「最初は、このお店が目当てでこの村に来ていたのよ」
ロビンはまるで悪戯を告白するように視線を斜め上に彷徨わせ、声を潜めた。
「そんだけ、サンジさんの料理が魅力的ってことですか?」
コビーの素朴な賞賛に、ロビンは苦笑しながら小首を傾げる。
「とても美味しいけれど、決して特別なお料理じゃないわ。街にはもっともっと味を極め、贅を尽くしたお店はたくさんある」
「・・・ですよねー」
首を竦めたコビーに、サンジは皿を洗いながらぷっと噴き出した。
もちろんサンジ自身、自分の料理だけでロビンをこの店に足繁く通わせただなんて驕りを持ったりなんかしていない。
ロビンだけでなく、これまで順調に店を続けて来られたのは、何度も足を運んでくれるお得意さん達のお蔭だ。
けれど彼らの胃袋を掴んだのは、自分の腕だけじゃないとわかっている。
シモツキというこの場所の空気、雰囲気、店から眺めるありふれた…けれど心落ち着く田舎の風景。
スタッフの笑顔、新鮮な野菜の滋味、拙いながらも精いっぱいの持て成しを受け入れてくれるお客様方自身。
「なぜか、このお店はとても落ち着くの。いえ、もしかしたらお店だけじゃないのかも知れない」
ロビンは、独り言を呟くように視線を窓の外に移した。
「この、何の変哲もない田舎の風景を眺めているだけで、身体の力が抜けるわ。このお店に通うのは、単なる口実なの
かもしれない。レテルニテがあるからこの村に来る。そういうことなのかも…」
そう言ってから、生真面目な表情でサンジに振り返った。
「ごめんなさい、失礼なことを言ったわ」
「ううん、そんなことないよ」
ロビンが言ったことは、まさしくサンジが感じ取っていたことだ。
確かに、裏を返せばサンジの料理を口実にこの村に通えたと告白しているようなもので。
レテルニテの食事を蔑ろにしていると思われても仕方のない言いざまではあった。
けれどサンジは、そうは思わない。
シモツキという村も、サンジが作る料理も、この店も。
すべてが一体となって一つの魅力になるのだと、自負しているから。
「最高のお褒めの言葉だよ」
「…ありがとう」
嫌味でもあてつけでもないと、素直な気持ちが通じたようで二人はふっと花が綻ぶような笑顔を見せた。
ヘルメッポはロビンとサンジの顔を交互に見て、肩を竦めながら首を振る。
「よくわかんねえが、まあつまりこの店が縁で兄貴と知り合ったってえことだよな」
「まさに縁結びですね」
フランキーはコーラをぐびっと飲んでから、太い小指をピンと立てた。
「おうよ、つまりは俺が一番オマケだってことだ」
「でかいオマケだ」
「―――― …」
ふと思いついたことを口に出すのは憚られ、サンジは皿を拭く手を止めてロビンの横顔に目をやった。
気配を感じたか、同じタイミングでロビンも顔を上げる。
「このロールケーキ、とっても美味しいわ」
「桃が美味しい季節だからね、香りがいいだろ」
「ええ、とても」
美麗な顔立ちに少しだけ頬を膨らませた表情は、どこか可愛らしささえ漂う。
ぽやんと見惚れるサンジに、ロビンは意味ありげな視線を寄越した。
「私とフランキーが結婚したのも、口実の一つだと思う?」
「え、あ、や」
今まさにサンジの頭を掠めたことをいきなり指摘され、思わず慌ててしまった。
これはなんだ、読心術か。
「結婚してこの地に居を構えれば、村に入り浸ってもおかしくないものね」
「そりゃまた不純な動機で」
「やだなあ、冗談ですよねえ」
呆れるヘルメッポとフォローしようと焦るコビーの前で、フランキーはニヤニヤしている。
「お蔭でこうして、来たいときに村に来れて気ままにゆっくり過ごせるの。フランキーは気を遣う相手ではないし」
「そうなんだあ」
サンジも、それ以上二の句は継げない。
「じゃあ、こっちにずっと住む訳じゃないんですか?お仕事はずっと続けられて」
「そうよ」
「気まぐれに、遊びに来るみたいに帰って来られる」
「そう」
コビーは、少し複雑な表情をした。
生真面目な性格だから、あまりにも自由すぎる二人の新婚生活に抵抗を感じているのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
淀んだ雰囲気を払拭するように、サンジが明るい声を出した。
近所の奥様方が、にぎやかにお喋りしながら店のドアを開けたからだ。
「こちらへどうぞ、カフェメニューでよろしいですか?」
新しい客を案内するためサンジがカウンターを出たのを潮に、ロビンはコーヒーを飲み干した。
「すっかりゆっくりしちゃったわね、ご馳走様」
「あ、俺らもそろそろ」
「ああ涼しかった、生き返ったぜ」
いつの間にか特大パフェをぺろりと平らげたヘルメッポは、満足そうに腹を撫でている。
「ここは俺に任せとけ」
