春島にしては、少し夏に近いのだろうか。
羽織っていたジャケットを脱いで、腕に掛ける。

カタカタと鳴る赤鞘の刀を握り締めたその手の方に。

空を見上げれば、快晴に近い青空。
中天を過ぎて3時間くらい経ったろうか。
昼下がりの燦々と降り注ぐ陽光がこの島の緑豊かな自然を照らし出していた。

降り立った砂浜の周囲を見回していると、後ろから声を掛けられた。

「兄さん、ホントにここでいいのかい?」

ルフィ達と別れてから半年、1人でグランドラインを渡り歩いていた自分を拾ってくれた商船主だ。
どうしても探したいヤツがいるからと言うと、快く乗せてくれて、ここまで送ってくれた好人物だ。

「ああ、世話になった。本来なら、ここまで送ってもらうつもりじゃなかった。感謝してる。」
「いや、世話になったのはこっちだよ。美味いもんたらふく喰わせてもらった。ウチのコックが嘆いてたよ。」
「ははは。まぁ、レシピ少しは渡しておいたから、それで頼むよ。彼も熱心さはオレ以上だからきっといいコックになるさ。」
「そうかい?あんたがそう言うなら間違いないとは思うがね。……しかし、この島でホントに……。」
「ああ、ここだ。ありがとう、あんたたちにいい風が吹くよう祈ってるよ。」

そう言って、話は終わりだと口にタバコを咥えて火を点ければ、相手も納得したのか頷いて船へと引き返す。
それを見送って、砂浜を後にした。

刀が先ほどからずっと鳴り続けている。
ここに居るのだ、間違いなく。

この島に辿り着く1つ前の島で偶々声を掛けた女性。
「こいつを見たことありませんか?」
そう聞いて、10年以上前の手配書を見せた時の彼女の狼狽振り。
そして、この刀を見て変わった顔色と震える声。
確信して、もう一度質問しようと口を開いた瞬間、バッと踵を返して走り去ってしまったのだ。

その女性を追ってきた。

ここまで、5年。
5年も掛かった。
探して、探して、探し続けて……。

それでもクルーの誰もが信じていた。




ゾロが死ぬ筈ないってことを。




***



今から5年前。
麦藁海賊団がグランドラインに入って10年目に突入した時だ。

最早ルフィはほぼ海賊王の名を手中に収めていたし、グランドラインも2周した。
ナミの海図はかなり精密なものになっていたし、チョッパーの医術も上がった。
それでも、ウソップの怖がりとロビンの本好きは相変わらずで。
ゾロの日々の鍛錬と、サンジの料理への情熱は飽くことなく。
毎日が冒険と仲間同士での和気藹々とした雰囲気に慣れきっていた頃だった。

「次の島に鷹の目が居る。」

その情報を掴んできたのは、意外にもロビンだった。

偶々立ち寄った本屋で偶然耳にしたそれをすぐ鵜呑みにすることなく、島中歩き回って真実かどうか確認する辺りは、流石ロビンと言うところだろうか。

「まず、間違いないわ。」

そう言い切る彼女が見る視線の先は、当然のごとく白鞘の刀の柄をギュッと握り締める剣士が居て。

「………行く。」
険しい目付きでそう船長に告げるゾロを、誰もが止めることなく淡々と受け止めた。
そして、サンジもさも当たり前かのように平然と眺めた。
タバコを咥え、火を点けるその手が少し震えていることを除けば。




その島でのログが溜まり、ミホークが居ると言う島へと旅立つ。
最初1人で行くというゾロに、クルー全員が反対した。

方向音痴のゾロが無事辿り着けるはずがないという建前と。
せめてその島に着くところまでは見届けたいという本音と。

それを知ってか知らずか、溜息を吐いてゾロは「わかった。」と了承した。

次の島まではおよそ3日。
ミホークが居ると知らされて2日しか経っていない。
誰もがその来るべき日に備えるだけの心構えを持つだけの時間がないと感じていた。




「……いよいよ、だな。」
「ああ。」

ラウンジで2人きり。
覚悟が決まらないと嘆いていた他のクルーは、もう就寝中でここにはいない。
日中はやたらとゾロにちょっかいをかけていたが、深夜のラウンジには顔を出さなかった。
ゾロとサンジがそういう仲になってから、自然とそれが暗黙のルールとなっていたから。

「怖いか?」
サンジが自分を膝に乗せて抱き締めるゾロの短い髪に手を差し入れて聞くと、思ってもみない答えが返ってきた。

「そうだな。」

首に廻した手に無意識に力が籠もった。
それを感じ取ってか、ゾロがヘッと笑う。

「19の時のオレとは違う。相手の凄さもわかってる。ただ闇雲に突っ走っていた時とは捉え方が違うのは当然だろう?」
「…………。」
「自信が全く無ぇワケじゃねぇ。鍛錬も積んできた。あの時のオレとは比べモンにならない位強くなってる筈だ。」
「……ああ。」
「でも、相手も伊達に何年も世界一やってるわけじゃねぇ。更に腕を上げていることは疑いようもないだろう。……5分5分ってとこだな。」
「……結構自信あんじゃねぇか。」
「へっ!それ以下ってこたぁねぇ。やるからにはそれなりの腕と覚悟がいるさ。」
「さっさと片付けて帰って来い。今日はもうヤらせねぇぞ。」
「……気の済むまでヤらせろ!」
「バカ言え。少し足りない位の方がいいんだよ。帰ってくる原動力になるだろが。」
「アホか、てめぇは。てめぇとシて、腹一杯になったことなんかねぇんだよ!いつだっててめぇとシたくて仕様がねぇんだ。」
「なら、尚更このまま行け。帰ってきたら、てめぇがもういいって言うまで付き合ってやる。」

そこで、サンジは自分の胸に顔を埋めるゾロの両頬を掌で挟んで、自分の顔を見るようにその頭を身体から離す。
じっとその目を見つめて、ニヤッと笑って言った。

「いいか、オレの味を覚えとけ。メシも、オレ自身も。その空腹感で必死になってオレんとこ戻って来い。必ずだ。約束しろ。」
「………サンジ。」
「ゾロ……オレも腹空かせて、ずっとてめぇを待ってる。」

