伏した。

男はサンジの上に膝を乗せて腰を下ろすと、ナイフを拾ってひたりと頬に押し当てた。
「でかい屋敷の坊ちゃんかと思ったが、なかなかやるじゃねえか」
サンジは片目だけで上に乗る男を見上げた。
やはり若い男だ。
短い髪は染めてでもいるのか、珍しい緑色をしている。
片方にだけちゃらちゃらと金のピアスが光っていてぱっと見軽薄な印象を与えるが、見下ろす顔は
精悍で引き締まっていた。
その瞳に宿る色が力強くて、見据えられただけで普通の者なら身が竦んでしまうだろう。

「古い友人たあどういうこった、ありゃあてめえの妹か?」
サンジは答えずにふい、と横を向いた。
なにか、反撃の手立てはないものか。
「暗くてよく見えなかったが、別嬪そうじゃねえか」
ダン、と手の下の痩躯が跳ねた。
「カヤに、手出すんじゃねえぞオラ!あの子は心臓が弱いんだ。発作でも起こしたら危ねえんだからなっ」
男が上に乗ったままなるほど、と軽く呟く。
しまったとサンジは口を噤んだ。

「それで俺はお友達かよ」
「うっせえコソ泥。見てのとおりここにゃあ金目のもんはねえ。見逃してやるからとっとと次へ行け」
首だけ擡げて短く怒鳴るサンジの頬に、またピタッと刃が押し当てられた。
「確かに金目のモンどころか電気もつかねえんじゃねえのか。電話は?」
「繋がらねえよ。だから通報したりしねえって・・・」
苦々しく呟くサンジの上で、男はにやりと口端を歪めた。
「そりゃますます好都合だ。なんせ、シャバに出たのは久しぶりで、しばらく身を隠してえと
 思ってたとこだ」
「シャバ?」
「塀の中が飽きたんで、看守殴ってちょっと出てきたんだよ。ずっと女っ気がなかったからな。
 丁度いい」
そう言って身を起こそうとするから、サンジは慌てて男のシャツを掴んだ。
「ちょっと待て、塀の中ってお前、どっかから脱走してきたのか?つうか女っ気ってなんだよ。
 カヤに何するつもりだコラ!」
「何って、ナニ」
「ふざけんな!」
サンジは頬に押し当てられたままのナイフも構わず拳で男を殴りつけたのに、男は平然としている。
「くそ、このっ・・・離しやがれ、とっとと出てけ!」
「電気はついてねーわ、電話は繋がってねーわ、もしかしてテレビもねえのか?ますます好都合だな」
「うっせ、カヤになんかしたら殺すぞ、許さねえぞ!」
両手で男の手首を持って渾身の力で押し退けようとする。
背中に膝蹴りを入れようとしても腹の上にどっかり腰を下ろされているからうまく届かない。
「そう騒ぐなって、起きるぞ」
途端にぴたりと動きが止まった。
「しょうがねえ、てめえで済ませてやる」
男はナイフを放り投げるとパジャマの襟元に手をかけた。
「え、あ?済ますって、何を?」
「何って、ナニ」
「ざけんな!俺あ男だぞ!!」
「見ればわかる」
ちまちまとボタンを外すなんてことをせずに、そのまま横にシャツを引っ張る。
ボタンが弾け飛んで床に転がるのをサンジは呆然と見つめた。
―――嘘
「ちょっと待て、マジマジマジ?男だって、どうすんだよ!」
「ああん、野郎だってデキんだよ。知らねえのか?」
言いながら男は両手でサンジの胸に触れた。
ざーっと顔から血の気が引く。
「嘘、そんなの無理だって、どーすんだよ」
「穴がありゃあいいんだよ。あんだろ」
「どこにっ?!」
「静かにしろって、起きるぞ」
サンジは口を「あ」の字に開けたまま、あわあわと唇だけ動かした。
すでにもう、涙目だ。
「せっかくシャバに出て野郎相手ってのは不本意にだが、てめえならまあ、勘弁してやる。
 それとも妹に手え出されてえか?」
サンジは黙って首を横に振った。
頤が小さく震えている。
「カヤは、駄目だ。死んじまう。ぜってー駄目」
「なら大人しくしてな」
額に軽くキスを落とすと、サンジは目をぎゅっと瞑って腕を床に投げ出した。









