渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく流れを、サンジはタイルに手を着いて呆然と眺めていた。
―――やってしまった。
ゾロと。
いや、そう言うと語弊がある。
別に最後までやってしまった訳ではない。
ただ、お互いに匂いを嗅ぎ合いながら手コキでイき合った。
それだけのこと。

「って、大問題だろーっ!!」
思わず仰向いて叫び、降り注ぐシャワーを顔に浴びながら乱暴に髪を掻き混ぜる。
まさかこんな。
仲間の、しかも男で抜くことになるなんて思いもしなかった。
よりにもよって気の合わない、あのムカつく横着筋肉ダルマの匂いで、イくなんて!!
「ああああもううううううう」
いっそバスタブに頭を打ち付けて気絶してしまいたいが、寸でのところで堪えた。
どんなに喚こうが暴れようが、やってしまった事実は消せない。
ただ問題なのは、我を忘れてすっきりさっぱりイったはずなのに、身体の火照りが消えなかったことだ。
終わって一息吐いたところで、気持ち悪いからとそのまま風呂場に入ったのに。
うっかりここでも、一人で第2ラウンドに臨んでしまった。
そして結局、またイってしまったのだ。
先ほどのゾロの匂いを、息遣いを、手の感触を思い出して。

「うがああああああああっ」
何度喚こうが呻こうが、事実は代えられない。
俺は間違いなく、ゾロに欲情している。
「くそう、なんだってんだちきしょー」
恐ろしいことに、ゾロもまた自分に欲情しているようだ。
そうでなければあんな風に、二人ともまるで熱に浮かされたように夢中で手コキに勤しむなんてこと、絶対にあり得ない。
一体、なんだってこうなったのか。
「クソッ」
このまま際限なく落ち込んでいられそうだが、いくら陸とは言えシャワーを浴びながら篭りっ放しでは水が勿体無い。
なんとか気を取り直して手早く身体を洗い、バツが悪いまま風呂場から出た。

ゾロは早々に眠ったらしく、片方のベッドにだらしなく大の字になっている。
直接顔を合わせずに済んでほっとしつつ、残されたベッドを見て舌打ちをした。
――――俺はこっちかよ。
先ほど二人でイき合った方のベッドしか空いておらず、サンジは苦々しく思いながらも仕方なく腰掛けた。
ふと、ベッドサイドのゴミ箱に目をやる。
二人分の後始末をしたティッシュより、更に1.5倍の量がゴミになっていた。
――――ゾロも、やったのか。
サンジがシャワー室でもう1回している間に、ゾロもまたここで一人でしたのだ。
そう考えただけで再びモヤモヤしたものが沸き上がって来て、サンジは慌ててベッドに潜り込んだ。
細かいことは気にしないで、とっとと眠ってしまおう。
そうでないと、際限ない欲情のループに陥る羽目になる。
なんでこんなことに――――と一人で嘆きながら、サンジは布団を被って己を呪い続けていた。



気に食わない喧嘩相手と思わぬ関係を持ってしまったが、これも若気の至りというか一時の過ちというか。
そんなんで済まされる程度の話じゃないかと、思い込むことにした。
――――それに、旅の恥は掻き捨てとも言うし。
サンジは無理やりにでもそう自分を納得させて、上陸してからの三日間をゾロと過ごした。
自慰を覚えたての猿のように、毎晩お互いの匂いを嗅ぎ合いながら手コキするのも日課になってしまっている。
それでも、買い出しのために二人で市場をウロつくのは迷子の見張りの役目も負えるし、荷物持ちとしてはそれなりに使える。