裸の身体を互いに強く抱いて、ゆっくりと深く唇を合わせる。
舌を絡め合って、口内を奥深く犯しながら、ただ無心に相手の中へと舌を潜り込ませていく。
息が上がるまで続いた長い長いキスの後、額を付き合わせてゾロが言ったのだ。

「てめぇのこのタバコの味、絶対ぇ忘れねぇ。」




ゾロが降りた島の離れ小島にミホークが居るのは間違いなかった。
その離れ小島周辺は、浅瀬と暗礁だらけでとてもじゃないがGM号は近付けない。
だから、ゾロとはその本島で別れた。
当然ログが溜まるまで、船を留めゾロが戻るのを待った。
ただ、ログは36時間で溜まり、そんな短い時間で決着が付くとは誰も思っておらず。
ゾロが戻らぬまま、その島を後にしたのだった。

そして、ゾロがミホークとの果し合いの為船を降りて1年経った頃の事だった。
寄航していた島に、突如現れた鷹の目。
全身傷だらけで、それでも生きている事にGM号クルーの息が一瞬止まった。
『ゾロが負けたのだ。』
と誰もが思ったその時、ミホークがルフィに向かって差し出した物を見て全員で顔を見合わせた。

赤鞘の刀――――ゾロの愛刀の1つ、三代鬼徹。

どういうことだとルフィがミホークに詰め寄れば、ミホークが話して聞かせてくれた。
自分のいる島にゾロが現れてからの事を。

2人、力尽きるまで戦い抜いて、ほぼ同時に倒れて。
互いに物凄い出血量だったと。
辛うじてミホークが立ち上がった時には、まだゾロは目を瞑って横になっていたらしい。
止めを刺すべきかどうか迷った挙句に、これほどの剣士、次に相見えた時こそ決着をつけようと考えたのだとか。
一度飲み水を補給しに船に戻り、決戦場に帰ってきたときにはもうゾロの姿はなかったと言う。
ただ、残っていたのはこの赤い刀1本。
砂浜にぽつんと置き去られていたそれを拾い、少しの間周囲を探してみたが、陰も形もなかったと。

ミホークが去って、クルー全員で話し合った。
そして意見はほぼ同じものだった。

ゾロは生きている。
ただ、何がしかの事件か何かに巻き込まれたに違いない。
そうでなければ刀を置いていなくなる筈がない、と。

出来得る限りの手を使って情報を集めることにした。
海賊、海賊狩りはいざ知らず、剣士と名の付く相手に片っ端からあたった。
そして、例え、その相手が海軍でも。
寄航する島々を探し、行き会う海賊や海賊狩りに話をして、またある時は海軍の船に乗り込んで。
さしあたって、掴まったと言う噂や処刑されたと言う話は海軍からは得られなかった。
最悪の情報は入らなかったものの、生きているとか見かけたと言う情報も中々掴めなかった。
グランドラインを1周し、同じルートをもう一度。
周辺の島を隈なく探し、ルフィの性格のお陰で出来た仲のいい海賊達にも捜索を頼んで。




漸く辿り着いた、この島。
ゾロがミホークと2度目の死闘を演じ、行方不明になった島。

島の名は――――絶望の島。




***



その島は、本島である通称『希望の島』の離島で。
どうしても叶わぬ願いを持ったものが、本島から移り住むと言う小さな島。
その願いが叶うか、もしくはその願いを捨てた者だけが本島へと戻ってくるのだと言う。
とはいっても、今はそれを踏襲する者も少なく。
本島の華やかで開けた街の雰囲気とは違い、所謂のんびりした田舎といったところだろうか。
住んでいる人々も、その島の雰囲気にふさわしい優しげな感じで。

その島の人達に聞いて、島のほぼ中心にある小高い丘の麓に辿り着いた。
丘の頂上には鬱蒼とした森があり、その手前に1軒の家の家を見つけたのは、もう日も暮れようとしていた時だった。

期待と不安の中、ゆっくりとサンジが丘を登って行くと、森から出てきた人影が目に入った。
話を聞こうと足取りを速めて近付けば、先方もこちらに気付いたのか、一瞬立ち止まって。

目が合った途端、その人が駆け出した。

彼女だ!

サンジが走ると、彼女は大急ぎでその丘の上の1軒の家へと姿を消した。

ポツンと1軒佇む小さな平屋。
夕陽に焼ける白亜の外装に、オレンジ色の屋根。
少し寂れた感じがするのは、周囲に飾られたプランターの花が枯れたままだからだろうか。

息を切らして、漸く着いたその家の木製の玄関の扉に備え付けられた真鍮のドアノックを叩いた。

中で人の話し声がして、しばらくして。
目の前の扉が薄く開き、そこから顔を出した男。



緑の髪、左耳の3連ピアス、自分とあまり変わらぬ背。


「………よお、クソ剣士。」
「?……誰だ、貴様。」



二の句が告げない。
驚きの余り、くわえていたタバコが口から落ちそうになり、慌てて震える指でそれを挟む。

ゾロが自分のことを覚えていないのにも勿論だが。
それ以上に――――――。

痩せ痩けた頬。
服の上から見てもわかる筋肉の落ちた細い躯。
相手を威圧するには程遠い視線。
対峙した者をたじろがせるオーラなど欠片も無い。
背筋を凍り付かせていた声にも以前の覇気は感じられずに。


何でこんな姿に―――!!


サンジが呆然としながら、タバコを口から抜き取り、フゥッと煙を吐いた時だった。
ゾロが顔をしかめて、片手でこめかみを押さえたかと思うと、ズルッとその場で崩れ落ちたのだ。

「ゾロっ!!」

想像だにしなかった出来事に、ただ立ち尽くして見下ろしていたサンジの耳に聞こえてきた女性の声。
そちらに視線を向ければ、部屋の奥から駆けてくる、先程の彼女。
やはり本島でサンジが声を掛け、逃げていった女性だ。
その彼女が倒れ伏したゾロにすがり付き、躯を揺すって名を何度も呼び続ける。
そして、それでも目を覚まさないゾロを肩に担ごうとしているのを見て、サンジは我に返る。

「オレが運びます。」
「……………。」
「お願いします。やらせて下さい。」
「………こちらへ。」

彼女からゾロの躯を預かり受け、彼女が案内に従って腕の中の躯を持ち上げる。
言葉も無い。
余りの軽さに泣きそうになる。
以前には自分の腕でゾロの躯を支えるなど有り得なかった。
今の自分よりも軽いんじゃないだろうか。
抱え上げたゾロを支える腕に力が入るのを自覚しつつ、前を歩く彼女の後にサンジは続いた。