男の手が剥き出しにされた薄い胸に触れ、小さな尖りをきゅっと摘む。
白い身体が面白いように跳ねて、腕が抵抗の素振りを見せた。

「やっぱ待て、何するってえか、なんで触るんだよ」
「面白れーじゃねえか」
「面白がるな、遊ぶな。さっさと済ませろ」
不貞腐れたようにまた腕を投げ出して大の字に寝転んだ。
男はサンジの脇腹を撫でさすってそのまま掌を下にずらす。
普段誰にも触れられたことのない場所を辿られて、くすぐったさにその度びくんびくんと身体を震わせた。
ズボンを下着ごと一気にずり下ろされて、またびっくりする。
「って、ちょっと待て!なにすんだ!」
「あーもうお前はいちいちうるせえ」
先に脱がせていたシャツをその口に突っ込んだ。
サンジは目を白黒とさせたが、「静かにしろよ」と念を押したら、そのままこくこくと頷いている。
男はふいと顔を上げてなにやら辺りを見回していたが、テーブルに置きっぱなしになっていた
ハンドクリームを掴んで一人満足気に頷いていた。
またサンジに向き直り、萎えて縮こまったそれを柔らかく掴む。

「――――っ!」
サンジは声にならないまま呻いた。
いきなり、なんてもの触るんだこの男!
しばらくやわやわと扱いていたが、あまり反応がないのでちっと舌打ちしてクリームを指に搾り出す。
サンジの足をまとめて高く上げさせ、後穴に指を捻じ込んだ。
「!!!」
思わぬ刺激に、白い身体が大きく跳ねた。
サンジには、未知のことばかりだ。
男同士でできるなんて知らなかったし、こんなところを触るなんてことも考えたこともない。
「ん!んん・・・」
驚いたのと痛いのと怖いのとでパニックになって、闇雲に手を振り回した。
何度かひっぱたいて引っ掻いたが、男はうるさそうに払い除けるだけだ。
「大人しくしろってんだ。妹を起こそうか」
またぴたりと大人しくなる。
実に扱いやすい。
「早く終わって欲しけりゃ、力抜け」
そう言うとこちらを睨んだまま、大きく息を吐いている。
本人は力を抜こうと努力しているようだが、身体がガチガチに固まっていて膝頭の震えが止まらない。
「ち、てめえもしかして処女の上に童貞かよ」
一向に反応しないサンジ自身をからかうように指で弾いて、男は笑った。
羞恥と憤怒で全身が朱に染まる。
だが抵抗することはできない。
せめて早く終わってくれと、サンジは今度こそ観念して目を閉じた。

男の指がありえない場所を何度も探っては擦る。
生理的な嫌悪と異物感に、サンジは声を殺して必死で耐えた。
だが目を閉じれば余計に男の指の動きがリアルに感じられるし、目を開けると忌々しい顔がすぐ
近くから自分を覗き込んでいるのがわかる。
目が合って笑われて、泣きたくなるほど腹が立った。

「んな目で見るな。めちゃくちゃソソるなてめえ」
勝手なことを言って、弄る指の動きをさらに早めた。
顔を顰めた拍子に、ほろりと目尻から涙が零れた。
「いい面しやがって、ますます泣かせたくなる」
至近距離で見つめる男の目は欲望に濡れてぎらぎらと光って見える。
まさか自分が、男からこんな目で見られるとは思わなかった。
何より、他人にここまで触れられることになるなんて。

圧迫感が増して、噛み締めた口元から呻きが漏れる。
そうすると男は余計嬉しそうに目を細めるから、それが忌々しくて仕方がない。
「まだまだきついが、こっちが限界だな」
急に指を引き抜かれた。
シャツの間からまた妙な息が漏れそうになる。
サンジは床に爪を立てて、なんとか声を噛み殺した。
男にひょいと抱えられてそのままひっくり返された。
両手足を床につけて、四つん這いにさせられる。
腰を高く上げさせられて、震える膝を騙し騙し踏ん張った。

「いい子だ」
男の手が尻を撫でて、押し広げるように肉を掴まれる。
逃げそうになる腰をがっちりと固定されて、何か熱いものが押し当てられた。

――――!!
想像するより早く、強烈な痛みと刺激が脳天を突き抜ける。
なにをされているのかわからないが、とにかく痛い。
信じられない部分から身を裂かれる痛みと恐怖で、サンジは嗚咽を漏らした。
こんなことをされたら多分もう、死んでしまう。
カヤ一人を残して、死ぬ訳にはいかないのに。