「兄さん、今ならこっちも安いよ。兄さんならオマケしちゃうし」
相変わらず、男から声を掛けられる頻度は高い。
だが、サンジの後ろに必ずついてきているゾロがその度にジロリと睨み据えるので、声を掛けてきた輩もそれ以上
突っ込んで誘ってはこなかった。
これはこれで助かるが、サンジ的には大いに癪だ。
まるでゾロが番犬かなにかのようではないか。
「怖い用心棒ついてるねえ」
考えていたことをまんま言葉にされ、サンジは目を剥いて魚屋のおっさんを睨み返した。
「なに言ってやがる、こいつはただの荷物持ちだ」
「誰が荷物持ちだ」
今度はゾロが不服そうに口を挟んできたが無視して、これもいい機会だとサンジはなお言い募った。
「大体この島はなんだ、どこ行っても野郎が声を掛けてきやがる。そっち系の奴ばっかかこの島は!」
「そりゃとんだ言いがかりだ」
おっさんは目を丸くして、大袈裟な素振りで両手を振った。
「他の奴らがどうかしらんが、少なくとも俺ァ女房一筋だぜ。浮気なんてとんでもねえ」
「よく言うぜ」
魚屋は奥が食堂になっていて、店は昼時で賑わっていた。
常連客にからかわれながらも、おっさんはその客にも同意を求める。
「とにかく俺ァ女の方が好き・・・って言うより、女しか興味ねえよな」
「ああ、ほんとのとこはどうだか知らねえが、こいつの女好きは有名だぜ」
「もちろん、一番は女房だが」
「とってつけたように言ったって、逆効果だぜ」
どうやら奥方らしき女性が、レジの中で軽く睨み付けている。
おっさんはそれに目配せを返し、そういうことだからとサンジに向き直った。
「なんでだか、あんたは特別なんだよ。なんかこう、なにかしでかしたくなる」
「なんだそりゃ、俺のせいかよ」
憤るサンジを、常連客も腕を組んでしげしげと見つめた。
「そういやそうだな。なんか、俺も妙な気になってきたぞ」
「だろ?」
元々フレンドリーな気質らしいおっさんは、店内の人に聞こえるように大きな声を上げた。
「お客さん方、俺ら以外にもこの兄ちゃん見ててムラっと来る人あったら、試しに立ってみてくれねえか」
とんでもないアンケートだと思ったが、客達はお互いに目を見合わせてから、おずおずと立ち上がった。
「・・・え?」
その数、店内の客の約半数。
「なんだよ、冗談にもなりゃしねえ」
呆然とするサンジの側で、座ったままの男が恨めしそうに見上げている。
「俺も立ちたいとこだがな。立てねえ、勃ってて」
その一言で、店内がどっと湧いた。
ゾロまで一緒に噴き出したから、サンジは真っ赤な顔をして腹立ちまぎれに蹴りまくる。
「てめえまで笑ってんじゃねえ、ってかふざけんなお前ら!」
「いってえな。てめえが悪いんじゃねえか、俺に当たるな」
「なんで俺のせいだよ!」
喧嘩を始めた二人に、おっさんがまあまあと声を掛ける。
「買わないんならとっとと行ってくれ、あんたらがいると商売にならねえ」
「催してもおっかねえ見張りがいる、手も出せねえんじゃ生殺しだからな」
「違いねえ」
昼間から酒をかっ食らってほろ酔い気分のおっさん達は、言いたい放題だ。
「んなもん、こっちからお断りだ!」
サンジは忌々しげに言い捨てて、早足で店を出た。

そのまま市場を突っ切って、前を向いたままひたすら歩き港を見下ろせる小高い丘にまで登り詰める。
はあと息を吐いてから振り返れば、大荷物を抱えたゾロが怒ったような顔で後ろに立っていた。
「なんで、ついてくんだよ」
「俺にこんだけ荷物持たせて撒く気かお前は!」
もっともなセリフに、サンジはそれもそうかと素直に肩を落とした。
「・・・そうだな」
いつもみたいに言い返さない様子に、ゾロの方も調子が狂うのか眉根を寄せたまま押し黙る。
波止場から風に乗って聞こえてくる賑やかさが、周囲の静けさを一層際立たせていた。

「やっぱ、俺のせいか」
独り言のような呟きは、しっかりゾロの耳に届いてしまった。
だからと言って「ああそうだ」と肯定するほど、ゾロも大人げなくもない。
ただ黙って海を見下ろしていると、サンジはポケットから煙草を取り出して火を点けた。
「お前が言う匂いとかさ」
目を瞬かせながら吸い込んで、ふうと吐き出す。
「煙草吸ってたら、弱くなってね?」
「――――・・・」
ゾロは一瞬考えてから、風下に立った。
それからまた、元の位置に戻る。
「煙草吸ってようが、関係なく匂う」
「まだ匂うのかよ」
サンジは手摺に両手を付いて、がくりと頭を垂れた。
「なんで、俺そんなに前から匂ってたか?」
「いいや、前の島に辿り着けなくて余分に航海しはじめてからだ。それまでは俺も気付かなかった」
「だから多分、煙草が切れるから吸う本数減らした頃からじゃ、ね?」
「そうかもしれん」
だったら、また煙草を吸い始めたら消えるはずだ。
「まったくおんなじ薬じゃねえから、効かねえのかな」
ぽつりと呟いた“薬”という単語に、ゾロがピクリと反応する。
「薬、だと?」
「ああいや、生薬みてえなもんだ。滋養強壮の」