コトッと置かれたコーヒーカップに気付いて顔を上げれば、先程の彼女が微笑んでいた。

「彼を運んで下さってありがとう。どうぞ。」
「あ、はい。」

こじんまりとしたダイニングキッチンのテーブルを挟んで、彼女がサンジの向かいに腰掛ける。
2人で無言でコーヒーを飲んで。
彼女が自分を見ている気配がして、そちらに視線を向ければ、彼女が遠慮がちに声を掛けてきた。

「あの……彼…ゾロとは、その……どういった…?」
「ああっと……ゾロとは同じ船に乗っていた仲間です。」
「そうですか。」

幾分ホッとしたかの様子に、どうしたのかと問えば、賞金首のゾロを追ってきた剣士かと思ったと言うのだ。
これまでにも何度もそういった輩がここを訪れたのだという。

「大丈夫でしたか?」
「え、ええ。賞金首のポスターとはあまりにも風貌が違いますでしょ?人違いかと帰る方が大半でした。」
「その……彼が、何故あなたと?」
「………主人が亡くなった場所に倒れてました。」
「?」

彼女の話によれば、彼女の主人の亡くなった場所を訪れた時、ゾロは砂浜に血塗れで倒れていたのだと言う。
殆ど意識もなく、ただ息があったので、このまま置いておいては死んでしまうと必死になって連れ帰ったのだと。
余りの出血量に、本島の医者は意識が戻るかどうかわからないと言ったのだが、彼女が連れ帰ってから2ヵ月後、奇跡的に目を覚ました。
ただ、記憶が無くなっていた。
生まれ育った島を出た所までは覚えているらしいのだが。
海賊になったことも、その海賊仲間の事も覚えていない、と。
それからずっと一緒に暮らしているのだと言う。

「もう、身体の方は大丈夫と先生も仰って下さったんですけど。食欲が……。」
「食べないんですか?」
「ええ。……身体が持つ程度には食べてくれるんですけど。違和感があるってそう言って。」
「??……倒れたのは、今日が初めてじゃないんですね。」
「はい。ただ、久し振りですけど。何か思い出しそうになると、頭痛がするみたいで。」
「……そうですか。」

食事がまともに摂れていないのならば、あの身体つきも納得できる。
違和感って……何だ?
それに、故郷を出たところまでしか覚えていないのなら、ルフィのことも、当然自分のことも覚えていないだろう。

気が動転しているのがわかる。
どうしたらいいのか、検討もつかない。
ただ言えるのは、今すぐゾロを連れて帰るわけにはいかないということだ。

折角生きて会えたというのに。
5年かけてやっとその無事な姿を認めたというのに。

コーヒーカップを持つ手が震える。
視線をカップに落として、その水面を睨みつけていると、カタッと音がして。

「タージ。そいつは?」
「ゾロ、起きて大丈夫なの?」

部屋の外で、まだ頭が痛むのか額を押さえながら話し掛けてくるゾロに、彼女が駆け寄る。
その彼女の頭を引き寄せて、ゾロが彼女を抱き締める。

「もう、大丈夫だ。心配掛けたな。」
「ううん。でも、まだ頭痛むのなら寝てた方が。」
「いや、いい。それより、コイツは……。」

ゾロが彼女を抱いたまま、サンジを見る。
その目が、態度が、サンジを他人だと雄弁に語る。
サンジを愛しげに抱き寄せた腕が彼女を抱き、サンジを優しく見つめた目が彼女に向けられる。

胃が痛ぇ。

腹に手をあてながらサンジが立ち上がると、ゾロが敵意をむき出しにした視線を向けてくる。
それを彼女が諌める。

「違うの、ゾロ。彼は倒れた貴方をベッドまで運んでくれたのよ。」
「……本当か?」
「ええ。ねぇ、貴方。……お名前、まだ伺ってなかったわ。何て仰るの?」
「オレは……。」

名前を言おうとして踏み止まる。
どうせ自分の名を言ってもゾロは覚えていないだろう。
そもそも付き合い始めた前も後も、碌に呼んでもらったことのない名前だ。

「コックでいい。名乗る程のモンでもねぇし。」
「コック?」
「ああ。ある海賊船の厨房任されてるからな。そんでいい。」
「……オレの仲間、なのか?」
「?!覚えてんのか?」
「いや、てめぇ、オレの顔見て剣士っつったろ。見た感じてめぇは剣士じゃなさそうだし。かといって、敵意は感じられねぇ。賞金稼ぎでもなさそうだ。
 なら、オレが海賊だって言うヤツがいたから、そうなのか、と。オレを連れ戻しに来たのか?」
「………今のてめぇじゃ連れて行けねぇ。」
「??」
「それに……彼女に海賊家業は勤まらねぇ。大事なんだろ?」
「………ああ。」

頷いて腕の中の彼女を見つめるゾロを見ていられなくて。
サンジは、ずっと握り締めていた鬼徹を持つ手に力を込める。


こんな……こんなことなら。

自分は来ないほうがよかったのだろうか。


「疑って悪かった。運んでくれてありがとう。」
「いや、いい。」
「もう時間も遅い。泊まるとこはあるのか?」
「あ?いや、まだ……。」
「なら、ここに泊まるといい。部屋もある。なぁ、タージ。」
「ええ、そうね。夕飯も召し上がってくださいな。」

仲良さ気に話を交わす2人を見ていられずに、視線を落とす。

そんなサンジを気にすることなく、ゾロが自分の正面に座り、タージが給仕をする。
出された食事は、柔らかいロールパンとポトフのような煮物というシンプルなもので。
その量を見て唖然とする。

以前ゾロが食べていた量の半分程だ。
しかも、それが今この場に居る3人分のようで。
手をつけるのをためらっていると、タージがどうぞと勧めてくる。
フォークを手に取り食べ始める。
味は、所謂家庭風の味で可もなく不可もなくといったところか。
そう思いながら食べていると、カチャンと食器を置く音がして。
顔を上げれば、ゾロが手を合わせている。