節が白く浮くほど床に爪を立てた指を、男が上から包み込むように手で押さえた。
男の体温はどこもかしこも高い。
穿たれた部分は、灼熱の塊を押し込まれたみたいで、焼き殺されそうだ。
「力抜けって、辛いだろう」
男が耳元でえらく優しい声音で囁く。
辛いってもう、めちゃくちゃ辛い。
力の抜き方もわからないほど、辛くて苦しい。
涙も鼻水もぼろぼろ零してしゃくりあげるのに、男は容赦なく腰を突き上げた。
うっかり意識が飛びそうになる。

「あーたまんね。気持ちよすぎ・・・」
ともすれば崩れそうになる身体を後ろから羽交い締めて、男はがつがつと腰を揺さぶった。
「ぐ、ぐ・・・ひぐっ」
死ぬ、マジで死んでしまう。
目の前が真っ赤に染まって、すうと暗くなる手前でいきなり急所を掴まれた。
痛みと恐怖でそこは縮こまったままだ。
「初めてでやり過ぎっと、懲りるしな。いいとこも突いてやるよ」
耳朶を噛みながら、ぐいぐいと腰を押し付ける。
繋がった場所はもう痺れて感覚すら危うくなっているのに、腹の奥がじんじんとして
叫びだしそうになった。
そこはやばい。
なにかがやばい!

どうにか逃れようとずり上がる身体を押さえつけてそこばかり突いてくる。
サンジはもう見も世もなく泣き喚いた。
声がすべてシャツに吸い込まれてくぐもったうめきにしか聞こえないのが、唯一の救いだった。
「く、たまんねえ・・・な」
ひどく掠れた声でそう囁いて、男が一際律動を早める。
薄れそうな意識の隅で、ぐうと呻く声を聞いた気がした。









見開いたままの目から、流れ出る涙はいつまでも乾かない。
指の先まで痺れきって力を入れることもできず、サンジは男の腕の中でぐったりと弛緩していた。
やけに優しい仕種で男は汗の浮いた額に口付けると、またぎゅっとサンジの身体を抱きしめた。
太く逞しい腕が背中に回って、肩越しに包まれている。
状況にそぐわない心地よさを感じて、サンジは自分を叱咤した。
ともかく押し退けて離れたいのに指一本動かすことさえ苦痛だ。
顔に押し付けられた男の胸板は厚くて固くて、歯を立てて噛み付いてみたところでびくともしやしない。
まるでじゃれる猫のようにあしらわれて、そのままひょいと抱きかかえられた。
「おい、風呂場はどこだ」
こともあろうに姫抱きだが、サンジはもうそんなことに構う余裕さえなかった。

もの凄く尻が痛い。
腰も痛い。
あらぬところから何か流れ出しそうな違和感がある。
それにまだなにか挟まってるような気がするし、じんじん疼くし・・・
サンジが答えないので男は身体を抱えたまま客間を出た。
よく考えたら二人とも全裸だ。
こんな姿をカヤに見られたら、舌を噛んで死ぬしかないだろう。
サンジはなんとか男の肩を叩いて、風呂場への方向を示す。
それに気づいて、ようやく脱衣所へと辿り着いた。

「ったく、湯も出ねえのかよ」
舌打ちしつつ、男は甲斐甲斐しくサンジの身体を拭き清めた。
ついでにまたとんでもないところに指を入れて、とんでもないことまでやってしまう。
もう混乱しきったサンジには、抵抗する術もなかった。
「お前、本当に初めてか。大丈夫か?」
今更大丈夫もクソもあるか。
文句の一つもたれたいが、なんせショックの方が強くて言葉にならない。
冷たい飛沫に紛れるようにして、サンジはまた顔を歪めた。

「妖精に・・・なり損ねた・・・」
「はあ?」
男は顔を上げて、サンジの顔をまじまじと見た。
やばいこいつ、ショックが高じてとうとうイっちまったか?
「妖精に・・・なるつもり、だったのに・・・」
ひく、ひくと肩を震わせてべそをかく。
男は困惑したままサンジの頭を撫でた。
「妖精?が、なんだって?」
「妖精に、なるんだ・・・綺麗なままで、天に召されたら・・・」
これはかなり重症だ。
「カヤは、身体が弱いから・・・きっと妖精になるから・・・一人でなるのは可愛そうだから・・・」
ひーんと泣き声が漏れる。
締め切った風呂場だから妹に遠慮しないのだろう。
「俺も綺麗なままで死んで、カヤと一緒に妖精に・・・なるはずだったのに・・・」
―――末期か?
ひんひん泣く小さな頭を抱きかかえて男は途方にくれた。
なかなか好みの顔と身体をしているが、おつむの中身はかなり問題があるらしい。