サンジが少しでも大人に近づきたくて、慣れない煙草を吸い始めたころ。
ゼフが「どうせなら」と煙草のフィルターに生薬を塗り付けてから吸わせたのが始まりだった。
「俺も詳しくは聞いてねえんだけどよ。滋養強壮で昔から使われてる薬で、別に変な作用もねえっていうしさ。煙草
 吸うんならコレも一緒に吸っとけって言われて、それからずっと煙草吸うときは一緒に塗り付けてたんだ」
それが、この間の航路の乱れで生薬が先に切れた。
煙草はまだストックがあったのだ。
「まったく同じのはなかったけど、成分が一緒のを買って塗り付けてあるから、効き目はあるはずなのに」
「大体、なんでそんな匂いしてやがんだてめえ」
ゾロは立ち位置を変えて、サンジの風上へと回る。
「だからどんな匂いだってんだ。俺、自分じゃわかんねえよ」
「匂いなんざ、口で説明できねえだろうが」
ゾロは苛立たしげにバリバリと頭を掻いた。
そんな様子を、サンジはどこか諦念したような表情で眺め見る。

「なあ」
「ああ?」
サンジはふうと煙を吐いて、一拍溜めた。
「お前もさ、俺にムラムラしてんだろ」
「――――・・・」
そうでなきゃ、男相手に手コキなんてしない。
お互いに。
「だったらなんで、手ぇ出さねえの」
煙草を咥えて、目を眇めた。
別に誘っている訳ではないが、ここ数日部屋でシコシコやってるぐらいなら、いっそ押し倒す方が自然だろう。
サンジだってゾロを見ているとムラムラするが、押し倒したい方向ではない。
むしろ―――――
「ああああああっ!!!」
怖い方向に妄想が走って、その場で髪を掻き毟った。
ゾロはぎょっとしたように一瞬仰け反ったが、すぐに苦々しい表情で懐手を組む。
「いや、だから、その・・・てめえだったらいきり立ったら即実行とか、そんなタイプじゃねえか」
「どんだけ野獣だ」
「野獣だろ?」
真顔で問い返され、むむむと眉間の皺を深くする。
「や、でもやっぱ相手俺だと、理性のが勝つ?」
ってか、理性が勝ったからお互い自分で処理するまでに留まっていると、言うことか。

サンジがなぜかしょぼんと肩を落とすと、ゾロの方もバツが悪そうに口を開いた。
「・・・てめえは、・・・だろうが」
「あ?」
海風が吹き抜けて、声が途切れた。
「てめえは、仲間だろうが。俺は男であれ女であれ、仲間に手は出さねえ」
「――――・・・」
躊躇っていたのが嘘のように、ゾロはまっすぐにサンジを見つめ毅然として言った。
ああそうかと、ゾロの言葉がサンジの胸にすとんと落ちる。
仲間だからだ。
俺だって仲間だから、ゾロと一線を越えようと思わなかった。
仲間だから。
最初から、そうだった?

一瞬思い当たった感情に慌てて脳内で蓋をして、サンジはうんうんと頷いた。
「そうだよな、仲間に手ぇ出すのはご法度だよな」
「後々面倒なことになる種だろうが」
「ああそりゃあ、もっともだ」
ナミやロビンのことは大好きだけれど、積極的に恋人同士になろうと画策しないのは、やはり彼女達が仲間だからだ。
出も仲間だからと言って、恋愛対象から外れる訳ではない。
「でも俺は、ナミさんやロビンちゃんを諦めたりなんか、しねえから!」
いきなりクワッと目を剥いて宣言したら、ゾロは呆気にとられた顔をした後、脱力した。

「誰もそんな話、してねえだろ」
「はあ?船内恋愛の話だろうが」
「違えよ馬鹿、もう行くぞアホ」
「誰が馬鹿だ、アホはお前だ」
いつもの調子で言い合いしながら、二人して丘を降りる。
間もなく、出航だ。









運命と呼ばせない

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