「もういいの?」
「ああ。ごちそうさま、美味かった。」

タージが心配そうに見つめるのを、微笑んで返すゾロが居た。
食べた量を見れば、いつもの1割にも満たない。
こんな食欲では、あの体格を維持するなんてとんでもないだろう。
もう寝るといい、ダイニングをあとにするゾロの後姿を、サンジはただ見送る事しか出来なかった。







ゾロと会ってから、鬼徹の鍔鳴りは酷くなる一方だ。
その震える刀を左手に抱えて、外へ出る。
ゾロはもう寝たのか、一階の寝室は真っ暗で。
チラッとそちらを見やってから、すぐ近くの海岸まで出た。
真ん丸の大きな月が照らし出す海は、幻想的な風景をサンジに見せ付ける。
パジャマのポケットから、入れてきたタバコを取り出し、愛用のライターで火を点け一服するとフゥッと吐き出す。


胸が痛い………締め付けられる程に。


鬼徹が鳴く度に思った。
自分も彼を想って泣けたらいいのに、と。

どれ程恋焦がれただろうか。
手に入れた時には俄かには信じられなかった。
口付けられ、躯を貪られ、その身に砲身を受け入れて尚、自分を抱く男がゾロだと認められずに。
何度も何度も彼の名を呼んだ。
その度に愛しげに、普段呼ばれ慣れない自分の名を紡ぐ声の主がゾロである事を教えてくれて。
普段の生活でも。
何気ないやり取りの中で寄せられる視線が優しくて。
時折つっかかってくるその理由がヤキモチと気付いて気恥ずかしかったり。
朝起きて隣にあるその寝顔と抱き締めてくれる腕が嬉しかったり。
そして…………。
彼が傍に居ることがやっと当たり前になったというのに。

いつまで待っても帰って来なくて。
探しても見つからなくて。
やっとの思いで捜し当てた彼にはもう、自分の存在は必要なくて。


それでもいい。
生きていてくれさえすれば、それで。
寧ろこれが普通なのだ。
男のゾロに、レディの伴侶。
ゾロを支え、ゾロの子を成し、ゾロの安らげる場所を与えるのは彼女の方がふさわしい。
そしてゾロが幸せなら、自分の気持ちなどもうどうでも。


ただ、ただ、願わくば………。


ゾロに剣士としてもう一度立ち上がって欲しい。
誰よりも強く在ろうとした、あの矜持を取り戻して欲しい。
世界一の剣豪という夢を思い出して欲しい。
それさえ叶うのならば、例え自分への気持ちを忘れたままでも、例え彼女を伴って船に一緒に戻っても、このまま別れても構わない。
サンジは震える鬼鉄を抱き締めて、天上に輝く月を睨み付ける。


必ず、ゾロを剣士に戻してみせる!
そのために今自分に出来ること、それだけを考えよう。


いつのまにかフィルター部分にまで燃えていたタバコを簡易灰皿にしまって、サンジは海に背を向けた。




翌朝早く起きたサンジは、サンジの直ぐ後に起きてきたタージに提案してみた。
世話になったお礼に、日々の食事を自分に任せて欲しい、と。
長いこと小さいながらも海賊船の厨房を預かってきた自負もある。
病人・怪我人用の食事にも自信はある。
ゾロを元のゾロに戻したいのなら、是非自分の案を入れて欲しい、と。

一瞬、戸惑ったものの頷いてくれた彼女に礼を言い、サンジは精力的に動き始めた。
本島へ買い出しに行き、ゾロの体力と筋力アップに繋がる食材を買いあさる。
戻って、今後一月の献立を検討する。
勿論、ゾロ本人に筋トレを勧めることも忘れない。
体力が続かないと首を振るゾロに、「オレのメシを喰ってから言え。」と言ってやった。
夜遅くまでゾロの現在の体力と筋力を想定し、メニューを考え終えた時にはもう深夜を廻っていた。




そしてその次の朝、サンジは誰よりも早く起きて、食事の用意をした。
ゾロがパンの中でも特に好きで、何度もリクエストしてきた米粉パンと、お腹に優しいコンソメベースの具沢山スープ。
コトコト煮込んで、後少しでスープも出来上がり、オーブンの中のパンもいい具合に焼きあがってきた時、後ろに人の気配を感じた。

てっきりタージだろうと思って、「おはよう。早いね。」と振り返って愕然とする。

「………ゾロ。」
「おはよう、コック。てめぇこそ、早いな。」
「お、おう。」

面食らってボウッとしていると、その後ろからタージが現れた。

「おはようございます。……ゾロっ、あなた、どうして?」
「いや、いい匂いがして。目が覚めちまった。」

そのゾロの言葉に顔が綻びそうになり、シンクに向き直る。
自分の食事の匂いで起きてくるなど、記憶もないのに嬉しい事をしてくれる。
そんなゾロを招き寄せて、サンジは言った。

「味見するか?」
「できるのか?!」

パアッと顔が嬉しそうに輝いて、子供のように自分の隣に立って鍋を覗き込むゾロにほいっと小皿によそったコンソメを渡してやる。
それをふうふうと息を吹きかけて、一気に飲み干す。
そして、目を丸くしてサンジを見て。

「これ……てめぇが作ったのか?」
「おう。どうだ?まだ、少し手入れなきゃなんねぇけどな。」
「これでも十分喰える。すげぇな、てめぇ。流石コックだな。」

付き合ってる時でも、これほど手放しに褒めてくれた事などあっただろうか?
嬉しさの余り、後ろの女性の存在を忘れていた。

「タージ、お前も味見させてもらえ。」
ゾロが彼女を振り向いて、手招きする。
サンジもゾロと一緒に振り向いて、そして固まる。
たった一瞬だったが、彼女の顔が強張っていたのが見えた。
それは、そうだろう。
今まで食欲とは無縁だったゾロが、味見だけでこれだけ食事に意欲を見せたのだ。

「オレはプロだからさ、タージちゃん。勿論レシピも残してくよ。味見してみる?」
そう言ってサンジが差し出した小皿を受け取り、口に含んで。
パアッと顔が晴れた彼女を見て、サンジはホッとしたのだった。