「もう、妖精になれねえ・・・カヤと、一緒に・・・」
「その、妖精たあなんだ?」
「妖精だよ。処女のまま死ぬと、生まれ変わって妖精になるんだ。てめえ、知らねえのかよ!」
そう強く詰られても初耳だ。
大体、妖精って・・・
絶句している男を尻目に、サンジは盛大に嘆いた。
「カヤは、きっと一生綺麗なままで終わるんだ。そして死んだらそれは綺麗な妖精に生まれ変わるんだ。
 けど、一人じゃ可愛そうじゃねえか。だから俺も・・・」
「処女のまま死ぬってか?」
「男で処女は、当たり前だろうが!」
歯を剥いて噛み付いてくる。
「あーつまり、童貞って奴だな」
宥めるように撫で擦るが、サンジの身体の震えはどんどん大きくなって来る。
水で冷えたか。
抱き上げて手早くタオルで水分を拭き取ると、取り敢えず客間のソファに横たえた。

冷えた身体を温めるために両手で抱えて背中をさすりながら、男は部屋を見回した。
「それにしたって、ここはお前らの家だろうが。なんで電気つかねえんだよ」
「わかんね、2日前から急に止まって・・・」
「電話もか?」
腕の中でこくんと頷くサンジは、まだ目が虚ろで震えている。
「最初は停電かと思ったんだけど・・・それにしちゃ周りは電気ついてるし」
やっぱちょっと足らねえのか。
「お前らほんとに二人っきりで暮らしてんのか。ってえか、やっていけてんのか」
「執事が・・・いたんだけど・・・」
執事ねえ。
「ひと月前に突然倒れて、救急車で運ばれて・・・メリーに頼りっきりだったから・・・」
「食うもん、どうしてんだ。買い物とか」
「俺が、百貨店まで行ってる。カードの使えるとこ」
「カードで金出るのかよ」
はっとしてサンジは顔を上げた。
「そうだ、てめえにカードくれてやる。だからとっとと出てけ」
「そんでてめえらこれからどうして暮らす気だよ」
ぎり、と唇を噛み締めながら、涙目で睨みつけてきた。
その目つきは逆効果だっての。
「大体執事はどうなったんだ?病院行って」
「集中治療室に入ってから、会ってないんだ。連絡ねえし、つうか電話が繋がらないし」
「手紙とか」
そう言うと、サンジの顔がさっと青ざめる。
「手紙、・・・ポストが駄目なんだ。前に行ったら蜘蛛の巣が張ってて近付けねえ」
そう言って自分の腕で抱えるようにして身を竦めた。
男の肩ががくんと下がる。
「なんだってんだ、そりゃ。じゃあもしかして、手紙とかそれから見てねえのか」
「無理だ、俺はあそこには近付けねえ」
「ちょっと待てよ」
男は呆れた顔で座り直した。
「電気代やら電話代やら、ちゃんと払ってんだろうな」
「・・・多分、」
「引き落としは?カードか?」
少し首を傾げながら頷く。
実に頼りない。
「更新手続き、してねえんじゃねえのか。どこだか知らねえが最近銀行名とか変わってるぞ」
なんてこったと男は嘆息した。
ムショ暮らしの自分より世間に疎い奴がいる。
「頼りになる親戚とか、近所付き合いとかねえのかよ」
「両親が事故で死んでから、ずっと執事と3人で暮らしてきたんだ」
「それこそ友達は?」
「中学卒業してから、会ってねえ」
箱入り!
「高校は?」
「家庭教師が来てた」
本物だ。
男は天井を見上げながら肩を揺らし始めた。
クックと喉を鳴らして笑いを堪える。
古びた屋敷に外界と隔離されて育った兄妹。
しかも飛び切りの世間知らずだ。

「仕方ねえ。しばらく俺の塒にしてやる」
「は、あ?え?」
サンジはがばっと身を起こすと痛みにううと呻く。
「なんせ俺はてめえの古い友人らしいからな。なに、てめえが相手するんなら妹には手出ししねえよ」
ただし、といつの間に隠し持っていたのかナイフをちらつかせてサンジの目の前に翳した。
「サツにチクろうなんて思うなよ。俺あ恐喝と暴行でもう3年、年少に入ったきりだったんだ。
 今更罪状が増えたところで痛くも痒くもねえけどな」
サツ?
チクろう?
意味はよくわからないが、ともかくサンジはぶんぶんと首を振った。
自分はもう穢れてしまったからどうなっても構わないが、なんとしてもカヤの身は守りたい。

「んじゃよろしく。俺はゾロだ」
「・・・サンジ」
そうして3人の奇妙な共同生活が始まった。








妖精ちゃんの憂鬱