フランキーはさっさとレジの前に行って、4人分の会計を済ませてしまった。
万年アロハで海パンの変態なのに、こういうところは実にスマートだ。
「すんません兄貴、ごちそう様です」
「ごちそう様です」
素直に好意を受け取って店を出ようとして、コビーが「あ」と声を上げた。
「そうだ、このチラシ店に置いてもらえますか」
そう言ってリュックからA5サイズの紙を取り出す。
「ああ、星見会か」
「お、なんだこりゃ」
フランキーが興味を持ったか、コビーの頭越しに覗き込んできた。
「毎年、この時期に子どもたちを集めて望遠鏡で星を見るんです。時期が決まってるから土星とか金星とか、あと月なんですけどね」
「誰が講師になるんだ」
「講師なんていないですよ、去年まで学校の先生に来ていただいてたんですが、今年は異動になっちゃって。まあ、望遠鏡で
覗くだけでお茶を濁そうかなと思ってんですけど」
サンジはふと思いついてロビンを振り返った。
「ロビンちゃん、星に詳しくない?」
「特に詳しくはないわ」
あっさり即答された。
だが、ロビンも興味を持ったようだ。
「でも望遠鏡を覗くのは好きよ」
「じゃあ、ロビンちゃんも来れたら来てよ。俺らも行くんだ」
「もちろん、天候次第ですけど。まだ梅雨が明けてないんで微妙なんですよね」
ロビンは少し首を傾けて、考える仕草をした。
「そうね、都合がついたら」
「じゃあ、チラシお渡ししときますね」
コビーが差し出した紙を、ロビンは大切そうに両手で受け取った。
クールで素っ気なささえ漂う知的美女だが、こういう何気ない仕草の中に独特の可愛らしさを秘めているなあと、サンジは
密かに感心した。
「んじゃ、ご馳走様」
「ご馳走様でしたー」
「行ってらっしゃい、がんばって」
戸口まで見送りに出る。
扉を開けた途端、むわっとするような夏の空気に包まれて息も苦しいくらいだ。
梅雨も明けない間にここまで気温が上がると、今年も厳しい暑さに見舞われるのだろう。
二人並んで駐車場へと歩くフランキーとロビンは、後ろ姿だけでもお似合いに見える。
普通とは言い難いけれど、彼らは彼らなりに幸せな新婚生活を営んでいるんだろうなとサンジは思った。
ヘルメッポを通じてか、フランキーとロビンの一風変わった結婚形態の話はすぐにご近所に伝わった。
その日の夕方にはお隣のおばちゃんから話題を振られたし、翌日の和々でもひとしきりおばちゃん達が盛り上がっていた。
んなはっきりとは口にしないが、ロビンの自由な生き方が羨ましい反面、気儘と否定的に捉える雰囲気がなくもない。
「羨ましいと言えばそうだけど、同じようにしたいかと言われれば微妙ですね」
無事退院したカヤを見舞いに、たしぎと二人でウソップ邸を訪れた際もこの話題は出た。
病院から自宅に直行で、部屋から出ないで過ごすカヤでさえすでに知っていた。
まあ情報源はウソップだろうけど。
「都会でバリバリ仕事を続けて、毎日一人の部屋に帰る。んで、週末は旦那さんが待つ田舎の家に帰る。理想と言えば理想ですね」
たしぎはそう言って、背負っているうちに眠ってしまったパウリーをそうっと座布団の上に下ろした。
「言っちゃ悪いが、美味しいとこどりだな。兄貴が手のかからない男だってのも選んだ理由じゃないか」
「そんな、身も蓋もない言い方して」
その寝顔を愛おしげに見つめながら、カヤがゆっくりと身体を起こす。
背中に手を回して甲斐甲斐しく手助けするウソップも、まさに理想の夫だ。
「まあ、兄貴は自活能力あるから一人で放っといても大丈夫だしな。週末だけの逢瀬だといつまでも新鮮でラブラブ度は増すかも」
「でも都合いいですよね。田舎で暮らすっていうのは仕事をしてればいいだけじゃないですから、ご近所づきあいとか自治区の
行事とかもあるじゃないですか」
サンジは持ってきた梅の甘煮にソーダを注いで、飾り切りしたライムをグラスの淵に付ける。
「そのうち“役”が回ってきたりするしね。いつまでも別荘代わりに使ってられないだろうなあ」
「ここで骨を埋めるって言うほどじゃなくても、やっぱある程度は腰を落ち着ける気持ちがないとな」
さんきゅと受け取って、ウソップは先にカヤに手渡した。
「ここに家を建てて、腰を落ち着けたお前らとは違うんだって」
「お前らこそ、ここに骨を埋める気だろうが。そろそろ家建てたらどうだ」
「んな金ねえよ、今の家で充分だ」
一瞬、ゾロと二人で新居の相談…とか想像したら心が浮き立ってしまった。
いかんいかん、新婚気分にあてられてどうする。
「おいしい…」
カヤはグラスに口をつけて、顔を綻ばせた。
「大丈夫?」
「ええ、これはさっぱりして飲めそうです」
「ちょっとずつでも、何でもいいから食べられるもの食べないとね」