結局、ゾロはサンジの出した米粉パンを10個も平らげ、コンソメベースの具沢山スープは3杯もおかわりした。
タージ曰く、これまでの食欲不振が嘘のようだ、と。
食事作りに自信をなくすタージをサンジが慰める。
元々、自分は一流レストランのコックだったし、曲がりなりにも、10年ゾロの食事の面倒を見てきたのは自分だから、と。
酷い怪我をして動けない時も、滅多にない熱を出して寝込んだ時も。
鍛練の度合いに合わせてバランスのいいメニューを考え、ゾロの躯を作り上げてきたのだ、と。
「レシピはちゃんと残してくし。あとは君のアレンジを加えて、ゾロの体調に合わせてタンパク質とカロリーを調整するだけだよ。
 本調子に戻れば、滅多に躯壊すヤツじゃないから。」
「ありがとう、コックさん。でも、本当にゾロのことよくご存知なんですね。」
「…………仲間だからね。海賊船に乗り込むヤツは、仲間のことをよく知ってるもんさ。」


言葉ではそう言ったものの。

自分がこれだけ食事作りに意欲を示すのは、ゾロ相手の時だけだろう。
他のクルーは、とかく好みがわかりやすい。
美味しい時は滅茶苦茶褒めてくれるし、ダメな時ははっきり言う。
ゾロは付き合う前は全然好き嫌いを口に出さず、残すこともしなかった為、一生懸命その食べっぷりを観察したのだ。
その結果、食べる順序がそのままゾロの好きなものを示す事がわかった。
先に食べるのが好きなもの。
後で食べるのがそう好きでないもの。
基本的に好き嫌いはなくて、醤油ベースの料理が好きであること。
全てサンジが独自に見て考えて研究した結果なのだ。

それを、今から彼女に任せるのだ。

そう考えるだけで、寂しさが込み上げる。
だって、まだ気持ちは冷めていないのだ。
寧ろ、会って、生きていると実感して、その顔が自分に向かって微笑みかけてくれる今、自分の気持ちが昂ぶっている事を
嫌というくらい自覚できる。
愛している、愛していると何度言っても飽き足らないだろう。

早く、一日も早くゾロに元に戻ってもらおう。
記憶はそのままに、体力と体格と剣士の自覚と、それだけを。
そして、彼女と幸せになってもらえればそれでいいのだ。


日々が経過していく。
ゾロの食欲は元に戻っただろう。
それに合わせて、体力も以前の半分にはなったし、筋力も急速に上がってきた。
鍛錬も厳しさを増し、ゾロの顔付きも以前の精悍さが戻ってきた。

だが、それにつれて……。

自分に寄せられる視線を感じて振り向けば、ゾロと目が合う。
その頻度が、上がっているような気がするのは自分だけだろうか。
ゾロと目が合うと同時に、自分に向けられるタージの視線。
だから、サンジはゾロから目を逸らす。

もう自分はゾロと何の関係もないのだ。
面倒を見ているだけの、ただのコック。
それでいい、それでいいと何度も自分に言い聞かせる。
そうでなければ、傍に居られないから。




そして、サンジがゾロと再会してから2ヶ月が過ぎた。
ゾロの体調はほぼ以前のものを取り戻した。
あとは筋力をUPするだけだろう。
その日の夕方、サンジは2人に別れを告げた。

「オレ、明日の船でここを出るから。」

そうサンジが言うと、ゾロは一瞬困った顔をした。
「なんでだ?」
「ん?仲間も心配してるし、オレがいなくてもタージちゃんと2人で大丈夫だと思うぜ。」
「………。」
黙り込むゾロを横目に、タージがサンジにお礼を言った。
それを首を横に振って、サンジが答える。
「長い事ここに居させてもらえたんだから、お礼を言うのはオレだよ。」
「いえ、本当にありがとうございました。」
「最後だから食事も奮発するね。」
そう言ってサンジが出した料理は、ゾロの故郷の味だった。
何杯もお替りするゾロに、目を細めながらも、これで最後だと自分に言い聞かせる。

食後に快気祝いとゾロの好きな米酒を出してやったら、手放しの喜びようで。
先に休むと言って、ダイニングを出て行くタージを見送って。
2人で酒を酌み交わした。

最後の晩餐、最後の晩酌。
穏やかに会話をするゾロのその顔をちゃんと覚えておこうと、サンジは珍しく余り口を開かず、ゾロの声をただ聞いていた。
そんなサンジに、ゾロが飲んでいた酒の入ったグラスを置いて、口を開く。

「なあ、コック。」
「ん?」
「ホントに行っちまうのか?」
「なんだ?てめぇには彼女がいるんだから、いいだろが。」

サンジがそう言うと、また困ったような顔をして。
そして、じっとサンジを見つめてくる。
その視線が以前の、5年前一緒にいた頃のゾロを髣髴させる。
心臓がバクバクと音を立て始める。

このまま、ここに居たら何を口走るかわかったものじゃない。

そう思って、サンジはコップに残った酒を一口でグイッと呷ると、立ち上がった。
「オレ、明日早いからもう休むわ。」
「…………。」

何も言わないゾロに少しホッとしつつ、彼の脇を通り抜けようとしたのだが。
ゾロがサンジの腕を掴んで止める。
サンジが立ち止まったものの、ゾロを見ないで俯いていると、ゾロが椅子を退いて立ち上がる。

それでも尚、ゾロから視線を逸らすサンジの肩をグイッと引き寄せた。

「……お、おい。」


抱き締めてくるゾロの腕を解こうと動けば、更にきつく抱き締められる。
ゾロの感触、ゾロの匂い、ゾロの……温もり。
抱き返したい衝動を何とか抑えて、掌をグッと握り締め、ゾロのなすがままにしていた。

久し振りの温度に眩暈がしそうだ。

背中に廻されていた腕が片方外され、その手がサンジの頬に当てられる。
目が合って。
それが近付いてきて。
サンジが目を閉じたら、熱いものが唇に押し当てられた。
直ぐに離れてしまったけれど、これは紛れも無く……ゾロからのキス。

「…………ゾロ?」
「これ……ァ・・・ジッ……。」

キスの意味を聞こうとした時、何か言おうとしたゾロが急に頭を抱えて蹲った。

「ぐっ!!!」
「ゾロっ、おいっ、ゾロ、しっかりしろ!!」

サンジの叫び声に気付いたのか、タージが寝室から飛び出てきた。
ゾロは苦しそうに頭を抱えていたかと思うと、フッと意識を飛ばしてしまって。
流石にサンジ1人では支えきれずに、タージと2人、ゾロを肩に担いで漸くベッドに運んだのだった。




じっと寝顔を眺める。

あの後、怒りを含んだ顔をして、サンジをみるタージに御免と謝った。
そして、今すぐこの家を出て行くことを条件に、ゾロの部屋へ入ることを許してもらった。
お別れをしたいと言うサンジに、タージは渋々頷いたのだった。

大好きなゾロの寝顔。

想いが伝えられずに、持て余していた時も。
想いが叶って、有頂天になっていた時も。
一緒にいるのが当たり前になった時も。

この寝顔を見ては、自分がいかに彼を好きか再認識させられたものだった。


「あばよ、オレの愛しの大剣豪。」


小さくそう呟いて、以前と変わらぬ寝顔を眺めてから、そっと唇を合わせる。
そういえば、まだ付き合い始めた頃、ゾロを起こすのに遊び半分に軽くキスしたら舌入れられて、2人して夢中になっちゃって、
そのままSEXに突入しちゃって。
まだクルーには内緒だった筈なのに、遅れてバツが悪そうにラウンジに顔出した自分達にルフィが言ったっけな。
「付き合うのは反対しねぇけど、メシ遅れんのはダメだぞ!」
開いた口が塞がらない自分達に、ルフィ以外のクルーは苦笑いしてたっけ。


こんな時にこんなこと思い出すなんて、オレも大概女々しいよな、と飽きれながらもゾロから離れようとベッドに着いた手に
力を入れた時だった。
「?!!」
後頭部を掌で掴まれて動きを止められ、舌が唇を割って侵入してきて。
驚いて目を見開けば、ニヤッと勝ち気に目を細めるゾロの力の籠った視線。
その瞳が閉じられて、その顔が妙にセクシーで。
クチャクチャと室内に響きわたる湿った音が、久しく忘れていた情欲に火を点ける。
うっとりとサンジも瞳を閉じて、ただゾロの舌の動きを追い、髪を撫でるその手の感触を喜んで。


「………変わんねぇな。」
「あ?」

漸く長い長いキスを終えて、最初の台詞がそれで。
ワケが解らず問い返せば、サンジの唇を指で辿ってゾロが呟く。

「タバコ。………てめぇの味だな、サンジ。」
「………………。」
「ちゃんと覚えてたぜ。だから約束通り、オレの気の済むまでヤらせてくれんだろ?」
「ゾロっ、てめぇ………クソっ………ゾロ、ゾロっ!」

今まで堪えていた想いがどっと溢れてきて、飽和状態になって。
ボロボロ溢れ落ちてくる涙を見られたくなくて、寝ているゾロの胸に突っ伏した。

「おい?」
「っるせぇっ!ちっと泣かせろ。」

ヒックヒックとしゃくりあげて泣くサンジの頭をゾロはしばらく撫で続けてくれた。

「心配……したか?」
「たりめーだ!」
「………悪かったな。」

首を横に振り、泣き腫らした顔を上げれば、濡れた頬に手を当ててニカッとサンジの好きな笑顔を向けてくれた。
嬉しくてまた目の端からポロッと涙を溢しながら笑ったら、ゾロがガバッと躯を起こしてギュウッと力任せに抱き締められる。

「ゾロ、痛ぇ。」
「今からてめぇを食わせろ。」
「ここでかよ?」
「問題あんのか?………てか、ここどこだ?」
「え?」

ゾロとのキスに夢中になって忘れていたが、つい今さっきまで、自分は記憶の戻らないゾロを彼女の元に留めて去ろうとしていたのだ。
それが、今自分を抱き締めたまま周囲をキョロキョロと見回し、
「どっかの宿じゃねぇのか?」
と言うではないか。

「だって、ゾロ………タージちゃんは…?」
「あ?タージ?誰だ?」
「誰って……てめぇ、もしかして………。」

記憶が元に戻った時、その間の事を忘れてしまう事があると、聞いた事がある。
実際、記憶喪失になったヤツにあった事はないし、自身も経験した事はないからまさかとは思っていたのだが。
どうしようとサンジが困っていたそこへ、ドアが開いて彼女が現れた。

「コックさん、もう……。」
「タージちゃん、あの……。」

サンジが声を掛けた後ろで、ゾロが起き上がるのが気配でわかる。
そんなゾロに、タージが歩み寄る。

「ゾロ、起きてたの?」
「………誰だ、貴様。」

今度はタージが固まる番だ。
サンジがこの家に現れた時にゾロが言った、その当に同じ台詞をタージに投げ掛ける。
口を押さえて、首を横に振って、ゾロとサンジを見比べて。

「タージちゃんっ!!」

止めるサンジを振り払って、その部屋を走り出て行ってしまった。
追いかけようとするサンジの腕をゾロが掴んで止める。

「何なんだ?アレは、誰だ?何でここに居る?」
「あの子は、あの子はずっとてめぇの面倒見てくれてたんだ。5年間ずっと!」
「……5年って………おいっ、サンジ!!」

ゾロの手を解いて、サンジが彼女の後を追う。
サンジの言葉に呆然としていたゾロだったが、それでも直ぐにそのサンジの後に続いた。




小高い丘の奥の鬱蒼とした森。
彼女が、サンジが来た日に出てきた森だ。
あの時は、プライベートな事だろうからと敢えて聞かなかったが。
今、ほうっておく訳にはいかない。
辛うじて月の光が届く、その緑の合間に見える白いネグリジェを必死になって追い掛ける。