たしぎの言葉に、カヤは眉を寄せて泣きそうに顔をゆがめた。
「こんなことじゃなダメだと思うんですけど、お母さんになるんだからもっとしっかりしないと…」
「身体が辛い時は頑張ったって仕方ないだろ」
「そうよ、時期が来ればウソみたいにケロッと治るから。今だけ我慢」
ウソップとたしぎに励まされ、カヤは子どもみたいに心許ない表情でうんと頷いた。
こればっかりは代わってやれないからなと、サンジも他人事ながら気を揉んでしまう。
「でもロビンさんの存在は、ある意味私たち女性にとって力強いものになると思うんですよ」
たしぎはそう言って、目を輝かせる。
「だって、結婚したからって“嫁”の役割を担わなきゃならないってことないんだもの。それを体現してくれてるって頼もしくない」
「…そうですね」
思うところがあるのか、カヤもうんうんと頷き返す。
「結婚したら旦那さんの世話をしなきゃとか、家のこともしなきゃとか。子どもができたら子どもを育てなきゃとか、絶対女性の方が
日常の負担は多いわ」
「まあ、そうなんだけど…」
実際、シモツキの奥さん方を見ているとパワフルなタイプが多い。
都会と比べて結婚年齢が低く、共働き率は高い。
同居率も高いせいか結婚後も仕事を辞めなくていいし、自分だけで子育てしなくても済むからだ。
その分、仕事に家庭に村の役にと八面六臂の活躍を見せている。
「でも、少なくとも俺らはそう、男女差とかなくね?」
ウソップの控えめな進言に、たしぎとカヤは揃ってバツの悪そうな顔をした。
「そうですね、ウソップさんは特別です」
「うちもまあ、ねえ…」
カヤはつわりのせいとはいえ、今はすっかりウソップに面倒を見てもらっている立場だし、たしぎだってスモーカーのアシストが
なければ日常生活を送るのも危ういほどの粗忽さだ。
「一般論として、女性の役割のが重いって話」
「うん、わかるよ」
サンジも立場は違えど、ひと時は自分の役割について必要以上に必死になっていた頃があった。
特に役に立たなくても傍にいていいんだと、気づかせてくれたのはゾロだ。
「大体、私たちは日常で家の仕事してても当たり前なのに、旦那がちょっと手伝うだけで褒められるって不公平よねえ」
「あ、それありますよね。ウソップさんがいろいろ気付いてよくしてくださるの、ご近所の方に羨ましがられました」
「それが当たり前って思わないのよ、だって二人の暮らしなのに」
「お食事作るのもお皿洗うのもお洗濯するのも、女性の仕事って決まった訳じゃないです」
「子ども生まれるともっと酷いわよ、おむつ換えたり食事させたり、スモーカーさんが抱っこしてるだけで『素敵な旦那さんね』って
言われるの。そんなの当たり前じゃない、二人の子どもなのに」
「あーわかりますー」
女性二人ですっかり盛り上がってしまって、ウソップもサンジも所在なさげにその場で正座して畏まってしまった。
確かに世間には、そんな雰囲気がある。
「ママ友さんなんて、夜泣きする度に旦那に申し訳なく思ったって言ってた。自分たちの子どもなのになんで?って思うけど、でもそう
思っちゃうのもなんだか自然なのよね」
「その気持ちもわかるかもしれません、母親は自分の子だからなにしてても可愛いとも思うけど、旦那さんはどう思うかわかんないって
不安かも」
「お、俺だって子どもが何してたって可愛いと思うぞ!」
ウソップがムキになって言い返したから、たしぎがぷっと噴き出した。
「それはまあ、生まれてからもっかい言ってください。泣く子を目の当たりにしてから、ぜひ」
「脅かすなよう」
「ウソップさん、二人で育てていきましょうね」
「もちろんだ、カヤ!」
手を携えて見つめ合う二人に、サンジは当てられたようにやれやれと手で扇いで見せる。
「あの、フランキーさん達にお祝いするの、ぜひ私達もご一緒させてくださいね」
「もちろんよ、ヘルメッポやコビーも一緒にしたいって言ってるし」
「なにがいいか、考えなきゃな」
ネット通販もありかなあと話し合っていると、パウリーが静かに目を覚ました。
きょとんとした目で周囲を見渡し、たしぎを見つけるとふにゃあと蕩けるような笑顔を浮かべる。
「あーパウちゃん起きた起きた」
「えらいねえ、ご機嫌だね」
「パウちゃん、ゼリー食べるかな」
たしぎの膝に抱っこされたパウリーを見つめ、カヤはふうとため息を吐いた。
「バリバリとお仕事をして週末には旦那さんと過ごされて、とても自由で気楽な生活かもしれませんけど、やっぱり私は羨ましいと
思いません」
「そう?」
パウリーに頬を抓まれ、変顔のたしぎが眼鏡を庇いながら笑いかけた。
「きっと、寂しいですもの」
「…そうね」
そうかもねと独り言を呟きながら、たしぎは寝汗を掻いたパウリーをぎゅっと抱きしめた。