そして、出た場所は……。

2メーター四方くらいの、木立の途切れた場所。
ちょうど真上にある月が、彼女を照らし出す。

彼女の足元にある、十字の木。
墓だろうか、新しい花も供えてある。
その前に置いてあるのは――――白鞘の刀、和道一文字。

そして彼女が持つ黒鞘の刀、雪走。

「オレの刀。……サンジ、何であの女が…?」

サンジが止まったその後ろに、ゾロが立ち止まる。
その手にサンジが置いていった赤鞘の刀を握り締めて。
彼女は、そんなゾロとサンジを見て、視線を足元に移した。

「貴方のことだったの。」
「え?」

ポツンと小さく零した彼女の独り言のような言葉が旨く聞き取れず、サンジが彼女に歩み寄ろうとしたが。

「来ないで!サンジさん。」
「!!!」

その場に留まったサンジに対して、フッと悲しそうに彼女は微笑んだ。
そして、ゾロに視線を移した。

「私の本当の名は、ジュリア。タージなんて名じゃないわ。」
「?」
「あなたが、ゾロが、意識が戻って。でもまだ朦朧としていた時に口にした名前。『タージ』ってそう聞こえたから。最初聞き取れなくて、
 でも何度も何度も呼ぶその名前を聞いて、きっとあなたが大事にしている人の名前だろうって思って。女の人の名前だと
 思ったから、私がその人になろうって。」
「タージちゃ……いや、ジュリアちゃん、何言って……?」
「目を覚まして、記憶が無いとわかって、ちょうどいいと思ったわ。連れて帰って、早く元に戻ってもらおうって。」

「てめぇ……誰だ?」

ゾロの声に一瞬怯んだ彼女だったが、刀をギュッと握り締めて言い放った。

「貴方に殺された1人の剣士の妻よ!!」
「?!!」

「貴方が倒れていたあの場所で、私の最愛の人は貴方に殺されたわ。恨んでも仕方ない。主人もどんな結果になろうとも
 相手を恨んじゃいけないと言っていた。でも、でも、倒れたあの人を見て、一撃で倒されたあの人を見て、私は誓ったの。
 必ず貴方を私の手で倒してみせるって。」
「ジュリアちゃん!」
「その赤い刀、持つだけで鳥肌が立ったわ。持ち主を求めて鳴くんですもの。怖かった。だから、それだけはその場所から
 持ち帰れなかった。でも、主人を斬ったのはこの白鞘の刀。これを墓前に供えて、主人の前で貴方を倒す。」

ジュリアの手によってスラッと黒い鞘から抜かれた刀身が、月明かりに煌く。
鞘を投げ捨て、両手で構えてゾロを睨み付ける。
サンジが掛ける言葉も無く立ち尽くしていると、サンジの後ろで刀が抜かれる音がする。
振り向いて、目を見開く。

「ゾロ、てめぇ……やる気か?!!」
「女相手でも容赦しねぇぞ。」

サンジの言葉に答えることなく、ゾロはジュリアへと殺気を漲らせて立ち向かう。
ゆっくりとサンジの脇を抜けて、彼女へと歩み寄るゾロの腕をサンジが掴んで止める。

「何考えてんだ、ゾロ!!彼女はっ!!」
「てめぇは引っ込んでろ!これは、オレとあいつの決闘だ。」
「だって、彼女はてめぇをっ!!」

5年も、5年の間も仇の面倒など見るものか。
最初はただ、剣士として正々堂々と勝負したくて、身体が本調子になるのを待っていたかもしれない。
でも、サンジが初めて訪れた時、倒れたゾロにしがみ付いてその名を呼んだ彼女の声は悲痛だった。
愛しい者を心配する余りに発された、泣き声に近いものだった。
そして、ゾロがサンジへと向ける視線を気に掛けていたのも嫉妬から来るものだろう。
それをわかっていて、どうして止めずに見ていることなどできるだろうか。

「ゾロっ!!!」
「例えどういう相手でも、オレに対して刀を向けた以上、真剣に相手してやるのが剣士としての道だろうが!
 オレにどうしろっつんだ、てめぇはっ!!」
「…………。」
「下がってろ。」

じりじりと近付いてくる彼女からサンジを背に庇い、ゾロが三代鬼徹を持つ手に力を込める。
サンジはただ見ていることしか出来ない。
ゾロは刀を振り上げて突進してくる彼女を待ち受け、そして………。

ゾロの刀が風を起こす。

ゾロの目の前で、彼女が膝を付く。
手から刀を取り落とし、その手首を反対側の手で押さえて、ゾロを睨み上げる。
それを見下ろして、ゾロが言う。

「剣士ならば、あんな無茶な立ち合いはしない。素人相手に本気になるほど、オレはバカじゃない。」

悔しそうに唇を噛み締める彼女の両目から涙がポロポロと零れ落ちる。
そんな彼女にゾロが言葉を続ける。

「いいか、もう旦那のことは忘れろ。オレが、お前の旦那の分も剣士としての道を究める。必ず大剣豪になる。だから、
 お前はここを出て違う幸せを探せ。」
「…………。」
「話はコイツから聞いた。5年間世話になったそうだな。ありがとう。」

そうゾロが告げると、彼女が顔を歪めて、そして嗚咽を漏らした。
肩を震わせて泣く彼女を一瞥し、ゾロは目の前に落ちている抜き身の雪走を拾い上げる。
彼女の横を通り過ぎ、彼女の主人が眠る墓まで行き、雪走の鞘を拾いそれに納めると、墓前に掲げてあった和道一文字を手に取る。
そして、3本の刀を持つとその場に跪いた。
両手を合わせ瞑想するゾロを、サンジとジュリアが見守る。


何もかも全てが昇華した瞬間だった。




***




その後、ジュリアは絶望の島に残った。
主人の菩提を弔うと共に自身の人生を生きていくと、ふんわり微笑んで語ってくれた。
「主人以外を想うことができたんだもの。」と言う彼女に掛ける言葉が見つからなくて。
だが、その顔には、後悔も悲しみも浮かんではいなかった事に、サンジはホッとしたのだ。

ゾロと2人で本島に戻り、小さな船を借りて。
3ヶ月くらい経った頃だろうか、羊頭の船を漸く捜し当てて。




ゾロ生還とサンジ帰還を喜んで、クルー全員でのどんちゃん騒ぎの後。
年少組は甲板でそのままつぶれてしまって。
ロビンは早々にやりたいことがあると、自室に戻っていた。
最後まで飲んでいたナミとゾロを置いて、サンジは後片付けを済ますと風呂に入りに行った。
そして、もう一度、3人で飲んでいた後甲板へサンジが戻ろうとした時、ナミの声が聞こえてきた。

『………で、あんた、本当に覚えてないの?記憶が無くなっていた間の事。』
『いや、覚えてるぜ。』

その言葉に驚いて、サンジが階段を上がり切った所で立ち止まる。

『何で、そう言わなかったの?』
『…………。』
『あんた、怖かったんでしょ?』
『………てめぇは何でもお見通しだな。』

どういうことだ?

『サンジくん、女の子には甘いモンね。』
『そうだな。オレはいつも2の次、3の次だ。』
『ま、あんたの気持ちわからないでもないけどね。そんなことないんじゃない?』
『女のことだけじゃねぇかもしれねぇがな。余計な事ばっか考えやがるんだ、あいつは。』
『確かにそうかもね。でも、そういうことはちゃんと本人に言わなきゃダメよ。ねぇ、サンジくん?』

そう振られて、後甲板からひょっこり顔を覗かせたナミにサンジは驚く。
続いて、気まずそうな顔をしたゾロも。
そんな2人にニッコリ笑い掛けて、ナミがサンジの元へと歩いてくる。

「あとは2人でね。溜めるのは身体によくないわよv」
そう言って、ウィンク1つ残してナミは甲板へと続く階段を下りていった。


ナミと入れ違いに後甲板へと向かい、階段へと腰掛ける。
ゾロは、階段脇に座って、酒瓶に直接口をつけて中身を呷る。
サンジは持っていたタバコを口に咥え、火を点けて胸一杯吸い込んでから、フウッと吐き出して。
先程の会話の続きを促した。

「覚えてんのか?」
「………聞いてたのか?」
「聞こえてきたんだよ!」

サンジがムッとしながらそう言うと、ゾロがボトルを持ったまま立ち上がり、ゆっくりと歩を進めてくるっと反転すると後甲板の船縁に凭れ掛かる。
そしてサンジの顔をしっかりと見据えながら、言った。
「………ああ。覚えてるぜ。」
「何で忘れた振りなんかした?」
「そうでもしなきゃ、てめぇオレを捨てただろうが。」

もう一度酒をグイッと煽りながらゾロが放った台詞に、サンジが驚く。
「!!な……んだって?」

ゾロはサンジに背を向けて、流れていく船後方の波を眺めながら、淡々と話し続ける。

「てめぇは、相手がどんなんでも、そいつが女でオレに惚れてたらハイって譲っちまうんだよ。オレがどんなに
 てめぇに惚れてても。てめぇ以外受け付けなくても。あの時だって、もしオレが覚えてるっつったら、彼女の傍に
 居てやれって言うつもりだったろ。現に1人でどっか行こうとしてたしな。てめぇにとってオレは、赤の他人よりも
 下だってこった。」
「オレはっ――――」
「まぁな、てめぇの気持ちもわからねぇでもねぇ。付き合ってる頃から、てめぇ言ってたもんなぁ。オレに女ができたら直ぐ
 別れてやるってな。その都度オレも否定はしてたけどよ、考えた事もある。この気持ちが永遠だとか、絶対変わらないとか
 そんなことはないんじゃないか。もしかしたら、てめぇがいるのに女に惚れるかもしれねぇってな。」
「…………。」
「5年前、目ぇ覚ましたら目の前にあいつが居て。自分がオレの相手だって言った。10年分の記憶が飛んでたオレにそんなこと
 言ってきたヤツはあいつしかいなかったからそうなんだろうと思った。誰かを想う気持ちだけは残ってたから、コイツが
 そうなんだろうって。でもな、てめぇが現れて、たった2ヶ月で気持ちが揺らいだ。あいつを好きでいなきゃと思いながら、
 てめぇへと向かう気持ちを止められなかった。」
「…………ゾロ。」

サンジがゾロの名を呼ぶと、ゾロが振り向いて、真剣な眼差しでサンジを見た。

「いいか、サンジ。今回の事でオレは確信したぜ。例え、そんな夢みたいな事無ぇっててめぇが否定しても、オレは絶対だって言い切れる。
 オレはてめぇに惚れるんだ。記憶が無くても、生まれ変わっても。何度も何度もてめぇに恋するんだ。てめぇがオレを捨てても、
 オレはてめぇを想う気持ちを捨てられねぇ。」

そこまで言って、ゾロがフッと表情を和らげる。
一旦視線を床に落として、少し照れ臭そうに項をぽりぽりと掻いて。
もう一度、顔を上げたゾロの表情は、優しくて穏やかで。
ゾロの言葉を待つサンジに、ふんわりと微笑んで言った。


「いい加減、オレを捨てようなんて考えるのは止めやがれ。」


言い切って、ニカッとそれこそ子供のように笑うゾロに、サンジが一瞬目を見開いて。
涙腺が自然と緩んでいくのがわかる。


ゾロと想いが通じ合う前からの不安。
ゾロと想いが通じて尚、脳裏を過ぎった不安。
ゾロが行方不明になっていた間にも考えなかった事はなかった。
ゾロを漸く見つけた時には、現実になったかと思った。

その不安をいとも簡単に、打ち砕く台詞を貰って。


サンジが駆け寄る。
駆け寄って、ゾロが船縁から落ちそうになるくらいの勢いでしがみ付いて。

「………誰が……てめっ……捨て、てやるかよっ!!」
「今度こんな事あったら、オレを殴ってでも連れて帰れよ。約束だぞ、サンジ。」
「……おう。………オレの…蹴り、フル…コースでな。」
「ちっとキツイかもな。」

サンジの身体をギュッと抱き締めて、ゾロが声を上げて笑う。
サンジもゾロの腕の中で、泣きながら笑った。
笑って、互いの身体を抱き締めて、目を合わせて、キスをして。
会えなかった5年分の隙間を埋めるように、相手の全てを奪い合った。



そして――――
5年分の、いや15年分の不安を捨てて。




漸く2人は絶望という名の島から、全てを取り戻した。




END







END







みうさん、お誕生日&20万打おめでとうございますv
みうパパへ、ちょぱ都から愛を込めてvv





都ちゃん!
ありがとうございます。
ほんとにもう、なんて言葉にしていいかわからないくらい嬉しい。
きっとゾロならこうだろう、サンジならそうだろうと思うとおりの二人の
未来話をいただいてしまいました。
最後まで、ハラハラし通しだったけど・・・よかった(><)
ZS欠乏症の私に萌え補給どころか、満腹満足だようv
これで半年保つよう(笑)
安心してまーるゾロのお仕置きを待ってられます。うそウソ
ゾロサンの素晴らしさを改めて再認識しちゃいました。
これを励みにもうひと頑張り、頑張ります!
ちょぱ〜v 愛してるようvv(父性愛:笑)